坪庭付文化住宅
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近鉄の駅で流れるアナウンスが、気になって。
半年くらい前からやったか、上本町の「ホームの端を歩いたらキケンや」と知らせる構内アナウンスが、“萌え声”というのか“アニメ声”というのか、妙に幼い女性声に変わって、これがどうも耳障りで仕方ないんですわ。
「“キケンでっせ!”を知らせるのに緊迫感ないやん」というのとか、「公共の場に幼児性が顔を出しやがって」とか、「癒してるつもりかしらんけど、生理的にイラっとくるんや」とか…ってまぁ、そんなことにいちいち噛み付くのも大人げないか。そう言えば先日高の原駅でも同じ録音のがながれていたなぁ。
(於:天王寺区) 最近上本町駅のこと“上六”ってあんまり言わんなぁ。
※関連記事:『東京メトロの車内アナウンスに「?」と「!」』 2007年10月 記
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何げに見ていたけど、取り合わせがええな。
まぁ割と良く見る木製の町名看板。下部には“質 明治屋”の広告。質屋さんの生息状況よろしく軒の下でひっそりと宣伝活動している…その横で赤々ドヤッとマルフクの看板。なんだかねー。
マルフクに負けたかこの質屋さんはどうも現存しない様子。まぁ結局勝ったかに見えたマルフクも廃業した今となっては、これこそ“昭和な一角”か。ドギツイ看板やなぁと思いつつ、「まぁあと20年もすれば懐かしモンになるんやろ」と思ったり。どうなんでしょうかね。
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「花粉+α飛んでるしあんまり外出したないなぁ」と思て不必要に外へ出るのを控えているうちに「ネタないやん…」と昔の写真探しておりますれば、昨春撮った中にこんなんがありました。
“ツバメ自転車”…懐かしなぁ。その昔、確か近所のカンジくんが乗っていた自転車ですわ。自転車界においてはいわゆる“メーカーもん”やったツバメの新家工業ですが、90年代に完成品から撤退。と同時に西淀川区にあるカッコいいでっかい工場に小さくあった“アラヤのツバメ自転車”の琺瑯看板も撤去されてしまい、哀しい状態でしたが、知らん間にOEMで自転車業界に復活してるみたいですね。まぁでもブランドは“ARAYA”、がメインで“ツバメ”も“SWALLOW”と…それ以外にもシュッとしたブランドが主流の様ですけど。
しかし何ですなぁ、こんな看板見てあれこれ思ううちに、ますます国産の自転車に乗りたい思いは強まりますなぁ…って、非現実的な妄想にすぎん様な状況になってるのかも知れませんね、庶民にとっては。
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仕事で京都。訳あってはよクルマで出かけたついでに遠回りして山城経由で行きますれば道端に、ありました。
旧村の立派な家の門の横にそれは鎮座していました。この防火水槽の寸法に合わせたかの様なスペースに見事に収まっています。
花壇としての余生を過ごしていますが、見ての通り、プランターの置き場所としての存在に成り下がっています。せっかく場所まで用意された上質な第110号の存在なのに、ちょっと残念…とか思いつつ、Googleのストリートビューでここをチェックしてみますれば、そこには白い花が咲いていて…プランターならではの手軽さでいつも色んな花々がここを飾っているということですね。それからこの家屋をストリートビューで改めて見てみますと、そんなに古い築年数の物件でもなさそうです。と言うことはこの防火水槽の為のスペースは、やはりわざわざ設けたものなんかもしれません。
いずれにせよ大事にされて余生を過ごしている幸せモンですね。大阪市内で見るそれとはやはり趣の違う、雅な第110号でした。
(於:京都府京田辺市) “京田辺市”って、“大阪狭山市”と同列に好きになれん自治体名やわ。
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お茶会終わって先生宅で後片付け。あ、昨日の話。帰りしな、電車乗り換えで高安駅のベンチに座って一日のことあれこれ思っておりますれば、そこに“しまかぜ”が入庫。やっぱり新型車輌はかっこよろしいなぁ。
えらい飛ばしての車庫入れ、大丈夫かいな…なんてね。で、「お茶会はどやってん」って?。まぁ、あれこれ思うことひとつふたつ、みっつ。しかしながら…えぇ先生に出会えたことに、ほんま感謝。
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今日は某所でうちの先生のお茶会。お手伝いにと朝から阪堺電車で堺へ。大和川越えて紀州街道を南下。その路面を見るたびに「何でやろ?」と思うことひとつ。
アスファルトで固められた一見普通の道路の様なチン電専用軌道のところどころが、写真の様に舗装が剥ぎ取られ、“砂利と枕木”というスタイルに変えられている部分がいくつもあります。前から「何でかいなぁ」と思いつつ何げに乗車しておりましたが、今日、注意して乗ってみますれば、アスファルト上の乗り心地と、砂利&枕木上の乗り心地が全く違うことを発見。ということは、乗車感向上のためにアスファルトやめて枕木の専用軌道に仕替えているということでしょう。
それにしても何故、この様に部分部分ちょっとずつあちこちで工事を進めているのか不思議な感じ。特別乗り心地悪い部分を変えているのか…う〜ん、低予算の中からできることを徐々に徐々に進めてはるってことでしょうかね。とまぁ想像するものの、ほんまは…何でかねぇ。とか書きつつ、昔からこの様に部分部分で工法が違っていたのかもしれませんが。
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生協のカタログを見ていて「ん?これは」と気になり買ってみました。もちろん“日本の野菜果実”とその原材料を全面に押し出したネーミングに惹かれた訳でどんなもんかと興味津々。まずはそのまま味わってみました。
写真に見る様に色合いはじつにおだやかな茶色。素材の持つ色合いをそのまま生かしたという感じです。
次に香味。変なクセのない香ばしさ、塩みと甘み、酸味がちょうどいいバランスで保たれている感じがします。あとでノドの奥あたりで感じるスパイシーさも、これまたいらん主張をせず脇役に徹しているといったところでしょうか。
次に定番、焼きそばにして味わってみました。
見ての通り濃いこいソース色になることなく麺の色、肉の色、野菜の色がちゃんと残っています。その見た目、まさしく“上品”といったところでしょうか。そんな視覚的印象は、焼きそばそのものの味わいにも言えることでした。もう、素直に「…おいしい」といった感じ。うちのひとも「これ、なんのソース?おいしいわぁ」と訊きもせんのにそう言って食べてました。
白基調のレッテル、“CO-OP”ブランド、“日本の野菜・果実ソース”のネーミング、JAS特級…それらから受ける印象通りな味わい、そんなソースでした。
販売者は“日本生活協同組合連合会GM22”とあり、製造者の記載はありませんが、ボトルの形状、そして“GM22”の記号から日本デルモンテの群馬工場製であることは間違いないでしょう。やっぱり、さすが大手メーカーならではのそつのなさです。ま、こういうバランスのとれたソースがあってこそ、「どやっ!」な個性派地ソースの存在も際立ってくるというわけで、どっちにもそのその存在理由があるということで、うん、どれも美味しいなぁ。
名称:中濃ソース 原材料名:野菜・果実(トマト、りんご、たまねぎ、にんじん)、砂糖、醸造酢、食塩、 でん粉、たん白加水分解物、香辛料、 販売者:日本生活協同組合連合会GM22 東京都渋谷区渋谷3-29-8
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高層ビルがぼつぼつ建ち始めた一角に、こんな会館がありました。
3階建てのその建物、エントランスに昔っぽい書体で“菓子會館”と記されています。
一階には洋服屋さんと思われるテナントが入っていて“?”な感じ。角の入口より中に入ってみますれば、貼り紙があって『“大阪府菓子工業組合”、“大阪府菓子商工協同組合連合会”、“大阪菓子会館事務所”、以上は別棟です』と記されていましたが、そこは“別棟”でなはくて、ただの“別入口”でした。(※追記:ちゃんと確認しなかっただけで、難波のやっちゃん様のコメントにある様に、別棟が存在していました。すいません)
まぁはやい話、全国菓子工業組合連合会の下部組織で、大阪府下のお菓子業界の会館ということみたいですが、そのサイトを見る限り加盟する会社の少なさに「どういう組織なんやろ?」という疑問が残ります。ちなみにここでは“製菓衛生師”の受験に関する手続きもしてはるみたいです。ま、以上、ご説明まで。
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今日は昼過ぎからすっぽり雨。仕事に出かけんならんのに雨。「クルマで行ったろか」と思いつつも「いや、何かヤメといた方がええで」という思い強く、近鉄電車で矢田へ。足元悪い中、今日の現場へと歩きますれば道すがら…あったあった。
『HAIMU NAKAI』…NAKAIはともかくとして“HAIMU”ですわ。ハイムって…“セキスイハイム”で知るコトバですけど、いったい何語やねんと調べてみますれば、ドイツ語でHEIM、意味は“家屋”とか。そやったら“積水ハウス”と“セキスイハイム”は同じ意味なんかいな。は〜ぁ、そうでっか。
で、このHAIMU、じつは駅へ着く前に車窓から“HAIMU○○”という看板が見えて「あっ」と思ったものの、撮れずで残念に思って歩いていたら、別のHAIMUがあったという次第。同じところが手掛ける賃貸マンションの様です。
「電車で来てよかった!」と思いつつ少し歩きますれば…またまたローマ字物件が。ま、そのネタは次回にまわすとして、やっぱりネタが電車移動を選ばしたんでしょうなぁ。毎日更新やとひとつふたつのネタでもあれば有り難いことで。これからも自分の感覚に委ねて行動することにしよっと。
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“キキメ第一”って…当たり前では?
まぁ“各薬店ニアリ”というのも当たり前か。
先日仕事で訪れた藤井寺市の旧村で、こんな琺瑯看板を見つけました。赤いのに焼き板塀に見事溶け込み、じつにええ感じ。シミの様に錆びているところが、なおええ風情を醸し出しています。
大學目藥…中学生の頃使ってたかなぁ。理由は“キキメ第一”やからでなくて「昔っながらっぽい!」と。余談ですが同様に楠灰のカイロとかもわざわざ使っていたなぁ。それと幼少の頃、確か“大学サンテ”ってフレーズを耳にしたことがありますけど、あれは目薬の商標やったのか、それとも“大学”から“サンテ”へブランドをスイッチする暫定措置としてのフレーズやったのか。
この手の看板、たいていはもう「過去のもの」と化していますがこの看板には偽りなし。まぁどこも薬店にも置いてあるでしょう。発売が1890年ということですから120年もの間売られている目薬…120年でっせ120年。
10年ひと昔どころか、5年ふた昔くらいの速度で世の中変わっていく今の世の中にあって、現役であり続けているオバケ商品…とか思いましたけど、仁丹もメンソレータムも100年商品ですな。さぁ平成生まれの商品の中にもこういう長寿品に育っていく商品は生まれているのでしょうか。
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まぁ正確には二次元に生きてるわけではないんですけども、や。
大事に育てられているのか、それとも凶暴な性質を秘めた植物なんか、金網に囲まれて育っています。その姿、まるで二次元化したみたいというか、ツタっぽくなってるというか。
まぁ予期せんところに植物が入り込んだだけですけど妙なと言うか気色悪い光景。この感じ、昨日の記事のと一昨日の記事のを足して割ったみたいとも言えますな。
改めて写真をよく見れば、二次元化した部分と三次元部分で生長に差があります。二次元部分の背丈は、ちょっと見たことないくらいに高いし。横へ(東西へ)広がることを断たれて上へ上へと生長したためこの様になった思われますが…どうでしょ。
この公園には3年ほど前にも訪れていますが、こんな状態になかった気がするけど、見落としていたのかなぁ。そういえばそのとき『白山公園の御神木(?)』という記事を書きましたがその切り株はどうなったかとこれも気になって見に行きますれば…ご覧の通り。やっぱり人々の思い、神のチカラをもってしても再生できなかったんですね。こっちも金網に覆われた中で生きていたというのになぁ。
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見上げれば「変わった生長を遂げてるなぁ」とビックリ。
藤井寺にある昔ながらな集落を通る細い路地を歩きますればそこに、こんな木がありました。その妙さ、写真で伝えられるかなぁ。ちょっと自信ありませんが、何せこんな感じ。幹と同じくらい太い枝が2本、東西にニョキッと立派にほぼ水平にセリ出ています。その様子、もう樹木というよりまるで何かのオブ ジェの様。いやぁ立派やなぁ。
まぁ南北に生長すると具合悪いと剪定しはった様にも思いますが、木の方でその辺察してこういう枝振りを選んだ様にも思えます。
これから芽吹いて新緑の季節、どんな風に茂るのかも気になりますが、この葉っぱなき状況の方がインパクト大の様な気もしますが、どうでしょ…って、伝わってるんかな、この妙さ。
(於:藤井寺市) 天然の造形には時々ハッとさせられる。
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決して賑やかとは言えない商店街の入口に、こんなプラ看板がありました。その環境にマッチした看板とも言えますが、「なんで商店街の門にいち企業の広告が?」ってな感じがします。あれこれ思い出してみれば昔はこのスタイルが割と多かったかも。地元の酒なんかのネオンがこういう場所を飾っているのは、よく見た気がします。でもここにパテックスかっていう違和感は、やっぱり残りますね。
で、パテックス。“パテックス”と言えば熊倉一雄さんが独特のゆる声で「ぺたんシップのパテックス」って言うラジオCMのイメージが強く残っていてどこか「過去の湿布薬」って印象が私にはあるんですが、今も堂々の現行商品なんですね。知らなんだ。
ロゴの雰囲気とともに、その色が緑色というのも何とも懐かしい感じ。何でこの緑色が懐かしく感じるのか。仁丹とか昔のムヒとかに通じる緑なんかも。そんなパテックス看板、アーケードの下、雨風から守られ今日も明日も…1年後もずっときっと広告し続けるのでしょう。
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横から見ると、なんてことない普通の光景なんですが、
見上げれば、ご覧の通り。これがね、天面が劣化してボロボロの状態で存在するのであれば「まぁそんなもんかいな」で済むんですが、この状態は、最初から天はテントで覆わんかったみたいに思われて。「けったいな話やなぁ、予算が底をついたんかいな」と思いつつ「なわけないか」と今、ストリートビューで確認しますれば…普通のテントでした。何や。
しかし何です、こういう風に公道上をテントで覆うってのは、合法なんかどうなんか。ま、その最たるものがアーケードなんでしょうけど、ちょっとニュアンス違うかなぁ。
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ほんまに昔は“江西”なんていう町名があったんかなぁ。
長屋の端っこに、こんな町名看板がありました。電柱の陰、しかも家屋に溶け込みすぎてほとんど目立たんその存在、よく見れば電気配線の為の金属支柱が打ち込まれていて…そらぁこの状態では住所変わろうとも撤去できませんなぁ。
その町名看板には“江西五丁目?番地”と記されています。その町名をネット検索にかけても「これ!」といった記述が見つけられずで「これは“深江西”なんか?」と町名看板の上部が切れていないか確認しましたが、そんな跡もなくやっぱり“江西五丁目”でした。
下の広告部には“増田小児科”“マスダ薬局”と記してあります。薬局の方はさておき、この町名看板の近くに現在“増田医院”というのがあります。小児科も併設しているみたいですので、同じ医院が今も昔もこの町を支えてはるんですね。何となく、ひとの町のことながららホッとするのでした。
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以前「関電の仕事する気はないですか?」と言われたことがありました。具体的な内容を少し訊いたあと、断わりました。何故?の問いに「やっぱり原子力発電ってアカンでしょ。廃棄物処理もできんらしいし」と。
その頃私は、工業地帯の夜景を撮影しては発表してまして、その展覧会場に足を運んでくれはった某社のフォトディレクターの人から「こういうテイストで、送電線とか撮らないか」という誘いだった訳です。直接原発推進の写真をという依頼でもなかったのに、当時の私はカンタンに「No」と言った訳で…後々悩みました。「思想信条を曲げてはあかんやろ」という思いと「何ごとも次のステップへのチャンスやろ、やってみんかい」という思いとの葛藤。しばらく続きました…というか、ずっと「あれは断るべき仕事ではなかったのではないんか」と、後者の思いが日々強くなっていたんです…2年前まで。あれだけ「原発はアカン」と思っていた若き日の考えが、何やかんや関電の広告(政策?)なんかに感化されていたのか「安全で大丈夫なモンなんかもな」と思ってしまっていたわけです。
そんな話を頂いた時から20余年。「やっぱりあの仕事は受けんでよかったわ」と、ようやく思える自分がいます。それでもどこかで「いや、ほんまにそうなんやろか」と思う気持ちもちょっと残ってるかなぁ。思想的背景を差し置いて、まだまだ若造やった私に「こいつに撮らしたらええモンできるんちゃうか」と思ってチャンスをくれた人に対しては失礼な態度やったやろという点において。
とか思うことはちっちゃいちっちゃいことで、2年前に起きたあの大惨事とこれからを思うと「やっぱりやらんでよかった」。ま、やってもやらなんでも何にもその後世間に影響はなかったには違いないんですけれども。
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まぁあるにはあるんやろけど、妙な光景や。
観葉植物でもある以上、どっかに“サボテン畑”っていうモンがあるんでしょうけど、実際に見るとマヌケっていうか、変な感じ。こうやって畝に植えても実がなるわけでもないと思うと余計にそう思うなぁ。
で、ホンマんとこ、何でこんな風に植わっているいるのか。“趣味の園芸”よろしくサボテン好きがこの様に植えたんやろかなぁ。3月10日、3・10で“サボテンの日”って勝手に決めて今日までネタとっておいたんですが、調べてみれば3月10日は語呂合わせで日本記念日協会認定の記念日『サボテンの日』やとか。な〜んや。人の考えることはまぁ一緒やってことですね。
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こういう“元・プラ看板”見ると気になりますのが、「漏電せんかったんかいな」と。
まぁ今では「元からスイッチ切ってあるから大丈夫」ってもんなんでしょうけれど、朽ち行く過程においては結構「ヤバいんちゃうん」な時期もあったのではないかと思えてなりません。
ま、そんなことより何とも侘しいもんですなぁ、こういう状態って。看板のプラ部分朽ちて、金属枠も崩壊。蛍光管だけがむき出しで何とか原型を留めようと頑張っていて…何とけなげなこと。
左のはさっぱりわかりませんが、右の直管のヤツは、元々何の広告行灯やったか想像できますね。ネットで調べてみますれば“三共SPS”のプラ看板やったみたいで…きっとそうですわ。“中外友の会”のそれ同様、気がつけば見かけん様になって…知らん間に年月は流れているもんですなぁ。はぁ。
(於:八尾市) 明滅する蛍光灯も侘しいな。“音”も手伝って。
※関連記事
『昭和なプラ看板 35 ● ポポンS』 2009年11月の記事
『昭和なプラ看板 57 ● うめ仁丹/グリーン仁丹』 2012年3月の記事。
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今回のも現役バリバリではありますが、余生ですな。
色調、階調ともに環境に溶け合って何とも収まりのよい状態でそこに佇んでいました。第109号は見ての通りポリバケツや水道の蛇口を従えて日々活躍している風情です。が、どうも“防火”という目的でそこに存在している感じではありません。その感じ、町工場の手洗い場として使われている様で、貯水機能を生かしたまま余生も大活躍しているといった感じです。
今まで見た中で妙に頼れる存在って風に見えるのですがどうでしょう? ただちょっと水漏れしているところに同情してしまいますが。
(於:東成区) その使い勝手の良さからここへ運ばれてきた感じがあるな。
※追記
同じ日、同区でこんな物件も見つけました。「お、これも防火水槽やろか?」とあれこれチェックしてみまたが、小振りすぎる上、水抜きの穴がどこにも見られなかったので防火水槽に認定しませんでした。異議ある方、おられましたら理由と共にお知らせ頂ければさいわいです。
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どぉってことない光景と言えばそれまでなんですけど、色々な要素が私を引きつけますわ。まずはやはり時代がかっている点。太陽熱温水器のコピーが泣かせますで。それからやけに整然と看板が取り付けられているスッキリ感も心地よくて、キッチリええ仕事してくれそうでよろしいな。
…とまぁ一応書きましたけど、ホンマはやっぱりこれ、真ん中の『タカラ ホーローステン風呂』。これ見るたびに突っ込みたなりましてね「ステンって…錆ますんか」って。まぁ言うには言うけど、商品名に堂々“ステン”と付けてるところが…凄いなぁ。
セメントのことを「セメン」、アルミニウムのことを「アルミ」と略すのと訳がちゃいますわ(テレビジョンの「テレビ」は…かなり変やな…)。なのに今も昔も「ステン」って…と思いましたけど、最近はもう使わんかもね。それだけ英語が普通になって“less”の意味も知れ渡ったということか。それでもまぁ、その筋の人は言ってそうですな「ステン」って。うん、きっと。
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大阪城の方から環状線の小さな高架をくぐりますれば、こんな会館がありました。
一般財団法人『大阪農業振興協会』の会館。あまり馴染みないその響きと思えばいわゆる“農協”とは違う農業従事者の組織なんですね。その源流は農地解放に繋がった農民組合運動にあるということです。
戦後日本の民主主義に欠かすことのできなかったと言われる農地解放ですが、その結果として小規模農家がほとんどとなり、国際競争力が低下したとも言われているとか。なるほどなぁ。
玄関左には“TPP参加反対”と記されたノボリが掲げられています。安倍政権は参加の方向で動いていますがさぁ、ほんまにTPPに例外なんて存在するのでしょうか。「TPPに参加しても日本の農業大丈夫」てな論調もあるみたいですが…ホンマかいな。
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公園に、巨大な鳥の足にょきっ。
…ってまぁ、そんな訳ないんですけど、なんじゃこれ。
公園の管理者が「危険でっせ」と“お化粧”したんでしょうけど、こんなん必要でっか。過剰やわぁ。木にも失礼やろ…って、まぁ、オモロいなぁこうやって見たら。
(於:北区) 南大江公園の大木何本も伐られたけど、たたりないんかあんなことして。
※関連記事:『安全対策万全というのか…』 2008年10月、記
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