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2013年2月10日 (日)

阪堺電車の車窓に見えるキンロの看板残る建物からあれこれ。

Hankai
 阪堺電車の車窓から見えるある酒屋さん。もうやめられてる風情でありますが、お酒の看板も手伝って何ともええ風情やなぁといつも眺めているのですが、先日、仕事の帰りにちょっと立ち寄って見てきました。
Sakaisakaya1 Sakaisakaya2
 「あ、このキンロの建物な」。そう思った人も多いのではないでしょうか。とっても古い感じでもないですし、独特の意匠が施されているわけでもなく…その普通に古い感じが何ともホッとする、そんな物件です。先にも触れましたが、やはりお酒の看板がかかっているところが、いいんですなぁ。
Sakaisakaya3 Sakaisakaya4  “キンロ”がひときわ目立っていますが袖のところには清酒『紅心』の看板もあります。ともに現存しない蔵元の銘柄ですが前者は“灘の生一本”で知られていましたが、発祥はここ堺。その昔は“堺生まれの酒 金露”と記された阪堺電車も走っていました。神戸の大震災を経ても何とか頑張ってはりました。その頃「堺でもう一度酒づくりを再開するらしい」という噂を耳にしていたのですが…それも叶わぬまま1997年に長年の歴史に幕を閉じました。堺が酒や醤油など醸造業の一大産地やったなんて、今では考えられませんが、タマノイ酢の本社が堺にあるのが、その名残りでしょう。
 それからもうひとつの『紅心』、これは奈良のお酒だった様です。1970年代後半に廃業された様ですが、その蔵を八尾の飯田グループが譲り受け、今“長龍酒造・広陵蔵”として稼働しています。その後、蔵は建て替えられましたが、この紅心の味わいは、長龍に少しは受け継がれているのかもですね。
 と、ええ感じの建物から看板にあるお酒の話に変わってしまいました。で、「そう言えば…昔の酒造家名鑑に広告があった様な気がする」と見てみましたら…
Horiguchi Ootsuka
…ありました。古本屋でみつけた『日本醸界年鑑・昭和30年度版』にこの様なかたちで。よく見るとどちらも大阪市東区横堀に事務所を構えていた様ですが、どこにあったのか。造り酒屋も酒問屋も元気あった時代やったんでしょう。あ、趣味を語って長なりました。すんません。

(於:堺市堺区)人気ブログランキングへ 「酒は金露で張りキンロ♪」、いまはキング醸造のブランドに…

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コメント

  学生時代堺で下宿していたので、近所の酒屋さんでは「金露」や「長龍」はお手頃でした。

 「酒は金露で張りキンロ♪」のCMも懐かしい。

 友人の話では堺もかなり揺れたそうで、関西人の生活に風化しようのない傷を残した災害でした。

投稿: 戦後派 | 2013年2月11日 (月) 09時11分

うわぁーキンロ

亡くなった西成のおじいちゃんが愛飲していたお酒ですわー

何故か、キンロの一升瓶の蓋がたくさんミズヤの引き出しにありました?

廃業しちゃったのですね。

若い人が日本酒から離れてしまってますからねー

そんな中地元の阪南市浪花酒造や泉佐野の北庄司酒造は、ユーザーの酒蔵見学を絡めて定期的にイベントやってます。

酒蔵イベントは、確かにスゴイ人ですよー

酒は金露で張りキンロ♪懐かCMですねー(^-^)

投稿: 阪南市テクノ森田 | 2013年2月11日 (月) 09時26分

♪酒はキンロではりきんろ♪
金盃で乾杯
泉正宗
日本酒の看板は味わいがあります。
TVの止まったCMも良かったですね。

投稿: わい | 2013年2月11日 (月) 16時15分

●戦後派さま
>>「金露」や「長龍」はお手頃でした。
級別が残っていた頃、この2社は「特級仕込の二級酒」を売りに出荷量を伸ばしていましたね。キンロが弱った理由のひとつに、級別廃止があったと言われているみたいです。
あの震災の後遺症は、いまもあちこちに残ることでしょうね。もちろんこころの中にも。

●阪南市テクノ森田さま
「西成のじいちゃんに金露」…何ともおさまりがいいですね。しかも水屋にいっぱいキンロの蓋ですか。想像が膨らみますわ。
浪花酒造さんも北庄司酒造店さんもイベント盛んにやってはりますか。ええことですね。北庄司さんとこには何度か蔵のホールで楽しませて頂きました。頑張ってはるなぁ。また行ってみたくなりました。

●わいさま
お酒の看板もCMも味があった…それだけ高級品で蔵元にも財力があった証なのかもしれませんね。

「酒はキンロではりきんろ♪」
このフレーズに皆さん反応してくれはったのが、嬉しかったり意外やったりしました。まぁ…40歳以下の人にはわからんでしょうね。皆さんコメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2013年2月14日 (木) 11時31分

遅ればせながら・・・
おっしゃる通り、タマノイ酢の本社って今でも堺、阪堺線沿いにありますよね。
父が商売をたたんで久しいのですが、子供のころ、仕事関係で配達やら何やらでお邪魔するときについていきましたわ。
トレードマーク、最近また変わったようですが、ずっと堺にあるままってのはなんかうれしいです。

投稿: ぽんぽこやま | 2013年2月18日 (月) 02時24分

ぽんぽこやまさま
タマノイ酢とも取引があったんですか。やはり醸造業同士、いろいろつながりがあるんですね。
>>トレードマーク、最近また変わったようですが
いまサイトで見てきました。ほんまですね。知りませんでした。
それよりわたし的には“タマノ井”から“タマノイ”に変わった時が、何となくさみしい気分でした。
大阪発祥のタマノイ、これからも応援して行きますわ。

コメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2013年2月18日 (月) 11時32分

HPの社史のところを見ると「大阪万博のとき、食酢業界から生活産業館に出展」とあります。
この関係で、万博開催の一年ほど前に建設途上の万博会場の見学に連れて行ってもらったことがありました。
その時はまだ幼いこともあっていったいどこへ連れて行ってもらったのかさっぱりわかりませんでしたが、万博会場で「あの時連れて行ったのはここだよ」と教えられました。今だったらもっと面白く思ったんでしょうけどね。

投稿: ぽんぽこやま | 2013年2月19日 (火) 00時42分

ぽんぽこやまさま
万博出来上がる前に万博会場に行ったことがあるとは…ちょっと自慢できますね。しかし何です、そういうつながりがあると、建設現場まで見ることができるんですね。何となく、今の時代では考えにくいことの様に思いました。
古い思い出話を有り難うございました。

投稿: 山本龍造 | 2013年2月20日 (水) 22時24分

奥村商店 建物 なくなって、今空き地です。

投稿: | 2016年8月 4日 (木) 15時50分

●さま
はい。私も以前、チン電からの楽しみにしつつ外見てがっかりしました。なんらかの形で再利用できなかったんかなぁと思いますが…もう遅いですね。

報告御礼でした。

投稿: 山本龍造 | 2016年8月16日 (火) 22時59分

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