« 阪堺電車の車窓に見えるキンロの看板残る建物からあれこれ。 | トップページ | 町の医院、緑に囲まれてます。 »

2013年2月11日 (月)

興亜日本 國威宣揚 紀元2673年。

 ま、こんな状態でそこにありました。
2600a 2600b 2600c  多くのコトバは要らんでしょう。ちびた国旗掲揚の柱に錆びたバケツか…これが鉄兜に見えんこともない。今日は2月11日、建国記念日。

 

 

 

 

(於:生野区)
日本興亜損保…思えば右っぽい社名やこと。

| |

« 阪堺電車の車窓に見えるキンロの看板残る建物からあれこれ。 | トップページ | 町の医院、緑に囲まれてます。 »

社会」カテゴリの記事

思ったこと」カテゴリの記事

大阪市東部」カテゴリの記事

コメント

うーん錆びたバケツが物悲しい・・・

投稿: 阪南市テクノ森田 | 2013年2月12日 (火) 09時19分

 「万世○系」~あるわけねぇだろ、んなもん!~

『記紀』は意味深ですね “継体”とか、“…5世の孫”とか

<突撃一番> こんなモンを使う時代が再び来ませんように…

投稿: 難波のやっちゃん | 2013年2月12日 (火) 10時35分

地下鉄・九条駅の西側にもほぼ同じ仕様のものが残っています。バケツの鉄兜はなかったように記憶していますが。石造なので国旗掲揚台の基壇だけが残るんですね。
しかしGHQは何も云わなかったのでしょうか?生まれる少し前のことなので知りませんが・・・。

投稿: FUZZY | 2013年2月12日 (火) 18時19分

●阪南市テクノ森田さま
でしょ。本来の目的を想えばあまりにもさみしいわけで…何とかならんかなと思いました。

●難波のやっちゃんさま
そうですね。なんとなく「戦争は無縁や」と思てましたら「あぁこうなって戦争って起こるんかもなぁ」という世相になってきていて、ヤバいなと思てます。こういう流れの繰り返しなのかと思えば何ともやるせない。けど、何とかその流れを変えなですね。

●FUZZYさま
九条にもありますか。
で、言われてみれば確かにGHQが何も言わんかったのかと思いますね。今も残るのがかなり不思議に思えてきました。
で、FUZZYさんとはさほど年齢が違わないと思うんですが、
>>生まれる少し前のことなので知りませんが・・・。
とお書きです。ずっと「戦争は生まれるもっと前の話」と思てましたけど、長い歴史の中ではほんと“少し前”の話ですね。歳を重ねて、そう思う様になりました。

皆さんコメントありがとうございました。

投稿: 山本龍造 | 2013年2月14日 (木) 11時40分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 興亜日本 國威宣揚 紀元2673年。:

« 阪堺電車の車窓に見えるキンロの看板残る建物からあれこれ。 | トップページ | 町の医院、緑に囲まれてます。 »