道端の勝手木を坪庭に。
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最近ちょっと世相を反映したネタで炎上気味(?)、いやいやかわいいヤケド程度ですが。てなわけでちょっと冷やしましょうか、防火水槽で。
今回のこれは、いつも通り「たまたま見つけましてん」ではなくて「ここにあるねんな」と立ち寄って出会った物件です。
ここを訪れてはコメント頂くあんなひと、こんなひとのブログにも紹介されていてちょっとその世界ではメジャーな存在の様ですが、やっぱりそれなりに風格…って感じではないにしても“風情”ある感じする物件です。路面電車の終着駅のホーム上にあるという点においてもそこに人に馴れた金魚がたくさん飼われている点においても。
「もうすっかり巨大な金魚鉢やん」と思いつつ裏面を見ますればそこにはうっすら“防火用水”の文字。あるある、ちゃんと書いてある…安心。
イザと言う時には水と共に金魚も炎の中へ…それを思うとほのぼのした気分が一気に吹っ飛んで。ま、そんなことはないでしょう、きっと。
(於:住吉区) 阪堺電軌はそれなりに乗るけど、この駅舎には…人生で3回目くらいかな。
※参考記事:
『防火金魚水槽』 まちかど逍遥 2007年3月の記事
『物件160(大阪住吉公園駅)』 荒川防火水槽研究会 2007年8月の記事
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「結婚しぃま すぅ~♪た~まひめでん」
別に「懐かしぃ」ってほどでもないですけど、やっぱり何とも前時代的な感じしますなぁ。今また和装による式も流行ってきてるみたいですけど、ここに写るは…昔のそれですな。看板をよく見れば、昭和60年頃に作られたものみたいですので、今から30年ほど前に打ち付けられたもんでしょうか。30年前…そんなもんでしょうなぁ。
この看板には“全国60玉姫殿予約…”と書かれている通り、結婚式場と言えば『玉姫殿』な時代があったあった。私が多感な頃は、そのCM耳にしただけであれこれ思たもんですわ。あれよあれよと言ううちにその数減って今では4つを残すのみとか。ここ以外にも“月華殿”とか“平安閣”とか“大和殿”…もっと大昔には「スバルレオーネが当たる」と宣伝していた『高砂殿』とか、あひる出てくるCMで、そのビルの屋上にお城とか五重塔とかが建っていた布施駅前の東大阪『寿楽殿』とかもあったけど…知らん間に聞かん様になりました。
そうそう、いま思い出しましたけど、それらの式場が流行っていた頃って、ゴンドラ使って会場に降りてくるとかそんな演出もありましたね。そっか、あれもバブルやったんですな。
ハデ婚地味婚…それぞれの時代にそれが普通やと思ていても、後になれば「っはは」なこともあって…それで良しですわ。11月22日は『いい夫婦の日』とか。けっ。
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わざとこんなところに植えはったんちゃうかと疑うほどに見事ですな。
見ての通りでございます。窓をきっちり覆う見事な植物、それだけでもすごいなと思いますが、根元を見れば…会所枡あたりのコンクリの割れ目から生えてます。と、言うことは…たまたま窓の下から生えてきたということなんでしょうなぁ。
こんなところから生えてきたと言うのがまずびっくりですけど、その植物を「なんじゃこいつ」と引っこ抜くこともなく「おぉ、これはこれは」とこの様に育てはったここの家の人の感覚が、これまた素晴らしい。いやぁ、ええもん見せてもろたなぁ。
ところでこの青シソっぽい葉っぱに小さな小さなアジサイみたいな花をつけてるこの植物、何て名なんでしょう? 割と見かけるものの…って、この様な育ち方してるのは、もちろん後にも先にもこれ以外ありませんけれども。
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以前にも取り上げた…って、最近焼き直しネタばっかりっぽいな。
すっかりその姿を消しつつあるブリキの立体看板、もうそれだけでも何だか邪魔やなと思いつつも愛おしい存在なのに、てっぺんちょを見ますれば、何かかわいいモン付いてますわ。どぉってことないんですけど、そこに看板屋さんの人柄がうっかりにじみ出てる感じかなぁ。
足元見てもこれまたちょっと変わってますで。当初のサイズやとちいさくて目立たなんだんでしょうかね。府営住宅の片隅で今も現役で頑張る立体看板、ええ仕事してますなぁ。
※関連記事:『ブリキの立体看板。』 2012年4月 記
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「ここは遊具があるからおもしろいねん」とお子にせがまれ、新金岡駅から歩いて大泉緑地へ。しばらくしますと、拍子木の音が…
あ、懐かしの紙芝居屋さんです。と言ってもじつは私、幼少期にこの手の紙芝居を見た記憶がなくて。紙芝居屋さんは見たことあるんです、が、その頃もうみんなテレビに夢中やったのか、小学校の近くでおじいさんの紙芝居屋さんがひとり、ぽつねんと立ってはる姿を見たのが最初で最後やった様な気がしますが…忘れただけなのかもしれません。
ボランティアでこういうことしてはる人もいるとは聞きますが、この様にお代徴収して水あめ渡してってスタイルの本格派が今もいてはるとは、ちょっとオドロキ。ま、変わった点と言えば、自転車がウエルビー号みたいなやつから、電動アシストに変わってるところでしょうかね。
さて見てますれば、最初水あめと型抜きのお菓子を100円と引き換えに渡して、それから、クイズ。ダジャレ系からちょっとした教養系のものまでドンドン出していきはります。当たれば駄菓子がもらえる訳で、うちのおちびちゃんも、授業では滅多に上げん手を、ハイって上げてますやないの。何かこっちまで嬉しくなるなぁ。
ひととおりクイズが終われば次に紙芝居。あれはなんやったんかなぁ…『黄金バット』やったんかなぁ。ま、こっちの方はクイズよりもえらくあっさりと終わってしまった印象。ま、こういうのって、このおっちゃんとのコミニュケーションを楽しむもんでしょうから、これでええんでしょう。
オーディエンス(?)の中には、お代を払っていないお子もいましたが、クイズにはちゃっかり参加。で、プレゼントをもらっています。こういう心広い態度こそ、平成の世の紙芝居屋さんなんでしょうかね。
訊けばここ大泉緑地と大仙公園で実演しているとか。帰宅後調べてみますと、このお方は“ごえもん”さんとおっしゃるそうです。そう言えば、紙芝居が始まる前にある絵に「ごえもんの かみしばい」と書いてありますわ。
テレビの時代、インターネットの時代になってもこういう商売がまだあるとはびっくりでしたが、それ以上に、ここに集まる子供らがなんか活き活きと楽しそうで、そこがええなぁと思いました。
…と、記しましたが、このお方も月→金は別の仕事しつつ、社会貢献的にやってはるのかもしれませんね。いずれにしてもこういう空間がまだあることに、ホッとしました。
(於:堺市北区) おっちゃんの帽子に『Bs』、なんかうれしい。
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無愛想な建造物の一角に、こんな緑地帯がありました。見ての通り整然と樹木が植えられている…というかビルトインされているというか…これはもう“植物”って感じではないなぁ。まぁホンマは植物に違いないんですけど。
で、「ここはいったい…何の建物なんやろか?」と見渡してももひとつわからんでグルッとひとまわりすれば、工事中の門に『百済変電所』の文字。そうか、ここは関西電力の敷地やったんか。どうりで水やりまでもが“電化”されているわけね…って、各樹木に張り巡らされたパイプは、電気仕掛けの給水システムでしょ、きっと。
しかし何ですなぁ、この“緑化”、いかにも「関電らしいなぁ」って気もしますな。「何でも電気で制御できるわ」という感じで。これを“人類の進化”ととらえるか“おごり”ととらえるか…
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今春にもここの景色を載せて“夕日射すこの時間帯はなおええ感じに見えるんやなぁ”なんて記したけど、ネオン映える薄暮の時間帯の方が、もっとええ感じですなぁ。ま、今回もただ、それだけなんですが5月と11月、同じ17時頃でもその明るさとニュアンスは全然ちゃうもんですな。こっちいかにも晩秋な感じ。
(於:天王寺区) 最近、何か焼き直しモン記事多いなぁ。堪忍かんにん。
※そっくり記事:『JR鶴橋駅ガード下、千日前通、春の夕暮れ。』 2012年5月 記
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“重電”とまではいきませんが“中電”(?)的なモンを手掛けていたんですね、ナショナルも。
ナショナルと言えば、家電なイメージでこの手のモンはもひとつイメージ湧かんのですが、やってたとは知りませんでした。それでも日立や東芝が持つ信頼感とか安心感がもひとつ持てんもんがあるなぁって感じ…と思って調べてみますと、どうやら近年、製造をヤメた様子…って、未確認な話ですいませんが。
「何でもナショナル」から「経営資源の集中」へということでしょうか。うちにも設置されているガス給湯器からも撤退した様で…パナソニックになって、さてどこへ向かうのでしょうか。
そうそう「何でもナショナル」と言えば、この看板に記されている文字は、“は”を除いてみんな“ナショナル”な書体。あったあった。そんな時代にいろいろと手掛けはたんかなぁ。“多角経営”も…最近あまり聞かんコトバかもな。
(於:東住吉区) “ナショナル”って…こんなロゴやったかなぁ。ずっと見てたら変な感じ。
※関連記事
『何でも“ナショナル”な字体。』 2011年1月 記
『昭和なプラ看板 33 ● 自転車はナショナル』 2009年10月 記
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垂直に立たん電柱に、“黒”だけが残って…ブラッキーな雰囲気三倍増って感じ。
“※信用貸付”、“※主婦 ※勤人”…普通のコトバまでが危うく感じられる。「お金はカンタンに借りん方がええよ」と思わせるもんがあって、本来の役目と逆の効果を放ってるなぁ…などと見ていましたが、最初からちょっと怪しげな貼り紙やった気もするなぁ。まぁその方が“借り手思い”なんかも。“キャッシング”ってコトバは、あまりにも軽くて。「借りるなら、それなりの覚悟がないと」って時代があったんやなぁと。ホンマは今もそうなんやろうけれど。
※類似記事
『貼り紙、電柱に転写してる。』 2011年4月 記
『貼り紙、珍劣化中。』 2011年2月 記
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前ぇ〜から、その存在を知るつつも「アホげ記事にするのは…失礼やろ」とスルーしてました業界団体の会館のひとつですけど、「やっぱりええなぁ」と、記事にすることにしました。
『綿業会館』、正式には“一般財団法人日本綿業倶楽部”が有する建物となるこの物件、見ての通り重厚で品があって…いかにも“糸へんの街大阪の物件”な雰囲気があります。ん?
今でもまぁ綿業に従事する人たちがテナントと入って使われてる様ですが、それ以外にも落語会の会場としてホールが使われていたりと、平成の世にもとってもええ感じでその風情をアピールつつ…と記しているうちに、酔いがまわってきた。益々訳わからん様になってきましたでスンマセン。ふと思い出したのは、桂吉朝さんの落語をここで聞かせてもらったことやなぁ。ええ会やった…と思いつつ今日はこの辺で。訂正追加あればまた後日。
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クルマのタイヤってたいがい固いと思てましたけど、こんなんになってまっせ。
∞というかメビウスの輪状態というか…ばか力持つ輩の仕業か? はたまた日光にさらされ乾涸びたか? 写真の様に路上駐車されんために道端に置いてある廃タイヤのうち、ふたつがこの様にへしゃげていました。
帰宅後写真をよく見れば、ともにこれ、ブリヂストン、『RCOT』と記されています。「なんか聞いたことあるな」と調べるももひとつわからなんだんですが、キャッチコピーが…ちょっとひっかかりました。それは、
“新タイヤ形状理論”
そう言えばそんなフレーズで広告してましたな。で、その形状ってのがこれやったとは…知らなんだぁ。ふ〜ん。変わっとるな。
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以前にも同じ状態のモンを記しましたので、もうええかとも思いましたが、それでも…やっぱり凄いなぁと思いまして。
ビワの街路樹って、ちょっと変やと根元見ますれば…はは、こんな状態ですわ。
まだ発泡スチロールが残ってるのが不思議なくらいぶっとい根っこがアスファルトとコンクリの隙間から大地に根を下ろしています。いったい樹齢はどんなもんなんでしょうか。私も幼少の頃、ビワのタネを地植えした経験がありますが、ずっと細っちいままで、葉っぱも3枚ほどしか出ませんで、そのうち枯れてしもたんですけどね。
勝手に街路樹化しとりますが、もう今さら伐られてしまうこともないでしょう。こんな物件、けっこうたくさんありそうに思えてきました。
(於:東住吉区) 最初からここにあるのか、デカなって難儀してここに放置したんか…
※類似記事
『発泡スチロール突き破って隙間から大地に根を下ろす木。』 2011年12月 記
『鉢植え卒業。地植え化したビワの木。』 2012年2月 記
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駒川商店街の中ほどに、半分露天商みたいな風情のお店があって、そこの“商品陳列ケース”、これがちょっとまぁマニア心をくすぐるんですわ。
「どこに“商品陳列ケース”が?」って、いや、その…このパン箱。このパン箱にお菓子やら日用品を並べて売ってはります。夜になると、こないにキレイに並べてはるとは…案外几帳面(失礼!)な店主さんなんですね。
で、何がくすぐられるってもちろんパン屋の屋号が入ってるという点。“城東パン”、“城東西湖堂”など、かつてあった地パン屋のそれがここにあって…懐かしいなぁ。“キクヤパン”の葉っぱっぽい文字もかわいいし。
とは言え現存するパン屋のそれも混じっていて…どこから調達してきはるんでしょうか。ザッと見た感じ、70個以上ありますけど…
ま、その辺は追求せんとひとつひとつこの前を通るたびにそこに刻まれたブランドを楽しむこととしましょうか。こういうお店の方がいてはるからこそ楽しませてもらえる訳やしね。
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「70?」いや、「フロ」や。
せっかくの看板がこれだけしか見えんのが残念…とも言えますけど、このチラッと感がええんかもしれませんなぁ。これだけしか見えんでも『スズキ フロンテ』やとわかるところが古い人間ですなぁ。
調べてみますればここに写るフロンテは二代目で1967年から1970年に売られていたものとか。“2ストローク/3気筒エンジン”…私が最初に乗ったスズキキャリイと同じや。軽いエンジン音に白煙モクモクの排気ガスくさくさ。「こんなんでええの?」と思たけど、なくなってみたら何となくさみしい。蒸気機関車の煙みたいなもんかなぁ。
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同じ様なネタが続きますなぁ。
見ての通り昔ながら一角。これに白熱球の外灯があれば、もうばっちりって感じ。木製の町名看板は、まぁ割と見かけるタイプのヤツで下には質屋さんの広告。左端に“プール女学院東門前”の文字が見られます。「まだあるんやろか」と思いつつ別の日、プールの東を通れば、ちゃんとそこにありました、質屋さん。何となく古い広告のお店が現存するというのは、うれしいもんです。下にその質屋さんの写真も載せておきましょう。
それから“火の用心”のブリキ看板。これもまぁ時折見かけますが、よく見ると上部に“午後10時は火の元点検の時間です”とあります。そうやったんか…って言うか、昔は10時台にはふとんに入るのが普通の生活やったんやろなぁと思うと…睡眠時間は減ってるなぁと実感。わずか数十年で人々の生活サイクルが変わるって、ちょっとした人体実験の様にも思えますが…って大袈裟ですな。
(於:生野区) 何でいまだに年末だけ「火の用心、カン、カン」と回るんやろかね。
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昔の面影残す民家の壁に、ありますいろいろ懐かしモンが。
まずは。木肌の風合いを生かしたその意匠…なんでしょうか? 文字部分が浮き出ているのは、墨かペンキで記されて、その部分だけ経年変化せなんだ結果やないかと思われます。まるで寺院の扁額か表札かといったその風情、その蛾や蓑虫の様な目立たなさは町名看板としての使命を果たしていないとも言えますが、ま、旧町名ですから、この方がええとも言えますね。上部に“日赤奉仕団”、下部に“長栄商會”の広告。この会社は、どうも現存していない様です。
壁の端の方には琺瑯看板もあります。こちらは上記の町名看板と違って赤々とビビッドにその存在を誇示しています…とは言えもちろんそこは琺瑯看板、いい感じに貼り付いています。
“アベノ斎場交叉点南半丁東入”…「半丁ってどれくらい?」と調べますれば一丁が109mということですから55mですか。それでこの耳鼻科を検索しましたら、それらしき場所に今もちゃんと現存する様です。ただし、“半丁”はサバ読みすぎ。実際には“一丁半”ですね。「耳、鼻、ノドここで診てもらお」思た人、ご注意ください。
で、ここはどこかと言えば“阿倍野区北畠一丁目”。劣化したアルミ製の町名看板は、もひとつ味わいある変化を遂げてませんね。“救心”の広告があるも、やっぱり“印刷した感じ”がおもしろないですわ…ってそういう目的のモンではないですな。
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