日本家屋の酒屋さんの軒下の…Coca-Cola。
違和感ある様で…溶け込んでるなぁ。
昔ながらな酒屋さんの軒下にある赤い玉。初めて見てからもうかれこれ30年近くなりますけど、ずっとそのまんま。変わらんなぁ。ますますこの地に馴染みつつもさりげなくその存在感を全面的に漂わせて…まるで印籠みたい。
戦後67年。ある意味2012年という今ののニッポンを象徴する物件にも見えます。そこが京都やというのも…ね。
(於:京都市左京区) Coca-Colaと言えば山下達郎さんのでしょ。このCM曲を必死でエアチェックしたなぁ。
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コメント
造り酒屋の軒先と云えば「杉玉」ですが、酒販店にそんな古い看板が(笑)
高校時代に再上陸、未だその頃は海辺やプールサイドの夏季限定飲料…
それがアッと云う間に全国を席巻!
私が憶えてるのは「ピンキーとキラーズ」や「赤い鳥」が唄うCM(汗)
“古い奴だとお思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しがるものでございます…”
♪恥だらけの人生でした(涙)
投稿: 難波のやっちゃん | 2012年10月23日 (火) 21時53分
難波のやっちゃん さま
いま、キリンのメッツコーラが売れてるみたいですが、その主要購買層は40代とか。それは「コーラは身体に悪い」と親に飲ませてもらえんかった世代やとか。メッツコーラはトクホ。親からの教えに対して「トクホやから大丈夫」って気分もあって売れてるのやないかと言われているそうです。もちろん私も、親からファンタはOKでもコーラはダメと育てられました。
やっちゃんさんの幼少の頃はどうやったんでしょうか?…って、売ってなかったんですかね? ラムネとかみかん水でしたか…
コカコーラ、昔のCMソングはみなハイカラで垢抜けしててかっこ良かったのに、知らん間にそんな世界やなくなってしまいました。それだけ普及したということなんでしょうかね。
コメントいつもおおきにです。
投稿: 山本龍造 | 2012年10月24日 (水) 08時49分
コカ・コーラは昭和36年に貿易自由化で飲めるようになりました(自販機販売は37年)。
大正9年に上陸(明治屋と満平薬局で販売)したらしいんですが、薬臭くて全く売れずに撤退。
戦後アメリカ進駐軍と共に軍需物資として再上陸、横流し品以外は庶民には無縁でした。
で、子供の頃はラムネや粉末・濃縮ジュース(汗)、中学生になって米屋が配達する“プラッシー”でしたネ(笑)。
投稿: 難波のやっちゃん | 2012年10月24日 (水) 11時15分
難波のやっちゃんさま
「クスリくさい」…懐かしい響きですね。最近あんまり言わん表現の様な気がします。そういう味の食べ物飲み物がないということでしょうか。
プラッシーもさることながら、“粉末ジュース”、これがまた何とも懐かしい。メロンの…あれは“春日井シトロンソーダ”やったんでしょうか。あのインチキくささがたまらなく子供心をくすぐりました。おいしい訳っではないのに…
コメント続編、ありがとうございました。
投稿: 山本龍造 | 2012年10月26日 (金) 00時00分