むかし野里町、いま野里2。
古い立派な民家の壁に、ひっそり佇んでますわ。
モノトーンの壁面に、これまたモノトーンな町名看板。経年変化による剥げハゲ状態が、何ともこの場に調和してます。もうほとんど読めん状態。“野里町”は読めても広告部分が…ま、何とか『阪神葬儀社』と読める様な。これはこの地にある『阪神葬祭』のことでしょう、たぶん。知りませんが。
しかしながら白と黒だけと何とも地味な町名看板やことで…と思いましたけど、広告主の業種を思うと、そらまぁこうなるでしょうな。
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コメント
大げさに云うと“結”の精神が希薄になった。
近所付き合いや相互扶助ですね…
核家族化、住宅事情もあります。
悲しみに暮れるご遺族が家を片付け準備するのは大変な心労です。
昔はお産も産婆さんが来て自宅でやりました。
投稿: 難波のやっちゃん | 2012年9月16日 (日) 18時47分
難波のやっちゃん さま
そういうことですね。
会館でのシステマチックな葬儀、銀行かホテルのロビーの様なソフィスティケートされた火葬場の待合所…なんか人間の“生”というものの重さというかなんと言うかそんなんのニュアンスが昔とは変わったんちゃうんかなぁと思て見ています。
結局時流にあわせることが、そこに関わる皆さんにも負担のかからんこととしてええのやとは思いますが。
産婆さんが取り上げるのが病院で出産に変わったことも、やっぱり同じ根っこの話ですね。
コメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2012年9月17日 (月) 22時45分