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2012年7月12日 (木)

“日章ノート”の看板見つけ、探すと家から日章ノートが。

 超久々に…見かけました。
Nissho1 Nissho2 Nissho3  “日章ノート”…懐かしいなぁ。文字が落ちてしもてますが、その後には“便箋”と記してあったんでしょう。
 今やノートと言えばCampusブランドの“コクヨ”が幅をきかせ、キョクトウとかPLUSとかが何とか頑張ってる感じですが、その昔中小を含め、色んなノート会社の製品があったもんです。そんな中でこの日章のモンは、どこかマークに味わいがあって気に入っていたんですが、気がつけば王子製紙の資本を受けてブランドが“アピカ”に変わってしまい…調べるとブランドがスイッチしたのが1973年とのことですから…もうこの看板を含め、日章のブランドも40年近く前のものになるんですね。そんなに月日は流れていたんか…とちょっとびっくりです。
 「日章のノート、まだ持ってるんちゃうか?」そう思って実家に残る学習机の引き出しを開けますと…ありました、さらの日章ノートが何冊か。
Nissho4 Nissho5 Nissho6
 残念ながら周辺が赤茶けて…この頃のノートは中性紙をつかってなかったんですね。そう言えばこのノートの後、アピカ印のノートには“中性紙使用”と記されていました。
 しかしながら…1973年にはもう日章のブランドがなくなっていたのにこれを持っているというのは…そうそう、そう言えば何とも回転の悪そうな文房具屋さん見つけてはデッドストックとなっている日章印のノートをわざわざ買い求めていたのでした。今も昔も結局全然変わらんマニアックさ…我が事ながら、あきれます。
 そんなことにばかり気をとられていてそこに記すべき内容…即ち授業にはさっぱり興味を失っていたなぁ。何をやってたんやか。今さら仕方ない事とは言え…うん、ちょっと考えてしまうなぁ。

(於:東住吉区) この頃は、まだまだ“大学帳”ってコトバが通用してたな。

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コメント

昔のノートには味わいがありましたね、
眺めていると文房具の世界が広がっているような。
極東ノートもありましたね。
実はこれ、2003年頃に買えたんですよ。
フェスティバルゲート内にあった文房具のディスカウント店で。
倒産した会社や店じまいしたとこから仕入れたような品ばっかり置いていましたから。
(ノートはちょっと赤茶けていました。)
まー面白かったですね。

投稿: わい | 2012年7月13日 (金) 01時16分

  懐かしくなって、ガサ入れしました。

 コクヨのキャンパス・ノートや背の黒い極東までは見つかりましたが日章は手元には無い様です。

 ただ、記憶では巨大タンカー「日章丸」の表紙のやつがあったはずなのですが・・・

 今やMADE IN CHINA、100均全盛の文具業界も大変やろなぁ。

 鉛筆一本に合掌する、あのCM。

 物の大切さ、有難さってやつは何処かに残っているのでしょうか?

 配偶者でさえ、とっ換えひっ換えの昨今。

 おっと、また違う方向に行きそう。

 

投稿: 戦後派 | 2012年7月13日 (金) 10時09分

●わいさま
そう、写真にうつるこのノートはもひとつですが、アールデコ調(?)の表紙のヤツなんかは、ほんま味わいがありました。
それで、“極東ノート”…懐かしいですね。その昔はコクヨよりノートでは幅をきかせていたと思うのですが(=コクヨは“コクヨ便箋”って言って、便箋屋さんだったと記憶しています)。
倒産、民事再生を経て今は…調べてみますれば、インドネシアを本拠とする企業グループの傘下とか。
いろいろありますね。

●戦後派さま
あれこれ手元にあるノートを調べてくれはったみたいですね、おおきにです。
またそのうちにとも思っているのですが“ハタ”印のノートとかもなかったですか?。旗には“MAIL”と記されたマークのでしたが。
で、そうですね。確かに文房具と言えばもうすっかり“百均”の世界になってしもて、しかも外国製ばっかりになってますね。
で、
>>鉛筆一本に合掌する、あのCM。
これは…私申し訳ありませんが知りません。
短なった鉛筆を持ちやすくするためのホルダーがあったのを思い出しました。あれを使ってムキになって短くなるまで使う…このことでもすっかり本末転倒で、勉強のことよりそっちにばっかりきをとられていたのが…やっぱり悔やまれます。

お二人とも早々にコメントを有り難うございました。

投稿: 山本龍造 | 2012年7月13日 (金) 23時02分

  探せば出てくるもんです。

 日章ノートは浪人時代(一生でこんなに頑張ったんだという証に残しておいた)のもの。

 HATAは何かの賞品だと思われる「校章」入り。

 所謂大学ノート。

 「断捨離」が出来ない性分なもんで・・・

投稿: 戦後派 | 2012年7月14日 (土) 09時14分

  追伸です。

 HATAとローマ字だけで「社章」は無かったです。

 いやぁ、万年筆にカートリッジ・インク、鉛筆ホルダー、更にはカブラペン、Gペンまで、懐かしいと言うか、恥ずかしいと言うか。

 両親が実家を整理した時の荷物より。

投稿: 戦後派 | 2012年7月14日 (土) 09時23分

戦後派さま
“日章”も“HATA”もありましたかっ。
でもその残っている理由が、私とは全然違う訳で…そんな思い出のあるノートなら、額に入れて飾っておけば日々効果絶大…って、しんどなったりするかもですが。
たぶん、私の方が「断捨離」できんタチですよ。
酒蓋にレッテル類に配置薬のパッケージに京阪牛乳の領収書…ほらね。
ま、なくなったらなくなったで人生何にも変わらんのやろとも思てますが。

随分前にコメント書いて頂いてましたのにレスがいつも通りの激遅ですいませんでした。

投稿: 山本龍造 | 2012年7月17日 (火) 22時54分

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