完全に木と一体化していた看板が…なくなってる。
四年前の記事“完璧に一体化した看板と街路樹!”で、その見事なる取り込みようを愛でていた街路樹ですが、先日前を通りますと…
「あっ!」…。ご覧の通りたばこと日清製菓“ニッシンバターココナツ”の看板が取り外されているではありませんか…
左(最後)の写真の様に昨年の10月にはまだ確実に存在していて、お子とその凄さを愛でていたのになぁ。
まぁ、木の立場からしたら「はぁ〜すっきりスッキリ」てな感じでしょうから、これは「よかったなぁ」と言ってあげんとアカンのでしょうけれど…やっぱり残念。
しかし何ですね、この、看板を取り込んでいた部分にも、ちゃんと木の皮があるもんなんですね。勝手な想像では、この看板の裏側は、生身の木なんやろとおもてましたが…当たり前ですか。
で、何でここまでほっておいたこの看板が外されてしまったのでしょうか。グリンピースみたいな環境保護団体の指摘を受けて撤去することになった…とか? いや、やっぱりゆとりなき橋下政権下で「これは怒られるかも…」と取ってしもたんかなぁ。これくらいの状況は、自然の驚異を教える生きた教材として、ごっつ値打ちあったと思うんですけどね。あぁ残念。
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コメント
「ありゃりゃぁ~」ですねぇ。
あそこまで同化していたものを無理矢理引っ剥がすと、かえって樹本体を傷つけないか心配です。
何か、瘡蓋の貼り付いた救急絆創膏を剥がす時を思い出しました。
ちょっと痛そう。
投稿: 戦後派 | 2012年5月28日 (月) 09時27分
“茶髪は黒に染め直せるが、刺青は違う!”
おしゃれで小っちゃなタトゥーもありまっせ(笑)
内心や体まで素っ裸にしたいんか…
嫌な渡世(市政)だなぁ~
投稿: 難波のやっちゃん | 2012年5月28日 (月) 14時31分
●戦後派さま
確かにおっしゃる通り、これを剥がされたときは、さぞ痛かったことでしょう。でもその割に、“傷口”らしきものはほとんどというか、全然なかったところをみると、やっぱり異物は異物でしかなかったということでしょうかね。
>>何か、瘡蓋の貼り付いた救急絆創膏を剥がす時を思い出しました。
これは…イタイ。昔はよく瘡蓋はがれては傷口が膿んで…ってことがしょっちゅうでしたが、最近のお子は、なぜか傷口が膿んでませんね。あれは栄養とか衛生とかの状態と関係あったのでしょうか?
●難波のやっちゃん さま
少々敵を作っても、キャッチーなことを言うと話題になって人気も上がる…まぁ、自分はやりたないやり口です。「勇気あんなぁ」とは思いますがね。
お二人とも早々にコメントを有り難うございました。
投稿: 山本龍造 | 2012年5月28日 (月) 21時42分