「必ず飼主の手で」…かぁ
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「中河内は…やっぱり落ち着くなぁ」と思いつつ自転車であちこち。ひょこっと曲がりますればなんかええ感じな一角。「何がそう思わせるんやろ?」と立ち止まってちょっと考えると…これですわ。この木の塀ですわ。
考えてみたら昔はこんな塀ばっかりで、それが普通やったのに、徐々にブロック塀に変わってしもて、見かけることがすっかりなくなってしもてたんですね。窓枠や玄関がアルミサッシにすっかり置き変わったのと同様の変化やのに、コロッとこの塀の変化にはちゃんと認識してなかったということですわ。
しかし何とも趣きあるもんですな。ついつい家屋の持つ風情ばかりに気が取られていましたけれど、こういうまわりの環境も大事な要素やなぁと改めて思いました。昔見なれたのに知らん間に見かけなくなった…こういうどぉってことないものの変化にこそ、あれこれ思わせられるもんですね。
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防火水槽いかにもありそな粉浜の町。第82号に出会ってしばらく歩き、角を曲がれば…
…やっぱりありました。83号となるこの防火水槽、見ての通り空っぽでそこに佇んでいましたが、漆喰やゴムボンドでひび割れを補修してあるところを見ると、最近まで現役として活躍していた様に思われます。これといって特徴のないヤツではありますが、昔ながらの家屋に鉢植植物、市会議員さんの看板、そして消火器箱なんかととてもええ感じに響きあっている幸福感(?)がそこから漂ってくると言った風情が感じられます…ってムリからに言語化しすぎてる気がしますなぁ。とにかく調和のとれたええ感じの一角に防火水槽もあったということです、はい。
この防火水槽は、立派な蔵のある質屋さんの一角にありました。南海本線に面したお店らしく、蔵に大きく“質”の文字。ついでに小さく“電話”。建物の風情に合っていない様でなんとも言えん前時代感がそこから…いや蔵の通気窓から町に放たれていて…あ、またムリからに言語化してますな。
(於:住之江区) ただの四角いコンクリの箱や。まぁ言うたらほんまは。
※2015年頃、建物ごと消失した模様。
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先日久々に今川あたりを歩きました。馴染みのない町を行くと、そこに「ん?」と感じる道が一本。「何か知ってる、けど…あれは砂利道やったから記憶に残ったはずやが…」と思いつつ、舗装したてと思われるサラッとしたその路面の有り様に、ちょっと嫌な予感を覚え、帰宅後、以前の写真と見比べてみますと…やっぱり。以前記事で“ただの砂利道が懐かしい…”とその存在を愛でていたのと同じ道でした。
ここは公道。「舗装せんといて」と地元住民の皆さんの要求で未舗装やったのかと想像していたんですが…住人の世代が変わり意識も変わったんでしょうかね。
この東住吉区には、何故か未舗装の地道が割と残っています。それらも順次舗装されてしまうのか否か…ちょっと気になるところ。てなわけで同区で見かけた他の地道の写真も載せておきます。
(於:東住吉区) 見てる分には「水たまりのできる地道もええもんやなぁ」とは思うが…
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“うめ仁丹”と言えばその昔、私が小学校高学年時分に流行っていました。仁丹っぽい苦味がほんの少しあって、その中が酸っぱい…苦くて酸っぱいというその味わい、甘いか塩辛いかという駄菓子のそれとは一線を画する代物で、ちょっと大人な気分になれるという要素もあってか「おいしいなぁ」と思ったもんです。とは言え薬局で買うモン(=医薬部外品やったか…)故、お小遣いではとうていしょっちゅう買えんわけで、でもそこがまたくすぐられるわけで…とか思っていましたらさすが駄菓子業界、この人気に便乗してオリオンが“梅ミンツ”というお菓子を出しましたが、全然別モンで…ま、うめ仁丹の10分の1ほどの価格でしたから、そんなもんでしょうかね。
…と、“うめ仁丹”のことをもう少し調べよと思ってネットで検索しましたら…なんと、昨年の春、1年前に製造中止になってたんですね、グリーン仁丹とともに。
全然知りませんでした。まったく想像もしていませんでした。いわゆる『仁丹』はじり貧でも、うめ仁丹、グリーン仁丹はそれなりにこの時代にも受け入れられていると思っていたけど…そやなかったんですね。
写真に写るのは3年前の仁丹の日に仁丹本社で買ったもの(当時の記事“2月11日 211・ジンタンタン♪で「仁丹の日」”)。懐かしさと直売の安さに惹かれて買いましたけど、すっかり口に含むの忘れていたことを思うと、やっぱり売れてなかったのかなぁと思ったり。あれこれ思いながら久々に口にしたうめ仁丹は…湿ってぐんにゃり…ですが噛むと、あの小学5〜6年生だった頃の気分がふわぁ〜っと甦る感じがします。ちょっとタイムスリップできるアイテムとも言えますね。それを思うと、うめ仁丹の廃盤は…大事なものを失った様に思えてきました。そしてもうひとつのグリーン仁丹、こちらも口にしてみましたら、湿りもせず、カリッと音を立てて割れたあと、ミント味が口中に広がり…ま、これは他社のフリスクとかでまぁ、代用できそうに思いました。
「いつまでも、あると思うな…」ってものごとって、いろいろあるもんですね。ちなみにうめ仁丹は1969年発売、グリーン仁丹は1975年発売。うめ仁丹は1987年にリニューアルされていた様です。昔と同じ味に感じたんやけどなぁ。
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市バスに乗って終点“杭全”で下車。五叉路を跨ぐ歩道橋を渡りつつ「さてどっち向いて歩こかいな」といつも通りあっちへこっちへあてのない小旅。で、階段降りたのは今里筋に面した東南角。「とりあえず東へ」とそこにあった道を左に曲がりますれば…!
「あっ!昔こんなん見たで。あの時の木?」…ご覧の通り、木がニョキっと道にせり出してます。昔どっかで木に遭遇して感じたことあるこの不意打ち感。「いや、やっぱりあの時の木やないか?」と。
“あの木”とは…以前(2008年7月)の記事『御神木、未満。』に写る木のこと。記事は2008年ですが、撮影したのはもっと以前の2002年でして、もう記憶も曖昧になって「大阪市内のどっかやった」程度にしか覚えてなくて、でも勝手に「大正区やろ」と片付けていたのです。
帰宅後調べてみますとやっぱり同じ、あの木ですわ。“この「木」にお供え・しめなわお断りいたします”の注意書きはなくなったものの、変わることなく10年経っても切られずに残っていたんやなぁ。よかったなぁ。それと、ちゃんとした所在地も判明して…よかったぁ。しかしなんですなぁ、2度目の遭遇でしたけれど、やっぱりインパクトの強さは変わりませんでした。こんなクルマが通りにくそうなところやのに…調べてみましたらgoogleのストリートビューにも写っていて…よく撮影車輌のカメラがぶつからなんだですなぁ。
「きっとあの木やろな」…と思いつつしばらく行くと、今度はこんな木がありました。
V字路の角に、これまたニョキっと…ま、まっすぐですがちょっとユーモラスに生えています。よく見ると、下部がちょっと「?」な感じ。虫歯治療よろしくセメントで幹が補修されてますわ。腐ってきたのか…いや、その位置的に見てクルマにぶつかられて幹が傷んだんかもしれません。ま、それでも痛々しいながらも元気に生きている様です。
先の木といいこの木といい…この町は人間の都合で木を切ってしもたりせん土地柄なんでしょうかね。まぁサンプル2では語りきれんのですが、何か名木でもなさそうな木がこの様なかたちで町に生えていてええなぁと、ちと温かい気分になったのでした。
(於:東住吉区) 10年経っても全然変わってへん…わしの頭ん中も一緒や。
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昔よく見たモンやのに、気がついたら見かけん様になって「あれは何やったんやろ?」と思うこと時々ありますが、そのひとつのモンを久々に見かけました。
このステッカーです。トラックから乗用車から色んなクルマに昔はよく貼ってあったんですが…懐かしいなぁ。久々に見ましたわ。でも、ここに写るのには“ GO ”しか書かれていませんが、昔よく見たのは“ GO ”の右下に小さく“POWER”で “GO POWER ”と記されていました。色は緑色のが多かったですね。で、これはいったい何のステッカーなんでしょ?
皆さんも目にしたことありますよね。私はかなり前…30年くらい前より「何のなんやろ?」と疑問に思っているんですが、いまだにわからんまま。たいていのことがわかるネットの検索でも検索がヘタなのかヒットしません。オイルとかクルマ関連の商標なのかただのシールなのか…どなたか何かご存じないでしょうか?お教え頂ければさいわいです。
(於:中央区) “酒POWER”みたいなもんか?
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市バスは終点、住吉車庫で下車し、いつもの通りあてもなく西の方へうろうろしますればそこは粉浜あたり。何となく縁がなく行くことがなかった住之江区ですが、なかなかええ感じの長屋も多くてほっこりさせられる町並であります。「こんな町の風情やと、きっとあるんちゃうか」とちょっと思っていますと…やっぱりありました。
住之江区第1号の防火水槽の発見です。見ての通りこの物件、長屋の玄関前にデンと鎮座しております。中には土がいっぱいに詰まっており…の割にこれといった植物も植えられてなく草も生えずと何ともその置かれている場所の割にどうでもよい存在の様で、ちょっと変わった余生の過ごし方かもしれません。ま、その何げなさ加減においてはとても町に溶け込んだ存在とも言えるわけで…きっとこれからも玄関先でただの塊としてあり続けることでしょう。これといった存在理由がなくてもそこにある…ゆとりってそんなもんなんかもですね。
(於:住之江区) ←アホげに飽いたらクリックひとつで別世界へ。大阪ネタいっぱい。
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300系の引退の影で、100系も引退…ってどっちも私にとったら「最近の車輌ちゃうかったん?」な感じ。あ、新幹線の話。とは言え「100系引退の時にネタにしよ」と思てた写真、改めて見たらこれ、0系ですわ。
何となく「0系より尖ってる顔つき」と思って見ていましたけど、目玉が○ですわ…と記していて気づいたんですが、目玉も鼻も丸くて○やから“0系”って名付けたとか? いや、知りませんし知らんままでええんですけれども。この丸っこい新幹線車輌って…現実的にはもうこのムーバーとか携帯電話にある絵文字だけに残るもんでしょうかね。
時代の最先端をモチーフとして作ったであろうこの遊具、当時これに乗る子供もまたそんな最先端な気分を空想しつつ楽しんだことやろなぁと想うと、いまやレトロな乗り物とその存在価値が180度変わってしまっているわけで、これじゃ子供も未来志向(=ちょっと死語?)にはなりませんわなぁ…って、そんなん昔も今も、子供は考えてないって!うん。ま、「これ何なん?」とは思てるかもなぁ。
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ここまで錆びても現役なんか。何となくずっとこの電柱にくくり付けられてただ誰も「もうはずそや」と言い出さんうちに見なれた光景になってしもてここらの人らには違和感ない物件なんかもね。
小さい字、何て書いてあるんかよくよく見ますと“昭和61年9月1日から午前7時…”。四半世紀前の改正を知らせる立て看板をいまだに掲示してあるということですなぁ。
ま、それよりこの道路標識の風情ですわ。手描きと劣化との相乗効果で味わい深くなっててええ感じ。そもそもこの“誘拐犯と子供”と揶揄される歩行者の奇妙なシルエットにこの風化具合が実にマッチしてますなぁ。しかしながらこの味わい、たった25年間で培われたとは思えんかったり。とは言え25年前の自分と今の自分の違いを思うと…そんなもんなんやなぁ。はぁ〜
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この冬、何十年ぶりかでアイススケートを真田山で楽しみました。「それなりにまだ滑れるもんやで」と思いつつ曇り空を見上げれば、そこにこれまた何十年ぶりかに見る飛行船が…
これはこれはと写真撮ろうと思いますれば、そこにジェット機も現れて「ええ感じや!」とシャッター押しますと、ついでにハトまで写ってましてますますええ感じ…って、何か素人くさいなぁ、喜びのレベルが。
宣伝飛行船と言えばやっぱりかつての記事で触れました様に“日立キドカラー”のそれを見た時の印象が強すぎて、今回は…って、ま、ただただあれこれ思う感覚が鈍っただけなんでしょうこれどもね。あ、この飛行船は今月21日まで京阪神をうろうろするそうです。
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夕刻に我孫子で待ち合わせ。先の予定が早く終わってあまり知らん土地で時間潰しであっちへこっちへ。ひょっと道を曲がれば…こんなんがありました!
…これはインパクトありました。一瞬「ホンマか?」って感じ。庭木が壁を突き抜け外へ出ていることはままあっても、これは…見ての通り家から出てますわ。あまりにも不自然なその状態に「オモロい!」と言うより「ちょっと…不気味?」と感じてしまいました、正味の話。
「いったい家ん中はどんな感じになってるんやろ?」とか想像しつつ、写真を良く見てみましたら、トタン屋根の部分を増築した建物みたいですね。と言うことは、この木のある部分は元々庭かなんかだったということですね。解ってしまえばちょっと面白くなくなったかな。
住人も木も、ちょっと窮屈な思いしつつも共存しているこの姿…ええもん見せてもろたなぁと思いつつ、「自分やったら…どうするやろ?」と自問自答。こうするべきやと理屈で解っても「えいやっ!」と切ってしまいそうで、でも結局どっちもイヤで増築は中止とするでしょうなぁ。煮え切らん性分なもんで。
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一年前のその日の揺れは、家でのことでした。私は全然気づかなかったのですが、うちのひとと客人が「なんか揺れてるんちゃいます?」と言い出し、表に出ますと、やはりそう思った人たちが口々にその様なことを口にしてはりました。見上げれば、電柱のケーブルが確かに鈍く揺れています。しばし立ってますとゆったり揺れていて「あ、ホンマに地震なんや」と思いつつ、歯医者の予約もあったので歯科医院に向かいました。
地下鉄で移動ののち、数十分歩いて着いたそこはいつもと変わらぬ空間でした。しかし混雑する待合室に座りますと、やっぱりさっきの鈍い揺れが感じられます。そこで見たテレビに映った光景は…あの大惨事の有り様。「え?何なんこの光景」と思いつつその画面で事の始終を見ているその中で…隣の患者さんはチラッとテレビの画面を見つつもずっと週刊誌を読んではりました。その時の妙さがやけにリアリティを持って私の脳裏に刻まれています。
「こんな大変な事が現実に起こっているのになんであのおばはんは平気で週刊誌を読み続けてたんやろ?」…その時感じた妙な違和感。しかしながら一年経った今、「自分の心にも宿っているやん」と気づかされました。
風化させるにはあまりにもキツイ現実が日本に起こり、いまも続いているというのに自分の心はこんな有り様で…だからと言って何が語れるかと問われれば黙ってしまうこの弱っちさ。3月11日だけこんなこと記したらそれでええわけでも何でもなくて、とか思いつつも明日からまた普通に悶々としつつ生きてゆく。神戸の地震時、東京からの報道に「何じゃこれ」と思った気持ちもまたあれこれと思い出したり。「風化していくのは仕方ない事」とラジオのパーソナリティも言ってましたが、ほんまそうなんかもしれませんけど、いまだ解決してない諸々のことを思うとそう割り切ってもおれんわけで…こう記す事こそ無意味に思う、きょう3月11日です。
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「元は線路脇やったんやろなぁ」な面影残す一角にオレンジ色の夕日が射してええ感じ。そんな光に照らされて、黄色いプラ看板がええ味出してますわ、PEPSI…ペプシコーラ。
一時期ほとんど見かけん様になって、今またサントリーのてこ入れで市場に多く出回る様になったペプシですが、私らが小学生時分には巨人コカ-ファンタ軍を追って、ペプシ-ミリンダ軍もそれなりに健闘してましたね。黄色地に赤と青で記されたこの物件は、その頃の看板やないかと思います。
関西でペプシがすたれた理由は、ボトラーの伊藤忠飲料の解散にあると思われますが、この社の解散が1976年ということですから、この看板、30〜40年前のモンでしょう。
同社の解散後、ペプシは、チェリオのボトラー、セブンアップ飲料関西へ移り、チェリオ同様、300ml入りの大瓶になって復活しましたが、中学生時分はその量の多さにほんとお世話になったもんです。あ、もちろんチェリオもね。
しかし何です、この看板はスナックの看板なんですね。そう言えばスナックやら喫茶店のプラ看板には昔、当たり前の様にコカコーラのプラ看板が立ってましたが、ペプシも対抗してやっていたのですね。欧米の飲みモンがハイカラやと思われていた時代の名残りか…変わった様で、中身は変わってないかもなぁ。
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空き時間、何となく「ここにしよ」と長堀鶴見緑地線は横堤駅を降り、地上に上がりますれば「ここ、川やったんちゃうか?」な道。「どこから流れていた川かいなぁ」とか思いつつ歩きますと、こんなんがありました。
これは…ベンチのつもりでしょう。ヒューム管や土管にコンクリで蓋をしたものが遊歩道化したその河川跡の脇に設置されています。いやぁ、何と安上がりなこと。帰宅後調べてみますればこの遊歩道は1999年に出来たということですから、物資不足の末というより、経費削減でこの様にしたんでしょう。ヘタにちゃんとしたベンチより破壊もされん、劣化もせんでええんちゃいますか。なかなか大阪市もやりよんなぁとちょっと感心しました。
しばらく歩きますと、大阪市建設局の“西三荘抽水所”という施設が。「ん?何で横堤に西三荘?」と思いましたが、この遊歩道、元々“西三荘用水路”という川が流れていて、今は暗渠化され、下を流れているそうです。
余談ですが京阪電車の“西三荘駅”は、この駅の下を流れる“西三荘用水路”の名前から“西三荘”と命名したとか。私はてっきり西三荘というのは地名やと思っていました。先の“西三荘抽水所”もその河川名からの命名であろうことを思うと、暗渠化され今はその姿を見ることができない“西三荘用水路”がちょっと気の毒に思えます。花博開催とユスリ蚊対策でこうなったということで、ま、時代の流れなんでしょうけれどもね。ちなみにこの用水路は、淀川から水を引いて寝屋川に注いでいるそうです。
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最新版に更新せんからでしょうか、カーナビが最近妙にアホな道を走れと指示しよりまして難儀するんですけど、ええこともあって「こんな道行くん?」と思いつつ細い旧街道っぽい道を走行しますれば…あったあった。立派な旧家の玄関横に、見ての通りの立派な防火水槽が鎮座していました。
やや赤茶けた重厚な石製。フタの造りと共にこの家屋の趣きとじつに調和しているその様は、何十年と出番はないもののずっと現役といった風情が感じられます。
家の状態もそうですがやはりキレイに維持管理されている物件は古くなって汚らしくなることなくむしろ、風格が増すもんですね。防火水槽も旧家も、そして町並もずっとこのままであってほしい…アホなカーナビのお陰でこんなええ場所に巡り会えました。便利な機器使ってもこういうことが起きる…なんかちょっと嬉しかったり。ま、時間に余裕がない時だったらムカッとするんでしょうけれどもね。
(於:奈良県御所市) カーナビ内に更新せんとアホになるプログラムでも組まれてるんか?
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以前“電信柱きわきわ家屋の泥棒対策トゲトゲ”の記事にも記した通り、家屋きわきわに電信柱があったら、やっぱりドロボー入りよらんかと不安な思いに駆られて当たり前。で、今度は、こんな感じのがありました。
前のは家屋側で自衛してはりましたが、今度のは、電信柱を徹底的にトゲトゲ化してあります。危なっかしい物件の割にどこかほおずきっぽい可愛らしさもあって、なんかいいなぁ。
で、この細工、NTTの仕事なのかここのお宅の仕事なのか? 柱のネキにペットボトルが並べてあるところを見ると…後者かなと思ったり。何故かって? うん、まぁ、そう思わせるもんがあるなぁと。
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ほぼ10ヶ月ぶりの宝塚観劇は月組トップ、霧矢大夢さんの退団公演。しかも…千秋楽のチケットが入手できまして、今日、大劇場へ行ってきました。
退団公演の千秋楽ということでどこもここも人だらけ。ここ数回、入りの悪い大劇場の姿を見ていただけに久々に見る活気あるその空間に感化されてこちらも徐々にテンションが上がっていきます。というのはトップの霧矢さんは良くても、どうもそれ以外の皆さんの実力が私には解らなくて昔ずっと応援していた月組を「もうええわ」と見放していた時期が長かったという状況に自分がおったからです。
まずは“エドワード8世”を。う〜ん、ちょっと退屈。ついつい紫吹淳さんの退団公演“薔薇の封印”と比較して見てしまうからでしょうか。もひとつ物語にダイナミックさとか茶目っ気とかが感じられなくて。わたし的には霧矢さんの真の実力が…あ、ヤメとこ。
次にショー“MistyStation”。これはやっぱりもう「上手いなぁ、やっぱり霧矢さんの歌は」とその実力を堪能させてもらいました。選曲ももちろん霧矢さんの退団に合わせたものになっていましたが…ちょっとベタかも?。ま、ええんちゃいますか。
とまぁほんの上っ面なことしか記せませんけど、霧矢さんの圧倒的な存在感とその実力を思うと、氏のいなくなる月組の公演は…まぁ行くことがなくなってしまうかなぁ。とくに先にも触れましたとおり、あれだけの歌唱力の人ですから、余計に2番手以降の人たちの歌声がもひとつに感じられて…やっぱり2〜4番手の人々の力は、公演に大きく影響するなと思いました。
第二部のショーも終わり、退団公演千秋楽の醍醐味、サヨナラショーがありました。どんなのを歌い踊りはったかって?それは、ま、他所のブログにまかせることにしましょう。今回の公演でやはり退団される青樹泉さんも出番がきっちりあってうれしいなぁ。やっぱりええもんですわ。
最後は霧矢さん含め8名の退団者が、ひとりひとり名を組長から呼ばれて大階段を袴姿で降りてきては花束を同期生から受け取り、挨拶しはって…ここがやっぱりいちばん感動しました。霧矢大夢、蒼乃夕妃両トップのフリートーク風挨拶に劇場全体が暖かく熱い空気に包まれて…鳴り止まない拍手、緞帳上がる下がるの繰り返しの末、客も総立ちでジャンプ…午後1時に始まった公演も気がつけば6時15分に。なんとおトクなこと…ってまぁ、それでもさすがに5時間に渡るとなると、ちょっと疲れました、正直なところ。
公演が終わり、外へ出るといよいよ本当のお別れ。退団者たちがクルマに乗って大劇場をあとにします。
青樹泉さんや蒼乃夕妃さんが去った後、いよいよ霧矢さんの登場。四方八方のファンに満面の笑顔で応えるその姿に「さすがはトップの余裕」と思ったり「さっすが大阪人!」と思ったり。やっぱり何か楽しなるねんなぁこの人見ていたら。
午後8時、みんなに惜しまれる中、霧矢さんは霧雨けぶる宝塚の街並にクルマに乗って消えていきました。悲しいけれど、どこか清々しい…そんな気持ちを胸にこの情景を楽しんだのでした。
AKB48の“はるやま”CM「男前スリム」、あれは…気恥ずかしいわ、見てるこっちが。全然別モン。
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昨夜も今夜同様モワッとした天気。天王寺MIOの12階から見える通天閣がそのモワッとした夜空にほわっと浮かんでええ感じ…てな具合に写真には写ってますが、実態は…ちょっとクリアすぎるかなぁ。
昨年の10月にほぼ発光ダイオード(LED)のひかりに生まれ変わった通天閣ですが、先入観がそう思わせるのか、どうもスッキリしすぎな印象を受けまして。まぁ、私がネオン管の発光する雰囲気が特に好きやからそう感じるのかもしれませんが、何かそんな風に思いました。
しかし何です。今回ネオンから発光ダイオードにその光源が変わったにもかかわらず、この広告のことを“ネオン広告”って言うんですね。な〜んか変。“LED広告”と言えばいいのに。まぁ、いまだに録音することを「テープに録っとこ」とか言うのと同じかね。
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先週の土曜日も今日みたいな天気でした。大阪ビジネスパークであった催しへ行き、途中、松下IMPビルの26階へ。レストランは窓辺の席から外を見ますと…
…こんな感じ、写真に撮ったら。「わぁ、ごっついでっかいビルやなぁ」と隣のツインタワーの存在に圧倒されてたんですが、改めて写真を見ると、また見え方が違ってくるもんですね。ドカンドカンとでかいビルのその奥でちんまいマンションやら雑居ビルが無数にあってそこにもここにも日常があるわけで、そしてOBPビル群にもここで働く人々の日常があって、それが同列なんやなぁと思うとたまらんおもろく見えてきて。現場では「ツインタワーはツインタワー、街並は街並」としか見てなかったなぁ。
写真には見えないこともあるけれど、写真に撮ったら見えてくることもあるんですなぁ…って、「そらあんた、あんたの(現場での)観察力が鈍いのちゃいますか」って?、そうかもね。
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