空堀商店街にあるタイル壁と石碑の一角。
かなり昔からそこにありそげな“奉献”と記された石碑にずっと気をとられていて、「あぁ、タイルやなぁ」程度にしか認識してなかったこの壁面の意匠、よく見たら…ええ感じ、と言うか、ちょっと変わった趣きでよろしいなぁ。簡素な配置の割に妙に目立って、どこかしら信仰団体のシンボルかなんかに見えて崇高さがある様なない様な…って、考えすぎですな。
このタイル壁の家屋、商店街に面しており元店舗の様ですが、ずっと閉まっていてその全体像がわからないところが、余計にちょっと秘密めいていい感じに見えるのかもしれません。石碑、タイル、ブリキに雨どいシャッターにブロック、無秩序の様で響きあってる…見れば見るほど何や引き込まれる一角ですわ。
| 固定リンク | 0
「何げな」カテゴリの記事
- ▶︎ ▼ ▶︎ は ト マ ト(2025.02.15)
- 点野五丁目の春景色に掠れたマルフク看板、午後1時53分。(2025.02.14)
- 尻隠して頭隠せず(2025.02.10)
- 更地の向こうの神路四丁目(2025.02.08)
- 高架下でひっそり黙礼(2025.02.01)
「大阪市中部」カテゴリの記事
- 尻隠して頭隠せず(2025.02.10)
- 心斎橋から島之内歩いて最後に末吉橋で東横堀川渡って(2025.02.06)
- Hoopからあべのハルカス眺める、午後4時2分。(2025.02.03)
- 上町Bの月景色(2025.01.14)
- 肥後橋バス停あたりで街を見上げる、午前9時29分。(2025.01.10)
コメント
山本龍造さん、こんばんは。
記憶にあるような。
改めて見ると、魔除けのように見えてきますね。
気になります。
投稿: びんみん | 2012年2月 8日 (水) 00時18分
買いもん序でに“謎のタイル壁と石碑”を探して彷徨(汗)
石碑は金毘羅坂の角にあったんやけど、タイル壁が見つからへん(大汗)。
はんこ屋さんが営業してはるんで、場所間違いやろか?
で、此の石碑 昔空堀に金毘羅さんが在ったらしく、向かいに百度石が建ってた。
ところが石碑の“〇に十の字”が解らん…普通に考えれば薩摩紋やけど、地球を意味する天文記号やとか、キリスト教の十字やとか、素戔嗚尊やら新ノアの方舟やとか…悪魔に魅入られたんか(笑)。
そう云えばタイルもCROSS紋様やわ(怖)。
ナムダーさん 助けて!
投稿: 難波のやっちゃん | 2012年2月 8日 (水) 17時35分
何か気になりますわ。怪しげな感じがします。ひょっとしたら世界征服をたくらむ秘密結社のアジトかもしれまへん。昔テレビで見てた「レインボーマン」の「死ね死ね団」かもしれまへん。怪しいなあ。
投稿: がんさん | 2012年2月 8日 (水) 18時43分
紹介された空堀商店街のタイルのある建物ですが
私の所有物件です。
私の曽祖父からのもので、父の記憶では昭和初期に
建てられたそうです。
当時からハンコ屋さんが入って頂いているそうです。
この建物の裏に駐車場があるのですが、今から40年
程前まで、この場所には巨大な銀杏の木があって、
秀吉公がその前に座り、休んだという言い伝えがありました。
またこの銀杏を切ると祟りがあると言い伝えられ、
実際、過去、枝のせんていをしていた方が転落し
大けがをしたと聞いています。
その後時がたち、周囲に落ち葉等で迷惑となって
私の父(健在)が業者に依頼し、伐採しました。
角にある石碑の“十字”は薩摩の紋章だと聞いています。
ご紹介頂き有難うございました。
投稿: | 2012年2月 8日 (水) 19時56分
●びんみんさま
きっとびんみんさんも「おっ?」って感じですでに見てはることやないかと思いますね。それで
>>魔除けのように見えてきますね。
そう言えばこの角、鬼門やないかと思います。何か関係あるのかもしれませんね。
●難波のやっちゃん さま
さっそく買いもんがてらこの物件探しに出られましたか。今日は寒かったことでしょう。
で、なんですか!、このあたりに昔“金毘羅さん”があったんですか? これは知りませんでしたわ。「何でこんなとこに百度石があるんやろ?」の謎が解けて…こっちはおかげさんでスッキリしました。
で、この石碑は…解らんですか? やっぱりこういう物件は、ナムダーさんに教えてもらうのがええ様に私も思いますね。ま、中河内ネタでなくても大丈夫でしょう、きっと。
●がんさんさま
何なんでしょうね、この「気になる怪しさ」は。私もそう感じます。きっとホンマは何にも怪しくないのやと思いますが、どこか生理的にそう思わす要素がこの図案にあるんでしょうね。このニュアンス、おわかり頂けたみたいで嬉しいです。
● さま
これはこれはこんにちははじままして。
まさかオーナー様よりコメント頂くことになるなんて…恐縮しております。
私はこの商店街を買い物で通る程度であまり横道にそれたことがないのですが、この一角の裏手にそんな歴史があったとは…これはびっくりです。昔から栄えた土地ならではの逸話ですね。どんな立派な銀杏の木だったのか…イメージが湧いてきました。
それで“ヿ”に“○十”印は、やはり薩摩の紋章ですか。どういう理由でそうなんでしょうね。ほか、石碑の下部が土に埋もれていて見えないのですが、何と記されているのかも興味あるところです。
色々とお教え頂き有り難うございました、これからも宜しければ拙ブログにお付き合い頂ければさいわいです。
皆さん色々ユニークな推測など、コメント有り難うございました。
投稿: 山本龍造 | 2012年2月 8日 (水) 23時35分
龍造さん 判りましたワ(笑)
此の角のハンコ屋さん、店開けはるとショーウィンドウの覆いをコーナー部(タイル壁)に立て掛けはるんですワ。
そんでヨウ見つけなんだ(汗)。
石碑の¬型、〇に十の字も順当に島津氏家紋との事…スッキリしました(笑)。
大家様、ハンコ屋さん、戯言・妄想の数々ひらにご容赦ください(汗)
投稿: 難波のやっちゃん | 2012年2月10日 (金) 14時59分
難波のやっちゃん さま
え? ここはやっぱり大家さんが言われた通りハンコ屋さんでしたか。と言うことは観察が行き届いてなかったんですね。というか、お店が営業されている時にはこのタイルも見えんと言うことで…頭の中で営業時と閉店時を別々の光景と認識していたのかもしれません。また今度私もちゃんと再探索しておきます。
皆様に教えられ…有り難いことです。コメントというか情報、おおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2012年2月13日 (月) 20時44分