« 15時42分、長柄橋あたり阪急電車内から西を眺める。 | トップページ | “同時プリントをご注文で…カラーフィルムプレゼント”かぁ。 »

2011年12月16日 (金)

高槻市駅近くで屋台の中華そばを…『東来軒 赤川』。

 昨夜はちょっと話あって高槻のおでん屋さんで一杯。「さ、帰りますか」と店の戸を開けて外に出ますれば…目の前に中華そばの屋台が湯気を立てて佇んでいますわ。やったぁ。
Toraiken1  まるでこの屋台に出会うためにこのおでん屋を選んだんかと言う感じの遭遇。と言うのは今日は最初から「茨木市で途中下車して駅前に出てるらしい屋台の中華食べて帰ったろ」と思っていたもんで、何とも嬉しく有り難い話。店を出て7歩ほど歩いてその屋台へ。
 赤い暖簾に白抜きで『東来軒赤川』の文字。裏手にある椅子に腰掛けると先客がズルズルと。「すんません、もらえますか」注文。あれこれ大将と話する横からその先客「ここのは…チャーシューが美味いねん」と話します、しかも3度も。「酔っぱらいが何か言うてはるわ」と、申し訳ないけれど、ちょっと聞き流しつつ…しばらくすると湯気とともにラーメンが出来上がりました。
Toraiken2 見ての通り塩ラーメン系の昔ながらなこの見た目、これぞ“中華そば”って感じ。ちょうちんにある“ラーメン”の文字は、ちょっと違うなぁ。などと思いつつひとくち…そうそう、味もやっぱり昔と一緒な感じ。それでも昔より味に深みがあると言う感じでしょうか。ネギの下からチャーシューを取り出し口に入れると…「あ、あの先客のおっさん言うとったことはホンマやったんや」。私、屋台中華でチャーシューを美味いと思って食べたことがほとんどないんですが…これはウマい。ジューシーさと甘みがジュワッと口中に広がって…ちゃんとした代物です。「昔ながらな風に思ってたけど、案外地味に進化してるんやなぁ」と思いつつ、大将にいろいろ話を伺いますと、昔は京都某所の中華料理屋で働いていたとのこと。その経験をこの一杯に生かしてはるのやないでしょうか。
 話ついでにこの『東来軒赤川』のことも伺いましたら、その名にある通り、旭区の赤川に本部があるグループで、大阪の北部を中心にあちこち同じ暖簾で売り歩いているということでした。味については「基本的には同じですけど、皆、自分なりの味わいにしてますわ」と。それぞれに美味さを競ってはるとは…ま、中でもきっとこの高槻市駅近くのこの屋台は、同じ暖簾の中でもウマい部類に入るのではないかと思います。
 最近あまり見かけなくなった中華そばの屋台。『東来軒赤川』も高槻でのはこの屋台1台だけになったとか。「昔は、住宅街をずーっとチャルメラ流しながらここへ来てたんやけど…もう今では行きも帰りも流さんとここで売るだけですわ」。街の喧噪とほど良い音量のAMラジオを耳にしながら、中華そばを楽しむひととき…午後9時から午前2時まで、おでん屋さんの前で営業されているということです。おじさんおおきに…ごっぞぉさんでしたっ。

(於:高槻市)人気ブログランキングへ 一杯500円也。高いか妥当な価格かは…人それぞれやろな。

関連記事:
残るは3台…守口市駅前にて三吉軒の中華そば食す。』 2016年9月 記

赤川鉄橋たもとの屋台基地』 2013年7月 記
春が来る前に、寒空似合う夜鳴きそばの様子でも。』 2010年2月 記
屋台の基地は文化住宅の前やった。』 2009年12月 記
中華そば『三吉軒』の屋台見つけ、幼少期を思う。』 2009年10月 記
屋台中華そばの『大統領』テレビに出てはった。』 2009年8月 記
あの屋台のじいさんは徳島出身やったんか…』
2008年2月 記

追記:東大阪や守口などで見かける“三吉軒”、“赤川三吉軒”などの暖簾も同じグループやないかと思われます。ほか、その昔(40年ほど前)に八尾界隈で見かけた“かわちや”や“大阪屋”もその系列か…以上、マニアックな未確認情報。

保存

| |

« 15時42分、長柄橋あたり阪急電車内から西を眺める。 | トップページ | “同時プリントをご注文で…カラーフィルムプレゼント”かぁ。 »

懐かし…」カテゴリの記事

食べ物/飲み物」カテゴリの記事

摂津(大阪市外)」カテゴリの記事

コメント

龍造さん、ええですねえ。屋台の中華そば、ええですねえ。ラーメンやのうて、中華そばがええですねえ。私の住んでいた武庫之荘にも阪神軒という屋台の中華そばやさんが、駅の北口に出てました。多分、今も出てると思うんですが。よく梅田や三宮で飲んで、武庫之荘の駅前でお世話になりました。スープは鶏ガラで、500円でした。飲んだ後の一押しに丁度ええんですよね。それにしても大将は無口やったなあ。

投稿: がんさん | 2011年12月17日 (土) 15時07分

昔ながらの屋台。
いいですねえ。
私は高校の頃に一度、食べたっきりですが。調度、お腹が空いてるときに家の前まで来たんで、丼持参で。
吊るした大き目の石油ランプが印象的でした。

屋号は張々湖(009)とか、来々軒(三つ目が通る)とかマンガであったような。
中華料理屋やったかな?

中央軒、シューマイですね。
神座(かむくら)、ラーメン日本一。(しばらく行ってねーな。)

投稿: わい | 2011年12月17日 (土) 20時19分

●がんさんさま
がんさんさんも屋台中華愛好家でしたかっ。一緒ですねぇ。私も難波などで呑んだ後は、近鉄沿線、2〜3の駅前でよく食べてましたわ。「鶏ガラスープで500円」これが相場なんでしょうかね。私の食していたのは概ね『ラーメン大阪』という屋号のでしたが同じでしたね。
私が出会った屋台の大将は、みんな普通にお話しできる人ばっかりで、色んな話聞かせてもらいましたけどねぇ。一日の売上から縄張りの話、上納金の話とか。いっぺんちゃんとまとめて記事にと考えているんですが。

●わいさま
そうですね、昔は“丼持参”で食べたもんなんですよね“夜鳴きそば”って。それであるとき…もう10年以上前ですが、軽トラの中華そば屋が来た時に丼もって買いにいきましたら「いや、これで食べて」と発泡スチロールの丼に入れられてしまいました。「なんか…ちがうなぁ」と思ったもんです。
>>吊るした大き目の石油ランプが印象的でした。
そうですね、昔はランプでやってはりましたが、今では自動車用バッテリーを積んで、小さな電球で照明してはります。チャルメラが楽器からテープに変わった頃にそうなったんでしょうね。
で“ラーメン日本一”ですか… いっぺん食べたいと思いつつ縁がなくて。いっぺん食してみます。

お二人とも屋台中華の思い出話を…おおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2011年12月19日 (月) 14時32分

昭和51年の4月から52年の10月まで父親の仕事の転勤で高槻市に住んでいました。冠小学校と第6中学校に通っていました。6中に通う途中の新幹線陸橋の高架下にラーメンの屋台が何台か並んでいた事を覚えています。アパートみたいな建物もありました♪
一回、辻子2丁目の自宅付近まで屋台が来て、食べたような記憶があります。東来軒赤川と言う名前だったのですね。東苑と思い込んでいました。他愛ない思いでだけど、高槻は少年時代楽しい時期を過ごした大好きな街だったのでこのコラムを見て懐かしさでいっぱいになりました♪今は松本市在住です。
今月18日に38年ぶりに前住んでいた街を訪れる予定です。大冠町にあった蕎麦処山椒庵がまだやっているみたいなので行きます。6中や冠小学校も見ようと思います。東来軒赤川の屋台にも出逢えるといいのだけどなあ…高槻最高!!

投稿: 小川太志 | 2015年4月 8日 (水) 22時15分

●小川太志さま
こんにちははじめまして。ようこそアホげへお越しくださいました。
ほぼ私と同世代みたいですね。新幹線の高架下に屋台中華の基地があったというのが、何とも言えん昭和な時代を感じさせます。今もそこから駅前まで引いてきはるんでしょうかね?
で、なんですか、38年ぶりに高槻入りしはるんですね。蕎麦処に行かれるんですね。ついでにそばのハシゴで中華そばも…といけばいいですね。ここに紹介した屋台は“大阪府高槻市城北町2-14-11”あたりに出ていました。午後9時から午前2時頃営業されているとのことでしたが、なんせ3年以上前の情報ですから…まだ営業されているといいんですがね。

楽しい高槻での一日となります様に。
コメントと昔の情報、お教えいただき有り難うございました。東来軒にもし出会えましたら、よければまた書き込みをお願いします。

投稿: 山本龍造 | 2015年4月10日 (金) 10時48分

山本さん、貴重な情報ありがとうございました
。いよいよ、高槻市行きまで1週間を切りました。1年前から考えていました。タイミングよく同時期に大阪で沢田研二の音楽劇があり、それを見た後に行く計画を立てました。私が高槻市で過ごした一年半はどうだったんだろうー
そんな事を思いながら歩きたいと思います。
大阪駅着ー駅の立ち食いの浪速そば
シアタードラマシティにて沢田研二の音楽劇お嬢さんお手上げだを観賞
高槻市に出て
あした葉ながやでうどんとカツ丼セット
とん平でおでんを食べながらお酒
もし外で屋台があれば、東来軒赤川のラーメンを食べる
福田バーでカクテル等を飲む
高槻駅前のビジネスホテル宿泊
翌朝、市営バス4番北大塚行き東和町下車してバス停戻った左側にあるそば処山椒庵に行く
その前に冠小学校他当時の町並みを見て歩く
もしくは、高槻市駅前からタクシーで6中回って冠小学校前まで行ってもらう
山椒庵では、湯豆腐、きざみ、きつね、かす
が入ったうどんを食べる。別に天かすがあれば付けてもらう
高槻市駅から大阪駅まで戻って午後4時松本発の高速バスに乗る
少し欲張りなうどんやラーメンを食べる旅です
。当時、まんがコミックを座り読みしていた高槻の西武百貨店で恩返しに本でも買おうとも思います。
讃岐うどん、稲庭うどん、ほうとう、きしめん
色んなうどんありますが、私は50年生きてきて山椒庵で食べたうどんが一番好きでした。あの薄味の、たまの日曜日に家族4人で食べに行った。父親がこの出汁どうやって出すのかなと言っていたのを思い出します。サンスター、どさん娘ラーメン、小僧すし、冠センター、おやつセンター、おもちゃのタカケン、ニチイ…
もうそんなお店も何軒残っているのかな…
お隣の枚方パークに友達と自転車で出掛けた事もあったなあ。
当時、山椒庵でたぬきうどんを頼んだけど、いつも無いと言われました。最近、関西にたぬきうどんは無いという事が分かりました。遅まきながら( ^∀^)かすうどんと言うのは、天かすでなくて油かすと言うのも。当時は大体、きつねうどんかきざみうどんを食べていました。
ベットタウンで観光地でもなく、ヘドロのある河川には牛蛙や大きな泥亀やアメリカザリガニがいて、生活用水の洗剤なんかが流れていて、朝起き会があって、夏はクーラーが無ければとても過ごせなくて、シーツを干せば昼にはパリパリになって、そんなけして快適とは行かなかった所もある高槻だったけど、無性に行きたいなあと思っていました。
行くのが楽しみ半分、不安半分です。でも行って良かったと思うだろうなあ。思い出は何時でも美しいから。東来軒赤川のラーメンがそうであるように。
長文失礼しました。東来軒赤川に出逢える事を期待します( ^∀^)

投稿: 小川太志 | 2015年4月12日 (日) 19時45分

●小川太志さま
これまた綿密に昔の一時期を振り返る旅の予定を組みはったことですね。ま、滅多にできんことでしょうから、充実した時間旅行となりますこと、お祈り申し上げます。
今は…ストリートビューであれこれ知らん街をも見ることができる時代。それでも旅に出るまでは見ない方がきっと楽しいでしょうね。

大阪/高槻、楽しい時間であります様に。
コメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2015年4月14日 (火) 10時15分

高槻市行って来ました♪夜の9時半に帰って来ました。
概ね、私の計画通りの所に行って、飲食しました。でも、一点だけ残念だったのが東来軒赤川のラーメン屋台に出会えなかった事でした。とん平さんにお邪魔して飲んでいる時に聞いた所
、屋台の店主さんがお亡くなりになったとの事でした。まだ芥川町でやっている屋台はあるかもとの事でした。残念です((T_T))
福田バーのマスターも私とほぼ同年で、よく西武百貨店近くで屋台のラーメンを食べたと言っておられました。前歯が抜けていたおっちゃんで、裸電球の下でやる湯ぎりがかっこ良かった
、ラーメンも昔ながらの味で美味しかったと。
東来軒赤川の屋台には出逢えませんでしたが、
山本さんのおかげでとん平さんといういいおでん屋さんで飲む事ができました。
ビジネスホテルで一泊して路線バスで昔住んでいた辻子2丁目や大冠町に出ました。とん平の
大将が辻子も変わりましたよ。田んぼが今は無いですよと言われて、その通りだったけど商店街はあの当時のままで、もう閉めてしまったお店もあったけど。おやつセンターやそば処山椒庵も健在でした。旨かったなあ…
何でもない風景なのに懐かしくてウルッときてしまいました。高槻市のセンター街を見るのも
38年ぶりで。冠小学校や第6中学も。
今度、高槻市に行くのはいつになるのだろうか
?その時は芥川町に行ってみようかな?あの屋台に出会えるとかも知れないから。
新幹線の高架下、写真に撮ってきました。あの屋台が何台も止まっていた。
夢の時間は終わって明日からまた仕事です((T_T
頑張らんと♪
此方のブログのお陰でいい夢を見させてもらいました。山本さん、ありがとう。
私には二つの故郷があります。松本と高槻。どちらも大好きな町です。

投稿: 小川太志 | 2015年4月19日 (日) 23時46分

●小川太志さま
さっそく高槻懐かしの旅の報告を有り難うございます。めちゃ盛りだくさんの予定をクリアされた様でよかったですね。38年ぶりとなると…すっかり変わってしまったところもあれば、案外「まんまやな」なところもあったことかと思います。私は大阪でも河内モンでして、あんまり高槻あたりは詳しくありませんので、今回何度か書き込み頂きました文章からあれこれ想像して、こっちまで旅気分を味わわせてもらえたなぁととても喜んでおります。
あんな店こんな店でお話しされたこともとても楽しかった様ですね。それは旅の味わいを大きく左右する要素かと思います。ただ…そんな話の中から聞かれた“東来軒 赤川”の大将が亡くなられた話は…やはりさみしいです。
まぁすっかりどんなお方やったかなんか覚えてはいないのですが…あぁこれでまたひとつ昭和なモンがなくなってしもたんやなぁって感じがします。思えば…ここ10年くらいで屋台の中華そばはホンマ見かけん様になりました。まぁコンビニがあって、カップ麺のグレードがここまで来た時代に夜鳴きそばが存在することの方が不思議なことの様にも思いますが。
書き込み頂いたお陰で“おやつセンター”も“そば処山椒庵”にも興味が湧いてきました。ちょっと…食べにいってみようかなぁ。ま、いつのことになるのやらですが。
しかし何ですね。1年と少し暮らしただけの高槻に思い出がいっぱいと言うのは…やはり多感な頃やったというのもあるんでしょうね。私はずっと大阪ですので、ちょっと今回小川さんが行かれた時間旅行に「ええなぁ」と羨ましく思いました。

旅の思い出、御報告有り難うございました。
また何か縁がありましたら、よろしくお願いいたします。

投稿: 山本龍造 | 2015年4月20日 (月) 22時06分

4月2日、3日と一年ぶりに高槻市に行きました
。やった事は昨年と同じでしたが、今年は去年よりも早く来たので満開の桜を見られました。
冠小学校の桜が満開でした。電車からも桜を愛でられました。
沢田研二の音楽劇とうどん巡り。2日は新大阪の浪速そばで浪速そばを食べて、高槻市の山椒庵できつねうどんとたぬき(きざみそば)、高槻市街でカスウドン高槻店でかすうどんと4杯食べました。大冠町のヒカリメガネ時計店で古い電池時計を買いました。去年は38年振りの来訪に舞い上がりましたが今年は少し落ち着いて探訪できたかなと思います。
一番の目的の新幹線高架下にあった東来軒赤川の屋台やバラックや、日向町にあった高架下の
公園はどうなっているか確認する事でした。
高槻駅前から北大塚行きのバスに乗って須賀町で下車、大冠校前まで逆戻りして六中のある永楽町の新幹線高架下から日向町方面まで歩きだしました。私が39年前に半年間、六中に通うために毎日歩いた通学路でした。見覚えのある工場もあったけど、見事に高架下はきちんと整地されていました。屋台もバラックも影も形も無くて、当たり前と言えば当たり前ですね。200
0年代の現在にそれを求める方が可笑しいわけで。それでも昭和50年代にはそれは厳然と存在していてそれを生業としている人がいた。私も
それを横目に中学に通っていました。横道にあった昌子と看板の出ていた一杯の飲み屋も消えていました。猥雑な風情も。
防犯とか昨今の事件も考えれば高架下に柵囲するのが普通だろうけど、あの頃は隙間が許される優しい時代だったなあと思いました。午後
6時。中学の頃に武岡君と道草してダベった高架下の公園は日向町月極め駐車場に変わっていました。その看板をスマホで撮影しました。
ずっと行かないである物と思い込んでいた方が良かったかなとも思いますが、まだ残っている場所とかも見られて良かったと思います。
とんぺいさんはもう閉店の時間で店主さんに挨拶のみでしたが、福田バーには昨年に続いて行けました。センター街にあるワークホテルに泊まりました。スマホの充電器を忘れてしまって
二日間スマホが使えませんでした。さっきホテルから届きました。クロネコで送料向こう持ちで送ってもらいました。最後まで親切にしてもらい、大阪に旅して良かったと思いました。
また来年、高槻に行こうと思います。
名産も名物もないですが大好きな街です。
センター街にある井づつという和菓子屋さんの高槻城と槻っこは美味しかったです。20回目の全国菓子品評会金賞とありました( ^∀^)
長々と脱線した拙文お許し下さい。来年、高槻に行ったときにあの屋台と巡り会えるかな…

投稿: 小川太志 | 2016年4月 5日 (火) 23時28分

●小川太志さま
今年も高槻入りされたんですね。今回は屋台の基地にも足を運びはった様で…で、やはり跡形もなくでしたか。
私が幼少期に見た屋台の基地は、ひとつは川沿い、ひとつは高架下でしたがどっちももうその面影はありません。きっと不法占拠やったんでしょうかね。今知る基地は貸し工場や自社家屋、月極駐車場のひと区画などで…これではなかなかコスト合わん商売やあろなぁって感じ。コンビニの台頭、引き手不足もそうでしょうけど、あれこれ締め付けきびしい時代には存在できんということの様に思います。
高槻…私はあんまり馴染みないエリアですがあれこれ想像して今回も書き込みを元にトリップさせてもらいました。
報告御礼でした。

投稿: 山本龍造 | 2016年5月12日 (木) 14時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 高槻市駅近くで屋台の中華そばを…『東来軒 赤川』。:

« 15時42分、長柄橋あたり阪急電車内から西を眺める。 | トップページ | “同時プリントをご注文で…カラーフィルムプレゼント”かぁ。 »