2011年11月30日 (水)
2011年11月29日 (火)
「確か昔“ニットータイヤ”っていうのがあったと思うけど気がつけば全然見かけんし…あれは記憶違いやったんかなぁ」と長年モヤモヤした思いでおりましたが、先日行った公園の遊具として余生をおくるタイヤをチェックしてみましたら…!ありました。ペンキ塗られてヒビひびになったタイヤに浮かぶ『N I T T O』の文字。これ、これですわ、私が「昔見たことあるで」と思っていたニットータイヤって。 調べてみますればこの『N I T T O』、1949年から1982年まで日東タイヤ(株)が手掛けていたブランドとか。その後タイヤ部門を切り離し、東洋ゴム工業 に移管、『N I T T O』はアメリカ向けブランドとして生き延びていたそうです。その後2006年より日本市場においても高性能乗用車用タイヤ向けに『N I T T O』ブランドが東洋ゴムの子会社“ニットージャパン ”より復活しているらしいですが、見たことないですわ。 やっぱり『N I T T O』と言えばこの手の“働くクルマ用”が似合ってますね。同様に『O H T S U』ブランドにもそんなイメージがありましたなぁ…って、ま、全然どぉでもええ話です、いつものことですけど。
(於:中央区) 東洋ゴム、本社機能を大阪に集約 !。これからタイヤはTOYOで行こ。
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2011年11月28日 (月)
街中に取り残された風情漂う建物のその横に第72号は佇んでいました。この物件、草に覆われているということもあってか設置されているというより“放置されている”といった印象を受けます。建物に対して平行に置かれていないのも、そう思わせる原因なんでしょう。 …と、投棄されている感じな割に木フタもしてあって現役なのではないかと思わせるもんもあります。ご覧の通りの木造家屋の前ですから、イザと言う時の為に水を溜めてある様にも思われます。
しかしなんですね、こういう感じの家屋ってホント見かけなくなりました。ナミ板も剥げ、その効力を失ったブリキ看板もアクセントとなってええ味を醸し出しています。なお、この場所には石臼も置かれており、ちょっと「いつの時代かな」って感じで…
今が見納めでしょうかね、防火水槽とともに。 (於:平野区) まだまだ農地も多かった頃の名残りでしょうかね。
※2012年頃、建物ごと消失した様子。
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2011年11月27日 (日)
2011年11月26日 (土)
心斎橋は北側の町名看板、その左横にこんな表記があったあったとは…知らなんだ。 “(通称)北心斎橋”…そう言えばこの辺のことこう呼ぶかなぁ。“南船場”という言い方もけっこう定着してきてる気もするし、何て呼んでるかなぁ。ま、いずれにせよ『心斎橋』の名が町名に付いた方がそのブランド力もあって地価が上がると言うもんで、ほんまはこの辺も堂々『北心斎橋』と名乗りたかったんかなぁと思ったり。 で、いったいこの『(通称)北心斎橋』って何なんかいなと調べてみますれば、心斎橋筋北商店街 の『心斎橋今昔 』に詳しくありました。やはり1989年の区画整理、町名変更のときに『北心斎橋』としてほしいと陳情したものの、認められなかったそうで、このサイトでは「心斎橋は南北に架かる橋なのに、“東心斎橋・西心斎橋”なる町名が生まれて妙な感じなのに、何で心斎橋のあるこの地が“心斎橋”の名のつく地名が許されないのか」と主張されています。これもまた正しい考え方ですなぁ、町名変更さえなければ。 結局『北心斎橋』の町名は認められなかったものの、折衷案としてこの町名看板の副票と、郵便物が“北心斎橋”でも届くと言う配慮がなされたそうですが…なんかすっきりしません。この地には有力者が当時いなかったのでしょうかね? 何年もこの地を歩いていたのにこんな表記の町名看板の副票があったとは知りませんでした。まだまだ…何もしりませんなぁ。
(於:中央区) 町名変更自体には反対やが、ここが心斎橋を名乗れんのも気の毒かな。
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2011年11月25日 (金)
2011年11月24日 (木)
夜の大阪駅前。ヨドバシ行こと信号待ちしてましたら「えっ?」、マヨネーズみたいな色だけの見なれんバスが目の前に。何かアヤシイなぁ、かなり。
その姿まるで工場の送迎バスか白ナンバーの(もぐり)観光バスなみです。けどその仕様、路線バスっぽいなとよく見たら…“阪急バス”って書いてありますわ。 まっとうな塗装もできんぐらい不況も深刻なんやなぁ。しやけどなんぼコスト削減言うてもこんな状態で走らせて…阪急電車の小豆色一色とは意味がちゃいますな。 …とか何とか思いましたけど、ま、新スポンサーが付かんでラッピング剥いたまま走らせてるんでしょう。ネットで調べますればこのマヨネ色のやつは2両あって『はだかバス 』と呼ばれているとか。はは、言われてみたら確かにそんな感じ。そう思って見ると何かこっちの方が気恥ずかしくなってきましたわ。こんな愛称で呼ばれていることは…天国から小林一三氏はどういう思いで見てはるでしょうなぁ。
(於:北区) 一色であること以上に、マヨネ色であることがやっぱり妙なんやろな。
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2011年11月23日 (水)
で、今度のがこれ。シュッとしてますわスマートですわで全然山本龍造っぽくないって? まさしく。しかし薄いなぁ軽いなぁで気に入ってこれに決めたけど…おもんないわ、こいつ。 自作着メロ作られへん…これはまぁわかってたからええんですけど、電話やMailの相手先やジャンル分けによって着信音変えたりできへんのでっか? 何となぁ。(←大間違いといま判明。変えられるそうです) 前の はその音聴いただけで「仕事の電話や!」とか「呑みの誘いやな♡」とかがわかって良かったし、相手のイメージに合わせて音作りしたりと結構カスタマイズできたのに、何ですのんこいつは。(←これも間違いでした) 8年も経ってるのに、薄さとお金かかるイランとこは進化しとっても、これではねぇ。今の携帯電話って、みんなこんなんになってるのか、私がシンプルな端末を選びすぎたからなんか… あれこれ思いますが、結局、私が良しとする諸々は、世間では不要とされていると言うことですな。と言うことは山本龍造、“時代とズレてる”ってことですか。さて、どうしてこのズレを埋めていくか…って、埋める気ない様にも思うなぁ。人間、なかなか変わらんモンでっせ。
カメラはイランねんカメラは。テレビもいらんねんテレビも…合わんわぁ世間の要求と。
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2011年11月22日 (火)
別れの日は突然にやってきよった。ちょっともっさいけど長年問題もなく気に入って使っていたDoCoMoのmova“SH252i”、世間がiモードやスマホやと騒ごうが電波が無くなる2012年の春までは使い続けたろと心に決めていたのに、ポケットから取り出したら…死んどった。電源ボタン押しても電池抜いて入れ直してもダメ…えらいこっちゃ、データのバックアップも取ってへんがな。400以上の電話番号もわからん様になると、○○飯店も酒坊□□も予約できへんがな…は、どうでもええけどどないするん明日明後日の仕事先の人らのもさっぱり覚えてへんし。 …と諦めつつカップ麺を半ばヤケ食いしてましたら、知らん間に復活してますわ。「おっ、これは生きとるうちに新ケータイに変えなあかん!」と焦ってましたら加入電話にドコモショップから電話。「movaからFOMAに切り替えてもらえませんか」と。 …なにこのタイミング。おかしいで。ちょっとウイルス入りの電波でもmovaに送りつけてきよったんちゃうかって勘ぐりまっせ。ま、そんなこと言うてても仕方ないわとそっからあちこちのお店で新ケータイのチェック。3軒まわってこれ!と決めての移動中、ポケットからコイツ出したら…また死んでもとりますわ。 てなわけで結局データ移行できずに立ち呑みで座り呑みしつつ気分晴らしてから帰宅。ポケットから取り出した“SH252i”、お膳の上に置いて新ケータイを「ええなぁ、新しいヤツは」と愛でつつ何げにヤツに目をやると…また復活しとる!。明日まで持つかなぁ。朝イチそぉ〜っとドコモショップに持って行くまでは生きててくれよ。最後の仕事がまだ残ってるんやからな。ちなみに新ケータイは勿論スマホ…ではなくて超シンプル、薄々の型落ち品。これでええねん。ネット環境はiPod touchで構築や。アンドロイド端末は…キケンらしいしね。
気がつけば、8年半ほど使ってた。故障もなくええヤツやった。お疲れさん。
追記:SH252iから新ケータイへのデータ移行、成功!。ただ…この携帯電話で作った着メロは移行できず。どれも名作やったのになぁ。至極残念。
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2011年11月21日 (月)
その下を歩いてても全然気づかなんだんですけど、街路樹、紅葉を始めていて遠目に見るとキレイなもんなんですなぁ。 日常空間の秋景色は、名所に行って「さぁ見るで」という気分で観賞するのとは違ってふと心が軽くなると言うか和むと言うか…そんな気分になるモンやということをちょっと忘れていた気がしますわ。たまには上向いて歩かなあきませんな。
(於:中央区) 同じ木に見えて緑の葉のままのも紅葉のもあって不思議。
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2011年11月20日 (日)
2011年11月19日 (土)
2011年11月18日 (金)
2011年11月17日 (木)
淀川区第1号となる今回の物件は、見ての通り立派な樹木と草を支える植木鉢と化しています。その中で根を張りすぎたのか、防火水槽の底部がひび割れ、やや痛々しくもありますが、少し小振りの上、角の面取りまで施してある可愛らしさ漂う逸品(?)です。キレイに剪定されている植物、水槽を平行に保つ為に底部に置かれていてるカマシ…しゃんとした持ち主に大切にされている様子が伺われ、何とも朗らかな気分にさせられます。よく見ますと物件の下に位置する側溝の淵が石でできていて…隠し味もええ仕事してますなぁ。全体的なバランスのとれた第71号、何だか「散髪行ってきたとこの男前」、そんな印象を受けました。
(於:淀川区) “箱庭”というか…“箱ジャングル”な感じがええなぁ。
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2011年11月16日 (水)
都会のビルの谷間、憩いの喫茶とお菓子で“さわやかになる ひととき”…か。コカコーラのキャッチフレーズやとわかりつつも…何とも言えん泣かせるもんがありますわ。 調べますればこの“さわやかになる ひととき ”は1991年のコピーとか。この1991年って、バブル最後の年ということですから、地上げ攻勢にも負けずに中○屋さんは“さわやかになる ひととき”を皆さんに提供してはったということですな。 YOUTUBEにその当時のコカのCM があってたので見てみました。「コカコーラが言う“さわやかになる---”の世界は…こんなんやったんか(=けっこう寒い) 」と思うと、この喫茶店のそれとのギャップがひときわ大きく感じられて。毎日がお祭りみたいやったあの頃の終わりから、もう20年。思うこと色々な割に思考まとまらずで頭ん中ぼやけたまんまの20年やった様な気がします。あかんなぁ…
(於:北区) あの時代の再来は望まんけど、この閉塞感漂う日々もカナンわぁ。
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2011年11月15日 (火)
2011年11月14日 (月)
今回は港区は弁天町産の『三晃とんかつソース』を食してみました。 その存在は知りつつも、滅多に見かけん様に思うのですが、製造元のHP を見ると、マンションの1階にある工場で夫婦2人だけで造ってるとか。しかも“とんかつ”と“ウスター”の2種のみを手掛けてはるそうで…生産量も少なくレアもんみたいです。 まず見た目。写真でもわかると思いますが、かなりの高粘度で瓶からプリンって感じで出てきます。その味わいは、やはり大阪地ソースの共通する(?)甘口。砂糖っぽいその甘さの向こうに野菜果実由来でしょうか、深い甘味が旨味として口中に残ります。 今回はお好み焼にして食してみましたところ、濃厚な甘い旨味以外に、心地よい酸味がその味わいをより引き立てているといった印象。スパイスさは、どちらかというと穏やか目ですが、おとなしいと言うのではなく、秘めた華やかさを感じさせる…ガラス瓶入りという重みも手伝ってか「上質なとんかつソースやな」と思いました。この味わい、ウスターも期待できそうです。
名称:濃厚ソース 原材料名: 野菜・果実(トマト、 タマネギ、 ニンニク、ニンジンその他)、 醸造酢、 砂糖、コーンスターチ 、 食塩、アミノ酸液、香辛料、 甘味料(ステビア、甘草、サッカリンNa)、 調味料(アミノ酸等)、 カラメル色素、 保存料(パラオキシ安息香酸)、 (原材料の一部に大豆、小麦を使用) 製造者:三晃食産株式会社 大阪市港区弁天4-11-19
お好み焼上の青のり…完全に劣化してますスンマセン。
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2011年11月13日 (日)
雨風にさらされてちょっと痛々しい状態が何か心に沁みるなぁ。その粘り強く頑張る板壁の存在を前に、何ら効力を発揮できんまま同化していくしかない白アリ駆除の看板…これが時の移ろいというもんか。人の心もそんなもんの様なそんな単純やないもんの様な…やなんて考えてないない。
(於:八尾市) あかん、ネタ枯渇寸前や。
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2011年11月12日 (土)
2011年11月11日 (金)
11 月11 日はその数字の形状からポッキー&プリッツの日 やとか何とか言われてますけど、漢数字で記しますれば十一 月十一 日なわけで、その形状から『面格子の日』と面格子ファンクラブ により制定されており、今日は面格子を愛でる集会が各地で行われていたそうです…なわけないない。今年は2011 年ということもあってひときは盛り上がってる11月11日…てなわけで面格子ネタを。
写真ではちとわかりにくいですが、面格子の向こうは“無用窓”となった壁。ということでこれ、『無用麺格子』。その上には“無用庇”、左横には“無用門”と、トマソンだらけの建物です。 しかしなんです、昔あった窓を後でモルタルで塞いだんやとは思いますが、何で面格子を残しはったんか? 不要になるんですから、撤去してから左官屋さんに頼めば仕事も楽やったやろうに…やっぱりかなりこの無用面格子はレアもんやないでしょうか、うん。勿論建てモン自体もね。
(於:阿倍野区) 十一月十一日は“乾電池の日”…これは納得やなぁ。
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2011年11月10日 (木)
じっくり撮れなんだ、ちょっと怖くて…って、そう思わせるのが目的なんかも。きっとイヌネコさえも寄り付かんのではないでしょうかね。小さいペンキ缶をいっぱい使って塗らはったみたいというのも…強力な効果を発揮してるなぁ。ちょっとユニークな防犯対策…かも。
(於:平野区) この手の家屋、他所でも見た。普通は黒いと目立たんもんやと思うが…
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2011年11月 9日 (水)
2011年11月 8日 (火)
ビルの壁面に家の屋根の形が残っていて「あぁ、ここもツライチで家屋があってんなぁ」と、まぁよくある光景と思って見ていたんですが…ちょっと妙。元々隣とくっついていたと思われる部分に“窓”がありますわ。 このビルを建てた時にはこの部分、隣の家とぴったりくっついていたはすが…どうやって窓をつくったのか。しかも窓ができても光も空気も入らん窓を何で作ったのかも妙。「ま、そのうち潰しはるで」と先を見越して付けた窓やとしても…すごい技やなぁ。
(於:中央区) 専門家からしたら、たやすいことなんかも。
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2011年11月 7日 (月)
夏の夕暮れ、串カツ 食しに地下鉄は花園町の駅から歩いていますと防火水槽がふたつもそこに。見ての通り白くお化粧されつつもかなりのボロボロさですが左の69号は、上部に“防火用水”と書かれている様に現役で、右の70号は植木鉢としての余生を過ごしております。 …と最初、見た通りに感じたんですが、69号のまわりには“駐車禁止”と記された看板が2つほどありますので、この“防火用水”と書かれているのも「ここにクルマ止めんといてや」という意味で書かれていて、この防火水槽自体も、火消し目的ではないのではないかと思えてきました。見た目現役、実態は違法駐車防止の用心棒としての余生…きっとそうでしょう。69号と70号、面格子も似合う木造モルタル民家とじつにええ感じに溶け込んでいて…串カツのお陰で、ええもんと出会わせてもらいました。
(於:西成区) この前もかつて何度も通っていたのに気づかなんだな。
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2011年11月 6日 (日)
夕暮れの住宅街に早くも光るプラ看板。『オルガンメリヤス針』。中央に描かれたオルガンと奏者…懐かしいかも。幼少の頃、家の裁縫箱でこのマークを見たことあるなぁ確か。ロゴを含めてその頃と何ら変わりがなくて嬉しくなってきます。 オルガンメリヤス針…社名は“オルガン針 ”と言うそうですが、調べてみますと1920年、東京で蓄音機針の製造を目的に設立された会社とのこと。何で洋裁の針が“オルガン”てなけったいなブランドを名乗ってるのかと思いきや、元々音楽、音響系の会社やということで、楽器の名を商標にしたんでしょうかね。あんまり考えることなく「妙なマークにブランドやこと」と長いこと思てましたが…そういうことやったんかと。 しかし何ですな、やっぱりこの手の看板はあんどんの様に光っててナンボですな。現役のプラ看板…ええなぁ。
(於:旭区) 針はNeedle、 Noodle は 麺。スペル似てたら形状も…ま、似てるか。
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2011年11月 5日 (土)
2011年11月 4日 (金)
2011年11月 3日 (木)
木津川アート 楽しみに木津川市へ。降り立った加茂駅前に『ハッピーカモ』って書いてある。「心底ハッピーやと思てはれへんみたいやなぁ」と誤訳を込めてうちのひとに言うと「ここが加茂 やからカモ なんやろ」って…そんなん解ってますっちゅうねん。あ、もちろん私も“ハッピーかも”ですね、いまんとこ。
(於:京都府木津川市加茂町) “ハッピーカモ ”はスーパ−らしい。
※類似記事:ちょこっとかも・びっくりかも 2010年6月18日
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2011年11月 2日 (水)
先日行った大阪市公館の一般公開 、片町のバス停で降りて歩いて行ったんですが、その道すがら「あっ!」な物件を発見。あの町名看板のニオイが…。そこには“都島区網島町”と記されており、一見おさまりの良いこの住所表示板ですが、どうも“町”がギリギリに描かれているのが気になります。そこでよく見ると、下3分の1ほどがちぎれて消失している様な断面でして…まず間違いなく元々あの“仁丹モンの町名看板”だったものやないかと思われます。 肝心の大礼服のオッサンが不在やと言うのが至極残念ではありますが、こんな形ですらここに残っているのは、やはり町名変更がなされなかったエリアだったからでしょう。それから記しつつ思ったのが「藤田男爵の領地で男爵然とした大礼服は…失礼やろ」ってことで下の仁丹オッサンの部分をわざと切ったのではないかということ。突発的にそう今感じただけで、まぁそんな深い訳がある訳ではないとは思いますが、この場所にあることを思うと、まんざら空想とも言えんのやないかと思うのですが…どないでしょうかね。
(於:都島区) この前も何度となくクルマや自転車で通ってたんやけどなぁ…
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2011年11月 1日 (火)
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