むかしもいまも大東町3。
黒く渋いシチュエーションにまぶしく輝く仁丹モン…かっこいいなぁ。大阪市内これで10個目(仁丹本社の平成モンを含む)。今まで見た仁丹の町名看板の中で一番シックに場に溶け込みつつ、その存在感を示している物件です。しかも、この町名看板、現役というのがうれしい限り(=たいていの物件は、町名変更がなされた町に位置しており、現住所ではない)。えぇなぁ。
城東貨物線のネキ、淀川のほとりにあるこの大東町。ちょっと変わってる(?)町名の由来、調べますれば「町の発足が大東亜戦争のまっただ中だった」というのと、「大阪市の東部に位置するから」と都島区のサイトに記されていました。まさか戦争名が由来やとは…ちょっとびっくりです。戦後、平和由来な町名に変えようと言う動きとかなかったのかなと思ったり。ま、考えすぎですか。どんな由来であれ、その名で歴史を刻み続けてこそ値打ちがあると思いまして。
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コメント
いやはや!お見事なる探索。山本龍造様ならではの
発見ですね。さっそく見に行ってきました。
赤川の鉄橋を通り看板を見たときは、感激!!
本当に現役でした。
また、大東町の由来より、この看板が昭和戦後生まれであるということがわかり、大変面白かったです。
ありがとうございました。
投稿: ゆりかもめ | 2011年10月21日 (金) 09時11分
ゆりかもめさま
こんにちは。この物件に関しましては、蓮さんというお方がツイッターやっておられた頃に、画像付きで語っておられたので「大東町にもあるねんな」と情報を持ち合わせてましたので、比較的簡単に見つけることができました。勿論「出会う」を良しとしています拙ブログですので、綿密に「何丁目何番地にあるねんな」と調べて行った訳ではないのですがね。
さて…これからまだ私の知らん仁丹町名看板に出会えるか否か。八尾市内で見かける大礼服のおっさん不在のヤツは、1〜2、ストックしてるのですがたいしておもろないなぁとお蔵入りとなってます。
ま、これからも「出会う」というスタンスでやって行きますので、もし見つかったらまたアップしますので今後とも気長にお付き合い頂ければさいわいです。
コメント有り難うございました。
投稿: 山本龍造 | 2011年10月21日 (金) 23時14分
こんにちは、大阪市内の仁丹将軍、大阪市内のはどれも戦後製のような感じがします。一番の理由は「区」の字が大阪市内のはどれも新漢字です。京都市内のものは「区」がどれも旧漢字を使っているので戦前製だと判ります。それに大阪・奈良市内の物と京都市内の物とでは微妙な違いがあるようです。
投稿: あのまのかりす | 2012年1月23日 (月) 20時39分
あのまのかりすさま
そうですね、まず間違いなく戦後製やないかと私も思っています。
あのまのかりすさんも既にご覧になっておられることかと思いますが、『京都仁丹樂會』という素晴らしくマジメに楽しく上品に仁丹町名看板のことを調べておられるサイトがありますね。そこに記された情報を見る限りにおいても戦後製で間違いないみたいです。
最初「仁丹の町名看板は、京都やろ」と思い込んでいて大阪市内ではじめて出会った時には、結構「へぇ!」と思ったもです。
コメント有り難うございました。
投稿: 山本龍造 | 2012年1月23日 (月) 22時23分