葉っぱ達のためのお宿?
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「もうアヒルちゃんは…ええか」と思ってましたけど、「やっぱり行っとこ」と中之島公園へ。地下鉄を北浜駅で降りて、地上にあがりますれば…
走ってるひといっぱいと応援する人々と…“大阪マラソン”ですわ。やってるのは知ってましたがまさか偶然に見ることができるとは。車道を人が行くというのも清々しいもんで気持ちよろしいですね。次から次へと人が通過していく…3万人というのはすごいもんですな。
こんだけの人数が走ってるわけですから、けったいな服装してはる人もいてはるやろとしばらく見ておりましたが、思ったほど見つけることができませんでした、私は。オバケっぽい風船もどきを腰に付けてる人と、“スカイツリー…”書かれた通天閣似の帽子をかぶった人と…ま、もっと色々な工夫で盛り上げてはる人もいてはったことでしょう。
10分ほどマラソンを見てから東を見ますれば…いますいます。「もうええわ」と思っていたのがウソの様に「ええやん」な気分に。今回は中之島のちょっと凹んだ部分にぴったりと収まっていて、ちょっと出来すぎな感じがしないでもないですなぁ。八軒家浜にいた時の開放的な存在感ではなく、おとなしく鎮座しているといった感じでしょうかね。
遠目に見るとアヒルちゃん、まるで丘に上がったみたいに。ま、それもそれでおもろいし可愛いから良しとしましょうか。もひとつな天候の中、ひときは明るく振る舞ってるかの様子にやっぱり癒されたのでした。
このアヒルちゃんって確か、『世界中を旅する』とかやったはずですけど、何かいっつも大阪に居てる様に思うのですが…どうなんでしょ。ま、ここ大阪が気に入ってくれはったんやったら、それもそれでええ話しやなぁとも思いますな、うん。
(於:中央区) ここもアヒル…もう見飽きましたか? スンマセン。
※今までのアヒルちゃんネタ
・巨大アヒル、私も撮ってきました。 2009年12月25日
・大阪って…めっちゃ『水都』やん! 2009年9月20日
・アヒル、今度は機嫌ええやん。 2009年12月25日
・“ウキウキ船さんぽ”でアヒルちゃんに会いに。 2010年10月 2日
・アヒルと…八軒家浜に集った今日的人々。 2010年10月 3日
・昨年の12月25日、アヒルとEXPOと、ブロガーと。 2010年12月25日
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何げにしか乗ってなかったJRの環状線、地上から見れば、こんな狭い高架やったんやなぁと意外な感じがしまして。その姿、案外ちょろこいというか重厚さがなくて「貨物線でも走ってる?」な感じ。鉄道のこと詳しないんでこんなもんなんかもしれませんが、何か上を頻繁に走る列車の騒々しさと比べて簡素で地味で現実感のないその雰囲気、「知らんかったぁ」と改めて思ったのでした。
しかしなんですわ。こういう写真をサッと撮れるって、コンデジの性能もさることながら、このぐにゃっと自在にどこへでも付けられる三脚のお陰。三脚たるもの、(ある程度の)重みとしっかり足がないとダメというのと全く逆の路線で目から鱗ですな。コンデジ+ぐにゃ三脚、あなどれんどころか、いままで不可能やった撮影位置からも撮ることができるやなんて…技術の進歩と柔軟な発想のお陰ですなぁ。ほんま有り難いことで。
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2年前の10月の記事(平野川・日吉橋から見る『水都大阪』)でも触れました平野川に架かる日吉橋からの眺めですが、黄昏時に見える景色、これがまた何ともええ感じでして…
薄暮に浮かぶ阪神高速やマンションが光とともに水面にぼんやり映り込むその横であかり無き民家がひっそりと佇む…生活感がある様なない様なこの妙な空気感、これが南を向いた眺め。
変わって北を向いた眺め。操業を終え静まりかえった工場をマンションの光が照らし出し、その合間を川が流れて…その流れ、ゆっくり手前へ。ん?南へ流れていると言うことは逆流してると言うことですな。このあたりでも潮の満ち引きでこういう現象が起るんですかね。不思議な感じがします。
ついつい今回も橋からの眺めに惹かれて川の写真しか撮りませんでしたが、この日吉橋を犬と散歩する人や自転車に乗って先を急ぐ人などから発せられる空気も含めて「ええ感じ」なんです。そういう風情は…皆さんの頭の中で想像してもらうこととしましょうか。水害はカナンですけど、街を川が流れると言うのは…やっぱりええもんですなぁ。
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夕景を眺める虚ろな瞳…そのむかし眼科の看板と言えばこの様に目玉を描くのが定番のスタイルでしたけど、気がつくとほんと知らん間に見かけん様になってました。ひと目で目医者やとわかるという点においてはとてもナイスなこの目玉ですけど、ちょっとリアルすぎて怖く感じる向きもあるでしょうから、まぁ世の中から姿を消していっても仕方ないかもしれませんな。
それから、この手の電柱広告自体も近頃あまり見かけん様に思いますね。
西日受けすぎかすれた看板、目玉だけがクッキリ残る…案外宣伝効果バツグンかも。こういうの“目ヂカラ”っていうのかね? ま、そうとも言えますやろ。
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以前『朝顔似。けど似て非なるもの“オーシャンブルー”』という記事にも記しましたがこのアサガオの亜種“オーシャンブルー”、ここまで繁殖力旺盛やったとは…いつまでも気温が高いとは言えもう10月も下旬やと言うのにこの状態。よく見ると自動車らしきものまでこの植物に取り込まれて…恐ろしいなぁ。撮影したのは夕方5時。別名“琉球アサガオ”の名もあるというのに花もまだ咲いてます。
オーシャンブルー、涼しげなネーミングとは裏腹のこの暑苦しい茂り様、やっぱり…かなり苦手やわぁ。
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秋の黄昏時は、何とも言えん街明かりに恋しさを覚えるもんですが…って私だけですかね。夕暮れ迫る商店街に光るネオン、店じまいしつつ商いを続ける昔ながらな商店、家路を急ぐひと…赤ちょうちんもええ味わいを醸し出してますなぁ。
春先も17時台で同じ様に陽が暮れるのに、秋のこの時期だけとっても情緒的にあれこれええなぁと感じるのは、何でなんでしょうかね。
秋冬は苦手なんですが、この、秋の夕暮れだけはたまらん好きですね。ここにAMラジオが虫の音の様に店先から流れていたら、もう完璧なんですけど。ま、今日は小さなラジオをイヤホンで聴いてましたんで、それでも効果充分でした。秋の夕暮れに灯る光の情景…たまらんええなぁ。
(於:城東区) こういう風情、好きなくせに人見知りで買いもん楽しめんで…情けな。
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何年ぶりに見かけたかなぁ…気がつけばクリーニング屋さんも取次店スタイルのチェーン店ばっかりになっていて、こういう様に自転車やバイクで洗濯物を集めてはる光景って、ホンマに見かけん様になりました。ずんぐりした帆布(?)でできた荷袋、そこに記された屋号や住所…重厚な自転車ならではの趣きも手伝って、何とも言えん風情がありますなぁ。平成の世に昭和の香りを漂わせながら街を行くクリーニング屋さん。出会えてうれしい様などこかしんみりする様な…そんなちと複雑な思いで後ろ姿を見続けたのでした。
(於:天王寺区) スタイルは古くてもキレイな荷袋で営業。さすがはクリーニング屋さん。
類似記事:『働くウエルビー号GoGo』 2011年4月 3日、記
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下にずり落ちムラムラに色褪せたプラ部分、記された古いギザギザ△のマーク…もうすっかり「かつて存在した会社の看板」という風情になってしまって… ミカドの流し台…うちのもここの製品で、ショウルームまで行って決めて磁器の粗品ももらった思い出の会社やったのに2010年の春に破産してしまって…何かさみしいですなぁ。民事再生とかなら何とかなったやろに…
購入を決めた時点ではそないに意識していなかったのですが、この社の製品は「一流メーカーの中でダントツの安値」だったとか。確かに高級版ではないものは、安い上、見た目もサラッとシンプルで今も気に入って使ってるんですが…やっぱり建築不況には勝てなかったのかなぁ。それに…ここが大阪は北区に本社を持つ会社やったというのもあとで知って…残念さが込み上げてきます。
消滅してしまうとメンテも受けられんという現実面でも困ったことで…一時は同業のタカラスタンダード主導による再建案※もあっただけに、余計に悔やまれます。ブランド力ある会社でも潰れてしまう…厳しい現実です。
(於:旭区) △のこのマークが記されたアルミ鍋を昔見た記憶があるが…
追記:ミカド消滅後、元ミカドの工場ふたつを稼働させ住宅設備機器の製造・販売を目的とする“ネオミカド”という会社が誕生。その後“ファーストプラス”と商号を変えたものの、ミカド製品のメンテもこの社が行っているとのこと。ちょっとホッとしました。
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立派なお屋敷か何かを囲うシックな木の板壁に見とれつつ歩いていましたら、え?、樹木がこんな感じにビルトインされていますわ。その感じ、まるで空中からいきなり生えているみたいな感じでとても妙。
ま、この様に部分的に樹木に配慮して壁をつくってあるのは時々見かけますがこのパターンは珍しいですなぁ。樹自体が境界線上にあって、はみ出ている下の方は切り取ってしまったんでしょうかね。それでも枯れんと青々と茂ってエライなぁ。
松の木などほかの樹もこんな風に手厚く残されています。下鴨神社に隣接したこの森の様な庭のある屋敷…これは何なんかと帰宅後調べてみますれば、『下鴨泉川亭』という邸宅で、元々は下鴨神社の神官の居所だったものとか。明治期、一般に譲渡され、次々と所有者が入れ替わり、今春、香港系ファンドの会長が落札し、今に至っているそうです。「そうなんか…」
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『天井裏にネコがおる…』の回にも記しました通り、実家の天井裏にはやっぱり時々ネコが来るそうで難儀してるとの事。最近はそこに育児放棄された子ネコがどうも2匹いるみたいやということで、1匹は何とか捕らえることができたということですが、もう一匹がどこに行ったか…ということで、私も捕獲に挑戦してみました。
前回同様、天井に開けた穴からデジカメで四方を撮影してみましたが…どこにもいません。「これはもう…どっかから出て行ったんやで」と半ば諦めておりましたら、どこからかやっぱり「みゃぁみゃぁ」と子ネコの泣き声が。その小さい泣き声をたよりに家中あちこち耳を澄まして聞いてみますれば…これがどうにも壁の中。天井から壁の隙間に落ち込んだものと思われます。「こんな壁ン中で死んでしもたらウジわくし困ったもんやで」と仕方なく、「ここや」と思われる部分の壁を切り抜いてみますれば…そこにはいませんでした。
「ネコも泣きよらんし…どっか行きよったんかいな」と思いつつ、しばし待っておりますと、再び「にゃぁにゃぁ」と。やっぱりおるなと、小さなデジカメをこの穴に入れて撮影してみますと、
…いましたわやっぱりここに。見ての通りまだ目が見えてないかもしれん状態のぶっさいくな子ネコです。「何とか手が届く場所ではあるけど、攻撃されても困るしどないしょ…」と悩んだ挙げ句、皮の手袋付けて手を伸ばして掴んでみますと、あっけないほど従順な態度でして、さっさと子ネコを取り出すことができました。
取り出すまでは「このクソ子ネコめが!」と思っていたものの、いざその小さな体型と体の温もりを感じると、すっかり情が湧いてしもて…育児放棄されたという状況も手伝って余計に可哀想な気分に。でも飼うこともできんし…ってことで、ちと距離の離れたところへ魚の切り身ひとつと共に置いてきました。
この行為がええのか悪いのか…ホンマは心を鬼にして保健所へ持って行くのが正しいのでしょうが、なかなかできなくてね。この子ネコを置いたあたりの集落では、これからこのネコのせいで迷惑を被る家も出てくるわけでしょうし…難しい話ですなぁ。
かけがえのない命に違いないんですが…あれこれどうしてええんかわからんのでした。
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昔はどんな信号にも付いてたはずのこのゼブラ模様の板、どんどん見かけん様になってますね。今では自動車教習所で見かけるかもなぁ程度ですか。
で、付いてないのが普通になったら「何でこんなもん付いてるんかいね?風受けてなんぎそうやのに」と思って調べますれば「太陽の加減で見にくい箇所やからでしょう」とOKWaveの質問に答えが書いてありました。そう言えばこの信号のあった場所も、西日キツそうな場所でした。
最近、どんな環境でも見やすいLED信号がどんどん普及してますが、そのうちこのゼブラ板も全廃される日もくるんでしょうね。そういう意味では今が見納め。ふいにゼブラ信号出会ったら、その姿、瞼に焼き付けておくとしましょうか。
…と記していて、思い出したのが東大阪市にある御厨公園の信号。これが…昔ながらのゼブラですわ。そうそう、こんな風に角張っていましたな。点灯していないところがちょっと残念ですが、そもそもこの公園、何で公園内に信号機も横断歩道もあるんですかな。大昔、浜寺公園に連れていってもらった時も確か、こんな風に信号があったなぁ。児童に交通マナーを教える公園なのか、はたまた元々は自動車教習所やったところなのか。ま、前者やとは思いますがね。
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夕暮れに見ると…なんとええ感じなことで。前から診療所があるなとは知っていましたけれど、こんな雰囲気ある物件とは知らんで通り過ぎていました。
夕暮れ空に光るネオンサイン。ちょっと懐かしいトタン屋根の建物の味わいと相まってちょっと心細い気分になる様な、ほっこりした気分になる様な…秋の夕暮れって感じですなぁ。
(於:城東区) “診療所”という響きがまた、しんみり沁みるわ、何でか。
類似記事1:『もの悲しくも懐かしいネオンサイン。』 2011年1月31日 記
類似記事2:『日本盛のネオン好き。 』 2011年3月5日 記
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クルマで移動、信号待ちの時に隣のトラックの荷台を見れば…「え?」な文字の組み合わせが目に止まりまして。
最初は何げに見ていたんですが、「㈱で始まってるけど…こんな社名、あるか?」と気になりだしまして。『㈱京都スΦ-サ-.京スΦ関東KS大連』…
変換ミスか文字化けのまま印刷したもんやなと、その場では納得しましたが…中国製とも書いてあるし…と帰宅後写真見ながらあれこれ考えると、あっ!、これ、読めた。読めました。“Φ”みたいなこの記号っぽい字、これは“ぺ”ですわ。“゜”の大きさを“ヘ”よりデカくしてしもて“○”になってるんや!と。極端に短い“-”は“ー”のこと…で、これは、
『(株)京都スペーサー.京スペ関東KS大連』
と記してあるのではないかとネット検索で調べてみれば大当たり!その名の会社、日本に存在していました。
結局変換ミスでも文字化けでもない、よくある中国で印刷された日本語の妙な間違いでしたが、肝心な社名をこんだけデフォルメしても許されているとは…何とも言えませんな。
(於:東成区) 中国では印刷物の校正はせんのかね?笑けるからええけどな。
類似記事:“ブックスタソド” (2008年2月3日)
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知ってる様で…知らんかったぁ。道頓堀って今、こんな親水性の高い観光地になっとるんですねぇ。昨日の記事(東横堀川、船の上から。)にも記した様に水都号『アクアmini』に乗っての船小旅。東横堀川のそれとは打って変わって道頓堀界隈は、まるでちょっとした箱庭かテーマパークかといった雰囲気になっていました。ある種『水都大阪』を象徴する場所になってるんですね。その昔、カメラのナニワが元気やった頃には難波から心斎橋までよく歩いたもんなんですが…最近、心斎橋筋も歩かん様になってたことを改めて思い知らされました。
戎橋をくぐっていざグリコの看板の前へ。「ここだけは今も昔も変わらんにぎやかさ」と思いましたが、湊町で下船して再びここまで歩いてきて改めて見るとグリコの周辺は…あれこれ変わってるもんですな。どことは申しませんが、ちょっと品のないもんとか、ベタベタなもんとかもあって…道頓堀というか、心斎橋筋の高級なイメージが失われているのが、ちょっとこたえました…って、もうすっかり前からですね、『心ブラ』なんてコトバが死語になってしまったのは。
もうひとつ驚いたのが、観光遊覧船がひっきりなしに道頓堀を行ったり来たりという状況。これもホンマに知りませんでした。満席の船内からマイク片手に案内するその声と言うか内容と言うか、これがちょっとステレオタイプな大阪人とか関西人を決めつける様なモノ言いで…ここにも「よしもとたこ焼きタイガース」な大阪がありました。
あんまり話題の場所とか行かん性分な私ですけど、たまには今回の様に“街”にも顔を出さなあきませんな。「日々、都会で田舎暮らししてる様なもんやな」。改めてそう感じたのでした。
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陽が当たらん、ドブくさい、水面も見えん…何かパッとせんけど、どっかええ意味でも悪い意味でも大阪くさいかもなぁと思いつついつ橋の上から眺めていた東横堀川ですが、いっぺん川から見てみたろということで、大阪城から湊町まで、水都号『アクアmini』に乗ってみましたら…何か、カッコええですなぁよろしいなぁ。高速道路の橋脚の重厚さを街の喧噪の中で愛でつつ進むこの感じ、ちょっと観光地の“水郷めぐり”とはかなり違って、これはこれでグッときますわ。
金属で耐震補強した橋脚でしょうか、何か渋い輝きを放っていて…かっこよろしいなぁ。料金所も下から見上げると「なんやこれ?」な感じですが、街から浮遊した様に見えるその感じが…これまたたまりませんな。
…てなどっか近未来的な光景ばかりではありませんで「ここ、いつの時代の何処なん?」な景色もちらほら。裏に追いやられた感ある川だけに、見えない部分はどうでもええわと古いままでほったらかされているんでしょうかね。もちろん私はこの状態もとても好きで…ええなぁ。
とまぁ、こんな近場に、ちょっと街に隠れつつもええ川があったんやなぁと再認識。遊歩道もほとんどない上、観光化されてないからこそオモロいのでしょう、きっと。「川にフタして道走らせて」という意味において悪く語られがちな東横堀川ですが、「これも、高度経済成長期の遺産」というか何と言うか、これでええのやと思いました。
(於:中央区) “改悪”もまた歴史なり…や。これが改悪かどうかは知らんけど。
※続きの記事:『道頓堀川、船の上から。』
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「なんと味わいある文字で電話番号を記してあること!」とその風情を愛でつつよく見ると、カッティングシートによる貼り文字がひからびた果ての図ですわ。
何年経ったらこんなええ感じになったんかいなぁと思いつつ改めてよく見れば市内局番が3ケタ。と言うことは1999年以前に貼られたもんということですから12年以上の歳月でこうなったということですな。こういう雰囲気の字、なかなか真似できませんで…カッティングシートみたいな今日的素材でも、経年変化でどこか懐かしい感じに変化し馴染むもんなんやなと、改めて知りました。
類似記事:『暑さで文字もひからびて』 2010年9月21日の記事
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2つでひとつなコンビネーション。赤い消火バケツと緑のトンガリ帽子まで頭上に乗せて…第65、66号となる今回のは、見ての通り妙にポップないでたちです。現役バリバリやる気満々なこのふたつ、それもそのはず消防団(安寧消防分団)の前に設置されています。
京都は西本願寺近くでクルマの信号待ち中に見つけました。ちょっとミヤコっぽくない軽さ、建物の上には木製の火の見櫓っぽいものも見られ…この写真だけみると、何か木曽とか吉野とかの山村にある様にも見えますね。
「京都と言えば本家本元の荒川防火水槽研究会さんも見つけてはるかも?」と思い、チェックしてみますと…よく似た場所で何となく似たものを載せておられました(物件140~142)。その写真を見ると、“化粧”のされ方がまず全然違う上、背景との位置関係が違っていて「これは別モンや」と思ったのですが、念には念をとgoogleのストリートビューでここを見ると、この写真とは違う位置に置かれています。きっと荒川さんの見つけられたものと同じ物件でしょう。
それから、安寧消防分団さんの紹介サイトにある写真を見ると、そこには防火水槽が見当たりません。どこかからここへ移設されたものと思われます。だとしたら第二の人生もまた現役の防火水槽として頑張っているわけで…たいしたもんです。
(於:京都市下京区) 何か持ち味を生かしているのか殺しているのか…微妙かも。
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昨日の記事『むかしもいまも大東町3。』に書いた様に仁丹の町名看板を大東町で見つけた後、少し行くと、城東貨物線のガード下に…以前の記事『防火水槽 62 ■ 都島区大東町2』にコメントを付けてくださいましたびっくりマークさんがおっしゃっていた物件が、ありました。
“ここをきれいに・はり紙をはらないようにしましょう”と記されていることが守られてキレイな状態。若干下品な落書きは見られますがまぁ、この程度なら良しとせんならんですかね。その下にびっくりマークさんが書かれていたことが。そこには、
万国博準備大阪市民運動
と記されています。1970年の万博を迎えるにあたって、こんな市民運動があったとは知りませんでした。
調べてみますれば1970年の万国博より3年前の1967年の5月よりこの様な取り組みが行われた様です。大阪市のサイトを見ますと「きれいな町・親切な心で万博を」というキャッチフレーズのもと、諸団体は行動したとあります。と言うことは…この文字も40年以上前に書かれたということですが…全然剥げたりしてませんね。万博を前にペンキ職人、気合入れてもええ仕事をしてはったんでしょうなぁ。
そう言えば、ワールドカップやらサミットやら世界的な催しがあると、街の美化をあれこれ自治体主導でやりますよね、余計なほどに。ここの場合は「貼らない様にしましょう」というのであって、ま、ええんですが、路上生活者を立ち退かせたりとか…そうそう、梅田の地下街の円柱に張り出してあった夕刊紙も、何かの催しの前に強制的にヤメさせられたんですよね。あれも“大阪名物”とか言われていたのに…
話それましたが「ここをきれいに」が40年以上守られている…この書き文字が残ってる事実以上に素晴らしいことですね。なかなか趣きのあるガード下…上を走る貨物列車の響きとともにどこか懐かしい気分に浸るええ空間でした。
参考記事:『昭和なプラ看板 1 ● 万国博であいましょう』 2008年1月 6日の記事
(於:都島区) 40年前って…大昔な気がするだけで、つい最近のことなんかもという気もする。
それから…今日はちょっと悲しい日ですね、スティーブ・ジョブズさん亡くなられて。こんな垢抜けせんブログをやっている私ですが、じつはMacユーザーでして。全然コンピュータのこと詳しくない私、そんな人間でもこんなカンタンに使えて皆さんと関わりあいを持てている現実をあれこれ考えると、氏のお陰なんやろうなぁと思ったりします。おおきにスティーブさん…って、もうひとりのスティーブ、スティーブ・ウォズニアックさんもね。
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黒く渋いシチュエーションにまぶしく輝く仁丹モン…かっこいいなぁ。大阪市内これで10個目(仁丹本社の平成モンを含む)。今まで見た仁丹の町名看板の中で一番シックに場に溶け込みつつ、その存在感を示している物件です。しかも、この町名看板、現役というのがうれしい限り(=たいていの物件は、町名変更がなされた町に位置しており、現住所ではない)。えぇなぁ。
城東貨物線のネキ、淀川のほとりにあるこの大東町。ちょっと変わってる(?)町名の由来、調べますれば「町の発足が大東亜戦争のまっただ中だった」というのと、「大阪市の東部に位置するから」と都島区のサイトに記されていました。まさか戦争名が由来やとは…ちょっとびっくりです。戦後、平和由来な町名に変えようと言う動きとかなかったのかなと思ったり。ま、考えすぎですか。どんな由来であれ、その名で歴史を刻み続けてこそ値打ちがあると思いまして。
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ちょっと東京へ。そこでこんな「いかにも東京やな」な石造物を見つけました。
東京。前々からシュッと超今日的なものから超イマイチなセンスのモンまであってレンジが広い都市やなぁと思っていましたが、この2つは後者のそれに属する典型的な…って、うそうそ、全部ウソ。
この2つの集合住宅、じつは東大阪市で見つけました。ともに近畿大学の近く、近鉄長瀬駅あたりにあり、学生向けの賃貸マンションかと思われます。エレメント原宿v.sコーポ六本木、張り合ってるのか同じ経営者の物件なんか知りませんが…何とも言えませんな。東京の大学へ行きたかった近大生の心をちょっとでも癒してあげようという心配りかね?はて。そう言えばこの近大界隈には『東大不動産』なる不動産屋さんもありますわ。たまたまか?地域性か? ちょっとこの感覚、私には理解できませんで。しかし何だんな、“エレメント原宿”って…「原宿の要素」ってこと?
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10月と言えば運動会。何十年と参加することも見ることもなかったこの催しに今秋、縁あって見に行くことになりました。
9時開会にあわせて会場の小学校へ着くと、(私には)意外や意外、ゴザやシートで場所取りしてる光景がなくてびっくり。“昼食は家族みんなでゴザの上”…というスタイルはもう完全に昔話なんですね。多くの方がカメラやビデオ手に立って見ている…まぁそうでしょう。中には解放されている校舎の2〜3階の窓からと言う人もちらほら。そういう私も一眼レフ構えておったんですが、全然ズーム足らんで…何やってんだか。
昔ながらな行進曲が鳴り響き入場式に。「やっぱり昔も今も変わらん世界がここにあるわ♪」と思ったのはそこまで。後は…何て名の曲か知りませんけど昔「運動会と言えば、これ!」な音楽なんか全然かかりません。ま、これもまた「そらそうか」。
校長先生とかPTA会長とかってお爺さんとか高齢のおっさんがやってるもんやと思っとったらとんでもなかったと言う様なくだらん発見も多々ありましたが、そんなこと以外にも色々と感じ考えさせられることいっぱいあってええ一日でした。中でも障害を持ってる児童も出し物に参加していて、そんなお子を別のお子たちがが助けつつ進んでいくと言うスタイルに「あぁ、ええなぁ」と。こういう日々の中で思いやりの心が育まれていくお子も多いことでしょう。私らの時代は…どやったかなぁ?全然思い出せなくて。
運動会とかこういうものって、自分に関係するお子を見るもんやと思ってやって来ましたが、何のなんの、じつに純粋に楽しいし、ついつい知らんお子も応援するしで昨年末、記事にした『お子たちの発表会…おもろいわぁ。』同様、「素人競技、演技やからとバカにしたらあなんでなぁ」と感じました。
ちと立ちっぱなし状態に疲れはてまして途中で帰ってしまったのですが…「あれっ、鼓笛隊とかなかったなぁ、そやっ、フォークダンスもや!」。その後あったのか、もうそういう出し物は今ではやらないのか。幼少の頃のキュンとした心模様にあれこれ思う…もう充分すぎるほど“昔の人”になってしまったもんです。はは。
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10月1日は日本酒の日…ということでかむなび・蔵朱・よしむら(敬称略)の日本酒卍固めの3店が中心となって開催される『日本酒ゴーアラウンド』へ今年も参加してきました。
今年で4回目だったか、何となく大阪秋の恒例行事となった感のあるこのイベント、年々参加店舗も増えて今年は何と34店舗に。もうここまで来たら「全店制覇や!」とはいかん訳で、選択技が広がった分、何かわたし自身のこの催しへの思い入れがちょっと薄くなった様に感じて…なんて贅沢な思いですね。
で、やっぱりえぇなぁ面白いなぁと思いつつ結局7軒まわりましたが、ちょっと店主さんや蔵元さんとのお話を今年は楽しむ機会が少なくてちと残念。この日の主旨を忘れていたなぁとちょっと心残り。あ、心残りと言うと主催3店舗(かむなび・蔵朱・よしむら)へ足を運べなんだというのがね。あぁ、ちゃんと営業時間等確認しておくべきやったなぁ。
「さ、来年こそはその辺のこと考えながら…」と言いたいところですが、一応今年で最後と言う噂が流れていると言うか流してはると言うか。ま、日本酒を、そして日本のことを色々大事に思う気持ちさえ参加者の心に残ればそれで良しということなんでしょうね。何か…さすがやなぁ卍の人ら。楽しい思いをさせて頂きました。おおきに。
数ある名酒を味わった中で、ちょっと気になったお酒がありました。それは『日本酒うさぎ』さんで出されていた神奈川のお酒『天青』の“シェリー樽熟成”というもの。その味わい…「これ、シェリーやん」な風に私には感じたのですが、こういうお酒の場合、種別は“清酒”に属するのか、それとも“リキュール”扱いになるのか…厳密には後者になる様にも思いましたが、どうなんでしょ。いずれにせよ、おもろい取り組みやとは思いました。
ひと昔前とは比べもんにならんくらい名酒を楽しめるお店が増えたことと、名酒の持ち味の幅が広がったことを再認識しつつ7時間半にわたるハシゴ酒を終えたのでした。
※参考記事
2008年の『日本酒ゴーアラウンド』の記事は“10月1日「日本酒 ゴー★アラウンド」へ”
2010年の『日本酒ゴーアラウンド』の記事は“日本酒ゴーアラウンド2010へ”
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