終バスは“赤”やないと…LED表示の終バスの味気ないこと。
昨夜、バスに乗りました。バス停で降り、何げにLEDで光る行先表示の部分見ましたら…
…“終”の文字が。そうか、終バスやったんか。乗る前には全然気づかなんだ。
『終バス』…ちょっと暗めでほんのり赤く灯るあのどこかさみしげな風情…「あ、もうすごい遅い時間やねんや」と子供心に街を走るバスを見て思ったあのこころの動きが全くありませんですわ。
ね、やっぱり終バスはこれやないと。でもこの幕タイプの表示灯のバスは年々減少している現状を考えると、そろそろ見納めなのかも。「間に合った」という安堵感、「一日も終わりやなぁ」という焦燥感とさみしい感…まぁ路線によったら16時台とかにも走ってる訳ではありますが、そんなこと感じさせてくれる赤色表示の終バス…好きやなぁ。
そうそう、終バスの1本前のバスって“緑色表示”やった様な覚えがあるんですが、それって勘違い? ここ40年くらい見たことがなくて…あれは幼少期の記憶違いなんでしょうか。
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コメント
いつも何ともええ写真をアップして下さり本当におおきにです。あべの橋の近鉄でバイトして、上六の高校に通って、天満橋の松坂屋に営業に行って、淀屋橋の司法書士事務所に勤めていました。すべての地名に思い入れがあります。ひと時思い出に浸りました。おおきにです。
投稿: がんさん | 2011年8月30日 (火) 23時28分
山本龍造さん、こんばんは。
赤色表示の方がはっきり終バスと認識できていいですね。
LEDに赤を入れることもできそうに思うのですけど。
それでもこのさみしさは表現できないでしょうか。
投稿: びんみん | 2011年8月31日 (水) 01時51分
龍造さん 赤バスの最終も赤色表示なんやろか(笑)
<ちょっと暗めでほんのり赤く灯るあのどこかさみしげな風情>…
昭和を代表する歌手の一人 春日八郎の唄う「赤いランプの終列車」のメロデイーと歌詞が浮かびます。
又 あがた森魚の「赤色エレジー」の哀愁が(汗)。
いつも古い話でスンマセン
終着駅が近づいて来ました(笑)
投稿: 難波のやっちゃん | 2011年8月31日 (水) 11時42分
大正路線に多かった青急行・赤急行のほかには、赤いランプの“赤バス”は外せませんよね。この路線にはこの後バスは来ない・・・という諦念感が心地よかったですね。
地元の第三突堤行きは早々と“赤バス”になっていたのを記憶しています。因みに市電も同じく最終電車を同様巻上表示を赤くしていたような記憶があります。市岡元町三丁目元小市民より。
投稿: ファジー | 2011年8月31日 (水) 21時11分
難波のやっちゃんさん、素晴らしいです。 「赤いランプの終列車」ええ歌ですよね。「赤色エレジー」の哀愁、よくわかります。「愛は愛とてなんになる。男、一郎・・・」何か泣けてきます。
投稿: がんさん | 2011年8月31日 (水) 21時17分
難波のやっちゃんさん、渋過ぎ(笑)
投稿: ぽんぽこやま | 2011年9月 1日 (木) 02時18分
●がんさんさま
うまいこと大阪での思い出をバスの運行順に折り込みましたねぇ。何かええ感じですわ。こっちもここの書き込み読ませてもらって「どんなお方なんやろ?」と思いを巡らせて楽しませてもらいました。「赤色エレジー」での涙、もう収まりました?
●びんみんさま
そうですねん、遠目に「赤や」とわからんと意味ないと思うんですけどね。
で、です。
阪急電車の京都線だけかな?、新型車輌の行先表示、あれがフルカラーなのか、巻き幕の時と同じ様な雰囲気で光ってましたんで、LEDがアカンとも言いきれませんが…それでもあの“行灯”って感じは…出ないでしょうね。ま、出す必要ないとも言えますが。
●難波のやっちゃん さま
あ、赤バスの終バスね、あれも赤かったんとちゃいましたっけ? 確か赤バスの巻き幕は黒に白文字でしたから、赤い光が暗すぎて「なんですのん?」な感じやったのを見た事がある様な…ない様な。
で、「赤いランプの終列車」は…知らんかったのでyoutubeで確認しておきました。「赤色エレジー」は、もちろん…何であんな暗い歌が流行ってたんか不思議です。
古い話、どんどんお聞かせくださいませょ。
●ファジーさま
え?何ですの“青急行・赤急行”ってのは?? ちょっと元河内人にはわかりませんですんません。
>>この路線にはこの後バスは来ない・・・という諦念感
そうですわ、これです。これがカナンけど、ええんですよね。そう言えば私も昔々、第三突堤行きの終バス見て「変な感じ」と愛でたことを思い出しました。
しかし何です、昔の市営交通のこともよくご存知で…またいろいろお教えください。
●ぽんぽこやまさま
ほんま、渋過ぎ難波のやっちゃんさん。知らん歌やっただけに…
皆さんおもろい思い出話を有り難うございました。いつも通り、激遅レスですいません。
投稿: 山本龍造 | 2011年9月 1日 (木) 17時59分
<何であんな暗い歌が流行ってたんか不思議>
「赤色エレジー」、「神田川」、「昭和枯れすすき」等みんな貧困歌です。
唯 戦前や今と違って、皆貧しいが間違いなく明るい希望の明日を予感してました。
派遣なんて無いし望めば正社員になれ、真面目に勤めれば車や家が持てた時代です。
ある種ギャグで自虐的に唄ってたんでしょうか(笑)。
今こんな歌唄ったら石投げられますよ 龍造さん(汗)
投稿: 難波のやっちゃん | 2011年9月 1日 (木) 21時26分
難波のやっちゃん さま
>>「赤色エレジー」、「神田川」、「昭和枯れすすき」
三つ並べて見ますれば…インパクト大ですねぇ。確かに「明日への希望」あふれる世の中でこそ、いきいきとその状況を語れたのでしょうね。
自営業も勤め人も、先が読めん時代、ちょっとしんどいなぁと思いつつ…今度歌てみたろかな3曲続けて…石投げられる覚悟でね。
コメントいつもおおきにです。
投稿: 山本龍造 | 2011年9月 2日 (金) 17時09分