むかし南中道町4、いま玉津2-5。
今回の仁丹町名看板は…出会い損ねていた物件。というのは、“むかし大成通2、いま玉津2-6。”の回で紹介した物件に対して、ゆりかもめさんが
…この記事を見てグーグルアース(筆者注:ストリートビューのことと思われる)でこの横にあるもう一枚の仁丹表示板を見つけたときの感激。…
のコメントを寄せてくれてはって、「そんなんあったんや…」と見に行ってみた次第。すると確かにかつて紹介した仁丹モンの道向かいにガス管とといに囲まれてひっそりと存在していました。気づかんかったぁ。
引いてその2枚の仁丹町名看板の残る町並を見てみますればご覧の通りほんと昔ながらな長屋街。町名看板以外にも電気や電信のケーブルがええ味を醸し出しています。いかにも味わい深い町名看板がふたつも残ってるといった感じなのに…見逃してたな。
今は『玉津2』とひとつになってしまっている町も、“大成通2”“南中道町4”と元々は別々の町名だったとは。町内会の区割りもやっぱり新たな区割りにされたのか気になるところですが…どうやったんでしょうね。
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コメント
東成は、戦災を受けていない地域が多いのでこうした町並みがよく残ってますね。深江に住む同級生のお宅は大正時代の木造で、訪れるたびに玄関の大きさや土間の台所の大きさや縁側のサイズなどすべて今から考えると小ぶりで、逆に自分が大きくなったような気がしたものです。今でもすんでいますが、大屋根が朽ちかけていて何時崩落するか分からないとか・・・命を張って生活してます
投稿: ファジー | 2011年8月17日 (水) 06時50分
ファジーさま
やはり戦災にあってるか否かは、その町の持つ雰囲気がかなり違うもんですね。東成あたりに行くと感じるほっこり感は、そこに由来するのかもしれません。
で、確かに昔の建物は建具のサイズがかなり小振りですよね。私も明治期の長屋を知っておりますが、玄関の狭くて低いこと…って、それでも戦後の改装で高くなってるということなんですがね。大体昔のサイズのままやと、家電製品の搬入できませんね、今では。
長屋の屋根は気になります。一軒でも屋根の葺き替えしてなかったら、両端の家にもその影響が表れるし…難しい問題やと思います。残念ではありますが、やっぱりなくなっていくでしょうね、長屋は。
お知り合いの家屋、これからもずっと残って町の景観に貢献してほしいものです。“命張って…”という現実も気になりますが。
コメントいつも有り難うございます。
投稿: 山本龍造 | 2011年8月17日 (水) 10時23分
いつも楽しい記事を読ませていただき
ありがとうございます。
このたびは名前をだしていただいて恐縮です。
ここは大阪仁丹看板が2枚みられる唯一の場所。
大切にしたいものです。
投稿: ゆりかもめ | 2011年8月20日 (土) 23時46分