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2011年8月17日 (水)

中央区玉造1-2-40・平成の仁丹町名看板。

 本日も昨日の記事同様、自ら見つけたものではなく、情報をもとに行ってみて「ほんまや!」と写真を撮ってきたネタです。
 ちょっとネットサーフィンしてましたら『京都仁丹樂會』というブログを見つけました。昨年、森下仁丹が発表した『京都琺瑯町名看板プロジェクト』。 年々少なくなる京都での仁丹の町名看板を少しづつ復活させて行こうというこの計画、今年2月から数枚づつ実行に移されているそうですが、それを機に“京都仁丹樂會”という会が結成されたそうで、京都のみならず、大阪や奈良などのそれを含めてかなり詳しく解説されています。そのブログの記事の中に本社玄関横には、なんと仁丹町名表示板が!の一文と写真を見つけ…「こらぁ行かなあかん」と。てなわけで先日、見に行ってみました。
Mj1 Mj2 Mj3  どうです!ご覧の通りピッカピカの仁丹町名看板でっせ。“中央区玉造”と今の町名も眩しく…って、「一丁目二番四十号」まで記してありますのでこれは…町名看板というより会社の住所表記ですね。まぁ、そんなことはどうでも良いですな。ちょっと垢抜けした感じに平成臭が漂ってます。それは何でか? 答えは徐々に変化してる大礼服のおっさんマークが現行のヤツやからですね。“京都仁丹樂會”さんによると、このプロジェクトは「復刻ではなく復活」ということで、そのスピリッツに従い現行マークを使っているとか。確かに“復刻”では…全然ですよね。
 シームレスカプセル技術が軌道に乗って、会社にも余裕が生まれたのでしょうかね、本社にも取り付けるというちょっとした遊び心が嬉しいです。せっかくですから、お膝元の大阪でも復活プロジェクトをやってほしいものです…って言っても、大阪ではもうほとんど見かけん状態ゆえ、復活させるにはかなり作らんと役に立たんわけですから、絵空事でしょうかねぇ。
 この復活モンをはじめ、仁丹町名看板の詳しく知りたい方は、ぜひ『京都仁丹樂會』さんのサイトにアクセスしてみてください。おもしろくてためになりますよ。

(於:中央区)人気ブログランキングへ 仁丹はやっぱり銀色のジンタンがいちばん!と思える歳になった。

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コメント

山本龍造さん、こんばんは。

仁丹町名看板が復活しているのですね!
そして、京都仁丹樂會さん、全部は読んでいませんが、とてもためになりました。京都は戦前で、大阪は戦後、とか、設置許可の表示とか。
ご紹介ありがとうございます。

投稿: びんみん | 2011年8月18日 (木) 00時35分

びんみんさま
仁丹町名看板、まさか大阪でも1枚限りとは言え復活していたとはびっくりでした。ただ“京都仕様”なのが残念とも言えますが。
で、京都仁丹樂會さん、読みにいかれましたか。ほんとによく調べてはるでしょ。私も…まぁ数枚ですが大阪で仁丹町名看板見つけていまして「設置許可の表示」があることに気づかんかったという…何と観察力の低いことで…落ち込みました。ま、軽くですけれども。
コメントいつも有り難うございます。

投稿: 山本龍造 | 2011年8月18日 (木) 18時07分

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