むかし御幸町1、いま都島北通2。
まだまだひっそり残っているのでしょうか? 大阪では滅多に見かけない仁丹の町名看板、都島区にもありました。
この看板が存在しているのが都島北通二丁目。「そうか、町名変更で御幸町という町はもうないのか…」と思いつつ北へ道を渡りますと、そこには新しい町名看板で“御幸町一丁目”と記されており…?。この看板、いかにも昔からある風情ですから、ここへ移設したとは思えませんので、御幸町の範囲が変わったのでしょう。以前は“背割り”だったのかもしれません。
今まで何げにしか見ていませんでした大礼服の広告部分ですが、おっさんの顔と服が赤で文字が黒のモノと、その逆の配色のモノと2種類あるんですね。“むかし蒲生町4、いま今福西1-2。”と“むかし田辺西之町7、いま南田辺2”の回のはこれと同じでしたが、“仁丹の町名看板 in 大阪市内”、“むかし大成通2、いま玉津2-6”の回のは逆バージョンで…そう言えばむかし駄菓子屋でよく買った『味カレー』も中身一緒で柿色ベースに紺色の文字のと、その逆のがあったなぁ…って、関係ありませんな、全然。
(於:都島区) ガラス越しの閉じた傘いっぱいも味ありますなぁ。
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コメント
驚きです。都島にもまだ残っていたんですね。
早速見に行きます。ありがとうございました。
私もきづいたんですが、赤仁丹と黒仁丹!!
どういう意味があるのか。
又謎が深まりました。
投稿: ゆりかもめ | 2011年7月20日 (水) 13時14分
ゆりかもめさま
仁丹モンの町名看板をほんとに愛でておられますね〜。しかもいつも現場にまで行かれて観賞すると…その行動力、すばらしいなぁと思います。
都島区にはあとひとつ、仁丹町名看板があるという話です。この様に、またまだひっそりと頑張ってるヤツがおるんでしょうね。
赤仁丹と黒仁丹…確かに謎と言えば謎。その違いの意味は何なのか? ない様にも思いますが、あれこれ分布に合わせてこじつけてみるのもいいかも…それにはサンプルが現状少なすぎますが。
時折のコメント…ありがとうございます。
投稿: 山本龍造 | 2011年7月21日 (木) 10時35分