御堂筋、緑地帯に百葉箱。
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しかしながら…梅雨も明けてへんのにえらい猛暑ですなぁ。あぁ暑い熱い。あぁノド渇いた乾いた。何か飲みたいなぁと思っていたところに、おっ!ジュースの水冷式クーラー発見。嬉し。
「久々にファンタもええけど…やっぱりチェリオやで♪」とか思いつつ近寄ってみますれば…ええ、上に下に植物置いてあって…これどけるの?選べませんやん。あぁあぁ…とか何とか。
「何でここに?」とも思いますがそれなりに溶け込んでいるところを見ると、ここで昔は駄菓子屋でも営んではったんでしょうかね。撤去もせずそのまま植物の台に使われている…稀な例でしょう。
瓶入りジュースも今では稀ですが、水冷式のクーラーはもっと稀ですね。「瓶ビールは水冷に限る」というヤツがいますが…わかるなぁ。ま、何となくですが。
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2000年6月28日、雪印乳業大阪工場で製造された「雪印低脂肪乳」、保健所から回収指導…もう丸々11年になるんですね、雪印集団食中毒事件が起ったのは。
最初、原因がわからんかった時は「また大阪やで…」みたいな空気がちょっと世間に漂っていた様に思うのですが…それは大阪人である私の被害妄想やったんかもしれません。結局北海道で作った粉乳に菌の毒素が残っていて、それを原料に低脂肪乳を作ったらえらい事になったというのが事実やったのに、何や賞味期限切れで戻って来た牛乳混ぜたりとか機器をちゃんと洗浄してへんかったとか色々発覚した事件でしたね。結局都島区の大阪工場は閉鎖、雪印は牛乳部門から撤退となりましたが、あの事件で妙に印象に残った事は、報道陣にもみくちゃにされつつ当時の社長が声高に言ったひと言「私だって寝てないんだ!」。事実でしょうけど、言うべきコトバじゃなかったですよね。このひと言は、未だに年に何回も思い出します。この一件のお陰で京阪牛乳さんなど、とばっちりを受けて廃業に追い込まれたりで…一大事件やったですね。
で、肝心の看板のことを。かなり劣化が進み建物の外壁同様の色合いになっているところがいい感じ。表裏ともずり落ちているのが…何とも雪印のその後を具体化したみたいでちょっとつらいもんがありますが、ま、かなり味わいある経年変化ですね。かなり前からこの感じで、これからもこの感じ…とは言いきれませんか。形あるものいずれなくなる世の常よ。
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「こんなところにはないやろ」と言うか、防火水槽の事なんか考えずに自転車で走っておりますと…ありました。その状況、「ありました」と言うより「転がってました」の表現の方が正確なんではないかという感じ。見ての通り住宅に囲まれた畑の前に横倒しで岩と共に鎮座しています。
田畑に防火設備は必要ないと思いますので、たぶんこの第56号、以前は農業用水を溜めるのに使われていたものと思われますが、イラン様になっておっぽりだされてしもたんでしょうなぁ。今まで見た防火水槽の中で、いちばん気の毒なシチュエーション。何かこの夏の猛暑に絶えられるかなぁという気さえする、そんな痛々しいヤツでした。時々水掛けに行ったらんと…って、思うだけですが。
(於:東住吉区) 逆さに置かれているよりさみしいもんがあるなぁ横倒しは。
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こんなん見つけました。ここはJR環状線、玉造駅の高架下。そこに蒸気機関車の動輪をモチーフとしたエンブレムっぽい造形物が。見るからに“国鉄”って感じ。で、調べてみますれば…ヒットしたのが時折コメントくださるつきのたぬきさまの『西日本建築探偵団』の“鉄道省のマーク”と言う記事で…あ、参りました。
ちょっと動輪がタマゴ型の楕円形になっているところが妙な感じではありますが、wikiによると、1932年にこの駅は高架化されたということですから…この橋脚、80年近い歳月ここで支え続けているいうことなんですね。古いモンやとは思っていましたが、戦前に造られたものが今も公共交通機関の支えとして現役とは、ちょっとびっくり。まぁ阪堺電軌の車輌が80歳を超えてまだ現役と言う事実を思うとたいしたことないんでしょうが…この橋脚もやはり“百年建築”なんでしょうかね。何げないところで古いモンが頑張っている…そうやったんやなぁ。
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食堂にして屋号『特急屋』。わぁ、懐かしい記憶が甦ってきた。昔、食堂とか寿司屋さんの看板が町中にあったら、そこに“出前迅速”ってかなりの確立で書いてあったもんですけど、その時代の名残りなんでしょうかね、この店の屋号は。そうそう、そう言えばその頃見たフレーズに“出前新幹線”というのもあったなぁ。ああ懐かしい。
すぐに食べさせてくれるという大衆食堂のお株が、ファストフードに持って行かれて、出前は“宅配”に取って代わって久しいですが、この手の大衆食堂、一膳メシ屋には、ぜひとも頑張って頂きたいですね。幼少の頃にはお世話になりませんでしたけど、社会人になってからはホンマこの手の店って美味しくてあり難い存在ですわ。これからも“食べる”という行為で応援しよ。大衆食堂、吉本の舞台上だけではさみしすぎ。そのいぶし銀的輝き、いつまでも。
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気がつけば、最近すっかり見かけなくなったのが映画館のポスター掲示板。次から次へと上映中のヤツを上から上から貼っていって、何十枚ものポスターでごわごわになってるその状態こそ、フォトジェニック(←死語?)やとか言っては撮ってたなぁ。
そんな思い出の残る映画館の掲示板を見つけました。でも、ご覧の通り町内会の掲示板と変わらん有り様ですわ。さみしいと言えばさみしい。けれど、まぁ、残っていただけでオッケーとしましょうか。しかし繰り返しになりますが…ほんと見なくなったなぁ知らん間に。それだけ昔ながらな地元に生きる映画館がなくなったってことですかね。時代の変化に合わなくなりつつあるという点においては、お風呂屋さんと同じかもな。さみしいけれど。
(於:生野区) 分不相応…アホげ朝日新聞で紹介される。有り難いけど…変な感じ。
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旧東区は伏見町の登録文化財、青山ビルは甲子園球場由来のツタで覆われていることで知られていますが…こんなにわっさわさに茂ってましたっけ。梅雨とこの暑さでビルが見えへん様に生長してて、窓から漏れる光も手伝ってかなり妙な感じ…って、そう見える様に撮った私がアザトイの、かも。
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地パンな風情の看板発見。いかにも60年代によく見られた様な字体がとても愛らしいですな。とくに水滴ふたつでできた“ン”の可愛らしさがたまりませんわ…とか思いつつ「ん?これ、昔も愛でた物件やないか?」とかつての写真を探してみれば、やはり…2002年のフォルダにありました。
ブリキ看板もあってプラ看板に明かりが灯って…今もええ感じと思いましたけど、やっぱり昔の方がもっとええ感じ。この様に見比べると、公衆電話も赤い台と電話帳とセットで人間味が感じられるええ味を醸し出していたんですね。昔も今も、変わらん風情であるものでも、徐々に時代とともに変化している…当たり前と言えば当たり前ですけど、写真で見比べてみんと、案外気づかんもんかもです。
で、『デリカパン』ですが、検索しても全然わからずで同名のフライパンしかヒットしませんでした。たぶん大阪の地パンやとは思われますが、現存するのか否かも不明。ちょっとスッキリせんままの公開となってしまいましてすいません。もう少し調べてみます。
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暑い日も雨の日も我がのパーキングへと誘導してはるおじさん。その経営努力、ほんま心より脱帽。左手に看板、右手に誘導灯といういでたちに…色んなこと考えさせられます。ほんま色々、いろいろと。
そう言えば…長いこと行ってませんけど、門真の運転免許の試験所周辺って、この手の人らがたくさんいてはった記憶があるんですが。しかも何故かみな白衣を着てはったという妙さが強く印象に残ってるんですが…なんでかね?記憶違いか?。いずれにせよ四半世紀以上前の話ですけども。
しかし何ですわ、私には…効き目なしですこのスタイル。誘導されると「や〜めた」となるタチでいつも素通り。ま、世の中には素直な人の方が多いと言う証なんかもですな。
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「ミャーミャーミャー」。実家に帰ると、聞こえてくるのが子ネコのなき声。それが天井裏からやと言うから難儀な話。耳を澄ましてだいたいの場所はつかんだものの、これが人間が入って行けん場所みたいでホンマにおるんか否か…。手が入る程度に建材一部切り取ってもさっぱりわからんで…「そや!デジカメでなき声の方向の写真撮ってみよ」っと。
はっは、おったおった。見ての通り3匹の子ネコ。ここで生まれたんでしょうかね。難儀な存在には違いないけれど…かわいいなぁ。けど、何とか出て行ってもらわなアカン。と言ってもどこからどう取り出したらええんかええ方法もないしなぁ。
…とか思いつつもう2枚撮ってみたら、コイツは親ネコか?えらい睨んでますわ。この輩がここで産みくさったんでしょうな。
ネコの存在が確認できたけど、結局駆除対策取れんまま。自然に出て行ってもらわなしゃないんやけど、出て行ってくれるかなぁ。ここ数日は泣かん様やけど。
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民家の勝手口みたいなところに琺瑯看板発見。グンゼのマーク◎も懐かしくてええ感じ。で、写真よく見たら私の同じ様な嗜好の人みたいで、ここに並んでるワックスやらのボトルのラインナップ、6割までうちで使ってるのと同じヤツですわ。
…は、どうでもよろしい。それよりこの人形が掛けられていて何て書いてあるのかがわからんところが残念。「小町エフ…これはエプロンちゃうか!」と“グンゼ/小町エプロン”で検索してみますれば…「あった!」。←クリックしてページの中ほどにありますので見てもらうとわかりますがこの物件と同じものの写真が出てきました。ちょうど人形の下にこんな味わいある絵が描かれてるとは。ええ感じやなぁ。しかしながら…やっぱり気になる人には気になる物件ということですなぁ。
この人形なしの写真を発表してはるのが、兵庫県在住の主婦、安部さんというお方。『お散歩 Photo Album』という素晴らしいホームページを運営されています。何が素晴らしいかって琺瑯看板中心のネタの豊富さもさることながら、看板に記された商品の製造元の情報などをかなり詳しく調べてはるところです。私がマニアックな調べものをしていると、かなりの確立でこの『お散歩 Photo Album』に行き着くという事実がその証でしょうか。たまたま聞いてたラジオ関西のニュース番組でも話題になってたましたし、その筋ではかなり名の知れた方でしょうね…って、ここにアクセスしてくれてはる皆さんには有名なサイトですよね、きっと。主婦安部さんは、ほんま凄いわぁ。
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品格漂う昔ながらな店舗の前に第55号はひっそり佇んでました。この前は何度もクルマで通っているのに今まで全く気づかなかったこの物件は、半現役。水は貯められてはいませんでしたが、すぐ上に蛇口とホースがありますので、イザという時には溜めて使える様になっています。
正面には図案化された“今”と“水用”の文字、小型の洗濯機ほどの大きさ…珍しく正方形型といういでたちは、背景のタイルでできた市松模様のタバコ屋っぽいショーケースとじつにマッチしています。
ただ、どうもこの物件のある店舗は、もう廃業されている様でちょっと気がかり。防火水槽もそうですが、やっぱりこの雰囲気のある店舗建物、こっちの方もとても気になりますね。皆さんもそうと違いますか。
…てなわけで外観の写真も載せておきましょう。いかにも昔ながらな商店といった趣き。小学館の看板はさておき、その下に右から“圖書教育用品”の文字。“圖”という漢字は初めて見たかも。そう言えば…ここまで古めかしい感じではなかったにせよ、私が幼稚園児だった頃の本屋さんって、こんな感じやったですなぁ。ちょっと懐かしい気分になりました…って、この界隈はまだまだこんな風情を残すお店が多いのですが。
大阪の下町で見られるそれらとはちょっとニュアンスが違うシチュエーションで、どこか寂しげな第55号、いつまで残ることができるかなぁとちょっと心配になる物件でした。
(於:奈良県下市町) ベビーブック・めばえ・よいこ…まだ出してはるんやろか?
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以前の記事で旧東区船越町に残る松坂屋の町名看板のことを記しましたが、その隣町、釣鐘町でもひとつ発見しました。
デザインは船越町のそれと全く同じではありますが、まるで別モンの様にサビサビになっております。琺瑯製のがこんなに錆びるのも妙な感じがしますが、わざわざ同時期に釣鐘町のは“ブリキにペンキ”仕様にしたとも思えません。不思議な感じではありますが、やはり船越町のは3つも意識的に残してはる(?)だけに、メンテが行き届いているから、あんなに劣化せずに残っているということなんでしょうかね。まぁ、このサビサビバージョンもひっそり感があってええ味出してますけどもね。
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「何か…(アンクル)トリスっぽいで」と思いつつも見流していたUSJと海遊館を結ぶキャプテンラインの船に描かれているこのマーク。昨日の記事(昭和なプラ看板 46 ● サントリービール)書いてたら気になってきて。「アゴの形はアンクルトリスやけど耳ないしどっかバタ臭い感じするし…これ偽モンやわ」と、“偽モンに認定”。先の“鶴見ノ森”のマークと言い…こういうモンが今の時代にも横行してるんですね。
…とか思いつつも気になって調べてみますれば、「ニセモノと言えばニセモノ、ホンマモンやと言えばホンマモン」でした。
アンクルトリスではないが、生みの親は同じで別モン。即ちこれも柳原良平氏よる作品ということで、まぁ、アンクルトリスの弟分ってところでしょうか。さすが兄弟だけに…似てますわ。東海汽船にいるキャラは、もっと兄さん似ですが。
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西田辺、あびこ筋の裏手を歩いておりますと遠目に何やらええ感じな一角が。近づいて見上げれば、緑色で“サントリービール”の文字。これは“純生”以前、熱処理ビールの頃のもんですね。純生の発売が1967年ということですからかなりの年代モン。よく残っていたなぁ…と同時に気になりますのが、やはりここに描かれている“アンクルトリス”。
私はこのキャラクターって、その名が示す様に「トリス専属のおっさん」と思っていましたけど、この様にビールの応援もしていたんですね。最近では健康食品“セサミン”のCMにも登場していることを思うと、今も昔もええ加減なおっさんなんでしょうかね。ま、この人が着ている服の節操のなさを思うと、ま、逆に一貫しているとも取れますがね。
(於:東住吉区) 「トリスコンク」というジュース原液も昔あった。何で“トリス”やったんか?
“アンクルトリス”と言えば生みの親、柳原良平氏のリトグラフ作品展が今日より、大丸心斎橋店の南館8階、美術画廊で開催。海と船をテーマにしたリトグラフを展開とのこと。アンクルトリスも頑張ってはりますけど、柳原氏もすごいですね。レトロな味わいを持ちつつも、ちゃんと今の時代に生きている…マンネリと取る見方もあるでしょうけれど、“続ける”ことのエネルギーを思うと、やっぱり凄いなと思いますね。14日(火)まで。
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味気ない都心の街並でも、この町の様に歴史あるところの路面には、ええ感じのモンが残っているもんですね。
左上のは郵政省と電気通信省とに分割される前の“逓信省”時代のものでしょうから、1949年以前から存在するということみたいです。フタ自体もええ感じですが、やはりまわりが石でできているところが味わいをより深めています。今日でこそ電話線も地中化が進んでいますが、やはり“電信柱”が今も主流のことを思うと、このあたりはかなり進んでいたということなんでしょうか。
右上のは、多分水道の止水栓が収まっているフタでしょう。ま、割と見かけますね。
それで3つ目のやつ、これが何なのかがもひとつわからなくて。右から『道修町 道親會』と記されています。これは…行政に頼らずこの町の有志が集まって何かを敷設したのでしょうかね。それが水道なのか何なのかは…開けてみないとわかりませんが。昔からいつ見ても開けられた形跡がありませんので、今ではもう“記念碑”的にそこに残されているのかもしれません。
あと、この町でよく見かけるのがこの12〜13cm角の小さなフタ。最初は「何かいな?」と思っていましたけど、これは薬の神さん『少彦名神社(神農さん)』の毎年11月22~23日に行われる神農祭の時のくす玉や献灯提灯を飾るための柱を立てる為の穴のフタみたいです。
さてこれらの鉄製のフタ、人が出入りするモンではないので“マンホール”とは言わん訳で「いったい何と言う名前なんか?」と調べますと、どうやらそのまま『鉄蓋』というみたいです。こういうモンにもちゃんと業界団体も存在していて、その名も“水道用鉄蓋工業会”。“ガス用”や“通信用”と、水道用のそれは…何が違うんでしょうかね。
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赤字で“防火用水”と記されていて「見るからに防火水槽や」と思い見つめたものの、中に黒いバケツっぽいもんが入っていて「え?ゴミ箱かぁ?」と思いつつ後ろに回って見ますれば、ご覧の通り、一面が崩壊してしもて、そこにポリ容器を置いて防火水槽にしてはりますわ。その容器にもちゃんと“防火用水”と記してあります。
壊れてしもて完全にその役目を果たせない状態になっても、ちとスタイルを変えて現役であり続けているこのけなげな姿、ちょっと淋しい様な微笑ましいやらで…この防火水槽所有者に拍手!です。
極めて近いところに“第34号”もありますが、方や植木鉢、方や現役…結局所有者の思いでその余生は変わるもんやなぁと思わせられる、そんな第54号との出会いでした。
(於:城東区) しかしながらこの第54号は幸せなの否なのか…ビミョーかもですな。
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歩いて楽しい駒川商店街を少し外れたところにこの会館はありました。一瞬「泡系のアヤシイとこの会館?」とか思いましたがそうではなく、大阪府公衆浴場業環境衛生同業組合の下部組織、東住吉浴場組合…漢字並びすぎで「なんのこっちゃ」ですが、要するに風呂屋さんの集まりでしょう。その数がどんどん減っていってますけど、この様な立派な事務所を構えることができるほど、風呂屋さんが儲かった時代があるということですね。
しかし何です、やっぱり風呂屋さんは“風呂屋”であって、“銭湯”ではないのやないかと思うんですけど。かしわ・にぬき・関東煮同様、最近この“風呂屋”というコトバをあんまり耳にしなくなった様に感じられて。皆さんのまわりでは…どないです?
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まず最初に“一流と二流三流を同列に語っているアホさ加減”をお許し頂きまして、以下お読み頂ければさいわいです。
一ヶ月ほど前でしたか、NHKのDeep Peopleという番組に篠山紀信・ホンマタカシ・梅佳代の三人が人物写真について語ってはりました(※番組のテーマ自体は『女性の美を撮る写真家』という内容)。たまたま見はじめたその番組でしたが、その中でホンマ氏の写真の、そして被写体となる人との距離感の考え方を知るや、「…そうなんや」。
要約すると氏の姿勢は「被写体となる人との(心理的)距離感が近くならないうちに撮り終える」というもの。純粋にそこにいるその人そのままを撮りたいというその考え方にまず「ほぅ」と。次に「撮られる方にしたら現場は嫌なものだろうからさっさと引き上げたい」と、3カットほどしかシャッターを押さないという事実に「…」。今まで自分が良しとしていた方向性と真逆のやり方に「何でや?」と一瞬思いましたが「ははぁ、そうなんか」と。「自分にとっての常識を疑え」を座右の銘にしていたことすら忘れていた自分に気づかされました。
相手と心理的距離感を縮めた上でリラックスした表情を引き出す…自分の今までのスタンスも間違いではないとしても、この考え方というのは、一見相手に親切でありそうで、じつは…じつに傲慢かつ自信なさそげな態度なのかもということを思い知らされた気がして。そして“現場をはやく終わらせる為に数カットしか撮らない”というのも、どっかで「それなりにフイルム回した上でええよりカットを選ぶことが相手にも親切」と思っていた我がの常識も…よくよく考えたらプロ意識に欠けることで、リスク承知でサッと撮り終えることこそがプロの仕事やということかと…参ったなぁ。
話変わりますが、昨年、少し話題になった歌舞伎俳優、某氏の肖像写真を撮らせてもらいました。世間を賑わしたあの話題の少し前のこと、某誌の依頼を受け撮影に挑んだ現場は…とてもピリピリ。事務所側の人々も取材する我々も緊張する中、「これこれ然々でこういう表情で…」と趣旨を伝え、いざ撮影。10カットほどシャッターを押したその時「もう、ひと通りやったんだけどなぁ」と、ひと言。その言葉以上に伝わってくるものを感じ、そこで撮影を終えました。この時のニュアンス、ちょっと思い出したくないくらいに心が揺れました。
事務所に戻り画像処理していても「…なんだかなぁ」と悶々とした気分のまま。そんな中でも思ったのは「それでも…やっぱり表情はさすがやな」と。印刷物が送られてきてその上がりを見てやっぱりその力強い視線に…あれこれ考えさせられましたが、やはりあの現場での氏態度に心よくない気分になったのを氏のせいにしていました。ところが…「そう言うことなんか!」と、ホンマ氏の考えのひとつを聞いてようやく気づいたのでした。
あの心よくないとも取れる感じ、あれは、相手にも“一流”を求めるというサインやったんですね、きっと。「俺は全身全霊かけていま現場で表情を演じている、お前もプロやったら一瞬で勝負せぇ」と。
…甘かったなぁ。今までもそこそこ多くの著名人も含めて様々な人々のポートレート撮影させてもらってきたけど、喋ってのせてのせてリラックスしてもろて数撮って…それがプロの現場か?…って、まぁそれもアリやけど、緊張した中で瞬間逃さずサッと現場を去る…これが一流のひとつのあり方ってことですかな。
歌舞伎俳優某氏の撮影体験とホンマ氏の発言に、自分の底の浅さを思い知らされました。気がつけば…何かと思考の、仕事のルーチン化が進んでいたなぁ。「これでええ」と思わんと、もう一度写真のこと考えなおしてみよ。写真全般について再検証してみる必要性を感じさせる部分がホンマ氏の考え方にはある様に思えるしな。6月1日、今日は“写真の日”。
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