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2010年9月25日 (土)

精華小学校の建築勉強会へ

 長屋パトロールに忙しくされている某先生に情報を教えてもらいまして、精華小校舎愛好会による“第1回 建築勉強会”というものに参加させてもらってきました。
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 難波にある元・精華小学校。正直申しまして「暗くて他者を寄せ付けん何かが漂っている異空間が一等地にあるなぁ」程度にしか認識していなかったのですが、今日、色々話を聞いて「へぇ、そうやったんか」と。この立派な歴史ある建物と空間に対してそんな風にしか思っていた自分の物知らずさ加減にちょっと呆れつつ、「何でこんな上質なモンが、隔離された状況にあるのやろか?」と思いました。
 1929年竣工のこの校舎、今日講義された西澤英和氏によると、“大大阪”と大阪に“大”が付いた時代の心意気がこもっているという…って、ホントはもっと広く深く語られたのですが…すいません。具体的には世界大恐慌の翌年という時に、小学校レベルではない大学レベルの校舎を住民の資金で賄ったという事実がその証やとおっしゃってました(当時は自治体が学校をつくるのではなく、地元有志で学校をつくり、それを自治体に運営してもらうというスタイルが多かったそうです)。その頃は“千年建築”というコトバがあり、こころざし高い建築家はずっと残りうる強度のコンクリ建造物を作っていたそうです。
 そんな建築物が、広島の爆心地にもいくつかあったそうで、それらのビルは、原爆という強烈な破壊兵器に負けず、壊れはしたものの、全壊することなく残ったそうです。あの原爆ですら壊れなかった強靭な建物…そんなビルを設計したのが、なんと、この精華小学校校舎の設計をした増田清氏だったと…すごい事実なのに一般人には知られてない現実。私も大阪人としてなさけないなぁと思いました。
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 そんなその筋の先生の説明を受けてから改めて校舎のあちこちを見渡せば「なるほどねー」な箇所がいっぱい。どういう意味でこういう意匠が施されているのかとか、その意匠、造りにがどんだけ深く考えに考え抜いてできたものなんかもちょっとだけ理解できて…「うん、やっぱり自分の感覚だけでモノを見るのは、ええ時もあるけど、それがすべてと思わんほうがええな」と思わされました。天井が高くて重厚でええ材料が使われていて…多感な子供がホンマもんに接して過ごすって、ええ意味で贅沢な時代があったんですね。
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 校舎から校庭を見下ろせば、ご覧の通り発掘調査が行われています。この会を仕切られている分田氏の話では、元学校のあるこの地は、市の財政難により数年後の売却が決まっているとのこと。それに向けての準備としてこういう様なことが行われているそうです。
 この地の売却を既に決めている市は、いろいろその売却に対して不都合なアンケート結果とかを公表せずにいるのではないかという話も聞きました。うーん、ナンダカナー。そんな話を耳にすると、一応競売とするということでも、もう既に売却先が決まってるのではないのかと勘ぐってしまいますね。
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 まぁ、こんな立派な歴史ある建物と空間を売ってしまってええのかと思わずにはおれません。それより、今日の今までここのことをさっぱり知らんかった私みたいな人にももっとここのことを知ってもらう必要があるのではないかと強く感じました。
 学校の門を出ると、そこは街の喧噪、人いっぱい。この門ひとつ隔てたこっちと向こうではまるで別世界。そういう私も40有余年ずっと向こうしか知らんかった訳で…愛すべき大阪のこと、もっと知らなあかんなぁと思わされる1日となりました。

(於:中央区)人気ブログランキングへ 今日聞いた話の1000分の1も記せてません。興味ある方は第2回勉強会へ、ぜひ。

※しばらくまた更新途絶えます。コメントの公開も遅れますが、ひとつ宜しくお願い致します。

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コメント

淀屋橋の愛日小学校が売り払われてしまいましたが、この精華小学校もその危機にあるんですか・・・!
地下の藤山寛美さんは何と仰るでしょうか・・・モシモシィ~♪
広島の被爆小学校のひとつ袋町小学校は訪問してます。
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-792.html

投稿: ファジー | 2010年9月25日 (土) 23時41分

 昔中ノ島にはこういう建物が並んでました。裁判所、市役所。ヨーロッパの建物は石造りですから、数百年スパンで使うことを想定してるんですね。日本は木造建築ですんで、60~70年で建て替えることを想定して建てているんだそうです。
 だから石造建築物でも日本人は60~70年経つと「古臭いから建て替え」という発想になるようです。もったいないですよね。これ、やっぱり残さんとあかん建物やと思います。

投稿: ぽんぽこやま | 2010年9月26日 (日) 01時39分

●ファジーさま
私もホンマ知りませんでして、知ってしまうと今度はもっとこの現状を色んな人々に知らせなアカン気がしてきまして。そうせんことには藤山寛美さんにも怒られますなぁ。
広島には行ったことがないに等しいので、今度行くことがあったら袋町小学校も見てこようと思います。

●ぽんぽこやまさま
昔の中之島…言われてみれば私、知りませんわ。今でも結構ええ感じやと思ってましたが、もっとええ感じやったと。
で、建築物の建て替えに関してですが、木造でも100年200年と持つと思うんですが、どうなんでしょう?。戦後のニッポンが建物を祖末に…というか、物資不足の中建てられた建築物が多くて、それらを解体する中でそれらより戦前の建物を「古いから、危険や」と潰している気もします。ま、素人の空想ですけども。

お二人ともコメントおおきにです。
レス遅くなってスンマセンでした。

投稿: 山本龍造 | 2010年9月30日 (木) 23時01分

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