昨日と今日は『地蔵盆』
昨日と今日は『地蔵盆』。私の住む地域にもお地蔵さんがおられ、テントや提灯を設営し、お供え物を供えこの日を迎えます。
都心の小さい町、マンション住人など新住民の人口が多くなっても、こういう町の行事は、昔からこの地に住む人々の手で守られています。私は新住民。最初は「参加しとかなヤバいんやろか…」と渋々顔を出していたのですが、これはこれで、マンション暮らしなどでは味わえんええもんがあるなぁと、気に入ってきました。同じ町に住む者同士、顔を合わせて…なんてなかなかありませんもんね。そして皆の昔話に耳を傾ける…ちょっと前までの“町の歴史話”なんか、ほんと色々訊いておきたいなという気分にさせられます。
23日の11時、近くのお寺よりお坊さんが来られ、お経を読まれました。長々と読んで頂いて最後は『唵 訶訶訶 尾婆摩曵 姿婆訶』の繰り返し。あ、これは「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」と読み“Aum ha ha ha vismaye svaahaa”とか。フレーズとしては「おんかーか、かーびーさんまえい、そわか」。ま、要するにこの『御眞言』を唱えると、お地蔵さんがここに来てくれはるとか、ま、これはネットで調べたのですけどね。
最後にお坊さんに訊いた話では「昔より最初はここからお詣りしてあちこちの地蔵さんに行くのですけど、以前に比べたら、その数が半分くらいになりましたわ」と。やっぱり減って行ってるのですね。以前お地蔵さんは誰のもの?の記事にも書いたのですが、やっぱりお地蔵さんって、どういう経緯でそこにあって、どんな事態に遭遇してなくなるのか気になるところですわ。
このお地蔵さんのすぐ近くにもお地蔵さんがあります。そのお地蔵さんはかつて、お寺の一角にあったのですが、何故か寺がなくなりマンションになり、近隣住民の要望でお地蔵さんだけ残ったものです。私は「残って良かったなぁ」と思っていましたが、あるご近所さんが「あんなん言うて残してもらいはっても、あと誰が面倒見ていくねんなぁ、年寄りばっかりやがな」と言うてはりました。確かにね、残ってもちゃんと維持できなかったら…ね。
お地蔵さんと同じ様に『お稲荷さん』も街で時々見かけますね。明日はその話を。
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コメント
なんかちょっとええ話と寂しい話と両方聞かせてもらいました。
個人的にお地蔵さんを寄進しはる人もいますしね。大事にせんとあかんと思いますが、面倒見る人がいないというのも寂しいもんです。
投稿: ぽんぽこやま | 2010年8月27日 (金) 03時03分
ぽんぽこやまさま
「若い衆は面倒見んやろ」とは思っているだけで、じつは、最近の若衆の方が、我々世代がないがしろにしてきたモンに対して大事に思っている様に見受けられるんですけど…どうですか?
あと、彼ら彼女らは「ヨコ社会」より「タテ社会」に飢えてるんかなぁと感じたり。コミュニティの大切さに気付いている者も、わりかしいてるなと実感します。
てなわけで、お地蔵さんは、やっぱり残った方がええですね。なくなってからでは…うん。
コメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2010年8月27日 (金) 21時36分
前に地元の祭りに参加した話を紹介したことがありますけど、確かにそうですね。自分達の世代より若い世代のほうがようやってるわと思うとこが多々あります。
ほんとに大事にして欲しいものはいっぱいありますね。
投稿: ぽんぽこやま | 2010年8月28日 (土) 16時29分