6月1日に思う。 2010
『写真』がすっかりデジタルに置き換わりました。観光地で見かける緑色のベンチは…どこか淋しげ。でも昔だとキチッとした技術と経験を持って大型カメラでしか撮れなかった様な高品質な写真が、今ではデジタル一眼で割とカンタンに撮れる訳で、ちょっと前までその道の職人か金持ちしか撮れなかったものが一般人にも撮れる様になったことは、とっても良いことだと思いますね。デジタル技術の進歩とパソコンの普及は、写真だけでなく音楽とか色々な分野でその敷居を低くしているわけで、そういうことすべて含めてええことやなぁと思います。
でも、どこかで「銀塩写真を見捨ててええんか?」な気分があって。
ちょっと前までは「銀塩やないとええ質感が出ん」みたいに言われていて「高品質な写真作品は銀塩」って感じでしたけど、今では私見ですがそんなこと全然なくて、デジタルの方が高品質な写真を仕上げることができるでしょう。垂直出しや色調の調整といったことにおいても、きっちりとできますしね。
そうしたら、いったい、2010年の今、銀塩で写真を撮り、仕上げる意味なり意義はどういうもんなんか?。それは…ひょっとしたら完成度ちょっと低めの写真なんかなぁと思ったり。
私自身は、白黒のファインプリントを好んで中判や大型のカメラを使って今まで作品づくりをしてきましたが、そっちの方向性では今やデジタルに勝るもんはできんのとちゃうかと思う気があります。覆い焼きや焼き込みなどの技術を駆使しても、デジタル画像処理の精度には及ばんと思うんです。
ま、もちろん「バライタ紙の上で展開される微粒子でできた画像の味わいは、デジの出力では、出ませんで」というのも事実やとは思いますが。
…てなこと考えてますと先に触れた「完成度ちょっと低め」が銀塩の魅力になるのかなぁと思って。詳しくは知りませんが(必ずしもジャストではない)ドラマーのリズムと(狂いなき)打ち込みのリズムの違いみたいなニュアンス…かな。
でもね、意図的に「完成度ちょっと低め」にしてもアカン訳で、「本気で撮って本気で現像焼付けした結果、デジよりちょっと出来悪くて、でもそれがええ感じ」な写真…。一生懸命時間(と、お金)かけても画質では負ける…虚しい努力の様にも思えてくるなぁ。
やっぱりどっかで割り切りが必要になってきますね、「銀塩で作品を作ること」って。
ま、そんなことより、一年前に記した様に「何を、どう撮るか」こそが先決問題。最初から「銀塩で作品作ろ」では本末転倒ですな。結局一年経っても成長してなんだってことか…
6月1日、今日は“写真の日”。
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コメント
さすがにこのあたり、プロの方だけあって、難しいことは分かりません。銀塩の面白さって、焼くまでできばえが分からないってことぐらいかな~、とか思ったり。
一番下の海岸の写真、いいですね。
投稿: ぽんぽこやま | 2010年6月 1日 (火) 18時56分
ぽんぽこやまさまこんにちは。
銀塩の面白さを
>>銀塩の面白さって、焼くまでできばえが分からないってことぐらいかな~、とか思ったり。
と表現してはるのは、ある意味あたりですよね〜
そのね、“陶芸”に通じるもんがあると思いますよ、銀塩写真のプロセスって。
で、よく思うんですけど、磁器、陶器の製作プロセスに革命的進化が起こって『焼成不要!』になったとしたら…どうなるやろと?
職業でやってはる陶芸職人は歓迎するでしょうが、趣味でやってはる人や、名人クラスの陶芸家は…その『焼成不要システム』を嫌うのやないかなぁ…って。
そんな技術がもし確立されたら、陶器磁器の価格もっと下がるでしょうね。
写真のデジタル化って…そういう側面をもってるんやなぁって、思いますわ、ほんま。
コメントいつもおおきに有り難うございます。
写真も褒めてもろて…うれしっ!
投稿: 山本龍造 | 2010年6月 2日 (水) 16時10分