「大阪書籍」、消滅していたのか…
先日東成区を自転車でうろついてますと、ちと大きめの印刷工場がありました。でもどうもやってない風情でシンとしています。Daisho Printingと書かれたその工場の表に回ってみますと…そこには『大阪書籍』の看板。「大阪書籍か、懐かしいなぁ」と小中学校時分の教科書にこの社名を見たことを思い出しました。社会の教科書とかだったのかなぁ、いろいろこの社にもお世話になった…はず。でもそこにどんなことが書かれていたかなんてまるで覚えてなくて。「どんなことが記されているか」より「どこが出してるのか」の方が興味あったんかなぁ。ま、そういう意味じゃいまとほとんど変わらん訳で、三つ子の魂百までってことですかね。
そんなこと思いながら玄関前に行くとそこに1枚の貼り紙が。先に触れた「シンとして…」の理由がわかりました。昨年1月で倒産していたのですね。知りませんでした。wikiによると当初、民事再生でやり直しを模索していたものの、結局破産へ至ったそうです。
なんかね、やっぱりさみしいもんです。で、教科書の中身自体は日本文教出版というところに譲渡されたとのことで、ひと安心。社名は消えても教科書に込められた先人の思いは残ったということですね。
基礎学力が低いなぁと常々思っている私。なんであないに勉強せんかったんかなと思うことしきり。凡人にはある程度の年齢にならんとその重要性がわからんということですかね。「今からでも遅くはない…」とは言いますが…ね。何とも言えん悶々とした気分で中学校の横を通ると“ふれあい運動”の看板。それなりになごみつつ帰路につきました。
(於:東成区) 本業以外でつまずいての倒産とは言え、きびしいね、出版界。
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コメント
そうなんです。倒産したと聞きました。
「大阪書籍」といえば社会の教科書、社会の勉強といえば「はたらくおじさん」とリンクしていく世代です。
「大阪書籍」という社名ゆえ、あまり全国区ではなかったのかなぁ。
投稿: ぽんぽこやま | 2010年3月23日 (火) 16時38分
大阪書籍、倒産していたんですか。
私も大阪書籍というと社会の教科書を思い出します。
思い出すのは内容よりも、表紙の手触りだったりします。
使うことはないのになんだかさびしい。
投稿: びんみん | 2010年3月24日 (水) 00時16分
●ぽんぽこやまさま
ご存知でしたか倒産の件。さすが文学に詳しいお方…ですね。
で、「はたらくおじさん」って教科書あったんですね。どうも記憶なくて。その手の内容だとごっつ好きな教科書やったと思いますね。
確か“東京書籍”の教科書もあって、子供心に大阪書籍を贔屓していた思いがあります。その気持ち、今も変わりません。
●びんみんさま
ぽんぽこやまさまも書かれている通り、やっぱり“大阪書籍と言えば社会”なんですね。私は「わたしたちの大阪」っていうサブ的教科書が大阪書籍のヤツやった様に記憶しているんですが…もうよくわかりません。
確かに手触りとか、4月に入ってもらったときの重みとかにおいとかは覚えてるもんですね。
会社が潰れると社員が路頭に迷うだけではなくて、文化や技術なども失われてしまうわけで…その辺を考えると、ホントにさみしいもんがあります。
お二人ともいつもコメント有り難うございます。
投稿: 山本龍造 | 2010年3月24日 (水) 14時56分
算数の教科書も大阪書籍だったような。
でも社会のイメージが強いのは仰るとおり「わたしたちの大阪」という副読本があったからかも知れません。
「はたらくおじさん」ってのはNHK教育で放送されてた社会の教育番組です。授業で見たので印象的です。タンちゃん(だったかな)って男の子と、ペロくんって犬が気球に乗って望遠鏡で町を眺め、面白そうな工場があったらそこに降りて、工場見学をするという番組でした。
それでリンクしちゃうんです。
確かに「東京書籍」は今も健在で、辞書なども出しています。「大阪書籍」がつぶれて「東京書籍」健在というのは、ちょっと悔しい気がします。
投稿: ぽんぽこやま | 2010年3月25日 (木) 00時46分
ぽんぽこやまさま
>>「大阪書籍」がつぶれて「東京書籍」健在というのは、ちょっと悔しい気がします。
こうなった理由が何であれ、何かふたつの都市の現状に思えたりしますね。
…コメントおおきにです。
投稿: 山本龍造 | 2010年3月25日 (木) 13時22分
こんばんわ。すごくひさしぶりに訪問しました(笑)
大阪書籍というと算数あるいは数学の教科書のイメージが強いです。それと、今は亡き中島らもさんが最初に出された単行本「頭の中がカユいんだ」はここの出版社から発行されてました。
教科書出版社と言えば啓林館もありましたね。こちらは理科の教科書のイメージが強いです。
投稿: からす | 2010年4月16日 (金) 02時04分
からすさま、お久しぶりでございます。
よくぞ覚えてくれてはりましたっ。
中島らもさんも大阪書籍も遠くになりにけり…ってことですかね。
そう言えばありましたわ啓林館、新興出版社啓林館とか言う名前で。ここも大阪の出版社なんですね。がんばってほしいものです。
コメントおおきにでした。またたまに寄ったってください。
投稿: 山本龍造 | 2010年4月16日 (金) 17時39分
こんばんわです
もちろん憶えてましたよ。ただ最近は色々と不調気味だったこともありまして・・・あまり訪問できなかったのです(^_^;
大阪書籍は教科書出版社のイメージが強かったので・・・らもさんの本を出版されていた事を知ったとき驚きましたよ。
あと、山本さんとぽんぽこやまさんのコメントにも出てきた東京書籍の他にも日本書籍と言うのもありました。こちらは国語の教科書のイメージが強いです。
そうです。新興出版社啓林館ですね。確か天王寺区にあったと思います。中学~高校とヤンタンリスナーやった頃にCM枠で参考書ポーカーズ、問題集ジャイロのCMを流してたのを記憶してます。それと数研のチャート式、馬のマークの受験研究社もよく同CM枠で流れてましたね。
投稿: からす | 2010年4月16日 (金) 21時01分
からすさま
もひとつ今もすぐれん日々をお過ごしなのですね…。一日も早く全快されます様願っております。
で、そうそう、受験研究社ってよくその時間帯のラジオで宣伝してましたね。懐かしい。ここも大阪の会社とは知りませんでした。
まだまだ知らんことだらけ。今後とも色々教えたってください。
コメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2010年4月18日 (日) 10時02分
山本さんこんばんわです。
お気遣いありがとうございますm(_ _)m
不調といってもそんなに大した事ではありませんのでご心配なく(笑)
受験研究社は西区ですね。正式な社名は確か増進堂という名前やったかなぁ。あのCMはヤンタンリスナーやったらたぶん誰もが知ってはるんやないのかなと思いますよ。
投稿: からす | 2010年4月27日 (火) 00時01分
からすさま
ま、大事にしてくださいよ、いずれにせよ。
で、私、あんまりヤンタン知らんのですが「受験研究社のCM」は知ってますね。ヤンリクでも流れていたんかもです…って、からすさんは「“ヤンリク”?知らんなぁ」な世代かもですね。
いつもコメントおおきにです。
投稿: 山本龍造 | 2010年4月27日 (火) 00時08分
山本さん、こんばんは。
深江橋のあたりを歩いていて、たまたま大阪書籍の前を通りました。
草が生い茂っているのを見ると、なんだか悲しい思いがしました。
旧大阪書籍はともかく、深江のあたり、渋い建物がたくさんあって面白いですね。防火水槽のNo.19なども見かけて、このあたり山本さんのエリアなんやなあと思いながら歩き回りました。
投稿: びんみん | 2010年6月13日 (日) 00時29分
びんみんさま、毎度でございます。
そうですね、草の生えた工場って、たまらんさみしさがありますよね。それがあの、みんなお世話になった“大阪書籍”ですと…なおのことです。
で、なんですか? 大阪書籍以外にも防火水槽“第19号”にも会われたと…それはかなり深江あたりを探索しはったんですね。どっかですれちがっていたかもです。御ブログでの深江探索の回、楽しみにしておきます。
中河内〜東成、生野〜中央区あたりが“私のエリア”というか、しっくりくるところです。最近は“城東”もええ感じやなぁと思ってますが。ほか、阿倍野や住吉など南方面も馴染みあるエリアですかね。何故か北と西はなかなか縁がなくて…です。
コメントおおきに有り難うございました。
投稿: 山本龍造 | 2010年6月14日 (月) 00時05分