“わたしもマイバック!”なぁ
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きれいなタイル仕事やなぁと思いつつ「別にそれだけで載せるんもなぁ」とほったらかしにしてたんですが、先のタイルでできた洗面器 見つけてからやっぱり気になってきて。コメント付けてくれはったぷにょさんの『まちかど逍遥』にある“タイル・きのう・きょう・あした 展”見せてもらってちょっとタイルへの想いがにわかに盛り上がってきて…てなわけです(ぷにょさんおおきにです)。
このタイル仕事、昨年の秋に行った佐賀県有田町の街角で見つけたもの。どこかテストパターンかカラーチャートかみたいな感じ。でもその色合いが淡くてきれいなぁ。かわいいなぁ。何か懐かしいなぁ。ええ感じ。有田ではいわゆる磁器以外にも、やはりタイルも作られているみたいですので、こういう床も有田ならではなのかもしれません。ま、昔は全国あちこちで見られたものなのでしょうけども。
で、こういうタイルの配色は、職人さんのセンスに任されているのでしょうか? それとも工場出荷時に、もう、この様にセットされていて、それを現場で貼り付けるのでしょうか。前者であってほしいものの、後者の様な気もします。ま、いずれにせよこういう床が似合う場所が少なくなってさみしい限り。私も住空間のどこかをこんな風にしたいなと思っても、そんな空間…ないですしね。滅多に見かけんから「ええ感じ」と思うのもあるのかも。しかしながら、やっぱりきれいなぁ。見飽きんなぁ。
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先日堺で歩いた紀州街道。その道がY字路になっているところで、久々に…というか、ついに2カ所目でこの『衝破除』を見つけました。
『衝破除』…これをはじめて見たのは、竹内街道に面した羽曳野の造り酒屋さんでのこと。ここの酒蔵のまわりにはこの“衝破除”と記された石碑がやたらとたくさん設置されており、その置かれている場所は、たいてい敷地がL字形になったところで、何かその「置く必要のある場所というのがあるんやな」と思って見ておりました。 ←こんな感じのがたくさんあって、「ま、何かの魔除けやろな」とは思いつつ明確な答えを知らないままかなりの月日が経ってたのですが、10年ほど前、この石碑の話をある方から伺うことができました。それは、
「昔からT路路には行き交う人々の怨念が溜まると言われていて、それを除くものとして“衝破除”と記された石碑を置いた」
という説明。L字形のところにまで置いてあるのは、「きっと徹底的に衝破の溜まる可能性のあるところに置いてあるのではないか」ということでした。では、その「“衝破”とは何か?」ですが、それは、どうやら“怨念”のことを指すという様な説明をされてました。
「そういうことやったんか」と思ったものの、その造り酒屋さん以外では見たこともなくて「あの銘醸家だけの信仰(?)みたいなもんなんかなぁ?」と、その後もちょっとモヤモヤしていたのですが、今回、T字路ではないものの、Y字路でこの“衝破除”の石碑を見つけることができまして、「やっぱり南大阪一帯でそうする風習があったんや」と理解しました。
とは言うもののネットで“衝破除”を検索してもあんまり出てきません。あの、沖縄でよく目にするメジャーな『石敢當』と同じ様なものと思うのですが、なんで『衝破除』は、こないマイナーな存在なんでしょうね。「よし!、ちょっとずつお金貯めて『衝破除』作って置こ!」…って、どこに置くねんな…
(於:堺市堺区 白黒写真:羽曳野市 1998年) 他でも見つけたら、教えてね。
※関連記事:
『“衝破徐”の向かいにやっぱり“衝破除”』 2014年12月 記
『“衝破除”…違う、“衝破徐”や。』 2014年8月 記
『 久々に『衝破除』発見。藤井寺の酒屋さん横で』 2012年6月 記
『『衝破除』の石碑、見〜つけた。』 2010年3月 記
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毎日見てても飽きないやろなー。何となく♪音符っぽいリズムというかメロディが感じられて楽しさがあるわ♪。
シュロとユッカと間違えてから何かやたらこのツンツン系植物が気になって。栽培の仕方にもよるんかもしれませんけどツンツン、何か“マヌケ”なところがええですね。その上なぜか懐かしい感じもあって。そのニュアンスは“洋食”に通じる…かも。「ソースかけたら洋食」的に、「ツンツン植えたらガーデン」というか。ま、勝手な解釈ですが。あ、話それてますな。
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大阪再発見モンの写真募集してまっせ! の回でお知らせしていた(財)日本建築協会主催『続大阪「かくれたええとこ」再発見コンクール』。私も応募していたんですが、先日通知があり、やったぁ!の入選。てなわけで本日OMMビル内会議室で行われた授賞式に行ってきました。
「通知書面と印鑑を持参のこと」ということで天満橋の100均で“山本”の認め印を探しましたがまさかの売り切れ。「これでええかなぁ…」と小さい訂正印を見つけてギリギリに会場に入ると、ネット上で見たことのあるあのお方が。「つきのたぬきさんですか?」の問いに「あっ、アホげさん?」って…。ええ響きっ!“アホげさん”。
第二回目となる今回、202点の応募があったものの、最優秀賞、該当者なしということで9名の入選でした。
受賞された皆さん、日頃、建築設計などに従事しておられるのかなといった感じの方が多かった様に見受けられました。てなわけで、私の存在、ちょっと違和感あったかも。
私はこのブログでも掲載した写真を含め5点応募したのですが、応募直前にようやくこのコンクールの趣旨を理解した次第。「かくれたええとこの“ええ写真”を募集してるんやなくて、“ええ場所を推薦してください”ってことやねんな」と。
公募の本質を理解するのが遅かったなぁ。準備不足だったぁ。「ジャパン大阪馬場町角や」とか“水都大阪”やこれが。とか、Y字路の様な十字路ではアカンですね。最低でも3枚の写真を使ってその場の良さを伝えんと。うん。
で、入賞したのは「上町台地、宝泉寺と六軒長屋間の路地」というタイトルで応募したものでした。
山本龍造、名前にあやかり龍造寺町 にある路地を紹介。このコンクールのことを教えてくださった長屋パトロールに日々精を出しておられる某氏も気になっておられるところです。“十三のいま昔を歩こう”の新之介氏も“龍造寺町と安堂寺町”の回で撮っておられましたね。映画『夫婦善哉』のいちシーンに出てくる映像とほとんど変わらない風情が残っていて「ここはいつのどこやねん?」な感じで素直にええなぁなところ。てなわけで“アホげ的ではない応募作品”が入選したってこととも言えます。
そうそう、リアルではじめてお話しさせて頂いたつきのたぬきさんは「半開きの水門」のタイトルで、埋め立てられた西横堀川に何故か残る水門を紹介しての入選。さすがちょっとひねりある内容って感じでした。その他の皆さんもなかなか「へぇ〜」な場所を探し出してはりましたよ。
今回の入賞作品は天六にある『大阪市立住まい情報センター4階住情プラザ』大阪市北区天満橋6-4-20(地下鉄天神橋6丁目駅上)で展示されるとのことでした。縁があったらまた見てみてくださいね。
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先日東成区を自転車でうろついてますと、ちと大きめの印刷工場がありました。でもどうもやってない風情でシンとしています。Daisho Printingと書かれたその工場の表に回ってみますと…そこには『大阪書籍』の看板。「大阪書籍か、懐かしいなぁ」と小中学校時分の教科書にこの社名を見たことを思い出しました。社会の教科書とかだったのかなぁ、いろいろこの社にもお世話になった…はず。でもそこにどんなことが書かれていたかなんてまるで覚えてなくて。「どんなことが記されているか」より「どこが出してるのか」の方が興味あったんかなぁ。ま、そういう意味じゃいまとほとんど変わらん訳で、三つ子の魂百までってことですかね。
そんなこと思いながら玄関前に行くとそこに1枚の貼り紙が。先に触れた「シンとして…」の理由がわかりました。昨年1月で倒産していたのですね。知りませんでした。wikiによると当初、民事再生でやり直しを模索していたものの、結局破産へ至ったそうです。
なんかね、やっぱりさみしいもんです。で、教科書の中身自体は日本文教出版というところに譲渡されたとのことで、ひと安心。社名は消えても教科書に込められた先人の思いは残ったということですね。
基礎学力が低いなぁと常々思っている私。なんであないに勉強せんかったんかなと思うことしきり。凡人にはある程度の年齢にならんとその重要性がわからんということですかね。「今からでも遅くはない…」とは言いますが…ね。何とも言えん悶々とした気分で中学校の横を通ると“ふれあい運動”の看板。それなりになごみつつ帰路につきました。
(於:東成区) 本業以外でつまずいての倒産とは言え、きびしいね、出版界。
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文化住宅の階段下にエアコンの室外機。その下に、ぴったりと、まるで誂えたみたいにタイル製の洗面器が収まっていました。防火水槽、コンクリごみ箱と同じ様な風情を感じます。
懐かしいと言えば懐かしい。でも使った記憶はほとんどなくて…きっと普通にどこにでもあったモンやと思うんですが、あっという間に陶器や琺瑯、ステンレスに置き換わっていったんでしょうか。
しかし何です、この手の洗面器、漠然と「左官屋さんが現場で作るモン」と思っていましたがこういう形で残っているということは、洗面器自体が“製品”ってことなんですね。エアコン室外機と共に“三尺(=約90cm)”の規格サイズ、てなわけでぴったり収まっていると。ま、たまたまかもしれませんけれどもありえるかもなと思いますがどうでしょうかね?
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ネタ尽きて(?)ちと古い写真を整理してたらこんなのがあった。「こうやってパッケージ上にして食したら具イランな」てなこと思って撮った…かなぁ。シケた発想やことで。
イトメンのチャンポンめん…小学生の頃、よくテレビのCMで目にしたけど、全然食べたことなくて。播州の方の定番即席麺みたいです。そのお味は…なかなかオリジナルな味わいであることは確か。パッケージに“あっさりした味覚”と記されていますが、ま、そうとも言えますか。海老、しいたけベースの塩味…この味に慣れ親しんだ人々には懐かしくておいしいんでしょうね。あと、“無塩製麺”とも記してあって、麺の食感もこれまたオリジナル。やっぱり中小メーカーで生き抜くには、これくらいの個性が必要ってことなのかもしれません。 で、その袋に妙なイラストを発見。調べるとこれ“とびっこ”なるトンボとか。食品のイメージキャラに“虫”っていうのが、これまた珍しいですね。元々はこの虫「ヤンマー」という名だったとか。後にヤンマーディーゼルに怒られて名前を変えたそうです。この件について詳しいことを書かれているサイトがありましたので、興味ある方はここを読んでみて下さい。
イトメンと同様、CMだけはよく見たものの、食した記憶がないのが徳島製粉の“金ちゃんラーメン”。これもいっぺん食さねば。
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賃貸マンション前の歩道でこんなん見つけました。歩道との調和を考えたのか焦げ茶色に塗られた木箱に堂々『防火用水』の文字。横手には設置元でしょう“○○マンション”の表記も見られます。「木製で水…漏らんかぁ」と思い中を覗くと、四角いバケツの様な軟質プラスチック製であろう容器に水が貯えられていました。イザ!と言うときは、上部のフタを開けて使うみたいです。そう記していていま気付いたのですが、街路樹のネキに大きめの柄杓が置いてありますので、これですくって火を消すという算段なんでしょうね。
当初、この物件は“防火水槽 番外編”とするつもりでしたが、書いているうちに「水も貯めてあるし…これこそ防火水槽や」という思いが強くなってきましたので防火水槽第27号に認定することにします。荒川防火水槽研究会さんには、「別モンですね」って言われそうですが…
(於:都島区) マンションに防火用水…なかなか粋な大家さんやこと
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ちょっと探し物をしていたら…あったあったアサヒの王冠いろいろ。懐かしいなぁ。旭マークのもいい感じなんですが、「コクがあるのにキレがある」のC.I後のも、色合いが上品できれいな感じで好きですね。ただ、スーパードライの王冠はねぇ…ちょっとキライですねん。と言うのは、デザインがとかではなく、王冠の色が“黒”というのが不便なんですょ。いわゆる“冷暗所”に保管していると、この王冠が目立たなくて入ってるヤツと空瓶の違いが判らんという…その点キリンの赤い王冠は判りやすい。何とかしてぇなアサヒさん…てな不満感じつつも私の定番はアサヒのスーパードライ。なぜ?って、そらぁ…大阪人ですからね。
私が学生だった頃ですから四半世紀ほど前、アサヒのシェアはどんどん低下していてもう「サントリーに抜かれ4位になるのは時間の問題」って言われていました。で、「これは…飲まな」とせっせとアサヒを飲んだもんです「アサヒはうまいわ」とか小言いいながら…ね。ある時、連れの下宿にビール持って行こと思って大家さん経営の酒屋へ行ったら…アサヒがない。で「アサヒないのん?」て訊いたら「アサヒっ?なんでそんなマズいビール置かなあかんねん」って。これ富田林での話。ガラっぱちやねぇ、南河内は。そのお店はサッポロ贔屓でした。発祥の地大阪の酒屋ですらこの有様…さみしかったですね。
ま、それからしばらくしてC.Iと同時に味変えて持ち直し、続くスーパードライが大ヒット。以降は皆さんご承知の通り。もう私が飲まなくてもアサヒは大丈夫…って、私が飲んだから復活した訳ではありませんけども、ま、そんな気分にもちょっとはなるもんです。
ご覧の皆さんの中にはキリン好き、サッポロ好きの方もたくさんおられることかと思いますのでここにそれらの懐かしい王冠も載せておきましょう。サントリーは…プレミアムモルツがごっつ美味しいですが、最近“サントリー酒類”と名を変え、大阪から東京に移ってしまいよったのでちょっと裏向きにしといたろ…ってウソ。持ち合わせがなかっただけです。まぁ、昔の王冠の裏はコルクやったなぁと想い起こして頂ければさいわいです。ジュースもサイダーもみなコルクでしたが、ビールだけは割と遅くまでコルクを採用してましたが、あれは開栓時の「ポン!」って音にこだわってたからかもですね。(栓抜きで)王冠を3回ほど叩いてからポン…あぁ、ええなぁ瓶ビールの世界。「バイクKawasaki、車はランクル、カメラはNikon、フイルムKodak、パソコンはMac」な連れが同業者にいてね。丸ちゃんって言うヤツですが、丸ちゃんもちろん「ビールはキリン」しかも瓶。その彼が言うに「瓶でもな、あの水冷式の水槽みたいなんで冷たくしたヤツ、あれがいちばんウマいわ」と。わかるなぁ、何となくね。(丸ちゃんの好み、Macだけ路線違いかも…)
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昨日見つけた美容室の屋号見て「そやそや、今日から大阪と東京のラジオ、インターネット配信される様になったんや」って思い出して、聞いてみょ思ってRADIKO にアクセスしてもなかなか繋がりません。でも何とか繋がって聞いてみたら…クリアでええですね。タイムラグあって時報とか「?」なタイミングでポーンって…ま、それも良しですか。
AMラジオ好きの私、大阪市内ではかなり電波状態悪くてどうしたもんだかと思っていましたけど、これでひとつ悩み解消…って、ま、ホンマはAMの良さは、そのノイズを含めての良さなんですけどなぁ。ま、それは贅沢な悩みかな。
ネット配信に至った理由のひとつにラジオ局の経営が厳しいことがあるとか。そう言えばここ一年ほどで出演料高そうなパーソナリティが降板したり、東京の番組をネットしたりですもんね。この春からは気に入って聞いていた朝日の“元気イチバン!!”もなくなるし…さみしいなぁ。
FMの世界ではKISS-FMの粉飾決算疑惑が浮上したり、FM-COCOLOが4月から番組の85%をFM802(の関連会社)に制作委託するということになったみたいで…FMの中でも比較的気に入っていた2社だけに、これまた何とも残念。
ネット配信でラジオ聴取者増えて、CMも増えて、またラジオが活気づくことを願わずにはおれません。皆さんもラジオ、もっと聴いてね。
(写真-於:東大阪市 ) ↑何となく 気恥ずかしいわ この屋号
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京都から京阪の快速急行乗って外の景色見てたら夕焼けごっつドラマチックになってきて写真撮り始めたらそこに対向電車きてでもシャッター押したらちゃんと写ってて新型の青い車輌の色も相まって何かえぇ感じ。デジタルカメラ、おもろいわぁ。
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「せっかくの“ビフテキソース”やし、やっぱりテキにかけんとな」と思いつつビフテキ食すタイミングないしで、結局今回も定番“焼うどん”にして食してみました、スンマセン。
ビフテキソース…ツバメにしかない(であろう)このソース、いったいどんなもんかいなと思いましたら、基本的にウスターソースに属するもんみたいです。レッテルには「御使用ノ際ハ良ク振ッテ下サイ」の気を引く一文。カタカタまじりのその表現…洋食がハイカラだった頃の風情を感じますね(?)。てなこと思いながら振るには振りましたが、沈殿物が多いわけでもありません。ちょっと普通のウスターソースに比べると、粘度が高い様な印象なので、沈殿物云々というより、上と下の濃度を均一にして食してほしいということでしょう。
で、まずはそのまま味見を。ツバメのウスター、ゴールドソースを比較対象としましたが、それに比べると甘口といった感じがします。“甘口”と言っても砂糖的甘さというより、もう少し深みある果実的甘さの様に思われます。原材料名の記載順から推測するに、ゴールド--に比べ、野菜より果物を多く使ってる様です。まさしくそのへんの違いを感じました。
で、焼うどんとの相性は…これはなかなかいけますね。やっぱりこの手の味はちょっと甘い方がおいしいですし、適度な粘度が麺や具と絡んでいいですし、ね。
一度はビフテキにかけて食べてみなければ…と思いますが、そういう食べ方しなくなりましたねぇ。“洋食”には何でもソースをかけていたあの時代、ごはんを皿に盛ってソースかけるだけで“洋食”だったなぁ。その頃って、テキにはソース以外にマヨネーズもつけてたもんなぁ。うちのひとには「信じられへん…」って言われますが。私も今じゃ「信じられへん」です、うん。
名称:ウスターソース 原材料名:醸造酢、砂糖、 食塩、野菜・果実(リンゴ、トマト、たまねぎ、その他)、香辛料、調味料(アミノ酸等)、カラメル色素、甘味料(甘草)、コーンスターチ、酒精 製造者:ツバメ食品株 式会社 京都市南区東九条西明田町… ※JAS特級
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ヨコハマタイヤの顔発見…ではなかったの回でちょっとこの顔のブリキ看板を取り上げたことありましたが、プラ看板のを見つけたので載せておきます。
この顔、キライではないんですが妙にリアルでバタ臭いというか…幼少の頃の私にとってやけに存在感のあるヤツでしたね。そんな思いをしてた子供はいっぱいいたみたいで、ネット上で同じような思い出を書いてはる人が割といます。
このヨコハマタイヤの顔同様、よく見るまでもなく、何となく恐かったもうひとつの顔は…やはりコーリン鉛筆のあの△顔です。小さく鉛筆に描いてあるからかわいいけれど、よーく見たら「何かジジイっぽぃ小人…」って感じで。あかん、コーリンにばっかりに気がとられてきた。このネタは、別の機会にしょ。
(於:東大阪市) 花王のマークもコーリン的恐さがある。
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“辛口”と“中辛”で写真が違う!の回、そして甘口・辛口・中辛、写真違うて当たり前…カレールーの話の回で、カレールーのパッケージに使われている写真は、辛さによってちゃんと変えてあるという発見を伝えました。で、今回のハウスジャワカレーも同じ法則でちゃんと写真が変えてあります。やっぱりです。ついでに言うと、皿の縁の色も味のイメージカラーに変えてあります。なかなか細かい仕事してますね。で、今回発見したのは、まぁ、小ネタ的ですが、ふたつ。
スパイスのイメージ写真も、ちゃんと変えてあります。一瞬感動しましたが…まぁ、甘口と中辛、考えてみたら当たり前な話とも言えますね。香辛料の構成比率を違えることで辛さを変えているのでしょうから、同じ写真の方がおかしいでですね。ま、やっぱりたいした発見ではなかったということです。
てなこと思いつつ箱のあちこち見ていましたら、賞味期限のうしろに記してある製造所固有記号が違うのを発見。甘口は“TS”、中辛は“FK”…同じブランドのモンでも辛さで工場が違うとはちょっとびっくり。推測ですがTSは栃木県佐野市の略で関東工場のことを、FKは福岡県古賀市の略で福岡工場のことを指すと思われます。関東--は各製品の甘口専門工場、福岡--は中辛専門という分け方をしているのかも…ま、ないでしょうけど。
製造工場が違っても同じ日に買ったら賞味期限が同じというのもちょっとびっくりしました。さすが大手企業、製品管理にもぬかりないなって感じです。ま、個人的にはハウス発祥の地、東大阪ではもうカレー製品をつくっていないというのがさみしい限り。市街地になった東大阪でカレー粉のニオイを漂わすわけにはいかん様になったんでしょうかね。ま、仕方ないんかなぁ。
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クルマの交通量多い中央大通と今里筋が交差する緑橋。そんな騒々しい表通りからほんの少し中に入った街角に第26号は佇んでいました。
東成区で8つ目になるこの物件。典型的な余生の過ごし方とでも言いましょうか、自ら植物を受け入れ、花や緑にも囲まれています。何とも「よっ、ご隠居」って声をかけたくなる感じがするのは、やはり木造の風情ある民家の前にあるからでしょうか。鉄パイプでガードされるほど愛されている木々、そして防火水槽。この場を静かに和ませていました。
◆おまけ◆ 第26号を見つける前にじつはこれに遭遇していました。「また見〜つけた」と思いましたが、ちょっと小振り。よく見ると四方の一辺が低くつくられています。どうもこれは洗面台というか雑巾やモップを洗う流し台みたいなもんやと思いましたので、防火水槽に認定しませんでした。ま、風情は似ていますが別モンということで。でもかわいいので載せておきます。愛でてやってください。
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三軒続いてお店があって、その屋号が左より『ニュー艶』『ぽんち』『ロケット種子島』。
やっぱり一番気になるのは『ロケット種子島』でしょう。もひとつ何屋さんかもわからんですしね。ここは東大阪市。ひょっとしたらあの“まいど1号”に関わった中小企業のおっさんらのアジトやったのではないか!…とか何とか。
しかし何です、こんなオリジナルな屋号の店がよく三つも集まったもんですね。三つの屋号の関連性までちょっと考えてしまったり…あ、もちろん“歌声喫茶”という業種もイケてます。私にはちょっと凄い取り合わせかと思いましたが、東大阪では普通のセンスなのかもしれませんね。
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南宗寺でのお茶会、行きも帰りも…阪堺電気軌道のチンチン電車に乗りました。
阪堺の上町線は幼少の頃、母方の実家に行くのによく乗った路線でとてもなじみがあります。当時は車掌さんも乗っていて、沿線の駅名が印刷された薄い紙がきっぷで、乗った駅と降りた駅、そして小人のところに穴をあけてもらうスタイルでした。
ワンマンになり、塗装も広告入りなど随分変わりましたけど、車輌はその頃のままのもまだまだたくさん走っていて嬉しい限り。それでも当時「これ新しいやつやわ…」とつまらん気分で乗っていた車輌が今では古い部類に属しています。それらの製造年を見ると昭和32年とか38年とか。もう半世紀も前に作られた電車なんかと思うと…自分も歳をとったもんやわと改めて思うわけです。
そんな阪堺電車ですが、今、ご存知の様に一部の路線が存続の危機にさらされています。阪堺電気軌道が大和川以南の堺市域での運行を「やめよっかな〜」と考えているという…
一時期は堺市の東西を結ぶLRT路線を新設し、それと一体運営をするとされていたものの、市長が変わってそうはいかなくなってしまい、このままでは堺市域での運行はムリということらしいです。
「廃止反対」と言うのはカンタンなことですが、民営会社が手掛ける以上、ある程度収益が上がらんとどうにも存続は無理な話でしょう。もう、こうなったらみんなで乗るしかない。ある種のトラスト運動と思ってみんなで時々生活に支障のない程度に乗りましょうや。ま、その程度で経営状況良くなるんか否かは知りませんが、なくなってしもてから「あぁあ〜」では遅いですしね。
味わいある喫茶店や居酒屋へ足を運ぶのも同じことですよね。そのノリで日帰りの小旅は阪堺電車で大和川超え。何回行っても乗っても楽しいオモロいでっせ。
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南宗寺での茶会のあとは、浜寺公園まで再び探索を始めました。ちょっと歩くと紀州街道と記された道標があったのでそこを歩きますと…
またまたあるある、そこかしこにあるわあるわのコンクリごみ箱。南宗寺北側にあったそれらよりちょっと大切にされていない感じがして心傷まないでもありませんが、まぁ、なかなかええ感じです。中列中央のヤツなんか、みすぼらしいものの、ヒモを巻いてもらって崩壊を留めていて、それなりに現役な風情を漂わせています。下列右のも、中にゴミが入っていて現役ですが…こっちはちょっとさみしい有り様ですね。あと、こうやって並べてみますと、案外水平に設置されていない物件も多いです。所有者の気質がこういうところにも現れているということでしょうか。
しかしながらナンボでもあるやんと半ば撮るのが面倒くさい気分になってきたその時、またまた幸せモンのコンクリごみ箱に出会いました。
ちょっとこの物件、堺で見てきたそれより大振りで存在感があるヤツで、まわりの花や緑に溶け込んでいるというより、それら植物を子分の様に従わせているといった風情。堂々としていてこれもええ感じやなぁと思いました。
てなわけで昨日の“コンクリごみ箱いっぱい残る町。”と同じ様な内容になりました。政令指定都市となった広〜い堺市ですから、一概には言えないでしょうが、堺にはこの様にコンクリごみ箱がたくさん残っているみたいです。マニアの皆さんにおすすめの…って、“コンクリごみ箱マニア”っているんかな? きっといてはると思いますが。
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