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2010年2月11日 (木)

ひそかに気に入っていた燃料小屋

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 40余年、ずっとひそかに気に入っていた燃料やさんの小屋。大昔はここでミゼットも見かけたりしたけれど、だんだんただの“開かずの小屋”になって。でも、当たり前の様にここにあって…旧村らしいええ風情を漂わせてたんやけどなぁ。
 数年前に取り壊され、今は味気ないキレイな住宅になってしもた。残念なことには違いないけれど、使わないのに長い間よく残してくれてはったと持ち主に感謝せんなあかんかもと逆に思ったり。とりあえず撮っといてよかった。

(於:八尾市 2002年人気ブログランキングへ うっかり今日アップしたけど、何とも陽射しが夏っぽいね…

追記:品川燃料(現・シナネン)のサイト内“沿革”に昭和35年に制作された「くらしと練炭」という映像があります。豆炭練炭の製造過程から当時の暮らしの様子まで半世紀前のものと思えない高画質なカラー作品(約11分)。興味ある方、ぜひ見てみてください。

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コメント

じいちゃん、ばあちゃんの家の前にあった「燃料屋さん」とそっくりです。
建物の大きさとか雰囲気も全く同じ感じです。
子供の頃、ばあちゃんが練炭に火をつけるのをそばで良く見てました。冬に泊まりに行くと必ず豆炭あんかを足元に入れてくれました。
でもあれ、布団が軽く焦げたりしてた覚えもありますが?確かに物凄く温かったですよね。

投稿: ナムダー | 2010年2月11日 (木) 21時22分

あー、懐かしい。
おくどはんでご飯を炊き、五右衛門風呂に入っていたので分かりますが、風呂を沸かす釜のところに豆炭を入れておいて火をおこしておくわけです。
で、それを入れたのを、布団に入れて、布団を暖めるということをしていたわけです。
こういう経験をしている40代もなかなかいませんよね。

投稿: ぽんぽこやま | 2010年2月12日 (金) 08時52分

●ナムダーさま
そ、ここナムダーさんのじいさんばあさん宅の前ですよ…なわけありませんけど、そう思って見て頂くのもええかなぁと。
私、豆炭・練炭って使ったことないんです。その手の燃料と言えば、中学1年の時に買ってもらった『楠灰』というカイロ、あれだけですね。ベンジン系のより“カーッ”って熱かった気がしますが、定かな記憶はありません。ただただ古めかしいモンを使ってみたかっただけです。
ちょっとだけ話ズレますが、小学1〜2年の冬は、石炭ストーブで暖をとってましたね学校では。石炭をバケツで階段下の小屋に取りに行って焼べて…楽しかったぁ。

●ぽんぽこやまさま
やっぱりぽんぽこやまさんは生きた化石ですわ…とか何とか。
薪と豆炭、練炭、炭、石炭…いろいろ使い分けとかしてはったんですか?
余談ですが、私、“練炭”って響き的に通じるものがあってそう思わせていたのか「レンコンみたいな形状やからレンタンって言うねんわ」と幼少の頃思っていましたね。それと、その形状と響きの良さから「マメタン」って何か好きでしたわ。

お二人ともコメントいつもおおきに有り難うございます。

投稿: 山本龍造 | 2010年2月12日 (金) 17時46分

ナムダーさんのコメント、ちゃんと読んでませんでした。
そうそう、「豆炭あんか」です。
ぽこっと豆炭が入る穴があったような・・・。

石炭は自宅じゃ使ってませんよ(声を大に)。
学校は石炭ストーブでしたね。当番に当たったら、バケツで運んで、低学年には重たかったです。

投稿: ぽんぽこやま | 2010年2月12日 (金) 21時50分

じいちゃん、ばあちゃんの家はすぐ近くでしたが、実は私の家には昭和40年代の当時、電子レンジやクーラーやステレオがあったんです。なので当時、子供ながら「豆炭」や「練炭」を「昔のもの」って認識してたと思うんです。
あと、小学校の一年生の時は木造校舎で石炭ストーブもあったと思いますが、多分3学期には鉄筋校舎で大きな「ガスストーブ」になっていたと思います。
ちょうど校舎の新築時に入学したからです。

投稿: ナムダー | 2010年2月12日 (金) 23時50分

●化石のぽんぽこやまさま…?
豆炭・練炭と言えば「十全商会」ですが…覚えてはりますかね?
土曜昼さがりの松竹やったか吉本やったかの新喜劇のスポンサーでしたよね。“アンカにコタツ、みーんな十全♪”ってCM…
関係ありませんが“割烹いろは”とか“ダイヤモンドバス”の赤井物産がスポンサーでしたけど…どっちも今はないみたいで…時の移ろいを感じますわ。

●ナムダーさま
「豆炭練炭な日々」と「電子レンジにクーラーな日々」が同居(…正式には隣り合わせ)していたあの時代って、そうそう、それこそ新幹線と汽車が共に頑張っていたあの時代ですよね。
で、
>>小学校の一年生の時は木造校舎で石炭ストーブもあったと思いますが、多分3学期には鉄筋校舎で大きな「ガスストーブ」になっていたと思います。

これ、隣町の八尾と時代合っていると思いますよ。
多分ですけど、私、ナムダーさんより2つ学年上やないかと思っているんですけど、ほぼ同時期に木造校舎から鉄筋校舎に変わりましたから。
木造モルタルの北校舎、木造の中校舎、鉄筋コンクリの新校舎…3つあったなぁ。ドーナツ化現象による児童数激増の頃の話ですね。

おふたりともお付き合い頂きおおきにです。

投稿: 山本龍造 | 2010年2月12日 (金) 23時56分

私の場合は、小学校低学年までは木造校舎で石炭ストーブでした。全面建て替えになったのを機に、石油ストーブになりました。小学校2年までですね。石炭ストーブ。

投稿: ぽんぽこやま | 2010年2月13日 (土) 08時26分

ぽんぽこやまさま
私は石炭のあとはガスストーブでしたね。
「便利になったわ」という気分は全然なくて「石炭の方が楽しいわ」と思ったもんです。

投稿: 山本龍造 | 2010年2月13日 (土) 18時38分

そうそう、石炭ストーブって、時々石炭を投げ入れないといけないんですよね。あれがなんとなく楽しかった。

投稿: ぽんぽこやま | 2010年2月13日 (土) 22時56分

豆炭と練炭、残念ながら見たことも使ったこともありません。

でもCMはなんとなく覚えています。
確か読売テレビで放送していた『松竹新喜劇 泣き笑い劇場』のスポンサーだったと思います。

投稿: サルナ | 2010年2月13日 (土) 23時20分

ほんま、龍造さんが言わはる通りですね。
片町線の扇風機しかないガタガタの電車に乗ってから、新大阪から新幹線に乗ってましたもんね。

因みにその時代、同じガスコンロでもうちは都市ガスで自動着火でしたけど、ばあちゃんの家はプロパンでガス出してからマッチで火を着けてましたね。

それで、私の学校は入学時、木造平屋の校舎、プレハブの仮校舎、戦後少したってから建設された古い鉄筋校舎でした。その校舎は数年前に取り壊されましたけど。

「割烹いろは」は忘れてましたけど、思い出しましたわ。今ないんですか…そうですか。

投稿: ナムダー | 2010年2月14日 (日) 22時05分

●ぽんぽこやまさま
「体感の楽しさ」と「(合法的)火遊びの楽しさ」が石炭ストーブにはあったと思いますね、今思えば。あと石炭ストーブでパン焼いた覚えもありますわ。

●サルナさま
わー覚えてはるんですね、松竹新喜劇のあの番組の名前と放送局。ちょっとビックリです。
余談ですが、私は吉本新喜劇が好きでしたが、親は、松竹新喜劇を見せたがってましたね。ま、わからんでもないですね、今となっては。

●ナムダーさま
そうそう、私もプレハブ校舎でしたわ2年生の時。その時が石炭ストーブやったんやないかと思うんです。はっきり覚えてへんのですけど。六年間でホント色々な建築スタイルの教室で勉強(?)できたこと…まさに激動の時代やったってことでええ経験やったんやと思います。
CMの話ですが、確か『ドウトン』ってのもやってましたね。「ドウトンへ〜行こう〜ょ♪…」って。あれも、今は飲食店の入るテナントビルになってますね。
くいだおれも千日堂も…昔の話ですね。

皆様、コメント有り難うございました。

投稿: 山本龍造 | 2010年2月15日 (月) 19時46分

そうそう、石炭ストーブでパン焼きました。懐かしい。
私らの世代って、木造→鉄筋コンクリートの激動の時代を生きた人が多いんですね。共有体験ですか。

投稿: ぽんぽこやま | 2010年2月16日 (火) 00時42分

ま、激動とも言えますね。
ただ、今の爺さん婆さん世代の人たちのそれに比べたら、そうでもないかもですね。
しかし何です、同世代にはサッと通じることって、あるもんやなぁ…
コメントおおきにですぽんぽこやまさま。

投稿: 山本龍造 | 2010年2月16日 (火) 18時39分

ああなつかしや・・
 我が家の裏道のI燃料さん・・、つい2年ほど前までありました。

 なるほど、こういった場所って、貴重なのですね!
 村人も見方を変えないとイカン

投稿: 絵心路 | 2011年3月20日 (日) 20時57分

絵心路さま
まだまだ残るも建て替え前のシラミ地蔵を含めてあの一角が特に昔から変わらん旧村の風情で好きやったので、なくなってしまって残念に思ったのです。せめて壁面に付けてあった琺瑯看板だけでも、どこかで生き続けてほしいなぁと思うのですが…とは言え、取って付けたハイパー昭和レトロの飲食店などにあったとしたら…それも嫌かもです。
中河内でも山手の方は、まだまだそんな昔から変わらん風情が比較的たくさん残っていて、ほっとします。

コメント有り難うございました。

投稿: 山本龍造 | 2011年3月21日 (月) 10時33分

 龍造さん こんばんは
死語って云うと「七輪(カンテキ)」もそう
ですね(笑)

子供の頃 カンテキが日常の煮炊きや暖房
(煉炭火鉢、豆炭炬燵・行火の火熾し)に
必須でしたよ(汗)。
当時は局所暖房で自然換気タップリでした
からね(笑)。
今では焼き肉専門店で使ったり、アウトドア
や防災グッズとして復活してますが。
一家に一ツ車に積んどくとイイ。

ナムダーさん 元気にしてはるんかなぁ(心配)

投稿: 難波のやっちゃん | 2011年4月 5日 (火) 19時37分

難波のやっちゃんさま
私は使ってまっせぇ「カンテキ」っ。でも、カンテキって“燗適器”と書くという説は最近まで知りませんでしたが…ホンマなんかなぁとも思いますが。
で、私はホンマのカンテキ生活は経験ありませんね。おっしゃる様に“焼肉用”には使いますし、先日も道具屋筋で買い増したところです。
やっぱり“火をいこす”って何とも楽しいモンがありますね。もちろんガスの方が便利でええのですが。
で、
ナムダーさん、復活された様でなにより何より。
私もまた楽しみがひとつ復活しました。

コメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2011年4月 6日 (水) 23時19分

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