超久々の白黒フイルムによる撮影。で、雑感。
「デジの場合、カラーをモノクロ変換することになりますが、いまひとつ味が出ないものですから。モノクロのフィルムをぜひトライしていただきたいです。」
思想家と生物学者のポートレート撮影依頼があり、上記の様なMailがクライアントから送られてきました。「フイルム、しかもモノクロかいな…長いことやってへんがな」と。気がつけばもう仕事のほぼ全量がデータ撮影になってることに改めて気付かされた次第。で、機材の準備を進めるうちに「このカメラなぁ、ちゃんと作動するんやろか」という不安に陥り、フイルム詰めて実写テストを始めましたら、ピントが合わせられない。しばらく使わんうちに老眼キツくなって視度補正レンズが合わなくなってるというのもありましたけど、これは明らかにオートフォーカス機能に馴れてしまって、瞬時にピントを合わせるスキルが低下しているということの様です。他にはマガジンの状態に不安があったり、現像処理液が恐ろしく劣化している状況を見て…「あぁ、(中判の)フイルムカメラで撮影するってことは、まるで、電気機関車の操作に馴れた機関士が久々に蒸気機関車の運転を命ぜられた様なもんやでなぁ」。
現場で与えられた時間はごく僅か、しかも編集者からの要求はかなり高い…ってことで不安いっぱい。ま、すっかり低リスク、少機材のデジカメ仕事に馴れてしまってるだけで、昔はこんなん当たり前やったんやけどなぁ。
ちゃんと点検したにもかかわらず機材に若干不調が出て、汗と冷や汗かきまくりで撮影したけど…「これやんなぁ、これこれ!現場の緊張感と集中力って」とか思いました。
現像してみるまでの不安、テスト現像を上げて次々フイルム現像してピント、濃度チェックしてベタ焼き上げてプリントしていく…「そやねん、写真って、これやったやん!」。モノを作り上げていく実感…というか触感というか、モニタで画像処理するのも同じ様なことなんですけど、その…ちゃうんですなぁ、充実感というか実感が。
しかし何です。デジタルだったら軽装備で、しかも1日あったらすべてが終わるところ、白黒フイルム撮影だと3日はかかるわけで、このコスト最優先の時代に…こういう粋狂な編集者とそれに予算を組む発注先がないと、廃れてしまいますね。やっぱりパトロン的なモンがないと、いいものは残っていかんなとしみじみ思いました。
じつはこの仕事には、どうしても使いたいカメラがありました。それは、1ヶ月前に旅立たれた写真家の方から頂いた6×6判のゼンザブロニカET-CL。古いカメラですがホントに使い勝手のよいカメラです。そんなカメラを使う仕事がこのタイミングで来るとは…。天国から「山本くん、フイルムカメラも白黒も忘れたらアカンで」と言われている気がしましまして。確かにデジ全盛時代になって忘れていた大事な諸々を思い出すええきっかけになりました。色々な方々のお陰で今がある…それを知ることにもなった師走の引き締まった数日でした。
先達に感謝。
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コメント
12月のはじめに亡くなられたことを知りました。以前のエントリに書いておられた人は彼だったのですね。
私はあまり面識が有りませんでしたが、作品は何度も拝見しました。写真も見て頂いて、いろいろと助言を頂きました。
モノローグのシリーズなど35mmで撮影されていたと記憶していましたので、中判をお使いだったとは全く知りませんでした。
下鴨での初の個展のあと、病気や転職で二回目がなかなかできず、ギャラリの敷居も高くなっちゃって、彼と話す機会もなくなってしまいました。もっとちゃんとお話を聞き続けていたらと、悔やまれます。
投稿: たのけのあむら | 2009年12月26日 (土) 23時23分
たのけのあむらさま、コメント有り難うございます。
いや、ホントにお世話になったんです、氏には。写真の話よりも社会全般の話を色々あの画廊の奥できかせてもらい、またきいてもらって…自分の父親ほどの年齢差がある人とお付き合いさせてもらったというのは…有り難いことでした。
今度は我々が若い衆に先達から教わった諸々を伝えていかなアカンなぁと思いつつ…中身からっぽで。
それで、氏は晩年、35mmカメラ1本で勝負しておられましたが、それ以前は6×6判や6×7判も使って制作されていまして、その頃のものを譲っていただいたんです。そのカメラで2度個展もさせてもらい…氏が一番喜んでくれてはった様に思います。
たのけのあむらさまともまたあの画廊でお会いすることになるかもしれませんね。その時は宜しくお願い致します。
投稿: 山本龍造 | 2009年12月28日 (月) 21時49分