鶏も豚も、牛もいたな…八尾にも昔。
ナムダーさんのブログに恩智川のことが記してあって「そう言えば八尾北東部の恩智川のネキに牛小屋あったけど、まだあるんやろか?」と気になりまして、先日ちと行ってみました。
その牛小屋は“西野牧場”といい、八尾の市政だよりなどでも「八尾に残る唯一の牧場」と取り上げられていました。そこに牛がいることを知ったのは小学生の頃。ちょっと遠出の探険に行って発見したのでした。「大阪にも牛飼ってるところがあるんや…」と驚いたもんです。
まぁその頃はまだ八尾でも農村部へ行くと養鶏場がいくつか存在し、豚小屋もひとつありました。が、30〜40年ほど前には豚小屋がなくなり、にわとり小屋もそのほとんどがあっという間になくなって、宅地になってしまいました。住人からの苦情もあったのかもしれませんが、やはり生産コストが市場に合わなくなってやめていかれたのではないかと思います。
そんな中で、この西野牧場さんだけはがんばって酪農を続けてはるとは驚異的なことやなと思っていました。10年ほど前に見に行った時にもまだ健在でして、「やっぱりまだ牛いるわ」という気持ちと同時に「まだやってはるわ!」と驚いたものです。
そして今日、その場所を川越しに見ると…牛はいませんでした。ここの原乳は八尾市内の某乳業会社に納めてはるときいていましたが、その会社が数年前に牛乳の生産をやめたとネット上のどこかで読んだ記憶があり、「えっ?」というより「やっぱり…」という気分でした。
元々牛がいたあたりで農作業をされている方がおられましたので、事情を訊いてみようと思ったのですが、「川向こうの人に声をかけるのも失礼やなぁ」と訊けずじまいでその場を後にしました。心残りです。
「ここらに豚小屋があったはずや(左)」とか「ここにニワトリ小屋あって、その横のプラモ屋よう行ったな(右)」などと思いながらの帰路。改めて40年の歳月を感じました。
帰宅後ネットで調べてみますと、中央畜産会のサイトの中に、平成9年に書かれた記事“ONLY ONE”にこの牧場のことが詳しくありました。ぎりぎりまで経営努力をして次の代にも酪農をと考えておられた様で…断腸の思いで廃業されたのかもしれませんね。
そう言えば今年は“丑年”でした。そうそう、以前にここに牛を見に来たのは12年前の丑年の正月やったことを思い出しました。ま、たまたまなんでしょうけども。
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コメント
忘れてたんですけど、娘がそばの高校を卒業してまして「牛おる」って言ってました。私以前、この辺りで勤めてましたし、今も時々行きますので、何となく雰囲気分かりますね。あの辺で牛してはったと言うのも。
牛小屋の跡にいはった人の話聞いてみたかったですね。
それで、あそこ八尾になるんですか?
投稿: ナムダー | 2009年11月17日 (火) 21時53分
ナムダーさんの娘さんが「牛おる」って言うてはったということは、、ホンマ近年まで酪農してはったということですね。どおりでマピオンとかネット上の地図にはその場所に今も“西野牧場”と記されているはずです。
で、その場所ですが、まさに際キワの“八尾”です。高校と牧場の間に流れる“箕後川”が市境みたいですから。
話ちとそれますが、その箕後川より少しだけ南に、南東より流れて同じく恩智川に合流する川って何て言う名の川なんでしょうかね?
投稿: 山本龍造 | 2009年11月18日 (水) 00時33分
大阪勤務していた10年前には、飼料を扱う会社が八尾と桃谷と浪速区にそれぞれ1社づつあったと記憶しています。八尾は「八尾飼料」さんだったと思います。
投稿: 荒川防火水槽研究会 | 2009年11月18日 (水) 07時23分
荒川防火水槽研究会さんこんにちは。
そういえば“八尾飼料”と書かれた輸送車を見た記憶がありますわ、昔。今も会社があるみたいですが、どこらへんに売りに行ってはるんでしょうかね?
松原市の方は養豚業が盛ん(?)と聞いたことがありますので、まだまだ大阪府下でも飼料の需要はあるんかもしれませんね。
『松谷化学のみそ汁』に続き飼料会社の情報まで…色々知ってはりますね。
今後ともいろいろネタ、お教えくださいます様、宜しくお願い致します。
投稿: 山本龍造 | 2009年11月18日 (水) 19時48分
あの川はたぶん「水越川」やと思いますけど?
もしかして「楽音寺川」かも知れません。
投稿: ナムダー | 2009年11月18日 (水) 22時37分
どっちの川名も検索にかけてみました。
その結果、どうやら『楽音寺川』の方みたいです。
ナムダーさんお教え頂き有り難うございます。
で、“楽音寺”ですが、私は「がくおんじ」と発音しますが、父親は「がこんじ」と言います。“徳庵”の“とっかん”、“松屋町”の「まっちゃまち」みたいなもんみたいにも思いますが。
投稿: 山本龍造 | 2009年11月19日 (木) 11時34分
「がこんじ」と言っても「がくおんじ」って聞こえてしまうんでしょうね?
以前「善根寺」も地元の人が似た様な言い方しているのを聞いた事がありますが、ちゃんと「ぜんこんじ」って聞こえてましたね。
それで、地名ではありませんが「おばはん」も似たような感じで、私はもしかしたら大阪弁で「おばはん」が一番発音が難しいのではないか?と思っています。
死んだじいちゃんの「おばはん」の発音は絶妙で「ば」以降は「は」でもなく「あ」でもなく「ん」でもない発音でしたが、ちゃんと「おばはん」って聞こえてました。勿論「とっかん」もです。
投稿: ナムダー | 2009年11月20日 (金) 22時17分
そのニュアンス、あえて文字に置き換えると
「オヴァァン」
…こんな感じちゃいます?
なんかね、その“ヴァ”を“Va”とするとちょっと「ちゃうんちゃう?」って感じですけど。
確かにね、何とのう使ぅてるコトバが案外全国区か否か、とか言語化できるかどうかとか解らんもんですね。
微妙なニュアンスのコメント…おおきにナムダーさん。
投稿: 山本龍造 | 2009年11月20日 (金) 22時51分
「オヴァァン」そうそう、それですね(笑)
投稿: ナムダー | 2009年11月21日 (土) 22時39分
“おっさん”は「オッサン」でカンタンなんですけどね。
投稿: 山本龍造 | 2009年11月23日 (月) 10時08分
すんません、今週たまたまこの場所を通りましたもんで。
すぐ「龍造さんとこで書いてはったとこや」って気が付きました。ここで牛飼うてはったんやと思うと淋しい感じがしまして…
ちょい先にあった高田牛乳の工場は正月やのに、忙しそうにやってはりました。
私、牛乳って今まで良く分らなかったんですが、ちょっと興味持ちました。
皆さん色々と思い出とかおありなんですね。牛乳には。
投稿: ナムダー | 2011年1月 7日 (金) 22時02分
ナムダーさま毎度です。
あの、かなり最後まで頑張ってはった牛小屋あたりへ行かれましたか。確かに淋しいでしょ。その淋しさ、二種類あって「今はもういない…」というのと「こんな所に牛がいたんやなぁ」というのと。勝手に“牧場”と言えば「芝生があってサイロがあってと」思ってますもんね、普通。
で、今もがんばる“高田牛乳”さんですが、どうやら昔は小阪あたりにあった会社みたいですね。ナムダーさんにとっての“地牛乳”、飲んではりますか?
コメント有り難うございました。
投稿: 山本龍造 | 2011年1月 9日 (日) 19時08分
こんにちは。ついこの間、会社で自己紹介の際に「うちの辺りは田舎です。近所に牛もいますw」と言ってから、まだ牛いたっけ?と思ってこちらにたどり着きました。もう牛いないんですね…。昔、山登りに行くときにいつも横通ってました。牛情報ありがとうございました。
投稿: 地元民 | 2017年2月 5日 (日) 16時36分
●地元民さま
はじめましてこんにちは。ようこそアホげへ。
池島あたりにお住まいなんですね。あのあたりはわたし的には今も昔もあんまり変わらんとこらへんやなぁという印象を持っています。それでもまぁやっぱり牛や豚がいなくなったというのは大きな変化やなぁと思います。風呂屋さんがなくなること同様、さみしいことです。
余談ですがここの牛小屋の乳は、八尾木の八尾乳業で牛乳になっていたそうで、そこも廃業してしまい…小規模ではなかなかいろいろ立ち行かん時代なんやなぁと思います。
他の記事にも中河内のこといろいろ記していますので、よければまたコメント寄せたってください。
ナムダーさんのブログ“河内彷徨 〜郷土を見にゆく〜”もおすすめです。
コメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2017年2月 7日 (火) 10時01分