平野川・日吉橋から見る『水都大阪』
イベント『水都・大阪2009』は私に「大阪って…水都やなぁ」という事実を改めて教えてくれまして、色々と“川のある(大阪の)風景”が気になってきました。
昨日見つけた「ここええなぁ」な場所は、森ノ宮あたり、平野川にかかる“日吉橋”から下流を見た光景。ちょっとどこか日常ではないというか、“ケ”な感じ(ハレとケの“ケ”)が…いいんです。
川の際いっぱいいっぱいまでマンションや工場が建っており、正直、ここに川が流れているのが不思議な感じ。台風の影響もあるのか、流れる水もたっぷりで、川の持つ“恐さ”が漂っている様に思います。夜見た方が、もっとその独特の魅力を感じるかもしれません。
次に日吉橋から上流をみた光景。こちらも川の淵いっぱいまで家が建ち並んでいますが、橋ひとつ隔てて随分趣が違うように思います。チャルメラの音が似合いそうな下町的生活感があって、これまた下流方向とは違う趣があって好きな光景です。
大川や道頓堀川など“ハレ”の川の魅力とは違う“水都な大阪”…やっぱりこっち系についつい興味が行くなぁ。あまのじゃくな性分は…やっぱりなかなか変わらんもんですね。
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コメント
タモリ倶楽部やブラタモリなどという番組、タモリが古地図を見るのが趣味だというところから始まっている番組ですが、東京だとこういう川は蓋をしてしまって暗渠にしている場合が多いみたいですね。大阪はまだその点、川が多いようです。
20年以上前ですか、ある新聞記事が目に留まりました。その時点で大阪市内にあった橋の数を数えたら808だったそうです。
「♪生まれ浪速の八百八橋~」だったわけで。
投稿: ぽんぽこやま | 2009年10月10日 (土) 15時13分
大阪も随分暗渠化や埋め立てで川も橋もなくなってますよね…東京に比べたらそれでも減少数は少ないのかもしれませんけど。先日も「この道…昔川やったんちゃう?」を見つけました。
(下調べなしに歩いて発見するのを良しとしていますもんで…)
で、なにわの『八百八橋』ですが、それはたくさんあるという意味と、旧市内にあった大まかな橋の数なんではないかと思うのですが。
『大阪の橋』というサイトを見ると大阪市内の河川に現在583の橋があると記載されています。
ここで言う大阪市内とは、昔は他の郡部に属していたところ(鶴見区など)を含んでのことですから、やっぱりかなり減っていると思うんですが。
でも20年以上前の新聞に808の橋があったと記されていたんですよね…
しょぼい「これ、橋?」な橋も勘定にいれて808にしたとか…
ごめんなさい。ちょっと昔のことはわかりませんのに。
コメント有り難うございました。
投稿: 山本龍造 | 2009年10月10日 (土) 18時26分
私もたまに市内を東から西へ移動しますと、第二寝屋川より南側では必ず平野川か平野川分水路を渡る事になります。
私も橋の上からよく写真撮ったりしますが、大阪市内の川ってほんとこんなイメージですね。
表現が非常に悪いですが「水パンパンに流れてて、家カツカツのとこ流れてる」のが私のイメージです。
現在、平野川はこんな状況ですけど、その昔柏原から天満橋まで船で荷物を運んでいたのだと思うと、私の場合「水都」→「水運」ってイメージしてしまいます。水運って大阪にとって非常に重要だったんでしょうね。
投稿: ナムダー | 2009年10月10日 (土) 22時41分
しょぼい橋も入れた可能性もあるんでしょうが、当時の大阪市が数えたら、偶然808だったそうです。ただし、その記事では1ヶ月も立たないうちに減ることになっていたので、ほんの数ヶ月しか808の期間はなかったとか。
投稿: ぽんぽこやま | 2009年10月11日 (日) 00時37分
●ナムダーさま
宮本輝氏の“泥の河”のイメージもまた、ちょっとニュアンス違いますけど“ケ”な『水都大阪』なイメージですね。
確かに
>>「水都」→「水運」ってイメージ
解ります。「水路」って感じに私は思っています。まぁ、一緒みたいなもんですけど。
でね、拡大解釈したら『瀬戸内海』も“水路”やなぁと。
てなわけでやっぱり『水都大阪』やと。水運のお陰で大都市になったんですもんね。
●ぽんぽこやまさま
川も橋も四半世紀で随分…というかかなり減少したということですね。その分“歩道橋”が増えた時期もありましたが…
歩行者にしたら、確かに自動車道も“川”みたいなもんですね、考えてみると。
コメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2009年10月11日 (日) 18時17分
私は山奥育ちなので「海」が見えるだけでいまだに嬉しかったりするわけですが、職場に二人、瀬戸内海に面したところで育った方がいます。一人は香川、一人は山口。二人の意見が一致したのは「瀬戸内海の色は、太平洋の色と違う」
・・・山奥育ちには分かりませんでした。
投稿: ぽんぽこやま | 2009年10月11日 (日) 21時30分
●ぽんぽこやまさま
瀬戸内海と太平洋…違う気がしますね。
その昔、徳島と高知に仕事で行った時、南へ行けば行くほど“青い海”になって「沖縄行かんでも、こんな海見ることできんねや」と思ったもんです。
話変わりますが、瀬戸内って、内海だけあって波が比較的穏やかですよね。おかげでフェリーも快適で。同じ感じかと思って日本海のフェリー乗って…酔いました。
投稿: 山本龍造 | 2009年10月11日 (日) 22時03分
若い頃、映画の「泥の河」見ました。
確かに、龍造さんのおっしゃる通りで、私もそう思います。
それで、これも若い時の話ですが、年に数度は瀬戸内の島に一人旅してました。穏やかな海に沈む夕日の美しさに思わず涙した事もありました。これほんまですよ。
あとこれも北海道に一人旅した時、帰路はフェリーに乗りましたが、私も酔いました(苦)
投稿: ナムダー | 2009年10月11日 (日) 23時50分
●ナムダーさま
私も若い時、映画の“泥の河”見ました。
結構映像の記憶が鮮明に残っていて…何か「淡々と強烈」な印象でしたね。
>>穏やかな海に沈む夕日の美しさに思わず涙した事もありました。
やはり、こころもまたワイルドやと…
失礼、繊細なんですね。勘違いしていました。
一人旅は…小旅以外、ないですね。あかんたれでして。
投稿: 山本龍造 | 2009年10月12日 (月) 17時26分