防火水槽 8 ■ 東成区大今里4-17-1
前回に続き、今回の防火水槽も同じく東成区で見つけたました。錆びたブリキのナミイタ、金融の看板、多くの植木鉢とその植物…いかにもそれがありそげなシチュエーションで、ある種、ホッとする光景ですが、防火水槽自体は、お風呂用のフタがされ、石が置かれ、あまり大切にはされていない感じもします。
この物件は、長屋の横に置かれていました。まだ数軒がそこで生活を営んではる風情でしたが、空き家も何軒かあり…そのうちこの景色、防火水槽も含めて見ることができなくなるんかもなぁとつい、思ってしまいました。
しんみりしつつ建物を見てみますと、町名看板の横に標語を記した小さな看板がありました。そこには、
『町に花 空に青空 心にまこと』
と。
錆び加減も相まって、何とも言えん古き良き時代感がそこに。特に、やはり“心にまこと”、このフレーズが、忘れかけていた何かを思い出させてくれる様でして、「こういうコトバを錆びさせたらアカンなぁ…」と心をキュンとさせつつ、ここを後にしました。
| 固定リンク | 0
「路上観察」カテゴリの記事
- 金網にビルトイン、自転車の車輪の余生。(2023.03.19)
- 畑でフォンテーヌ 2(2023.02.21)
- 喫茶抜け落ち(2023.01.26)
- 無用面格子(2023.01.16)
- 極小渋しぶ二次元神社(2022.08.23)
「防火水槽」カテゴリの記事
- 防火水槽 241 ■ 箕面市今宮4−3(2022.05.11)
- 防火水槽 239,240 ■ 島根県大田市大森町大森ホ211 豊栄神社(2022.03.30)
- 防火水槽 238 ■ 平野区平野本町三丁目11-16(2022.03.04)
- 防火水槽 237 ■ 門真市一番町19−4(2021.10.22)
- 防火水槽 236 ■ 堺市東区菩提町3-157(2021.09.04)
「思ったこと」カテゴリの記事
- 井手町多賀から望む夕空、午後5時56分。(2023.03.20)
- けったいな色合いの郵便ポスト3つ(2023.03.15)
- 網張温泉あたりの眺め、午前10時2分。(2023.03.14)
- 3月11日に(2023.03.11)
- 木造モルタル青い瓦屋根の“長屋”にあれこれ(2023.03.01)
「大阪市東部」カテゴリの記事
- マメツゲ、凹まされる。(2023.03.02)
- シマトネリコ、街路樹化。(2023.02.01)
- 味わいの諏訪二丁目11(2023.01.27)
- 喫茶抜け落ち(2023.01.26)
- 緑化推進家屋 2(2022.12.21)
コメント
いかにも防火水槽がありそうな雰囲気が溢れた場所ですね。
山本龍造様に防火水槽を取り上げていただいた日だけ、普段は閑散としている私のブログが賑わいを見せ、大変感謝しております。
投稿: 荒川防火水槽研究会 | 2009年10月 1日 (木) 23時58分
荒川防火水槽研究会さまこんにちは。
“防火水槽”に興味を持っておられる方が意外と(?)多い様ですね。そういう私は御ブログでその奥の深さを知ったわけで、こっちこそ感謝しております。
またボチボチ載せていきたいと思っていますが…次々見つかるもんでもありませんのでね。
コメント有り難うございました。
投稿: 山本龍造 | 2009年10月 2日 (金) 19時35分
最近、殆ど見た事が無いので「見たい」と思い、近所周り、実家周辺を探してみましたが、やっぱり見つかりませんでした。
龍造さんの仰る通り、この辺は水に不自由せん地域なのかも知れませんね。
用水路とか井戸が多いですからね。その井戸も今は殆ど使ってませんけどね。
投稿: ナムダー | 2009年10月 4日 (日) 22時20分
こうなったら、何としてでも中河内で防火水槽を発見したなってきました。
競争しません?…って、ナムダーさんの「管轄内」ですから、負けみえみえですが。
井戸は…実家にあります。昔はええ水が出ていたんですけど、下水道工事で付近を掘削して以来、水が濁り出して、それ以来、打ち水用に成り下がってます。水脈が変わったんでしょうね。
話変わりますがナムダーさん、
「寺井洫境石」
ってご存知でしょうか? そう書かれた石碑を見つけたものの何のことかわからんで。
投稿: 山本龍造 | 2009年10月 4日 (日) 22時50分
いえいえ、防火水槽は龍造さんの「管轄」ですし、八尾は強そうですからね。実際私、何十年って見てないですから。
ほんで、じいちゃんの家にも井戸ありましたね。じいちゃんの家があった場所は旧大和川床の跡に出来た「新田」と言う土地で、昔はもろ川の中だった場所です。
なのであの辺りの井戸水はその伏流水の可能性があったそうです(と言う文章を読んだので)
「寺井洫境石」って何でしょう?私分かりません(笑)
今、全く分からない状態でお答えしてますが、私はいつも分からない時は碑文を分けて考えたりします。
「寺井」→地名、苗字
「洫境」→?
「境石」→境界石?標石?
基本的に「洫」が読めませんし、意味が分からないです。
でも「洫」って何か病気ぽいイメージですので、明治時代に「コレラ」が流行したと言う話を聞いた事があるので、それ関連ですかね?碑のある場所と建立された年月にもよりますが。
長々と講釈垂れましたが、分かりませんでした。すんません。
投稿: ナムダー | 2009年10月 5日 (月) 21時59分
わざわざ探しにいくのも何ですし、いつもの様に見つかったら、またご報告させて頂きます。
で、いらんことナムダーさんに訊いて…申し訳ありませんでした。
いや、その、“石碑”というのと“旧大和川系”の用水路端にあったので「これはナムダーさんの“管轄”や」と思ったもんでして。
しかし何です、“洫”という字、変換はできたものの、意味もわからずで、確かに“病気ぽい”雰囲気がありますね。
私は、これ、集落同士が水の奪い合いで流血騒ぎになった地なんかなぁとか想像していました。“境石”というのは、水門というか、樋のことではとか。
もいっぺん調べてみて、わかったら記事にしたいと思います。
有り難うございました。
追記:“寺井洫境石”のことをチラッと見たのは、安中新田会所跡旧植田家住宅での企画展「大和川付替えと新田開発」でやったことを思い出しました。もっと…ちゃんと見て読んでおけばよかったと後悔。
投稿: 山本龍造 | 2009年10月 5日 (月) 23時52分
先程、何気に学生時代から愛用しております辞書を見てますと「洫境」についての説明がありました。
「寺井」は分かりませんでしたが「洫境石」は「洫境」の為の「石」だそうです(半分憶測ですが…)
ただ、これが正解とは限りませんので、龍造さんがお調べになった後に、答え合わせをすると言う事にして頂きたいと思います。
よろしくです。
投稿: ナムダー | 2009年10月 6日 (火) 20時58分
うちにはないと思っていた“漢和辞典”、うちのひとが持っていましたので“洫”を調べますれば「…ははぁ」と。
想像は間違っていたのに、合ってる様な変な感じです。
問題は“寺井”ですね。これは辞書で調べても仕方ないでしょうから…実地調査をしてみたいと思います。
ナムダーさん、おおきに。
投稿: 山本龍造 | 2009年10月 6日 (火) 22時58分