バキュームカーに“ババ”。
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“地ソースは、こうであってほしい”って感じのレッテル。その雰囲気だけでも充分美味しいそうな京都は南区のツバメ食品の『ツバメ・とんかつソース』。このソースを…トンカツにかけずに、いか焼きそばに使って味わってみました。レッテルにはちょっと不釣り合いなフォントで“都・東寺の味”と記されています。さて、どんな味なんでしょうか。
容器から出した粘りの印象はドロッというより“プリプリっ”とした質感でわりと粘りがあります。果実と香辛料から来るのか少し香ばしい香り、味は中口というか、甘口ではあるのですが、キツい甘さではなく、酸味を抑えて甘味、旨味を引き立てた感じといったらよいでしょうか、わたし的にはちょうどええ塩梅ですね。
次に焼きそばに使った印象、これまたやはり単品で味わうのと同じく、酸味や甘味、塩辛さが突出せず、素直に「おいしいなぁ」と思える味に仕上がってました。
地ソースにしては珍しくJAS-日本農林規格を満たした逸品。“都・東寺の味”とはおとなしさの中に実力を秘めた味ということだった様です。
高倉通の新福菜館、第一旭のあるあたり(高倉塩小路)から100mほど北へ行ったところにある酒屋系コンビニ“TAC-MATE”(タック・メイトくげ高倉塩小路店)にこのツバメソース全商品(と思われる)が置いてあります。気楽に買えて、おすすめです。
名称:濃厚ソース 原材料名:醸造酢、砂糖、 食塩、野菜・果実(りんご、トマト、たまねぎ、その他)、香辛料、調味料(アミノ酸等)、カラメル色素、酸味料、コーンスターチ、酒精 製造者:ツバメ食品株式会社 京都市南区東九条西明田町…
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←街中では、こういう“ただの草むら”って最近見かけなくなりましたね。“ただの原っぱ”と同じぐらいこういうエリアこそ子供の頃は面白かったんですけどね、児童公園なんかより全然。
夏休みなんかにこういうところに入り込んでは“ジャングル探険”してる気分になったりしました。土と草と湿気のニオイ…今も覚えているもんですね。そしてブンブン(カナブン)を捕っては足にヒモ括って飛ばしたり…って、最近ブンブンもあまり見かけない気がしますが、どうなんでしょう。
今年の夏休みは新型インフルエンザ流行による休校騒ぎもあってちょっと短め、昨日で終わったとか。なにわの子供らはこの夏どんな日々を過ごしたんでしょうか…って、どこの子もこんなとこ入って行きませんね、きょうび。だいたいそんな場所がほとんどないわけですから。
(於:東大阪市)
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阿倍野の勾配ある高級住宅地。「大きな屋敷でもあったんかなぁ」な更地の西側に細い森みたいなもんがある。そこの木々の枝に赤や橙の看板が多数取り付けられている。何やろか?
『この樹木は風致許可により「一部保存樹木」に指定されています。施工上どうしても伐採が必要な場合は必ず事前に管理者と協議のうえ承諾を得るようにしてください。』
「傾斜上の樹木故、切り倒すと地盤が緩んで上の住宅が傾くってことなんかなぁ。」
とか思っていましたが、帰宅後調べますと、どうやら、地元住民とマンション開発業者の間で紛争が起こっているみたいです。ということはこの看板、建設内容に異議を唱える住民の人たちが付けた看板ということなんでしょう。
『建設反対!』『住民と和解せよ!』みたいなスローガンを書いた看板など全然見かけませんでした。さすがは高級住宅地の住民運動、シュッとしてますね。
『聖天山風致地区』…ここは大阪市内の住宅地で唯一の風致地区とのこと。こういう大阪もあるということを、ついつい忘れているなぁ、と思いました。
(於:阿倍野区)
追記:昨日より参戦致しました“人気ブログランキング”。皆様の暖かいクリックのお陰を持ちまして「地域情報(近畿)」で157位よりスタート致しました。有り難いなぁ。今度とも宜しくお願い致します。
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ここは帝塚山。あの帝塚山。そんな帝塚山に、ちょっと不釣り合いな気がするけど、ええわぁ、親しみが持てますわぁ。5524でココニシィ…関西人以外には何となく「coconisyって何?」なフレーズに聞こえたりして。
余談ですが『5524 ココニシィ』をググったら…時折コメントくださる「荒川防火水槽研究会」さんのブログだけが検索されました。やはり…類は友を呼ぶってヤツでしょうか、ね。
(於:阿倍野区)
で、
★☆ 気がつけば、拙ブログのアクセス数が5,0000を越しました。2年1ヶ月でこの数字。人気ブログのアクセス数に比べると全然たいしたことのない数字の様ですが、私にすると「よくも皆様こんなヘボいブログにたくさんアクセスしてくださいました」の思いです。ここを訪れてくださる皆様、リンクを貼ってくださっているブロガーの皆様、厚く御礼申し上げます。
…で終わればええものを、ちょっとね、スケベ根性出てきまして、やってみよかなぁと思ったのが“人気ブログランキング”への参加。恥かき必至と思いつつ、決意したのはええものの、もひとつ設定方法がわからずで、これでOKなのかちょっと不安。テストに参加するつもりで、下記のバナーをクリックして頂ければ助かります。
それでは、皆様、今後とも宜しくお願い致します。
“大阪 アホげな小発見。とか” 山本龍造
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久々に河内音頭を踊ってきました。
行った先は、河内音頭の本場として知られる八尾の常光寺。初めて行ったのが高校生の時。風に乗って聞こえて来る河内音頭は知っていたものの、踊ったことのない私にとって「わはぁ、こんな土着的かつ今に生きる芸能が地元にあったんか!」とカルチャーショックを受けたところです(特に久野家初美ねぇさんの“チャチャチャ”が織り込まれた音頭に…まいったのでした)。
それ以来、時折盆には踊りに行ってたのですが、ここ数年、「暑いしなぁ」と御無沙汰していました。
数年ぶりに訪れたそこは…そのまんまでした。
ただ…マメカチを踊る人が激減しているではありませんか。
基本的に優雅な『流し』と、割と飛び跳ねた感じの『マメカチ』の2系統の踊り方があって、ちょっと昔には五分五分か六四でマメカチの方が多かったのに、ごっつ劣勢。マメカチしか踊れない私にとっては…ちょっと辛かったなぁ。
このふたつの踊り方以外にも新バージョンな踊り方してる人らもいたし、服装も浴衣決め込む人も“連”組んで踊ってる人もいるけど、大半は普通のカッコで踊ってはって…ええねぇ、“伝統”とか“保存”とかとは無関係に存在しているって感じで。
途中、高校時代にここを教えてくれた後輩せっちゃんと合流し、超少数派となったマメカチを踊る群れに混ざって2周踊って帰りましたが、帰路、足の踝が痛くて。たった2周で…歳とったもんです。で、せっちゃんに訊けばここ数年、マメカチ踊る人が確実に減ってるとのことでした。確かにまぁ、どこか昭和っぽいというか、前時代的かもしれんなぁ。
ドンドン変化して活性化しつつも変わらぬ風情…わたし的には理想的な“伝統”の姿です。久々に踊ったら、また踊りたなってきた。またどっかで櫓見かけたら、踊ろっと。
あ、写真はここで最後の“新聞詠み河内音頭”を詠む河内家菊水丸さんです…って、判らんね、この写真じゃ。
(於:八尾市)
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今日と明日は地蔵盆。界隈のお地蔵さんは町内会で維持管理されており、他の地区のも同じスタイルなのだろうと思っておりましたらなんのなんの。ある方の近くのお地蔵さんはその方の家とほか計四軒で管理しているとのこと。旧村に住むその方の話では「昔は七軒で持ってたんやけど、一軒二軒と抜けて今四軒、もう一軒抜けたがってはるねん」と。しかも「子供らに配るお菓子もだいたい200人分は当番の家が自前で用意する」らしいです。その昔は七軒持ち回りで酒宴もやっていたらしいですから驚きです。
で、うちの界隈のお地蔵さんも、訊けば元々は一軒の家がずっと管理してはった様で、何十年か前、管理されてた方がその場を離れる際に、町内で維持管理していくことになったみたいです。
皆さんのお宅の近くにあるお地蔵さんは、どんな形態で維持管理されていますか? ちょっと気になって。
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何々?Nyou?妙な響きやこと
運転中、信号の右手見たら読めん地名が出現。幸いに信号赤になってとりあえず1枚。
“ねふ”が転じて“にょう”になったのか?
京都府舞鶴市に“女布”と記してやはり“にょう”と読む地名があるそうで、あるサイトには「女布 (にょう)は、古くは“祢布”と記し、アイヌ語の“村”の意」と記されています。その説を受け入れていない人もおられる様で、「絶対これ!」という説はないのかもしれません。
で、ここの『祢布』の由来ですが…解らずのまま。すいません。古代の役所・但馬国府跡と言われる“祢布ケ森遺跡”のあるところ。歴史に明るい人には解るのかも。
(ちょっとマネしたろと思ったけど、なかなか“なんぎな日記”さんみたいにスカッとまとまらんわ…)
(於:兵庫県豊岡市)
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夏向きの抹茶茶碗ふたつ。同じ様で全然違う。
柳とメダカが描かれている左側のお茶碗、これが我が社中では人気高く、初夏になったら「先生あのメダカの茶碗、今年は…?」と社中から所望されるほど皆が気に入っています。シンプルな絵の構成と素朴な筆づかい。訊けば30年ほど前に京都のみやげモン屋さんで1300円で買ったものとか。決して高級ではないところも親しみがもてて、ええんですなぁ。
で、もうひとつの金魚と水草が描かれている右の写真のは、今夏より登場したお茶碗です。これがね、うん、何なんでしょうか、可愛く描かれすぎてて…なぁ。同じ様な感じではあるけど、どっかに“やりすぎ”感というかプチ“どやっ”感があるというか「ねっ!涼しそうでしょ」な感じがしてて、もひとつ好きになれんのです。同じ様に思っている社中もやはりいます。こちらは先の“祭釜”では三客さん用だったことを思うと、そこそこ値が張るお茶碗だと思います。でも、もひとつなぁ…
“人の心に染み入る”ってどういう感じなんかを、このふたつのお茶碗が教えてくれている様に思えてきました。人と人…人間関係においてもこの感覚はあるかもしれませんね。私もできたら左のメダカ茶碗の様な奥ゆかしいさを秘めた人間になりたいもんですが…無い物ねだりですね、うん。
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年に数十回と見てる光景。ずっと「この家の木の壁、斜めになってるわ」と思っていた。けど、違うかもしれん。
●左の写真:電柱を垂直にして撮影。
●右の写真:木の壁のさんを水平にして撮影。
右の写真の方が収まりがええ。左の写真では家まで傾いて見える…と言うことは「電柱は垂直に立ってるモンや」という思い込みでこの木の壁を見ていた可能性もある。壁にしたら「電柱がおかしい」わけで…日々「これが正しい、それはおかしい」とか「これはこうあるべき」みたいに色んなこと決めつけてるけど、ホントにそうなんでしょうか?
自分としても世間でも『当たり前』と思われていることが、じつは『おかしい』という可能性もあるわけで。
ま、世間の常識、自分の常識に対し、時に疑ってかかるのもええのやないかと思いました。
(於:八尾市)
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お墓参りの帰り道、生駒山地の十三峠で山越えして大阪入りすると、ええ天気で大阪平野が一望できました。やはりお盆は工場が休止してて空気が澄んでいるのでしょうかね。
頂上で1枚写真を撮った後もクルマから大阪の街景色を見ていましたら…多いですねぇ大きいビルが。大阪にこんなにたくさん高層ビルがあるとは…知りませんでした。ここからの景色は昔から見てるんですけど、こんなやなかった気がします。ドンドン建ってるということやと思いますが、こんなに次々ビル建てて、ホンマに需要はあるのでしょうかね?大阪の街って。ちょっと気になります。
この写真ですが、たぶん八尾〜布施〜森ノ宮〜梅田〜六甲山という向きが写ってると思うんですが、どの建物が何ビルかとか…さっぱりわかりません。変わりゆく大阪の街並みウォッチングを日々してたらわかるんでしょうか。
遠目に街を、ビル群を鑑賞するのも面白いですね。飛行機の窓から街を見ること同様、自分の生活を外から眺める様な感覚。そうするうちに「我がひとりの存在なんか、ちょろこいモンやで」という思いになって、少しはお気楽な気分になるしね。
(於:八尾市)
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何も申すことはないでしょう。パルナスネタ、ネット上に多すぎ。で、私が気になったのは「パルナス」と縦に記されたプラ看板、何でパーツによって劣化具合が違うんやろって事。
“看板の左と右、何で劣化速度が違うんやろ”の回とまぁ、同じレベルの疑問やね。
(於:生野区)
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先週、8ch関西テレビの番組“よーいドン!”で、あの屋台の中華そばの『大統領』が取材されていました。
大統領…なつかしいなぁ。その昔、近鉄八尾駅前、歩道橋下に出してはりましたわ。引っ張る昔ながらのヤツで。他では泉北方面の港で釣り客相手に“夜泣き”ならぬ“昼泣きそば”を軽トラックで売ってはるのを食べたこともあるなぁ。
番組によるとその本部は地下鉄南巽駅あたりにあるとのことでした。「ということは南巽から八尾まで引っ張ってきてはったということか…」と思って見てましたら、テレビに登場していた屋台引きのおじさんは「森ノ宮までほぼ毎晩引っ張ってる」とのこと。結構皆さん遠いところまで行ってあきないしてはるんですね。しかもその方はテープではなくホンモノのチャルメラを吹いてはりました。もう何十年と生チャルメラ音ってきいてませんが…皆さんところに来る夜鳴きそばは、どうですか?
今は10台ほどで営業されているとのことでしたが、昔は100台も200台も所属していたそうでちょっとビックリ。番組内で屋台引きのおじさんが語った印象に残るコトバは「“ラーメンだけを売ってるのやない、古き良き時代の何かをも含めて売ってるということを忘れたらアカン”と先代の社長によく言われたもんです」みたいなひと言。そやねんなぁ、風情も会話も含めて屋台の中華そばの味なんやなぁ、うん。
てなわけでちょっとついでに南巽を自転車でうろついてますと、確かに大統領の本部がありました。ツタの絡まる建物内で皆さん仕込みに勤しむ…な光景は、ちと時間が早すぎて見ることができませんでした。今度、森ノ宮界隈で大統領の屋台探してみよかな。駅前に湯気発しながら佇んではるんやろか…と、ちょっと楽しみ。
(於:平野区)
※関連記事:
『赤川鉄橋たもとの屋台基地』 2013年7月 記
『高槻市駅近くで屋台の中華そばを…『東来軒 赤川』。 』 2011年12月 記
『春が来る前に、寒空似合う夜鳴きそばの様子でも。』 2010年2月 記
『屋台の基地は文化住宅の前やった。』 2009年12月 記
『中華そば『三吉軒』の屋台見つけ、幼少期を思う。』 2009年10月 記
『あの屋台のじいさんは徳島出身やったんか…』2008年2月 記
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上からハウス、エスビー、グリコ…似てるわぁ。箱のサイズまで全く一緒。この手のカレールウって「ひと晩寝かせた味」をうたい文句に出てきたはずなんですけど、三つともどこにもそんな表記がない。何でやろ?そう言う表記は何かにひっかかるんでしょうかね。
でね、あえてこれらとひとくくりに語りますけど、この手のカレーってね、おいしい。おいしいのですけど、その“カレー感”がないなぁと思いましてね。
“カレーって何なん?”は、人それぞれでしょう。私もカレー言うと二日目の方がおいしいと思ってましたし、ソースや醤油、コーヒー、チョコレートなんかを隠し味と称して入れておいしいおいしいと思ってたんですがね、最近「…何か、それって違うんちゃう」な気分になってきたんです。そのきっかけは“メタルインドカレー”とか“即席ハウスカレー”を食べてからの様に思います。
とくに“メタルインドカレー”には、ここに掲げたカレールウの様な“技”が感じられず、素朴にカレー感、香辛料感があってね、そのシンプルさが「…これ、おいしいんちゃう」という気がしてきたんです。ある意味、あまりメタルに期待してなかったから余計にそう思ったのかもしれませんがね。
“技”を効かせ、あれこれ混ぜ合わせて複雑な味わいを追求するのもひとつのやり方でしょうけど、最近の自分の好みは“素朴な味わい”。たぶんカレーだけではなくて様々な食べ物(加工食品)に対してそのようなものをおいしいと感じる傾向にあるみたいです。
ここに写るカレールウの中で好きな順は
1:とろける 2:こくまろ 3:2段熟
でしょうかね。何しか2段熟は「ちょっと凝りすぎ」って感じで“カレー感”が低かったので…うん。
ちなみにこの3つの発売年は
1:2段熟(=当初は“熟”1995年) 2:こくまろ(1996年) 3:とろける(2001年)
とのことで、グリコが元祖の様に思いますが、エスビーが1994年に「一晩おいたカレーをイメージ」という“カレー曜日・ルウ”というのを出したのがこの流れの元祖だとエスビーは主張してはるみたいです。ま、いずれにせよここ15年ほどの好まれるカレールウの傾向はこの三つが共に持つ特長(一晩寝かせた系)にある様です。
※上記の話は普及版のカレールウを対象にした話で、プレミアムもんのカレールウや、本格的に作るカレーとかを含んだ話ではありません。念のため。
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←何の植物か知らんけど、尋常やない早さで生長してる。外来種かなぁ、いやきっと外来種やで、知らんけど。外来種やとしたら、ここは元々発生したところより環境が合ってる『楽園』やということになるわけで、ということは…ちょっと考えた。
「自分の意志には関係なく、大阪に生まれて大阪に生きてるけど、ホンマはもっと生きやすい土地ってあるかも」と。外国から日本に来て馴染んで定住する人、またその逆の人、色々いてはるけど、そんな人らみな自分に最適の地を見つけはった訳で「外来種の動植物と変わらん」のかも、と。
動植物の場合は「在来種を駆逐するからダメ!」な存在やけど人間なら許される…とか一瞬考えたけど、大勢で移住されたらそらぁ難儀やし戦争にもなるわけで…あかんわな(追記:いや、少数で移住してきはっても後々大勢力になる可能性もあるから…簡単には語れん話ですわホンマは)。
ま、今までは“家業を継ぐ”という形で色々な職種や地域が守られてきたけど、そうもいかん様になった昨今、国内だけで考えたら、国民皆それぞれが「自分にとって生きやすい地、仕事」を目指して移動したらみんなハッピーはっぴぃになるんちゃう!
…とはいかんわな。み〜んな東京か、沖縄に集中したりして。
で、この妙に生長早い植物って、いったい何者やろか。で、「自分にとっての楽園は何処やろか」…空想は続く、あほらし。
(於:中央区)
※追記:これは“桐”やということでした。へぇ〜って感じ。
“【葉の直径60センチ!?】空地等で急成長!あの謎の巨草(木?)に迫る!”という奥村裕二氏が書かれた記事が詳しく面白いので、ぜひ御一読ください。 2015年11月 記
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縁あってここ20年ほど八尾の恩智へはしょっちゅう行っていますが、恩智神社の夏祭りを見るのは、もうかれこれ30年ぶりか。地元の人に言わすと「最近の担ぎ手は体力あれへんから(神輿を)落としてばっかりや」やそうですが、よそモンからすると何のなんの。30年前に見た時の印象と変わらずでビックリ。こんな土着的(?)で生きたまつりが現存してるんやなぁと感動しました。まつりに関わっている人数もごっつくて、凄いです。恩智神社、訊けば何でも『河内国二宮』で物部本家の神社とか。身近な神社がそんなに由緒あるモンやったとは知らなんだなぁ。
毎年8月1日に行われるこのまつり、担がれた布団太鼓と神輿が131段の階段を下り出て町内を練り歩き、かつて恩智神社があったという“天王の森”まで続きます。狭い道を大きな布団太鼓が行く訳で、道端の突起物には藁が巻かれ、カーブミラーは後ろ向きにされています。沿道の家の前には氷水が置かれ、担ぎ手たちが水分補給できる様になっています。
夜になり、神社から担ぎ手など村の人たちが伊勢音頭を唄いながら降りてきて天王の森へ向かいます。そしてそこから神社まで坂道と131段の階段を駆け上がりまつりは終わりを迎えるそうですが、そこまでは見に行くことはなく恩智の里を後にしました。
久々にええモンを見せてもらいました。マスコミにはあまり取り上げられないから知らないだけで、勇壮で今に生きるまつりがちゃんと残っているんですね。何だか嬉しい気分。ホントかどうか定かではありませんが1000年の伝統があるとも言われている様です。これからもずっとずっと続けていってもらいたいですね。今後色々、めっちゃ難題はいっぱい出てくることかと思いますが…
(於:八尾市恩智中町)
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