割烹“治作”の“たぬき”と再会
幼少の頃、親戚が一堂に集うと言えば日本橋にある割烹料理屋でした。確か“治作”という屋号だったと思います。二階の広間に仲居さんが料理を運んで…きっと美味しかったに違いありませんが子供にはさっぱりその良さがわからず。それでも非日常さが楽しく妙に興奮してダイヤモンドレモン飲んでは従兄弟数人と店内の探索とかして暴れまくっていた記憶があります。
“非日常さ”と言えばもうひとつ、そのお店には、看板代わりのシンボルでしょうか道に面して巨大なたぬきの置き物がありました。子供だったから大きく感じたのかも…今となっては曖昧な記憶ですが、宴も終わって外に出るとすっかり夜、そこに巨大なたぬきが…で、おもしろい様なゾクッとする様な…これが三十有余年前のことでした。
大人になってから何度か「あのたぬきの店はどないなったんやろ?」と日本橋界隈を歩いてみたものの見当たらず、ネットで調べても割烹“治作”は出てこないしで「もうおらん様になったんやわ、あのたぬきも…」と思い出のひとコマとなっておりました。
ところが先日、ネットである調べものをしていたうちのひとが“なんぎな日記”というサイトに行き着き「この人のブログ、あんさん好みなんちゃう?」と教えられ、見てみると確かに私好みの面白さ。で、とばしつつもかつての内容を見ておりましたところ「水木先生」という表題の回に“!”…「これって…あの時のたぬきちゃうん?」…ってわけで、“なんぎな日記”の著者、なんぎさんに大まかな場所を教えてもらい、行きましたところ…いましたいました、あのたぬきが。
大人が見ても巨大なたぬき。当時は夜にしか見たことがなかったのでどんな表情のだったかとは記憶にありませんが、こんな恐い顔をしていたとは…知りませんでした。で、割烹“治作”は、やはり無く自転車屋さんになっていました。店なき後も生き続けるたぬき…何となく“御神木”みたいにこのたぬきを壊すとたたりが…ってことで残されているのかなぁ。その割に大事にされている風情でもなかったのが、少し寂しく感じたのでした。三十有余年ぶりのたぬきとの再会…なんぎ様、きっかけを有り難うございました。
(於:中央区)
| 固定リンク | 0
「路上観察」カテゴリの記事
- 汚水枡の蓋、布施市と東大阪市の。(2024.12.19)
- 会所枡の蓋にあるさくらの意匠は…(2024.11.14)
- 細道の幅いっぱい“とび出し注意”(2024.10.17)
- 南太子堂五丁目2のイケズ石、どやっ。(2024.10.12)
- 完璧なる無用庇か(2024.10.04)
「懐かし…」カテゴリの記事
- 津田元町二丁目49の昭和な一角(2025.01.23)
- そう言えば瓶ビールも自販機で売ってたな。(2025.01.19)
- “ステンレース”のブリキ看板、13年経って。(2025.01.09)
- ひかるアサヒ/三ツ矢のコップに諸々(2024.12.29)
- 汚水枡の蓋、布施市と東大阪市の。(2024.12.19)
「大阪市中部」カテゴリの記事
- 上町Bの月景色(2025.01.14)
- 肥後橋バス停あたりで街を見上げる、午前9時29分。(2025.01.10)
- 昭和なプラ看板 325 ● アサヒビール 大衆食堂 とみや(2024.12.30)
- 久宝寺橋から観光船“てんま”を、午後2時25分。(2024.12.20)
- 難波宮、午後0時41分。(2024.12.15)
コメント
拙文の情報でお役に立ちましたようで…。
お伝えしたときは大体の場所でしかなかったのですが発見でき、再開できてなによりです。
私は友人をつれてこの前を歩くとき、狸と反対側で歩いてこの像の前にきたら
「ほれ、後ろ向いてみ。」
と、言って振り向かせびびらせるのを楽しみにしております(笑)。
今後とも私のブログもお楽しみいただけるよう精進いたしますのでよろしく!
投稿: なんぎ | 2009年1月28日 (水) 14時06分
なんぎさま こんにちは。
コメントおおきにです。
なるほどねー、あのたぬき、そう言う使い方もできますね。何となくいつまでもあの場所にあり続ける様な気がしますんでいっぺん私もその手使ってみます。
これからも“なんぎな日記”楽しみにしておきます。こっちも負けん様にネタ探しせんと…って、質の高さでかないませんけども。
投稿: 山本龍造 | 2009年1月28日 (水) 17時54分
治作じゃないですか!
旧大阪劇場の近く間違いない!
私の祖母はこの家の先々代に子供がいなかったために
養子に入らないかと直々に誘われていたんですよ。
先々代と祖母の父が従妹同士で
祖母が大阪に住んでいる時には
よく治作へ行ったそうです。
それはもう流行に流行っていたらしいです。
ふぐが美味しかったと言ってました。
たぬきの置物も凄く懐かしんでいました。
投稿: まさき | 2013年4月22日 (月) 12時38分
まさきさま はじめまして。
まさか“治作”に関係する方からコメント頂けるなんて…有り難うございます。
そういう理由もあってもう商いをやめられたんかなぁと思いながら読ませて頂きました。
やっぱりその頃、はやりに流行っていたんですね。私ら子供は、その料理の味もわからず、ひたすら店内二階一階を行ったり来たり鬼ごっこしたりで騒いでおりましたが…中居さんたちはやさしかったなぁ。
あれば、もう一度おとなになってからあの味、あの空間を味わってみたかったです。
こういうところでお話しさせてもらえるとは…ええ時代でもありますね。もしよろしければ今後とも拙ブログとお付き合い頂ければ幸いです。
コメント有り難うございました。
投稿: 山本龍造 | 2013年4月23日 (火) 15時58分
どうも何か嬉しくてコメントしてしました。
ちなみに祖母は
治作の中居もしておりましたので
もしかしたらブログ主様との交流が
あったかも知れませんね。
いやー人の出会いって不思議なもんですねえ。
投稿: まさき | 2013年4月25日 (木) 14時31分
まさきさま
そうですか…お祖母さんも中居をされていたとなると、ほんま幼少期のわたしとも交流があった可能性大ですね。不思議と言うか何というかネットのチカラってすごいもんですね。
あれこれお教え頂きまして、有り難うございました。せっかくコメント頂いたのに、レスが激遅になりまして失礼致しました。
投稿: 山本龍造 | 2013年5月 2日 (木) 09時54分