« 昭和なプラ看板 14 ● ○○ミートショップ | トップページ | 奉納 浜崎あゆみ より »

2008年11月20日 (木)

かつてあった地パン4◆『北寅パン』

Kitatorapan ずっとシャッター閉まったままの元喫茶店の隅で写真のパン箱を発見…ってだけ。10年くらい前に廃業しはったパン屋さんみたいです。淀川区に会社があった様ですが詳細ご存知の方、お教え願えませんか?。からす様をはじめ皆様、情報や思い出話などありましたらお聞かせくださいます様ひとつよろしゅうです。

(於:中央区)

| |

« 昭和なプラ看板 14 ● ○○ミートショップ | トップページ | 奉納 浜崎あゆみ より »

食べ物/飲み物」カテゴリの記事

コメント

ひさしぶりにお邪魔します。

では山本さんのリクエストにお答えして(笑)

学校給食と言えば、柿色に白文字のプラ箱の北寅パンとグリーンに赤文字のプラ箱の岡崎牛乳とマーシャルビーンズ(これについては次の機会に 笑)が即座に
思い浮かびます。


さて、北寅パン(株式会社北寅製パン工場)なんですが、淀川区加島のモスリン橋を下ったところにあった地パン屋で、主に学校や会社給食のパンを手掛けてはったと思います。大きな家を増改築した住居兼工場の端に直営店がありまして、勤務先が近所やったから昼によくパンを買いに行ってました。安くて旨いパンやったですよ。2000年頃に惜しくもやめはりました。

投稿: からす | 2008年12月 8日 (月) 22時15分

はは、からす様見事にひっかかってくれはりましたね。
おおきにおおきにです。

いやぁ、じつに楽しい。大阪人のわたくしではございますが、淀川区はほとんどというか全然馴染みのないエリアでして、こういう書き込みをしていただくと、何ともイメージが広がってきて…おもしろいです。「なになに“モスリン橋”?けったいな名前やこと」と地図を見たりググってみたりするとなお面白いです。

で、北寅パンさんというのは、書き込み頂いた文面からすると、地主さんクラスの方が、母屋の横で製パン業を営んではったって感じなんでしょうかね?。これまたイメージひろがりますね。

いっぺん加島あたりに行ってみたくなりました。おおきにおおきにです。
では今度は「マーシャルビーンズの謎」もよろしゅうです。

投稿: 山本龍造 | 2008年12月 8日 (月) 23時05分

はじめまして!
「北寅パン」という懐かしい名前を聞いて、コメントしました
もう10数年ぐらい前?の話ですが・・・私が小学生の頃、学校給食で出ていたパンが「北寅パン」でした。
小2か3ぐらいの時に社会見学で「北寅パン」の工場へ行き、帰りに「クリームパン」をもらった記憶があります
みんなで大喜びしたのを覚えています♪
工場の人も親切にいろいろ教えてくれたり、(工場内を)案内してくれました。
パンはおいしくて、(給食の時)おかわりもしていました
今もスーパーなどで、「ぶどうコッペパン」や「黒糖コッペパン」を見るたびに思い出します
あと、余談ですが・・・社会見学に行ったとき、お昼に工場の近く?の公園でお弁当を食べたのですが、その日は風が強く、砂が舞っていて、レジャーシートが飛んでいったり、(お弁当を食べていたら)口に砂が入ってきたり・・・と大変だったのも覚えています
今はもうなくなってしまったのですね残念です。

投稿: れいんぼー | 2011年1月 7日 (金) 19時44分

れいんぼー さま
はじめまして。
やはり小学生の社会見学は給食用パンを作っていた地元のパン工場でしたか。私もそうでした。私は“城東パン”というやはり今はなき製パン会社へ行きました。れいんぼーさま同様、おみやげにもらって帰った菓子パンがうれしくて美味しくて…懐かしい思い出です。
ただ、れいんぼーさんと私、世代が違うなぁと思ったのは、給食で食べたパンが「おいしかった」とおっしゃるところですね。私らの時代は…給食に出てくるパンってどうにも美味しくなくて…。店頭で売っている城東パンは美味しくても給食用は…。きっと小麦粉の質とかが低かったのでしょうかね。まだ、「貧しさ」というものが残っていたのでしょうね。
しかしながら、社会見学のあとに強風に巻き込まれはったとは…臨場感あふれる文章での書き込み、なんか他人事だからか、楽しそうに思えてきましたが…今となっては楽しい思い出なんでは?

楽しいコメントを有り難うございました。今後ともよろしければお付き合いのほど、よろしくお願い致します。

投稿: 山本龍造 | 2011年1月 9日 (日) 19時03分

はじめまして。むっさ以前の記事への反応ですいません。
ちょっと北寅パンが話題になってて、偶然拝見いたしまして。
ブログ主さんと同じく、私も給食のパンにはヨイ思い出がありません。
豊中市の豊南小学校では北寅クンが供されてました。食パンとコッペパンが交互に。
パサパサでしたなあ・・・。牛乳で流し込んでたような気が。んで、またこの牛乳っ
ちゅーのも今から考えたら、ちょい水っぽかったような。アカンやん豊中・・・。
かなり後までコッペパンと牛乳についてはトラウマが残ってしまいましたわ。
ということで、お邪魔しました。

投稿: ふじつぼだんき | 2012年9月25日 (火) 13時26分

ふじつぼだんきさま
はじめましてこんにちは。ようこそ拙ブログへお越し下さいました。
で、北寅パンでお育ちになったけど、味にええ思い出がないと。
いやほんま、あの頃の給食用パンは、ぱさぱさで…あ、においも何となくおぼえていますわ。食欲そそらんあのにおいも…です。
もちろん牛乳も…水みたいな味でしたね。小学2年生までは“ミルク”と称して脱脂粉乳をお湯で溶かしたやつも出ていましたが、どっちも嫌でイヤで1〜2秒で一気に飲んでました。
私は未だに、牛乳は飲めません。牛乳くさい料理もダメです。ま、それが給食用牛乳のせいなのか、元々あのニオイが嫌いなのかは別ですけれどもね。
たぶん同世代でしょうね。これからもよければお付き合いのほどよろしくお願い致します。

投稿: 山本龍造 | 2012年9月25日 (火) 15時25分

北寅ぱん、懐かしいです。朝早く、買い物かごをもって、50円もって、並んで、パンの切れ端、ジャムパン、アンパン、クリームなど色々、籠に入れてくれましたね。母に言われてよく買いに行きました。配給では食べ盛りの子供がたくさんいる家庭では、足りません。モスリン橋も懐かしいです。渡るのが怖かったです。

投稿: はつこ | 2014年5月 5日 (月) 06時49分

●はつこさま
こんにちははじめまして。
買い物かご持って…ですか。しかも50円でそれだけのパンが買える…当時の物価もあるのでしょうが、北寅パンさんは太っ腹なサービスも忘れない会社やったのかなぁと思い読ませて頂きました。配給では足りない…その辺の事情を察してたくさんかごに入れてあげてはったんでしょうかね。
そういう話をきくと、廃業されたというのは、何ともさみしい感じがします。もう…まぼろしのパンなんですね。
コメントおおきにでした。レスが激遅になりましたこと、お詫び致します。

投稿: 山本龍造 | 2014年5月16日 (金) 17時01分

昭和30年代の頃でした。並んでいて順番まで来なかった時は、涙が出ていました。あの頃はほとんどの家庭が貧しかったです。間に合った時はとても嬉しくて、帰ったら兄弟姉妹たちが好きなパンの取り合いでした。私は切れ端にクリームが付いているのが好きでした。今は加島も変わったでしょうね。きっと面影はないと思います。2000年ごろに廃業されたんですね。一度は寄ってみたかったのですが。知っている場所などもう無いかも知れません。

投稿: はつこ | 2014年6月 6日 (金) 06時23分

山本様、コメントありがとうございます。昭和30年代の頃です。朝早くたくさん並んでいて、順番が回って来ない日はとっても残念でした。まわりはみんな大きい人で私は小学生の1,2年のころだったと思います。廃業されるまでに一度、行きたかったです。

投稿: はつこ | 2014年6月 6日 (金) 08時13分

●はつこさま
またまたコメントをおおきにです。
思いで残る場所を訪ねたい様な、訪ねたない様な気持ちってあると思うんです。記憶の中でそのマンマの風景として残しておきたいみたいな。
私は北摂のこと、ほとんど知らないのでどうなっているのか、どう変わったのかさっぱりわかりませんが、お書きくださった皆さんのコメントからくるイメージを膨らませて、北寅パンを想像して楽しんでいます。

他の記事にも気楽にコメント頂けたら嬉しいです。ま、最近なかなかレスできないのが心苦しいのですが。

投稿: 山本龍造 | 2014年6月 7日 (土) 23時59分

 はじめまして、「北寅パン」で検索しましたら、こちらに辿りつきました。お邪魔いたします。

昔、園田に住んでいたのですが、戸の内から十三方面へ自転車で行く時に、パンを買っていました。

 白あんの入ったメロンパンや、ホイップクリームとリンゴの甘煮が入ったアップルパン、「美味しくてインド人もびっくり」と袋に書いてあったカレーパンがありました。
 一度、大手パンメーカーの「アローム」のパンを店頭で見たことありますので、OEMも引受ていたのでしょうか。

投稿: やんぞう | 2015年9月25日 (金) 14時48分

●やんぞうさま
初めましてようこそアホげへ。
私自身“北寅パン”を食したことも見たこともないのですが、やんぞうさまの様に皆さんから頂くコメントで往時をいつも想像させてもらっています。
で、メロンパンが白あん入りでしたか。大阪にありながら“神戸スタイル”やったんですね。
カレーパンに「美味しくてインド人もびっくり」ですか…その辛さにビックリなのではないところにひと工夫が感じられて…食べてみたいですって、かなわんのですね。
で、店頭にアロームのパンですか。OEMかもしれませんし、ひょっとしたら、自社生産を諦めアロームから仕入れていたという線も考えられますね。
大阪地パンメーカーもいよいよ神戸屋だけに…って感じ。昔は色々な業種に色々なメーカーがあったもんです。懐かしいなぁ。
コメントに情報、有り難うございまいた。もしよろしければ今後ともお気楽にコメント頂ければさいわいです。

投稿: 山本龍造 | 2015年9月26日 (土) 09時55分

山本さま、お久しぶりです。
先日、友人から緒方拳主演の映画「野獣刑事」(1982年)を勧められまして、観てみますと「加島の町並み」「モスリン橋」や「実際にあった戸ノ内の大火事」が写っておりました。
残念ながら、北虎製パンは登場してませんでしたが、川べりの文化住宅で撮影してましたので、ロケの際に購入していたかもしれませんね。

投稿: やんぞう | 2017年8月 5日 (土) 10時40分

●やんぞうさま
お久しぶりでございます。
そうなんですね。当方はこのパン箱だけしか知らずでそもそも淀川以北に縁がないもので、読ませて頂きあれこれ想像して楽しませて頂きました。いっぺん探索に行ってみたくなりました。仕事に絡められたらなおええんえすけども。
再訪有り難うございました。他記事にも思うことあったら反応お願いします。

投稿: 山本龍造 | 2017年8月11日 (金) 10時19分

北寅パン。ふと何気にこの名を思い出して検索したんですが... 今から45年程前、私が高校生だった頃、友人のオカンの紹介で年末の餅製造のバイトをしたことを思い出しました。3泊4日程度だったと思いますが、3交代制で3時間働いて6時間休憩を延々と繰り返すのみでしたが、当時のバイト代で4万円程度いただいたと記憶してます。結構なバイト代でしたね。
大きな水槽にもち米を一杯入れて水を加えてオールみたいな大きなもんで米を洗い、それを蒸し器にかけ、自動餅つき機で餅にし、職人風のおっちゃん達がこねていくんですね。中には餡子入りや海老入りや青のり入りがありました。ここの餅は添加剤を一切使用していなくて作業中に食べさせてもらいましたが結構おいしいことを覚えてます。衛生面では...今では考えられない位に無茶苦茶でしたけど。
その後、大学1年位まえは続けていました。当時は色々なところから学生バイトやらおっちゃんやらで賑やかでしたね。

投稿: しんちゃん | 2020年9月29日 (火) 11時57分

●しんちゃんさま
はじめましてこんにちは。ええ話を有り難うございます。
>>3時間働いて6時間休憩
…不思議なシフトですね。それが三泊四日で四万円ってのもこれまた「へぇー」って感じ。きっと北寅パンさんにも勢いがあったのでしょうね。
お書きいただいた文面から色々あるも活気があって前向きやったええ時代やったんやろなぁってのが伝わってきました。
衛生面…新コロ蔓延の日々ですから無責任なこと記せませんが屋台の中華そばとかアヤシイもんもまだまだあって、その時代に生きていてよかったなと思う今日この頃です。
書き込みおおきにです。他の記事でも何ぞあればコメントお待ちしております。

投稿: 山本龍造 | 2020年9月30日 (水) 14時02分

山本サマ
早速のレスポンスありがとうございました。
当時、私は茨木市に在住で、淀川区加島に行くことは全く無く、北寅パンさん=餅屋のバイトのイメージのみで、パンにまつわるコメントでは無く申し訳ないです。
また面白い情報があれば拝見させていただきます。

投稿: しんちゃん | 2020年10月 2日 (金) 15時10分

●しんちゃんさま
これまたご丁寧に再度の書き込み御礼申し上げます。
私は中河内モンでして淀川の向こう側のことはまぁ知らんので、もちろん北寅パンのことも…です。
しかしまぁ何でその社のパン箱が中央区にあったのかもちと謎に思ったりしますが、廃業時あちこちに二次利用で流出したのかもしれませんね。
お餅もパン箱に入れて出荷していたのかなぁ…ってその頃は木製やったかと思いますが。

またのお越しをお待ちしております。

投稿: 山本龍造 | 2020年10月 6日 (火) 12時56分

あんメロンが大好きです。

投稿: | 2024年4月 9日 (火) 08時05分

●さま
北寅パンに“あんメロン”って名の菓子パンがあったということでしょうか。
検索してみたところヒットしませんで…まぁかなり昔のことゆえ仕方ないことかもしれません。
ちなみに私は城東パンの“メロンパン”と“チーズボール”が大好きでした。

コメントおおきにです。
今後とも何ぞあったらよろしゅうに。

投稿: 山本龍造 | 2024年4月11日 (木) 22時39分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: かつてあった地パン4◆『北寅パン』:

« 昭和なプラ看板 14 ● ○○ミートショップ | トップページ | 奉納 浜崎あゆみ より »