かつての大阪酒 2『文正宗』田中酒造(株)
いま、大阪府下に現存する造り酒屋は20軒を割っている状況でさみしい限りですが、ほんの数年…いや、気がつけばもっと前ですね、四半世紀ほど前には40〜50軒くらいの蔵が稼働していました。その頃、よくスーパーカブの荷台にさん箱(木箱)をくくり付けては府下の酒蔵にお酒を買いに行ったものです。どこの蔵に行っても好意的に受け入れてもらえて楽しかったなぁ。てなわけで、もう、まぼろしになってしまった大阪のお酒を新カテゴリ−として独立させて時折紹介していきたいと思います。
『文正宗』はアサヒビールで知られる吹田市に蔵を構えてはりました。新興住宅地の一角みたいなところにあり小振りのコンクリート蔵で醸してはりました。見た目も場所もちょっといわゆる造り酒屋的ではないのが不思議な感じで「直売してもらえるんやろか?」と不安を抱きつつ訪ねてみますと「…うちが酒つくってるの何で知ってるの?」と言いつつも丁寧に対応してくれはりました。で「甘口辛口、どんなタイプの酒がええ?」と訊かれ「そしたら甘口で」と答えると「これ甘口な、さばけのええやつ」と、この写真のお酒を出されました。吟醸やとか純米やとかの違いではなく同じ一升瓶、同じこのレッテルで中身の酒質が違うと…何ともレアな感じで「わしだけが知ってる秘密」みたいに思ったもんです(三増酒混和の普通酒のみ手掛けられていた模様)。で、レッテルにある住所がハンコで記されていて、下に茨木市水尾(※追記2を参照)という住所が見えましたので尋ねましたところ、中央環状線建設の立ち退きで吹田に移ったとのこと。変わった場所のコンクリート蔵やった理由はそういうことやったわけです。しかしながら、街の酒屋さんではこの文正宗、見かけた事がありませんでした。白鶴のローリー車が敷地内に入ってのを何度か見かけましたので、大手の下請け中心に醸されていたのかもしれません。味は、その当時あまりわたくしの口に合わなかったみたいでメモにそんなことが書かれています。
いつ廃業されたのか、定かではありませんが、1995年の酒造家名鑑には掲載されていますので、10年程前にたたみはったと思われます。
文正宗:田中酒造株式会社
大阪府吹田市長野西
(※レッテルには書かれていませんが書籍などには“金紋文正宗”と書かれています)
追記:本ブログにコメントやMailを時々送ってくれはる“からす”さんに触発されてこのシリーズを始める事にしました。今回が第二回になっていますが、単発で記すつもりだった池田の『桐正宗』を第一回とさせて頂きました。蔵名も第一酒造でちょうどよろしいやろ。
追記2:茨木市内の中央環状線を地図で見ますと“水尾”という地名のところを通っていません。わたくしの聞き違いか、町名変更区画変更でもあったのか。未確認な情報ですいません。
追記3:先日所用のついでに田中酒造のあったところへ行ってみました。前に見た時(10年ほど前)は更地でしたが、今は写真の通り一戸建て住宅がいくつか建っておりすっかりまわりと溶け合った景色の一部となっていました。ここに造り酒屋があったことを知る人も、もう少ないかもしれませんね。
(2009年6月撮影)
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コメント
こんばんわ。
貴重なお話をありがとうございます。
文正宗はかつて存在した大阪府下の酒蔵を調べてて「ほう···吹田にも酒蔵があったのか···」と、1番気になっていた所です。白鶴のローリー車が来ていたというのは···下請けをやってはったんか、もしかしたら仕込み用の水を取り寄せてたのかもしれませんね。
それにしてもレッテルの「清酒二級」の表示が懐かしい···
投稿: からす | 2008年9月 6日 (土) 04時35分
からすさま、いつもコメント有り難うございます。
泉州の某酒蔵がその昔『灘の宮水の酒』みたいなキャッチコピーを電柱の看板に書いてはった事を考えると、ローリー車で宮水を移入してはったのかもしれません。ま、その蔵は灘の蔵元の下請けをやってはった見たいですから、その提携先の蔵の方針やったのでしょうね。
投稿: 山本龍造 | 2008年9月 7日 (日) 23時29分
すんません。レス遅れました(汗)
灘の蔵元の下請けをやってはったんやったら···品質の統一化の為に灘から宮水を取り寄せてた可能性がありますね。
去年、文正宗のあった場所に行ってみたのですが···住宅地になってました。
投稿: からす | 2008年9月16日 (火) 21時49分
解体直後の更地を見たのが最後でしたが家建ってますかやはり。ホンマ写真撮っておかんかったんが悔やまれます。
コメントおおきにです、からすさま。
投稿: 山本龍造 | 2008年9月17日 (水) 08時51分
こんばんわです。
ええ。完全に住宅地になってましたよ。
文正宗の蔵···見たかったですねぇ。
投稿: からす | 2008年9月18日 (木) 00時29分