昭和も昭和な貸店舗
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先日スーパーで『徳島らーめん』という即席麺を見つけました。そのパッケージに記された写真に…「あっ!あの時のスタイルや!」。昔の記憶、というか、ある時の謎が解けた気がしました。
幼少の時より屋台の中華そばに興味がありまして、でも大人はチャルメラが聞こえると「子取りが来たで!」と言っては子供を寝かせ付けようとしてました。“コトリ”という響き、妙にマイナー調で吹くそのメロディに「怖いもん見たさ」的興味が益々湧いて…ま、この辺で本題へ。
父親は不衛生やと取り合ってくれなかったものの、比較的わたくしをほったらかしてくれていた母親は夏のある夜、父親が慰安旅行で不在なのをチャンス!と屋台の中華そばを食べに連れて行ってくれました。
近鉄八尾駅まで電車に乗り、駅を出るとその屋台は佇んでました。“中華そば ○岡(まるおか)”と記された赤い暖簾、長椅子の下には蚊取り線香、駅前の適度な喧噪…手に取るようにその時の空気感を今も覚えてます。で、屋台のおじいさんにふたつ注文し、出てきた中華そば。それには…“チャーシュー”ではなく“甘辛く煮た豚肉”がのっていました。「ふーん、屋台の中華はこうなんや」とその後、自分で作る時もそうしてましたが、そのとき以来、どこの屋台で中華そば食してもこのスタイルはありませんでした。
←この写真のこの感じ、この感じやったんです。その、近鉄八尾駅前に出ていた中華そば○岡のおじいさんが作ってくれた中華そばは。玉子は入ってなかったし、スープも鶏ガラの淡口醤油味やったと思うけど、肉が…肉がこの感じ。そうか…あの屋台のおじいはんは徳島出身やったんか。わからんけどきっとそうやったんや。やさしい感じのもの静かなおじいはん…割り箸も割って渡してくれはったなぁ。こっちが子供なだけで、ホンマはそんな年寄りではなかったんかもしれんけども、ちょっと哀愁漂う屋台ワールドにぴったりな感じやったなぁ。
その後数年経って駅も高架化で場所が変わり、その“中華そば ○岡”も見かけなくなったけど、あの後、故郷徳島に帰りはったんやろかなぁ…って、勝手に徳島の人に決めつけてるやん。あかんあかん。
※関連記事:
『赤川鉄橋たもとの屋台基地』 2013年7月 記
『高槻市駅近くで屋台の中華そばを…『東来軒 赤川』。 』 2011年12月 記
『春が来る前に、寒空似合う夜鳴きそばの様子でも。』 2010年2月 記
『屋台の基地は文化住宅の前やった。』 2009年12月 記
『中華そば『三吉軒』の屋台見つけ、幼少期を思う。』 2009年10月 記
『屋台中華そばの『大統領』テレビに出てはった。』 2009年8月 記
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大阪は田尻町のお酒。町人風の夫婦の表情が何とも初々しくてホンマ“若夫婦”って感じですやろ。昔は連れが結婚するたびに、ここの“若夫婦”を祝い酒として贈ってましたけど、みんなもう“若夫婦”って歳でもなくなって…遠ざかってます。1.8L詰の純米で価格は1500円のビックリ価格。値段以上の味わい。残念ながら、かなり以前から自家醸造してはれへんみたいです。関空近く、旧街道沿いの蔵元を訪ねてみてください。古き良き時代を味わえてほっこりしますょ。おすすめです。
(他に『虎勢』の酒名もあって、『若夫婦』は今は廃盤という情報も伝え聞いてますが、中身は同じということ。これもええ感じのレッテルです)
●『若夫婦』田原酒造有限会社 大阪府泉南郡田尻町嘉祥寺904
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マイナーやのにメジャー…もう今さら何も記すことはありませんな『旭ポンズ』に関しては。てなわけで数年前、東大阪は長瀬あたりの乾物屋さん前に落ちていたかなり古そうな旭ポンズのポスターを掲載しときます。見ての通り、何にでも合う“完全味つけ”やと言う自信をストレートに伝えてはるだけ。この潔さは…瓶に貼ってあるレッテルと同じやね。細かい事を言うとこれには“うどんすき”と書いてあるけどレッテルは“うどんのすき”。美々卯に怒られはったんかも。八尾が誇る『旭ポンズ』。“喰べてビックリ旭ポンズ”のキャッチフレーズには偽りはございませんで。
追記:その昔『しゃぶしゃぶ用 旭ポンズ』という商品があったのですが最近見かけません。味は…普通のと同じみたいでしたけども、どなたか知りませんかね?。
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『なかなかいけてますやろ、この落書き』の回のと同一人物の仕業か?またも同じタイプの落書きを発見!。今度はピンクの女性です。前回見つけたところとはかなり距離があるし、今度のは繁華街の中やしと随分シチュエーションが違います。あちこちでゲリラ的に描いとるんか、いま流行ってるんか?。他の地でも見つけはったらぜひ御一報を。
(於:中央区 御堂筋の大丸あたり)
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←こんな商品昔あったん知ってはりますか?。レアですやろ、“長龍”の左下に“浦霞”でっせ。
“な〜るほ〜どよい酒♪”でお馴染み大阪は八尾の長龍酒造。今でこそ奈良県下“広陵蔵”で自家醸造してはりますけど、その昔は大阪(梅林酒造、西條)、奈良(飯田本店)の原酒を中心に調製して製品化する“協同瓶詰法人”という位置づけで自家醸造せず、各地の蔵元から原酒を仕入れてはブレンド、販売してはりました。その頃にあった商品がこの純米吟醸酒“浦霞長龍”なんですな。
聞くところではこの長龍の先々代社長は、南部杜氏の醸すお酒を気に入ってはったらしく、中でもこの宮城県の“浦霞”醸造元(株)佐浦だけは(原酒の)仕入れ先の中でも別格扱いにするくらい気に入ってはったんでしょうかね。そんな経緯からか、奈良県広陵町の自社系列の酒蔵が稼働した時(昭和54年)には、浦霞の名杜氏“平野佐五郎”氏の愛弟子を招き入れたとか。その頃のTV-CMに出てはった“澤田薫”杜氏がそのお方。で、結果奈良県下で一番に全国新酒艦票会で金賞を受賞されました。(その後もずっと南部杜氏が携わってはりましたが、数年前の造りから、南部杜氏の資格を持つ社員杜氏を中心に酒づくりが行われているみたいです)
で、この“浦霞長龍”のお味はというと…レアすぎて、開栓できぬまま四半世紀を過ぎ…ま、一生開けられへんでしょうな。
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タカラヅカ・バレンタインスペシャルで“黎明の風”“Pasion 愛の旅”を見てきました。S席チケット購入、三組六人で行き、我々(姪の高校生さかなちゃんと)は1階10列26番あたりの大当たり。で、他の二組は何と二階席…やっぱりくじ運ええなぁわしは。
宙組、そして“理事”さんにはさほど興味なくて…それが幸いして贔屓筋の北翔海莉さんばっかり追えまして、こういう見方もええかもとか思った次第。で、やっぱりこの人ええわぁ。何がって基本的に元々持ってるもんが“陽”やという部分。何かね、見てて朗らかな気分になるわ。主役級の人らの舞台挨拶の間とか自分に関係ない時でもずっと抜けの良い笑顔で楽しなるねぇこっちも。華やかな主役から陰ある“乞食”まで演じることができるこの人、はよトップになれへんかいなぁ。
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覚えてはりますか?『アメリカ堂パン』…って振っておきながら、じつは食べた記憶とか全然ないんですけども。
城東パン、富士屋パン、アケボノパン…子供の頃はヤマザキとかシキシマ(現パスコ)が今みたいに勢力伸ばしてなくて色んな“地パン”屋がありましたな。アメリカ堂もそのひとつ。あちこちのお菓子屋にそのプラスチック看板が上がってました。親戚の家に従兄弟が集ったら「アメリカ堂行こ」言うて阪堺電車“姫松”駅前のお菓子屋へ行ってましたけど、あの店、ただアメリカ堂のパン置いてるだけで、正式な屋号やなかったんかもしれんなぁと今となっては思います。10代後半になった頃にはもう存在せなんだみたいですけど、八尾のはずれにあった㐧一パンのサンドイッチ工場に“アメリカ堂”と微かにロゴの跡が残っていた記憶があります。
このパン箱は…20年ぐらい前、捨てられていたのを「これはこれは…!」と拾ってきたもの。雨ざらしで劣化してきましたが今、実家で庭いじりの道具入れに使われています。
で、もうひとつその頃のものを。“エリザベス”と記したアメリカ堂の食パンを入れる袋です。これを手に入れた時にはもうアメリカ堂は存在しなかったはずですが、『城東西湖堂パン』の看板の上がった菓子屋で食パンを買ったら、なぜかこれに入っていたのでした。で、この袋に記された住所からすると、大和川より北側の藤井寺市(八尾市ちゃうんみたいな場所)に会社が存在したようです。検索エンジンにかけてもほとんど出てこないアメリカ堂パン…大半の人には、もう化石みたいな話になってるんでしょうなぁ。
追記:昭和54年2月に日本経済新聞より刊行された『全国パン戦争』によると、アメリカ堂は昭和52年5月に「食パン、菓子パンの生産を一切中止し、第一屋のサンドイッチなど調理パンの生産を下請けする」という第一屋製パンとの業務提携を発表したとあります。その後、最終的に第一屋製パンに集約されたものと思われます。平成19年まで稼働していた第一屋製パン大阪工場も元々は大阪の地パン“マルエスパン”を昭和44年に買収してできた工場みたいですので、第一パンはその頃、買収、提携で規模を大きくしていた様子です。(Thanks to からすさま)
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『京都のエスカレータ、立つのどっち?』の回同様、大阪圏で「どないなってるん?」と思っていたのが所用で時折訪れる大阪空港(伊丹空港)のエスカレータ。で、昨日行く用事がありましたので、チェックしてみましたところ…“やっぱりそうやんな”な光景が目に入ってきました。
左側の写真は大阪モノレールの大阪空港駅でのもの。「右に立って左あけ」の大阪スタイル。右の写真は、大阪空港にあるエスカレータ(空港→駅通路)で「左に立って右あけ」の東京スタイルとなっています。このパターン以外にも、ごちゃ混ぜの事もありますな。他地区との玄関口ではなかなかこう言う“暗黙のルール”は定着しないんでしょうな…って、新幹線の新大阪駅ではこんな光景あんまり見ないんやけど。またチェックしときまっさ。
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「これってロールケーキちゃうん?」な巻き寿司を某百貨店に勤めるご近所さんより頂いた。通常の巻き寿司では海苔の部分が全部カニの足の身、ピンクがかった赤い色合いがまた何ともケーキ的。で、中身はと言えばこれまたカニの身詰めつめでご飯ちょろっと状態。変わった食べモンやなぁと思ったけど、頂き物ゆえ、どこの名産なんかとか原材料とかわからんまま。それはそれは、めちゃ堪能しましたで、カニかにやもんね。現物は…もっとインパクトありまっせ。百貨店で見つけたらぜひ御一報を。
追記:その実態が明らかに。詳細は『越前かに寿司…12,600円也!』へ。
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環状線鶴橋駅の高架下で“花自慢”と記した看板を発見。どぉってことないんですが、何かかわいいでしょ、自慢の割に控えめな字の大きさと花を背景にあしらってる感じが。
この伏見酒、M&Aで大手になった?埼玉の大手酒造家系に昭和の中頃経営が変わり酒名も“世界鷹”に、そして平成に入り“京姫”となって廃盤になったと思ってたら、今もちょっとだけやってるみたいです。ちなみにこのお寿司屋さん、暖簾には灘の別の蔵元の酒名が入ってました。
余談ですが“ことえり”って“ATOK”と違うてアホすぎ。“花自慢”も最初は変換できたのに二回目には“派馴染まん”やて…学習しぃな、ほんま。けど、大阪イントネーションには…強いねんなぁ、憎いヤツ。
(於:天王寺区)
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