2024年12月 4日 (水)
2024年12月 3日 (火)
ソテツ、刈り上げ。
実際には二次元とまでいきませんけども、や。
まぁ見ての通り。限られた空間の中でひと様に迷惑をかけん様にとなると、刈り上げしかないんでしょう。
もちろんソテツの意思でこうなってる訳やないんですけど、何となくソテツはソテツなりに“覚悟”をもってこの状態を受け入れてる様に見えますで…って、勝手な思い込みです。
(於:堺市堺区) こんな“蛾”いそうや…大きさはちゃいますけど。
※関連記事:
『ガラスに挟まれ二次元化する草』 2018年4月 記
『二次元化した観音竹』 2013年3月 記
2024年12月 2日 (月)
防火水槽 248 ■ 住吉区清水丘三丁目14(大和川検車区)
過日仕事の帰り阪堺電車は我孫子道電停に隣接する車庫の横を歩いてましたら構内に防火水槽があるのを発見。
ここを電車で通過する度に目に入っていたはずなんですけど、全然気づいていませんでした。チン電に目をやっているとまぁそんなもんでしょう。
昔から置かれている風情ながら、ひょっとしたらかつて住吉公園駅にあった防火水槽が、2016年1月の同駅の廃止に伴ってここに移されたものでは? と思いましたが、見比べますとどうやら別モンの様です。
大きな車庫にこんな防火水槽がひとつとは…まぁ効果は期待できませんわなぁ。いずれにしても本気でここに置いてあるというより何かの事情でここに運ばれ第二の人生を歩んでるんでしょう。しかしながらなんとも妙に馴染んでます。
(於:住吉区) 住吉公園駅のそれ、中の金魚は鶴見区の中学校へ移ったと聞くけど防火水槽はどこへ行ったんやろ。
※関連記事:
『防火水槽 101 ■ 住吉区長峡町3 住吉公園駅』 2012年11月 記
2024年12月 1日 (日)
昭和なプラ看板 323 ● ゾートスサロン SHISEIDO
昭和モンではないかな。
ゾートスサロン。確か資生堂のプロ用製品を扱ってる美容院のことやったんちゃうかなと思うももひとつ確証ないしと調べますれば…へぇ、2017年でZotos事業をヘンケルに譲渡して撤退してはるとのこと。で、そもそもはアメリカのパーマ剤の会社Zotosを1988年に買収して資生堂に取り込んだものとのことでした。知らなんだなぁ…って、まぁ野郎が知る由もないかなと思ったりもしますけど。
この看板ではほぼ掠れて読めなくなってますが下部には“SHISEIDO”の文字が書かれている様です。それで、以前“昭和なプラ看板 253 ● SHISEIDO”の記事で取り上げた看板ですが、すっかり色褪せてよくわかりませんでしたがこれもゾートスサロンのものやと今回わかりましたのでここに報告しておきます。
(於:住之江区) TSUBAKIとかUnoとかも売ってしもて…大丈夫なんかいな。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 253 ● SHISEIDO』 2022年2月 記
2024年11月30日 (土)
完全に植物に取り込まれた建屋
過日の旅、帰りに有田でみかん狩りに寄ったんですがそこで見かけた光景が、これ。
判りますかね、ここに小屋以上家未満な建屋が隠れているんです。
この様に中を覗けば建具が見えます。
植物の生命力はほんまに侮れませんで。つまるところ人間がおらん様になったら“緑化”なんかカンタンなことです。
(於:和歌山県有田川町) まぁ、こういうのは“緑化”とは言わんのやろ。勝手なことや。
※関連記事:
『藤小屋』 2024年4月 記
『これぞバンブーハウスや 2』 2024年4月 記
『これぞバンブーハウスや』 2008年4月 記
2024年11月29日 (金)
すぐに師走やっちゅうときに挿絵登場の11月
もうすぐ師走。お子、11月は描きよらんねんなと思てましたら…ありますやん、挿絵。
おっ、カラフルにしてシック。黄色い葉をつけた木なんかまさに今の季節ですな。落ち葉の色合いもしかり。ちゃんと秋から冬への移り変わりを日々観察してるねんなぁ…って、まぁ毎度のことスマホ片手に何ぞのサンプル見ながらやっとるんでしょう。
で、ブルーベリーワイン…いや赤ワイン、でっか。ボトルの歪みがよろしいなぁ…ってことより、何や燗酒ちゃうんかいな。まだまだですなぁ。ま、きっとこれ、湯気を描き忘れたグリューワインやと解釈しときますか。
切り株に座るくまちゃんは、ぬいぐるみでんな。やとしてもこのドングリ風な実はなんでしょう。その大きさバケモン級ですけど。
2024年11月28日 (木)
“撮影OK”にあれこれ
塩田千春展へ行ってきました。
圧巻。十和田市現代美術館で観た時よりそらぁもう…って素晴らしい作品のことは他所さんに任せておきます。
で、ですわ。せっかくの作品をもうちとゆっくり鑑賞したいなぁ思うも気分がもひとつ乗りませんで。
一部の作品を除いてどうやら基本“撮影オッケー”らしく、多くの人がもうあっちでもこっちでもスマホやらカメラ持って撮りまくり。
時は令和。何が何でも“撮影不可”を謳う展覧会場はどうなんやろと思いますけど、撮影OKにするとこんなことになってしまうんかいな。中には「あんた、図録買いなはれ」と言いとなるほどに次々作品にスマホ向けて…
結局ね、その、なんと言うんかなぁ、ひとのこと言えませんねんけどモラルのなさが会場内に漂っていてそれに酔ったというか何と言うか。
と、令和六年には思ってる訳ですけどきっと、あと10年もすればこんな感じやなくなるんかもしれません。携帯電話の出はじめのこと思うと今ではそれなりに使う場所やら使い方に“常識”が出来上がってきてる様に感じます。
ま、会期の最後の方に行った自分もあきませんでした。結局現状を知らんで行って困惑してるだけの取り残され者やってことでしょう。
最後に言っておきますが“撮影OK”自体は時代に即していて良いと思っています、はい。
(於:北区) アホでよかったけど、アホはアホなりの人生や。
※関連記事:
『撮ったらダメ と 撮ってもいい話…写真展「浅田家」』 2008年11月 記
2024年11月27日 (水)
ナミイタの錆びた一角と牛乳箱
堺市は堺区某所での仕事を前に時間あるしと彷徨いますればたそがれた一角が。
あぁ秋冬にぴったりな色合いにビジュアル。ガス管あるもメーターなし…きっと空家。そらそうかな。
すっかり刈られて幹だけの木は、ストリートビューで確認するとビワ。下のみどりはあじさい。共になんとも言えん“いかにも”な感じがします。
ま、そんなことより気になるのはやはり真ん中に位置する牛乳箱ですよね。
近寄ってみますれば…これは“保証牛乳”のモノでしょう。「何でわかるん?」って、そらぁマニアですから…とか何とか。知ってることは何の足しにもなりませんけどまぁそんなもんでしょう。ほぼ原型を留めていませんけど、かすかに見える“HOS”の文字。かつて池田市で見かけたそれと一緒やと勝手に認定してこの辺で。
2024年11月26日 (火)
運送会社名いっぱい、某社出荷部の表示板。
船場は古くから繊維の街。中に江綿もありますがそこに、こんな表示板があります。
今もまぁ品物やら量、行先に応じて運送会社を変えてはる荷主さん多くあると思いますけど、こないに使い分けするって発送前の荷物の仕分けだけでも大変ちゃいますかね。
その運送会社の数いったいいくつあるねんと数えますれば42社。それだけの会社が棲み分けしてるんですねぇ…っていやいや、これはまぁかつてのことでしょう。
知らん運送会社いっぱいあっていったいこのうち現存する会社はいくつあるのかと調べはじめましたが…断念。検索でヒットせん屋号いっぱいありまして門外漢には手に負えません。屋号変えてやってる会社もあるでしょうけどこれ、かなりの数が集約されているのではないでしょうか。
まぁどんな業界も再編が進んでそれなりに合理化が進んだことなんでしょうけど、ごちゃごちゃっと大手からザコまで共存共栄が保たれた時代はそれなりに良かったんちゃうんかなぁと思ったり。まぁもちろん得意先取った取らんの小競り合いも日常やったんでしょうけど。ええことばっかりやなかったのに、ついつい“昭和はよかったなぁ”てな気分になってしまいます。
2024年11月25日 (月)
コサギとカモ、共にエサ探し。
コサギとカモが喧嘩することなく用水路で共にエサ探し。
これ、過日も見た光景。たまたまやなくて共生してるんですなぁ。世界あちこちで起きている紛争も何とかならんのかい…てなことまで思った訳ではないですけど、みんな仲良くありたいもんです。
(於:八尾市) 「みんな仲良く」…こんなフレーズ、数年前まで絶対よぅ言わなんだ。
※関連記事:
『白と黒、コサギとカワウ。』 2024年5月 記
『雨上がりの朝、用水路にコサギ一羽。』 2020年7月 記
『少子化の、カルガモ親子。』 2018年4月 記
2024年11月24日 (日)
2024年11月23日 (土)
本町一丁目6のビル壁面、午前7時29分。
今日明日と北浜あたり某所で仕事。天気も気候もええしで歩いて向かいますればビルの壁面に朝日があたってええ感じ。
隣接のビルなくなって現れた光景。無数のヒビに補修の跡がよろしいなぁ…で、一枚。よく見ると上の方にH型の煙突はひとつ。ビルにこの煙突ってはじめて見た様な。ま、どぉってことない景色の様であんまり見かけんのやないですか。期間限定の街の様子。
(於:中央区) そもそもH型の煙突自体が最近あんまり見かけん様に思うが。
※関連記事:
『錆びたナミイタ、Hのエントツ。』 2020年1月 記
2024年11月22日 (金)
2024年11月21日 (木)
玉造元町20の一角、令和6年11月の図。
ここ10年ほど使われていない風情のビルの玄関がこんなことになってまっせ。
何でこうなるんやろ。大阪はタンツボやからか。
(於:天王寺区) 不法投棄か嫌がらせか…私物か?
2024年11月20日 (水)
アホでよかった
ここ数週間、うちのひとの実家の片付けを手伝っています。
あんなモンこんなモン出てきて最後に雑誌やら作品集やら展覧会の案内状なんかを仕分けしてまぁほぼ要らんモンで、そんな紙屑(?)を目にしてますと何とも言えん虚無感が湧き起こってきて…「何や虚しいなぁ」と。
色々な展覧会やら催し、作品なんかがかつてあって各々が「どうでっか!」と作り上げては発表するも時がたてばまぁ…ほぼすべてゴミ。今でこそ少しはおとなしいしてますけど我がも若い盛りには何度も展覧会してはコリに凝った案内状作ったりしてイキってましたけど…何やってたんやろなぁと思うと益々虚しいなってきまして。
「何や虚しいなぁ」とうちのひとに言いますれば…「そんなことないやん」。
「作品なり発表会がその時だけであってもそれでええねん」と。「そこから何か違う展開が生まれたやん、それがええのとちゃう?」。
あぁなるほどなぁ。ホンマやわ、うん、ホンマほんま。
何らかのアクションを起こさんことにはリアクションはないっちゅうことです。
思い起こせばいろいろやったお陰であんな展覧会やらこんな仕事、ちょっ身の丈以上の依頼内容やらそこから派生して本業以外のことにも広ってまさに“自由業”って感じでやってくることができた上に、その頃の出会いが今も長く太く生長していることを思うと、なおのこといろいろやっといてよかったなと。
当時はえげつなく勘違いして「オレ天才」的に思ってた訳です。いま思えば「アホ丸出し」。その当時の我がのまわりにはそらぁアホいっぱいいましたよ。アホ同士わぁわぁやってましたけど、引いて見ると、カシコい人々は我がを客観視できるのかまぁ展覧会とかしはりませんでしたわ。冷静に考えたらそら当然ですよね。
世間知らずの若造は“根拠のない自信”で突っ走った訳です。恥ずかしいことながらいま思えば“それがよかったんやな”と。
てなこと思うと近年全然アクションも起こさんでアカンやん…とか一瞬思いましたけど、ちゃうちゃう。地味、めっちゃ地味ながら拙ブログ、それなりに本気でやってます。まさにアクション。ま、“山本龍造”名義ですから別モンとも言えますけども。
アクション言うても等身大すぎですかいな。肩の荷下ろしすぎとも思いますけど、若い日々の表現より全然自分らしいかと。でもまぁ、背伸びして実力以上にチカラ出して表現と向き合っていたあの頃のエネルギーを羨ましく思ったりもします。
あぁ、何を言わんや。
つまるところ「アホでよかった」ってこと。アホならではの今のわし。ええやん…って、あんまり自己肯定しすぎるのもどうかとも思いますけど、ね。
2024年11月19日 (火)
中川二丁目、15時54分。
所用で信号待ち。フロントガラス越しに見える雲が西日に照らされたええ感じ。
秋の日はいったい何日あったんやろか。急に冬が来ました 。
(於:生野区) “玉出”はええ味出してるのかどうなんか…
2024年11月18日 (月)
橋杭岩を遠目から眺める、午前9時30分。
旅先の宿の窓のカーテン開けますれば眩しいマブシイ晴れっはれ。
海の上に連なる岩は何や?…ってこれ、橋杭岩なんや。遠目に見るとこんな感じやったんやなぁ…で一枚。
(於:和歌山県串本町) さすが本州にして珊瑚礁あるだけのことある海の色やこと。
※関連記事:
『本州最南端から望む太平洋、午前7時33分。』2024年8月 記
2024年11月17日 (日)
痛々しい山やなぁと思うも、再び。
この夏に目にして気になった“痛々しい山”ですがこれ、ちゃんと見とかんということで今日再び訪れてみました。
前回は遠目にしか眺めませんでしたが今回は近くまで行ってみることに。あぁなるほどこういうことなんですね。
“山をぶち抜いて道をつくったんちゃうか感”全開。まぁちゃんと検証してきたわけではないので何とも言えませんけども。
この道の先には2021年に竣工した串本町役場の新庁舎。前回の記事にも触れた通り町立病院含め、津波対策での高台移転でこの様な景色になったのでしょう。
山が痛々しい云々より大災害にそなえることの切実さは内陸部に住む者にはなかなかリアリティが湧きませんけど、日々南海トラフ地震の恐怖を海辺で感じてはるであろうこちらの人々にとって、最善の開発なんやと思いました。
と、記していますがもうひとつ旅に出た理由がありまして。
お子の生誕日やってことで一泊どっか行こやってのが正味のところ。提供時間に制限あるもビールやら酒類がフリードリンクに含まれているのもあってまたもここの宿に来た次第。写真は一応三人での記念写真。ガラスの向こうとこっち、これもよし。
(於:和歌山県串本町) ガラスに映るくつろぎ過ぎのおっさんええ感じ。
※関連記事:
『痛々しい山やなぁと思うも、』 2024年8月 記
2024年11月16日 (土)
2024年11月15日 (金)
昭和なプラ看板 322 ● スポーツニッポン
アホげ民・某とサシ呑みしよと指定の酒屋さん目指して歩きますればちょっと気になるプラ看板が。
まぁそれなりに前から「あるなぁ」程度には認識してたんですけど、今日は「ええなぁ」と写真に収めました。
何が「ええなぁ」かおわかりでしょうか? それは、プラ看板に明かりが灯っているからなんですけどこれ、明滅を通り越して両端が鈍く朱色に光ってる壊れた蛍光管の状態ですよねきっと。それがええなぁ、と。
この看板、今までにもクルマの中から見てますけどかなり前…きっと何年も前からこの状態やったかと。もうえぇ加減スイッチ切ったらどやねんと思いますけど、それをしはれへんお陰で愛でることができてるわけですですからこれでええんですけども。
蛍光管は2027年をもって国内製造も輸入もできなくなるそうで。それ思うとまさにいま見頃。この様な状態もええですがチカチカと明滅する末期の蛍光灯も何とも言えん侘しさがあって…よろしいなぁ。まぁまだ10年はそんな状態を愛でることができるかとは思いますけども。
で、スポーツニッポン。これは毎日新聞系のスポーツ新聞。ま、それくらいの説明でよろしいですか。
(於:中央区) それにしても蛍光管、めっちゃ高騰してる。上げすぎちゃう。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 182 ● 毎日新聞/スポーツニッポン』 2019年8月 記
2024年11月14日 (木)
会所枡の蓋にあるさくらの意匠は…
大東市某所で仕事。近くの駅どれも徒歩30分弱ってことで地下鉄は門真南駅から歩くことに。
あんまりネタには出会えそうにないなぁなエリアを歩きますれば足元にこんなヤツを発見。
「あっ、万博のマークや」と盛り上がりました。もちろんここで言う“万博”は“EXPO’70”のことです。けど…ちょっとちゃうかもな、と。
帰宅後EXPO’70のそれと見比べますと…違うかなぁ。ほんまモンを簡略化したらこうなるとも言えますけど…どうなんでしょ。
そもそもここは門真市で、これが吹田市にあったとなるとまぁ間違いなくEXPOのそれですけどね。
けどまぁ何でこんなとことにさくらの意匠を施してあるのでしょうかね。いやぁ、やっぱり府下どころか全国で盛り上がっていた万博やったこと思うとこれ、簡略化されたEXPO'70のシンボルマークやないかと思わいでもないんですけど、どうでしょ?
※関連記事:
『吹田は片山町あたりを歩き見て思たこと。』 2013年10月 記
2024年11月13日 (水)
市岡三丁目4、午後3時11分。
港区築港で所用を済ませ帰路クルマで移動中信号赤で停止。窓から見える景色に構成美を感じあわててカメラ出して、これ。
いまもむかしも造形的にカッコええもんはついつい写真に収めたくなります。
電柱引っ張るワイヤー(支線アンカーというらしい)とそのカバーがええ仕事してますわ。昔やったら「邪魔やなっ」と撮らなんだやろと思うと、何と言うかそれなりに歳を重ねたなぁと思う様な。そんなニュアンス、わかってもらえますでしょうか。
2024年11月12日 (火)
冷蔵庫、20年稼働し続けるも壊れる。
先日、冷蔵庫が最期を迎えました。
長いこともったなぁ。扉を開けて確認しますと2004年製。そうか、“家電10年”というコトバがありますが…ってありませんけど何や10年経ったら故障するもんやと言われる中、20年も壊れなんだんですなぁ。しかもエアコンとかと違て24時間365日稼働し続けての20年です。素晴らしい商品と出会ったもんやと感謝感激もひとしお。有り難う日立さん。さすがは通天閣を広告塔にしてはるだけのことはあります。
20年か。考えてみたら我がの人生の1/3の食生活を支えてくれてたんや思うとますますその長持ちさを思います。
そして今日、新しい冷蔵庫がやってきました。もちろん日立製。見た目はアクセントがなくなってよりフラットでシュッとしたデザインにりましたね。その変化、アサヒビールのスーパードライのレッテルが数年前に変更されたのと同じニュアンスを感じます。
他には縦長になり、庫内照明が発光ダイオードの白い光に、そして、野菜室と冷凍庫の位置関係が逆転したこと、これがいちばんの変更点ですね。ここ四半世紀ほどの間に冷凍食品の地位が飛躍的に向上した結果のことなんでしょう。まぁ…野菜好き加工食品もひとつなうちとしては、釈然とせん変更点ですけどね。
今度のもきっと20年は壊れんことでしょう。そうか、20年先な、20年…ええっ。何や滅入ってきました。KANさん同じ年生まれにして亡くなってちょうど今日で一年なんやなぁ…って何も残してない我がとは別次元のことですかいな。
2024年11月11日 (月)
孤高の一本が…なくなってる
納品で北浜あたりへ。帰路歩道を歩いてますと傍に妙に鮮やかなパイロン赤黄青で囲まれた一角。なんぞの工事やろなぁ程度に通り過ぎるそのとき「あっ、あれちゃうん?」。
いや、きっとそうやわと改めてその場所を見ると…そうですわ。幹は確認できませんでしたがあたりには残された根っこいっぱい。ここにはかつて孤高の一本ワシントンヤシがニョキっと聳え立っていたところです。
ついに伐られてしましましたか。
水道工事の都合で伐られた風情でしたけど…合掌。
(於:中央区) まぁ強風吹くと建物にダメージ与えそうやったからなぁ。
※関連記事:
『孤高の一本ワシントンヤシ』 2022年6月 記
2024年11月10日 (日)
2024年11月 9日 (土)
2024年11月 8日 (金)
楠根川を跨ぐ水道管の塗装垂れてプックリ
楠根川に架かる水道管(たぶん)。真ん中らへんで垂れてまっせ。お子は「ここからシャワーでもでるんちゃう?」と言いますけど…ちゃうんちゃうかと。
これは何かの装置というより塗装が垂れてると思うんですけど、どうでしょ?
念のためにとストリートビューで現在と過去を見比べますれば一目瞭然、2018年の時点では垂れてません。2021年頃から垂れ始め2024年にはプックリの垂れっぷり。漏水と重力でこうなったんやないかと解釈して間違いないんちゃうでしょうか。
まぁ…漏れなんだらええとも思いますけどこの状態を何年もほったらかしにしといて平気っちゅう感覚が何とも呑気でよろしいな。おかげでネタひとついただきっ。とは言え、素人からすると「ええんかいな」て思いますけど。
2024年11月 7日 (木)
2024年11月 6日 (水)
瓦屋橋から南を北を眺める東横堀川の図、午前9時32,33分。
2024年11月 5日 (火)
八尾市の景色、令和に昭和。
昨日の続きです。八尾の西部を行きますればこんな光景がありました。
鉄の門で守られたセイタカアワダチソウなど雑草で覆われた空地。かつて何ぞの建屋があったんやろなぁと思いつつちょっと気になったので一枚。帰宅後ストリートビューで過去を調べますれば左右の住宅部分含めてここはかつて農地であった様です。
取り囲む家屋がいかにも今日的で令和って感じ。田畑なくなり宅地になる図は、ドーナツ化現象を言われていた高度経済成長期から今も続いているんですなぁ。
てなこと思いつつ先に行きますれば、目の前に広がるひと昔前の八尾の光景。
何が?ってほれっ、田んぼあって畑あって青い釉薬の瓦葺きの木造モルタル長屋があってコンクリの学校があって奥は生駒山地が聳える…って“聳える”は大袈裟ですけども。この景色こそ“昭和の八尾市”って感じ。そうそうこれこれ。
以下話ちょっとそれますけど昨年今年と八尾の農協直売所で地元中河内産のお米がすぐに品薄になってしまうのか、晩秋には他府県のお米しか買えなくなってしまいます。やっぱり農地が減ってるからこんなことになるんやろなぁとふと思った次第…は、ないわなぁ。一昨年前まで最低でも半年は地元産米が買えたのにどういうことなんかいね。農協の買い上げ価格が安すぎてよそに流れるってことなんでしょうか。地産地消、できるだけおいしい中河内のお米を日々食べたいと思うんですけども。
最近のコメント