2025年12月15日 (月)
2025年12月14日 (日)
2025年12月13日 (土)
昭和なプラ看板 353 ● 世界人類が平和でありますように
以前も見かけたこの文言のプラ看板ですが、今度のは小振りで可愛い感じ。
もちろんアクリル板に記されたそれよりはアピール度高いですけど、前回のそれに比べると等身大というか何と言うかその「ささやかに願ってる」って雰囲気がここに漂っている様な感じがします。
“世界人類が平和でありますように”は五井昌久氏と氏を師と仰ぐ人々によって設立された宗教法人白光真宏会の祈りの言葉でHPには、
“宗教宗派、信条を問わず、誰でも唱えることが出来る祈り言葉です。”
とあります。確かに…その通り。若き日々には「なに綺麗事言うてんねん」などと疎ましく思ったもんですけど近年はすんなり「そやな」と思える様になりました。
この文言はPDFで用意されており自作も可能とか。詳しくは以前の記事から探してください。
(於:八尾市) 言うても信者になろとは思てる訳ではありません、念のため。
※関連記事:
『祈りのことばも色褪せて』 2024年8月 記
『昭和なプラ看板 229 ● 世界人類が平和でありますように』 2024年8月 記
『世界人類が平和でありますように』 2021年2月 記
2025年12月12日 (金)
2025年12月11日 (木)
今池町一丁目15、午前8時37分。
愛知県は岡崎市某所で仕事。待ち合わせは名鉄は新安城駅改札午前9時。朝はやいわ名古屋駅よく知らんわ名鉄乗ったことないわ土地勘ないわで何とも不安で早々に目が覚めて新幹線乗に名鉄特急で向かいますれば予定よりややはよ着いて新安城駅あたりをサクッと一周。もひとつ琴線に触れるところはありませんでした。それでもここは、ちょっとええんちゃうん…ってことで一枚二枚。
錆びサビのナミイタ小屋にブリキ看板…よろしいなぁ。それだけでも充分ええ感じですけど、あしらわれている手描きの絵に何とも言えん郷愁を覚えます。
’70年代っぽい写真館のアーティスティックなアプローチに昭和風情な寿司屋さんと葬儀屋さんのそれをじっくり見たいところですけど、草取りに勤しむお方がおられ気が引けて…アカンなぁ。近寄り世間話でもしつつこの看板がいつの頃からあったんかとか訊くべきでした。仕事ならなんてことないというのに、私人モードではなかなかそうなれませんで、うん。
ちなみに写真館と葬儀屋さんは健在ながら、お寿司屋さんは近年店じまいされた様子。何があったか高かった評価が閉店近くには多くの酷評にさらされ…それぞれの看板に歴史ありです。
(於:愛知県安城市) 夜は40歳の若モン(?)に連れられのんき屋へ。美味美味ながら“特級酒”の燗の激熱々さに閉口。
2025年12月10日 (水)
戸袋の意匠、おろし金っぽい。
鍋料理の季節ですから余計にそう見えるんかもしれません。
「何が?」ってほれ、ここで大根こすったらできそうですやん、大根おろしが。
もちろんそんなん空想に過ぎんのですけどなかなか普通の様で変わった意匠。ワイルドの様で縁取りはきっちりとした仕事が施されています。
道ゆく人々にさりげなく軽く毒を吐き続けますよこれは。いいな、こういう存在って。
(於:八尾市) まぁ、自分もこんなもんかも…って自画自賛か。
※モルタルに意匠の関連記事:
『戸袋の意匠、杯の様な鳥の様な。』 2023年10月 記
『戸袋6つ全部違う意匠の文化住宅』 2023年2月 記
『戸袋に“瓢箪と盃”、居酒屋の。』 2023年2月 記
『戸袋に意匠ふたつ、□と◇。』 2022年2月 記
『戸袋に折り鶴、ス万ヤ添え。』 2020年10月 記
『戸袋の“梅に鷹”』 2019年9月 記
『戸袋に、打ち出の小槌。』 2016年4月 記
『戸袋4つにトンガリ意匠4つのモルタル家屋。』 2012年2月 記
『モルタル壁の打ち出の小槌と小判』 2011年12月 記
『戸袋の意匠、◇形3つ。』 2011年7月 記
『モルタル壁のエビ』 2009年8月 記
『モルタル壁のツルとカメ』 2009年8月 記
2025年12月 9日 (火)
健在、“ハートのビル創り”。
見上げれば青空に青い広告塔。
木村産業…その昔、大阪の街には末野興産そして木村産業の看板を掲げた建築物がそこここにありました。
バブル崩壊、ひと足先に末野興産が姿を消し、何とかもちこたえてるのかと思うもすっかり看板も見かけんうちに世間から忘れらた存在に。ですけどまだ看板が堂々とあるということは、細々ながらも存在してるんでしょうか。
調べますれば2010年に解散決定にいたり特別精算開始されたとのこと。そうか、思いのほかバブル崩壊後も粘り続けていたんですね。
詳しくは住生活新聞さんの記事“バブル時代に隆盛を極めた不動産会社・木村産業”に目を通してください。
しかしながら懐かしいなぁこの看板。ゴシックで堂々の“木村産業”、そして“ハートのヒ♡♡ル創り”。“♡♡”に工夫がありそうでいてストレートな表現と色合いに何とも言えん「………」なものを感じていたことを思い出しました。
少しは色褪せているも広告塔としてまだまだ使命を果たしてます。とはいえ法人として存在してませんのでさすがにネオン管が光ることはないんでしょうけど。
2025年12月 8日 (月)
谷町5交差点あたり、午後11時7分。
仕事関係で知り合った気の合う三人誘って天満橋あたりで忘年会。去年はひとり流行病で欠席でその前はいつやったかいなぁ…ってそやっ、コロナ禍前ですわ。
その時も楽しかったけど今夜も楽しかったぁ。四人がほぼ1/4づつしゃべると言うのがええねんなぁと今回も再認識しつつ二軒目行ってまで呑み続けてましたがその辺からの記憶がなく家のコタツで目が覚めて…電車で帰ったんか歩いて帰ったんか…
で、ブログ更新しよとコンデジ見ましたら夜景が写っていて撮った時間が11時過ぎ…と言うことは歩いて帰ったってことですか。しかしながら写真は残るも撮った記憶ももひとつなく…ま、飲みに出たら大概こんな感じ。コケて怪我せなんだだけマシではあるもののええ歳してって思います。
2025年12月 7日 (日)
2025年12月 6日 (土)
鳥羽駅前にナショ文字
過日の志摩旅。鳥羽駅で停車する近鉄特急の車窓から外を眺めていますと、向こうのビルにナショ文字発見。
何のアレンジも施していない正真正銘のナショ文字。もうパクってるとかそういう話はどうでもええっちゅうレベルですわ。
調べますればここは鳥羽パールビルで現在は廃墟とか。1970年(昭和45年)完成の商業ビルで2008年に閉鎖され今に至るとのこと。なるほどねー、まさにナショナルな時代に賑わったってことなんでしょうなぁ。
しかしながらほぼ駅前で十数年もほったらかされて廃墟と化して…何や寂しいことで。調べなんだらよかった…
(於:三重県鳥羽市) “なんでもナショ文字”な時代が確実にあった…
※ナショ文字関連記事:
『注意喚起の置き看板にナショ文字』 2024年9月 記
『門真市の公用文字はナショ文字か』 2023年8月 記
『名古屋にもナショ文字』 2023年2月 記
『パナソニックショップにナショ文字』 2021年3月 記
『片野桜の“カタノサクラ”はナショ文字や』 2021年2月 記
『ナショ文字は赤でこそナショナル、やな。』 2019年3月 記
『ナショ文字、いまだ現役!や。』 2018年1月 記
『ナショナル自転車の店』 2016年12月 記
『“ナショナル”としか読めん。』 2016年8月 記
『“なんでもナショナル”な字体。』 2011年1月 記
ほか
2025年12月 5日 (金)
青蓮寺レークホテル217号室からの眺め、午前9時。
昨日の記事に触れた通り、お気に入りの青蓮寺レークホテルは年明けに閉館。最後の宿泊になるやろといちばん景色ええ部屋に泊まって窓から見た景色が、これ。
よろしいなぁ。派手さのない秋景色、これがまた沁みまっせ。
社員さんはともかく、パート従業員の皆さんはどうなるんやろと他人事ながら気になります。夕食の給仕を担当してくれはったお方のさりげない素晴らしさを思うとなおのことそんな心配をしてしまいます。
開業から半世紀。まぁ仕方ない様にも思うもたった50年そこらで終わってしまうとは何と切ないこと。コロナ禍の打撃も影響してのことなのかどうなのか。外国人観光客を見かけない貴重なお宿でした。あと1ヶ月と少し…な割に何回大浴場行っても貸切状態やったのが嬉しい様で、ちょっと寂しい現実を見た様な。これからどこへ行きましょうか。ええひとときを有り難うございました。
※関連記事:
『青蓮寺1652-2、秋の夕景。』 2025年12月 記
『青蓮寺湖畔、午後5時29分。』 2025年7月 記
『青蓮寺湖のほとり、午後6時34分。』 2025年5月 記
2025年12月 4日 (木)
青蓮寺1652-2、秋の夕景。
気に入っていた観光ホテルが年明けに廃業と知り、一泊。
やや古びたところあるも、大阪からの距離ええ露天風呂からの眺めええ料理とても美味…何とも残念。
これが最後になるやろなぁと景色がいちばんええ部屋へ。青蓮寺湖越しに見える山の紅葉がこれまたよろしいなぁ…って写真は明日にして、今日はこれ。
日が暮れて黄金色に染まるススキの図。集落とホテルの間に見えた何げない景色。
葉を落としたサクラの枝も集落の家屋も電柱も有刺鉄線の柵も含めてええ感じ。“観光ホテル”から見える景色にしては、妙に普通な田舎の光景。いいわぁ。
(於:三重県名張市) “まさに上燗”な名張のお酒“高砂”、これがまたええねんなぁ…
※関連記事:
『青蓮寺湖畔、午後5時29分。』 2025年7月 記
『青蓮寺湖のほとり、午後6時34分。』 2025年5月 記
2025年12月 3日 (水)
2025年12月 2日 (火)
2025年12月 1日 (月)
昭和なプラ看板 352 ● キリンビール
先日の防火水槽の記事に電信柱で肝心の商品名が隠れたプラ看板が写っていたのがあったのを覚えてはるでしょうか。で、そのプラ看板、裏側を見上げまあすと昔のロゴの“キリンビール”。「これぞ昭和のプラ看板♪」と盛り上がって一枚二枚。
曲線少なめ直線基調のこのロゴこそ“キリンビール”。“ラガー”も“一番搾り”もない各社一社一銘柄やったあの時代がよみがえるってもんです。
久々に現役の旧ロゴ見たなぁと盛り上がりつつ画像をパソコンで見ていますと…ん? 看板上部にあるラベルにあるロゴは…今日のですやん。それに養生テープで補強されているのも気になるところ。どういうことなんやろと防火水槽の時に写ってる逆面のそれを見ると…“キリンビール”の部分も現行ロゴっぽいでっせ。
「どういうことや?」ってこういう時もいつものストリートビューでチェック。確認しますれば…やっぱり。電信柱で隠れる面は現行ロゴです。表と裏、新旧ロゴで夢の共演…何やけったいな感じです。
さらにストリートビューで過去を調べに行きますれば、2018年まで両方とも現行ロゴが掲げられていたことが判明しました。
この2018年の画像を見て気になるところがひとつ。それはいち部分が破損していることです。2018年と言えば強風吹きまくりの台風(平成30年台風第21号)が大阪はじめ関西圏をメチャクチャにしたあれがやってきた年です。あれがあって看板をやり直すにあたって破損した面だけ旧ロゴにしたってことなんでしょう。
しかし何で旧ロゴで直したんでしょうかね。妙なこっちゃと思いましたけど昨日の記事にある通りこちらの酒屋さん、隅々まで昔風情ですから破損を気に昭和テイストにしはったんかもしれません。
とまぁこちらのお店、きっと“ビールはキリン”なんやろと思っていましたが先日飲みに訪れた時、冷蔵庫で冷えていた瓶はサッポロとアサヒだけ。外の自販機もしかり、でした。ま、常連さんは全員、缶の“麒麟淡麗グリーンラベル”を楽しんではりましたけど。
※キリンビール関連記事:
『昭和なプラ看板 326 ● KIRIN BEER』 2025年1月 記
『昭和なプラ看板 310 ● KIRIN Light BEER キリンライトビール』 2024年5月 記
『昭和なプラ看板 129 ● キリンレモン/キリンビール』 2016年7月 記
『木箱に“ルービンリキ”』 2015年12月 記
※こちらの酒屋さん関連記事:
『大関の看板、又泉の暖簾掲げた酒屋さん。』 2025年11月 記
『防火水槽 257 ■ 福島区海老江四丁目10-19』 2025年11月 記
『海老江で一献』 2025年11月 記
2025年11月30日 (日)
大関の看板、又泉の暖簾掲げた酒屋さん。
昨日の記事では防火水槽を紹介しました。そこで何となく伝えましたがその酒屋さんがまぁ何とも渋くて。
ここはいつの時代のどこの酒屋さんって感じ。
以前の記事では夜の様子を引きで撮った図でしたが、昼間に見てもたまらん渋さです。
ショーケースがええ感じ。もちろんその下にある“大関”の琺瑯看板も然り。よく見ると止めてある木ネジがマイナスネジですから、昔っぽい雰囲気を醸すために近年取り付けられたもんではありません(きっぱり)。
建物は当然のことながら、やっぱり暖簾が思いっきりこの空間にええ風を呼び込んでいます。そこにあるのは“清酒 又泉”。撮った時点では解りませんでしたが後日呑みにいった折に確認しますれば、どうやらこちらのお店がかつて灘の酒造家に“又泉”を造ってもらっていた時期があった様で、店内に“又泉”と記された扁額的木製看板が掲げられていました。ちなみに今日では焼酎として“又泉”は用意されているみたいです。
小泉構造改革以降どんどん街の酒屋さんが姿を消し、またコンビニ化する中でこの風情のまま令和あきないしているのはもう奇跡みたいなもんです。凛とした渋さ…ずっとこのまま続けて頂きたいもんです。
(於:福島区) 福島区にあるからか、福島県のお酒に力を入れてはる様でした。
※関連記事:
『防火水槽 257 ■ 福島区海老江四丁目10-19』 2025年11月 記
『海老江で一献』 2025年11月 記
2025年11月29日 (土)
2025年11月28日 (金)
2025年11月27日 (木)
窓の向こうがごっちゃごちゃ
錆びたナミイタで覆われた蔵の様な倉庫の二階。窓ガラス越しに見えるは…
…こんな状態。ま、それだけのこと。
※関連記事:
『アルミサッシの向こうもこっちも昭和風情』 2024年9月 記
『窓の向こうはツタまみれ…』 2018年10月 記
『玄関の向こう、ツタが密生。』 2013年1月 記
『「玄関の向こうはジャングル」な家。』 2012年4月 記
2025年11月26日 (水)
2025年11月25日 (火)
室外機、左目と右目。
かつても記しましたが“街のレアキャラ「右目室外機」を探せ!”という記事に目を通して「そんなレアなんや」と感心するも、なかなか単体ではピンとこんもんです。
ですけど2台並んでますと「おっ、これのどっちかは珍しいねんな」と、とりあえず撮って安心する…なんのこっちゃですけど。
ちなみに向かって左側に位置するのが左目の三洋製で右のが右目の日立製。感覚的には日立の年代物は右目多しってところでしょうか。
ま、どうでもええんですけど見つけた以上はボツにもできんってことでひとつお許しを。
※右目室外機の記事:
『新と旧、右目左目室外機。二題』 2021年8月 記
『室外機に寄り添う傘と傘の骨』 2021年2月 記
『ナナメで数十年か、京の室外機。』 2018年6月 記
『木造モルタル戸袋に菱形意匠その下に年代モンの室外機』 2017年1月 記
2025年11月24日 (月)
自販機の裏に長年潜んでいた昭和41年の啓蒙看板
反ってしまっている割に綺麗な状態の啓蒙看板がひとつ。そこに記されているのは“昭和四十一年”の文字。60年近く前のもんとは思えません。
“姫島新生活婦人会”がその昔にこの様な活動をしていたということかと思いますが、その名の団体はネット上では見つけられませんでした。ただ、どうやらその当時、いくつかの“新生活婦人会”は存在した様です。ここで言う“新生活”は、4月からの一人暮らしって意味ではないはず。家電製品で家事から少し解放される中で女性の地位向上なんかに思いを馳せてはったんかなぁということを想像します。
まぁその割には主張が“町を明るく美しく”と、いたって普通のフレーズ。まぁあんまり尖った文言はまだまだ許されなんだってことの様にも思いますが、そもそも戦う会ではなく、ただの親睦団体やったってことでしょう。
しかしながらよくも半世紀以上この状態を保ち続けているもんです。ここは街の酒屋さん。「ひょっとして?」とストリートビューで過去を見ますと…やっぱり。随分長い間自動販売機の裏で眠っていた様です。
10年ほど前から再度まち行く人々へ啓蒙活動を再開してはる訳ですけど…ご覧の通り。目の前にレジ袋に入れられたゴミが捨てられています。いくら劣化していないとは言え、看板としての効力はすっかり失われている様です。
(於:西淀川区) かつて10台いま2台…自販機減ってるのを実感。
※関連記事:
『婦人団体の啓蒙看板に、“?”』 2010年7月 記
2025年11月23日 (日)
8A系の行先に“LAUREL PRIZE”
過日の英虞湾は賢島への旅は近鉄特急で向かいました。上本町駅の駅ソト構内(?)で何か仰々しい式典が粛々と行われているなぁと思いながら改札通ってワンカップ大関のミニを買わんとと売店に向かいますれば、ちょうど普段使い用の新型車両がホームに入ってきましたで。
おっ、これが8A系ってヤツですか。なんかゴージャスな雰囲気を纏ってます。高安の車庫で遠目に何度か目にしたことありますけど、間近でみるそれは、想像以上に重厚感があってカッコよろしいですわ。
で、着いてから何げに電光の行先表示を見ますればそこには緑色の光の文字。何なに?“LAUREL PRIZE”…ん?そうか、これ、ローレル賞を受賞したってことですわ。と言うことは先の仰々粛々(?)の式典は“8A系車両のローレル賞受賞記念式典”やったのかと、納得。
あとで調べてみますれば向かいのホームにその後、小豆色の部分が青に塗られた1A系も入線したとか。見たかったなぁ。
ちなみに我々が乗る予定のビスタカーは地下ホームからの発車と知って慌てて移動。近鉄沿線に生まれて馴染みはありますけど特急には縁がないんでそんなもんでしょう。ま、おかげでいくつか回った売店になかったワンカップ大関のミニも買えてますます上機嫌になったのであります。
2025年11月22日 (土)
昭和なプラ看板 351 ● タケダ アリナミンA
以前より見ていた看板。気がつけば「そやっ、これもプラ看板やん」ってことで、これ。
商店街の中にある廃業したであろう薬店にこれが掲げてあります。“アリナミン”…最近はどうなんか知りませんけどかつては「これさえ飲んんどいたら」と信仰に近いくらいにありがたがられていた気がするんですけど…どうでしょ? 何となく“ポポンS”では効かん…そんなことないんでしょうけどもね。
タケダと言えばアリナミン、ベンザ、そして…プラッシー。あっ“いの一番”ってな化学調味料もありましたけど、前者ふたつは“アリナミン製薬”へ、プラッシーは2006年、ハウスウェルネスフーズ へ移管後近年、ハウスギャバンで補給ゼリーとなり、いの一番はキリン武田を経由後、三菱商事ライフサイエンスが手掛けているとか。市販薬などを切り捨て、新薬開発に完全にシフトして世界企業に。何でも社員の8〜9割が非日本人やということですから、馴染みある身近な会社ではすっかりなくなって遠い存在に。もう、道修町にこだわりはないでしょう。
ちなみにアリナミンは1954年に誕生。和暦で言うと昭和29年ですからそう、高度経済成長を支えた立役者とも言えますね。リポビタンDにリゲインときて今はモンスターエナジーなりレッドブルと外国の製品に。それ思うと収益性高い新薬に企業の活路を見出すのは正しいことの様に思いますけど…“TSUBAKI”ブランドなどを手放して吉やったんか凶やったんわからん状態になってる資生堂の苦境のことがふと、頭をよぎります。
2025年11月21日 (金)
2025年11月20日 (木)
大阪城公園で秋景色味わう昼下がり
お子に誘われ大阪城公園へ秋景色楽しみに。
「紅葉がそろそろ見頃」みたいなことNHKテレビの情報番組で放送していたことに端を発しているものの、“(そういう)景色を鑑賞したい”という思いを心に宿していることが、ちょっと嬉しかったり。
ま、正直いうとまだちょっとはやかった、かな。それでも青葉から紅葉へ移り変わる様子を楽しむことができたので大満足。お子の誘いに乗ってよかったと思うひととき。四季折々の季節を愛でる感覚って、そこそこええ年齢になってこそ沁みるってもんですよ。お子はどの様に今日の光景を見ていたんかなぁ…などと記してますけど自分自身は正味のところ、ただただ「キレイなぁ」と写真になる構図ばっかり追ってました。まだまだ解った様なこと言えませんで。
2025年11月19日 (水)
2025年11月18日 (火)
防火水槽 256 ■ 福島区海老江四丁目16-16
過日仕事で姫島へ行きましたが帰路は新淀川を渡って福島区へ向かいました。
渡ったそこは海老江。地名は知るも、クルマで素通りすることがほとんどのこの地ですが、歩いてみますれば、なかなか昔ながらな風情の残るええ町。「「これは何ぞあるわ」と歩きますればすぐに、防火水槽を発見。
板壁の家屋の端に置かれたそれはこれといった個性のない実質本位なもの。巨大な植木鉢としての余生をお過ごしになってはりますが、朽ちたバケツやら植木鉢もいっしょに置かれているところを見ると、そないに大事にされている感じではありません。
ま、それでも処理されることもなくここにある訳…この世に生を受けたからにはとことん生き延びてやろうという決意が感じられますね…って、ほんまかいな。
(於:福島区) ストリートビューでこれをチェックしてると近くにもうひとつ発見。また撮りに行こ。
2025年11月17日 (月)
英虞湾、午後2時4分。
今日は賢島港から遊覧船に乗って英虞湾の隅々まで島めぐり。駅前でちょっと妙なおっさんに「島めぐりの観光じゃないですか?」みたいなこと声かけられて正直「難儀やな」と思うもその説明では「豪華で大きな船でざっくり行くか小さな船で隅々まで行くかのふたつの船があります」とまぁ、どっちがええかと言うのは言い切りはりません。そらぁ小さな船の方がええに決まってるわと小さな船の遊覧船を選んで1時間以上待って乗り込み座ってますとそのおっさん登場。え?あのおっさんは船頭さんやったんかいな。
勧められるがまま2階のテラス席に陣取り快晴の元、風を切りながら英虞湾の隅々まで行ってくれる50分の船旅。その間、ずっと喋ってはります。この観光ガイドがまぁよく解るしちゃんと笑いシニカルさも取り入れて飽きさせません。あまりの流暢さにうちのひとは「録音なんちゃうん」と言うもんですから下船時訊こと思ってますと別のお客さんが同じこと質問して…やっぱり生のガイドやと判明しました。これで1名1,400円。充実の50分はかなり安いです。ちなみに大きく豪華な遊覧船はエスパーニャクルーズ、近鉄系の会社が運行してはる様です。
自分が操舵する観光船の客は自分で探す…したたかとも言えますけどその積極的な姿勢にも感心しました。大手資本とやりあっていくということはこういうことかも。あっ、その船頭さん、決してエスパーニャクルーズのことを悪く言いはりませんでした。そこですね、つまるところ。
2025年11月16日 (日)
英虞湾、午後4時23分。
明日がお子がらみの記念日ってことで一泊旅へ。
近鉄特急に揺られ2時間と少しで英虞湾を一望できる宿へ。大浴場空いているうちにと思うも日没前後の景色の変わり様もちゃんと見たいしってことで夕景眺めて瞼閉じると太陽の残像が無数にチラチラ。
iPhoneで撮る横でおっさんはいつものコンデジで。で、お子は言います「うっすらとした桃色が綺麗やのに写真にすると柿色だけになるなぁ」と。あぁ確かに。コンデジで撮った画像もそう言えばしかり。ほんまやね。今までそこまで微妙な色合いの美しさを見てなんだ事実に気付かされました。
帰宅後画像調整しよとパソコンで画像開けましたら…やっぱり柿色の勝ったビビッドな写真。「これやないな、確かに」と思いつつうっすら桃色感じる様に調整しましたけど、そうすると何かぼやけた画質になりますわ。
てなわけでええ頃合いを見計らって調整したものでフィニッシュ。ホンマの色合いって難しいもんやなぁと久々に思うのでした。“事実に忠実”がええのか“印象に忠実”がええのか…フイルム時代、どんなシチュエーションにどのメーカーのどれを使うのがええのかをあれこれ考えていたもんです。当時の現場の緊張感…懐かしいなぁ。
(於:三重県志摩市) ベルビアのビビッドな発色と立体感に驚き愛用していたことを思い出した。若かったな。



















最近のコメント