懐かし…

2019年4月22日 (月)

肝心の案内図なき南恩加島1の案内板

 過日訪れた大正区の果て(?)に、こんなもんがありました。
Minamiokajima1_1  真ん中が抜けてしもてますがそこに付近の案内図があったんでしょう。
 肝心の部分がなくなっても広告部分は健在。全部ペンキで描かれていて味わいありますわ。“豆炭”の十全商会やら“スポーツセンター”で名を馳せていたラサ工業、あっ、オクタン価競争時代を思い出す“フォーミュラシェル”の看板も…懐かしなぁ。そうか…社会人になって数年の頃…すなわちバブル期真っ只中に設置された看板でしょう。左上の中山製鋼所のところには“鉄と共に70年”…調べますれば今秋100周年を迎えるみたいですから、まさしく30年前のまんまここにあるんですね。
 で、過日訪れたところは某配送センターで、そこは…かつて中山製鋼所の転炉工場 やったところ。え、あの超間近で見ることができたあの工場がなくなっていたとは…寂しい限り。ですけども若かりし頃…まさに四半世紀ほど前盛んに稼働していた状態を夜な夜なフイルムに収めておいて良かったなぁと改めて思った次第。写真には必然的に“記録性”がある…これが最大の魅力やわなと改めて思ったのでした。

(於:大正区) えげつない“相反則不軌”やった…懐かしいわぁ。

※関連記事:
肝心の地図読めん案内板、下に明治製菓淀川工場の広告。』2017年2月 記
廃ガソリンスタンドのハイオクの広告』2015年4月 記

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2019年3月 6日 (水)

大正で昭和に

 大正橋からバスに乗って乗ってめがね橋あたりで降りて昼下がり、仕事の前にちょっと探索。
Taishowa1 Taishowa2  大通りから少し入りますればそこか静かな古い町並み。ネコも人を気にせずずっと毛づくろいしてるし…ええ感じ。時間帯も手伝って街全体が弛緩しています。
 ふと見ると役目を終えたと思われる文化住宅が一棟。残された電気にガスのメーターに生活の匂いが感じられなんとも言えんきゅんとした気分に。夕刻になればより感傷的な気分になることでしょうなぁ。
 あちこちに朽ちかけの家屋があったのが気になるもゆっくりと時が流れる様子に春も近いなぁと思わせられ…って、なんのこっちゃ。海辺の工業地帯近くでこの様な気分に浸る…ちょっと意外でした。

(於:大正区) 大阪24区でいちばん人口が少ない区とは知らなんだ。

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2019年3月 5日 (火)

共石灯油のポリ缶の余生にあれこれ

 なんとなく収まりがいいなぁ。
Kyosekitoyu1 Kyosekitoyu2  灯油用のポリ缶が植木鉢としての余生を過ごしてます。7つ並んでそれぞれでありつつ統制がとれてなんとなくええ感じです。
 思えばこの灯油缶も余生過ごしてるとは言え用無しで、この車庫(?)も用無しってことなんでしょうかねこんなところに並べられてるってことは。不要な一角…ってそれは他人が言うことちゃいまんな。
 で、このポリ缶って割れるまで使えるもんやと思ってましたけど耐用年数は5年とか。そう思うとこの様な余生もあり得るってことですね。
 寄って見るとあぁ懐かしい“共石灯油”の文字。共同石油…調べますれば1965年から1993年まで存在した会社とか。へぇもうそんな昔に無くなったブランドやったとは。
 その後はJOMOをへてENEOSへ。そうそう、そこに合流したゼネラルエッソモービルもここ数ヶ月でどんどんENEOSに変わっています。この一社でガソリンスタンドの45%を占めることになるそうです。いろんなマークがあって楽しかったのになぁ。どんな業界も集約化が進んでること思うと仕方ないんでしょうけどもね。

(於:京都市左京区) “共石灯油”の前は“カクタス”…これはちょっと懐かしすぎ。

※関連記事:
牛乳箱の余生 -- 植木鉢として』 2015年9月 記

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2019年2月25日 (月)

ブルーチップ…

 久々に和歌山で仕事。和歌山駅降りて南西に向いて歩いてますれば、民家の軒下に…
Bluechip1 Bluechip2
 ブルーチップ…そうそうこのつり目の恐いリスのうんうん、懐かしいですわ。と、思うも母親が貯めていた記憶もないですのでリアリティはないんですけども。
 調べますれば買い物額に応じて切手みたいなもんが渡されてそれを台紙に貼って…あぁそれか。当時あちこちの市場でそういうサービスを独自にしてはって2倍券とか3倍券とかも存在してそれをせっせと台紙に貼るのが子供の仕事やったことを思い出しました。それの全国版がブルーチップやったと…なるほど。
 それより…ですわ。もうすっかり過去のもんと思っていたこのブルーチップ、今もなお現役でサービスを展開してはるとのことですわ。しかも少しは柔和になった様に思われるもあの恐いリスも健在。あまりの恐さ(?)をマイルド化するためかキティちゃんとコラボしたアイテムなんかも…は、どうでもええですか。まぁ何しか今ではポイントカード化して全国で展開してはるそうです。
 そうやったんか…と今日的なスタイルに移行していることはともかくとして、それより、今も切手みたいなチップを台紙に貼ってってスタイルも存在するとのこと。こっちの方がちょっとビックリとも言えますわ。
 世の中すっかり変わってあんなんもこんなんも無くなったんやろと思っていたらちゃうんやなと改めて思った次第。とは言えロータスクーポンはもうなくなったそうですけども。

(於:和歌山県和歌山市) リスの恐さはアメリカ生まれやからか…

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2019年2月17日 (日)

Oh!チェリー “これが世界の味だ”

 きっとまだあることかと。二年前に見た看板。
Ohcherry2 Ohcherry1
 若い衆にはもひとつ何の看板かわからんのやないでしょうか。“これが世界の味だ”の吹き出しの形が示している如くでこれ、タバコの看板。そのキャッチコピーに“Oh!チェリー”…いかにも昭和40年代的って感じに思いますが、どうでしょう。
 調べますれば初代は1904年誕生で戦中は敵性語ってことで“櫻”と名乗っていたとか。いかにも古くっさい名前やなと思ってましたけど、そこまで古いブランドとはって感じ。
 “世界の味”…そう言えば昭和の終わり頃、“世界のうまさになりました”ってサッポロビールがニューヨークで飲まれているシーンとかCMで流してましたけど…あれホンマやったんでしょうかね。まぁまだまだ日本市場だけで何とかなっていた時代の胡散臭いフレーズやった様な気がしまんな。

(於:豊中市) 昔、細野晴臣さんがチェリー吸ってる写真見て真似たなぁ…キュン。

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2019年1月29日 (火)

川並牧場の牛乳箱

 飛び出し坊やの顔出し看板見たあとは、目的地に向かって集落を散策。「ここかなぁ」と思ったところになんとも言えん味わい増しましの牛乳箱を発見。
Kawanami1 Kawanami2 Kawanami3 Kawanami4  もう何て書いてあるんかもわからんくらいに劣化して…でもそれも味のうち。ですがそれだけではわからんなということで保存状態のよい同じ牛乳箱を見つけましたのでこっちも載せておきましょう。
 川並牧場…いつも通り漂流乳業さんのサイト“川並牛乳”によりますとこの“川並”は旧・五個荘町石塚あたりの旧地名とのこと。平成20年という割と近年まで営業されていた様です。
 “搾りたての弊の牛乳”…そうか、昔は乳業界はこの表現の様に個人店のあきないやったってことですね。まぁどんな業界も小規模なところが淘汰されて、効率を考えたらそうなるんでしょうけど、やっぱり味気ないですわ。
 “電話(石塚)六番”ってこの頃この地区に9軒以下しか電話を引いてなかったってことでしょうね。それ思うと、かなり昔の牛乳箱なんでしょう。もう使われなくなっても景観にすっかり溶け込んで…ずっとこのままあり続けてほしいもんです。

(於:滋賀県東近江市) “有線二○一○”って何やろ?

※関連記事:
松野牧場の牛乳箱』 2018年6月 記
中野牛乳の牛乳箱』 2018年5月 記
八幡牛乳の牛乳箱』 2018年3月 記
古澤牛乳の牛乳箱』 2017年11月 記
とよた牛乳の牛乳箱』 2017年8月 記
泉南牛乳の牛乳箱 2』 2017年5月 記
縦用の横付け、明治の牛乳箱。』 2017年5月 記
“日の丸牛乳”笠井牧場の牛乳箱』 2017年5月 記
“山は冨士 乳は三國”三國牛乳の牛乳箱。』 2017年5月 記
クロバー牛乳の牛乳箱』 2017年5月 記
綜合乳販の牛乳箱』 2017年3月 記
“内外きよめて心を一致”に“ミルクニューキン”』 2016年11月 記
家屋に溶け込む激シブ牛乳箱』 2016年6月 記
雨上がり 湿気染み込む木造家屋 ええ感じ』 2015年9月 記
牛乳箱の余生 -- 植木鉢として』 2017年5月 記
クニイチのミルクヤの牛乳箱』 2014年10月 記
泉南牛乳の牛乳箱』 2014年2月 記
片岡の牛乳箱の下に、明治のフタだけ貼ってある。』 2013年12月 記
牛乳箱、郵便受になったらゴミ箱に…』 2012年5月 記
木造家屋に牛乳箱ふたつ』 2012年3月 記
ビクターエアコンと牛乳箱、馬場牧場の。』 2011年9月 記
“市電今里終点”と記された牛乳箱。』 2011年7月 記
京阪牛乳でみな元気っ!♪』 2008年3月 記
太田牧場の“生”牛乳 ♪』 2007年9月 記

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2019年1月22日 (火)

振り返ればそこは昭和30年代…風

 今里筋線は井高野駅で降りて…今月2度目となるここらでの仕事。細長い公園を行きつつ低い送電線の鉄塔が気になって振り返りますれば…いきなり昭和30年代にタイムスリップ。
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 いやいやもちろん平成31年の光景ですけどね、何なんでしょ、そう感じさせる景色やなぁと思いまして。
 先に触れた低い鉄塔とか比較的低い市営住宅がそう感じさせるのでしょうかね。ま、誰も遊んでないすべり台もそんな気分にさせる要素かな。どことなく春近しな光まわりの12時47分の図。

(於:東淀川区) ソフトフォーカスかけたらばっちりやろな、せんけど。

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2019年1月12日 (土)

寿町三丁目案内掲示板

 ちょうど2年前に撮った写真から。
Kotobukicho3a  最近はてっきり切り文字(カッティングシート)の看板に取って変わってしもたこの手の看板。まだちょいちょいペンキで手描きのをみることがあるもののそのほとんどが錆びサビでもうほっとかれている様な状態です。引っ越してしもた家もあるかと思うともう役立たずな存在とも言えますが、味わい残していてよろしいですな。そしてやっぱり広告入りが時代がかっていて…ええ味出してますわ。
Kotobukicho3b Kotobukicho3c
 引いてみるとちょっとナナメって危うい感じでこれもよし。寄って見れば魚料理屋さんと思われる広告がひときは目立ってええ感じ。広告主が変わっては描き変えてかつての広告が消えきれてなくて…その曖昧さこそが、味わいなんでしょうな。

(於:富田林市) 個人情報に厳しい昨今、ますますこの手の看板は見かけなるなるかも。

※関連記事:
駅前にあった付近の案内看板に思うあれこれ。』 2012年9月 記

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2018年12月28日 (金)

火事は一一九番 警察は一一〇番 へ

 「火の用心」 カンカン。
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 この時期になったら詰所つくって夜には数人集まって警戒まわりはる…掛け声に拍子木の乾いた音色が夜空に響いて“あぁ歳末やなぁ”って感じ。
 なんて記しながらえぇ、今年は耳にしたかなぁ。詰所はあるも…その時間出かけてたのか締め切った部屋でテレビ見てたら聞こえなんだんか。夜鳴きそば同様、前時代的な音風景となったもんです。
 ってこの写真とほとんど関係ないことでしたね。ちょっとこんな琺瑯看板がこれまた懐かしい木製の電信柱に付けられていてそれが錆サビとあって…ま、それだけ。“明日香村”で見たのが余計にしっくりきたんでしょうかね。
 で、あれっ。“火事は一一九番 警察は一一〇番へ”ってちょっと変。“火事”には“犯罪”とか“事故”でしょ。同様に“警察”には“消防”…あ、いちゃもんつけてますな。

(於:奈良県明日香村) ストリートビュー見れば下半分にボカシ入ってる…過去のも

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2018年12月 6日 (木)

初代“ニチイ”の看板残ってる…

 尼崎某所で仕事。阪神は杭瀬の駅降りて、往時は賑わっていたであろうひと気のない商店街を北へ。寂しいやら懐かしいやら…複雑な気分で歩きはじめますれば、わっ、何十年ぶりでしょう。
Nichiichain1 Nichiichain2  「あ、ニチイの看板が残ってるで」の発言に「それ何ですか、ニチイ学館?」と30代。「サティとかマイカルの前の名前や」と説明するももひとつピンとこないみたいで…そうなんか。
 以前“ニチイ”のマークとロゴが残る壁。という記事で二代目のそれを載せましたが…うん、やっぱりニチイと言えばこの初代のヤツですわ。三重丸(?)にオリーブみたいなもんくわえたハト…これこれ。前の記事とも重複しますがこの鳩マークはニチイの前身のひとつ“セルフハトヤ”から来ているそうで、“ニチイ”の由来は“日本はひとつ”の理念転じて“料”からニチイにしたとのことでした(wikiによる)。
 しかしまぁ何と懐かしいことか。“チェーン”も“”も妙に味わいがありますわ。ちなみにこのマークにロゴは1979年まで使われていたとのことですが…そうか、案外激古でもないんですね。ニチイも、そしてダイエーもイオン化してしもて…そんな時代になるとは思いもしてませんでした。

(於:兵庫県尼崎市) 開店率数%にして商店街には随所にエアコンが…

※関連記事:

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