町名看板

2017年9月22日 (金)

“豊津町32”の町名看板は手書き

 立派な旧家に一本松を愛で、現・豊津町の蔵人地区を北に行きますと、ここにも蔵のある一角が。雨風に打たれた焼き杉板が綺麗に木目を浮き立たせてええ味わい。角に取り付けられた町名看板もちょっとくたびれてええ感じ…って、味ありすぎやなと近寄りますれば…なるほど。
Toyotsucho32a Toyotsucho32b
 うまいことそれ風ではありますが、これ、手書きですわ。
 ずっとここにあるも経年劣化で字がかすれ「これはイカン」と書き直し。昔ながらな景観を維持しているこの村ならではの細かい心遣いが感じられますわ。
 「わかればええやろ」とならず、一生懸命書くもちょっと完全でもなくて…ええ線いってます。ストリートビューで見ると2010年には既に手書きされていますので、ペンキもこなれて今が旬なんかもしれません。きっとここのお方が書かれたのでしょう。小さなことながらこういう気遣いって、大事なことに思いますわ。

(於:吹田市) 文字消えたからって取り外したら杉板の風合いがそこだけ違うやろしな。

※:関連記事:
“清酒日本城”まで再現とは…和歌山市美園町2の修復済町名看板』 2015年10月 記

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2017年7月25日 (火)

むかし觀念寺、いま芥川町二丁目5…かなぁ。

 東海道線は高槻駅あたりの昔ながらな一角に、こんな看板がありました。
Kannenji1 Kannenji2
 ここの表札?…まさかこれがお寺やとは思えませんのでその線はないでしょう。下部に広告が記されているところを見ると、普通考えられるのは、町名看板やないかと。右の写真の下の方には“芥川町二丁目5”と書かれたブリキ看板。やっぱりこの“觀念寺”は…地名に違いないわとその場を後にしましたけど…どうなんでしょ。
 帰宅後ネットで調べて見ましたが“觀念寺”という名の町名は見つけられずで…何なんでしょ。
 先にも触れましたが下部には広告があり、そこには“日の出バス”と記されています。日の出バス…調べますればこれは高槻市営バスの前身にあたる会社で、1954年にその経営が移ったとか。と言うことはこの“觀念寺”はバス停の名前かも…と思うもここはほぼ路地。バスがかつて走っていたとは考えられません。
 で、結局のところこの“觀念寺”は何なのかはわからんまま。現地名の“芥川町”、調べますれば大阪府三島郡のかつてあった自治体で、1931年に周辺町村と合併の末“高槻町”となり、消滅したとあります。と言いうことはそのかつての自治体の“芥川町”時代の町名に“觀念寺”があったのやないかと思ったりするんですが、どうでしょ? ご存知の方、お教えいただければさいわいです。

(於:高槻市) 案外ここがお寺なんかもしれん気がしてきた。

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2017年7月24日 (月)

むかしもいまも芥川町四。

 奥まったところに町名看板。
Akutagawa4a Akutagawa4b
 こんなところに掲げて誰が見んねん…と思うも、そんな場所やからこそ錆びはしつつもずっとここにあるんでしょう。しかしながらやっぱりこの手の看板は、木造建屋に似合いますなぁ。下部には“清酒 國乃長 Kuninocho”と地元のお酒の広告。ここがやっぱり最大のあじわい。こういうのに出会うと、何とも旅気分に浸れるもんです。ちょっと一杯呑んで帰るとなおよろし。ま、残念ながらそれができなんだんですが。

(於:高槻市) しかしまぁよく錆びて…これは琺瑯製やないんでしょうかね。

※関連記事:
むかしもいまも富田町3。』 2012年5月 記

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2017年6月19日 (月)

むかし高井田、いま高井田中四丁目。

 東大阪市某所で仕事。中央線は高井田駅降りて南へ歩きますれば、なかなかな色合いの町工場が角に。そのケチャップとマヨネーズが混ざった様な色合い…たまらんなぁ。 
Takaida2 Takaida1
 ブロック積んだ建物の色合いもさることながら、地面が鉄粉に覆われているのか赤茶けて…いやぁいかにも町工場って感じとかそっちに感心するのも束の間、そこにこんな町名看板がありました。梅雨明けると夏…時期的にぴったりの広告部分やことですわ。
 “ハエや蚊にキンチョール”のフレーズや文字がええのはともかく、ベースの緑みの群青色がこれまたええ味わいというかなぜか懐かしいと言うか…
Takaida3 Takaida4
 そう言えば昨夜、今期初めて蚊の“プーン”という羽音に目を覚ましました。すぐに“キンチョウリキッド”のスイッチONにするもその蚊、何度も果敢にアタック…何でやろ、先日買ったとこやのに。殺虫剤に耐性持ったヤツが飛んでるんやとしたら…怖い話やなぁと思うも、案外寝ぼけてたんやろかと思ったり。そんなことないと思うんやけどなぁ。

(於:東大阪市) 今年も“金鳥少年”絶好調♡。

※関連記事:
豊中市豊南町東3のキンチョール』 2012年6月 記
豊中市熊野町1のキンチョール』 2010年1月 記
東大阪市四条町のキンチョール』 2009年6月 記

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2017年4月14日 (金)

むかしもいまも鳴川町。

 昨日の午後は奈良で仕事。近鉄は奈良駅から京終まで歩きで移動。さすが奈良町は風情あってええ感じ…ではありますが、いかにも“いかにも”な街構えで案外アホげ物件がないなぁと。そんなこと思いつつ行きますればこんな町名看板が。
Narajin1 Narajin2  これもまぁ“いかにも”な物件ではありますか。大阪市内で見る仁丹のそれと基本同じ図案のヤツがお地蔵さんの横にありました。そのサビ具合が祠と溶け合っていてええ感じ…と思って愛でておりましたが、これがここに付けられた時点ではどうやったんでしょうかね。きっとピカピカ輝いて違和感全開やったはず。それはまぁ京都市中のそれも同じやとは思いますが妙にこの物件からはそんなことを思わずにはおれません。
 昔ながらな街並みと琺瑯看板…平成の世にしたら同じ“古き良きモン”とひとくくりに見えますがそやないんやなぁという事実を改めて…いやはじめて感じさせるもんがここにありました。ま、そういうことで。

(於:奈良県奈良市) 京終には平成に入ってからもテイチクの本社があったとは驚愕。

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2016年11月10日 (木)

むかし南甲田町、いま甲田二丁目19。

 富田林市某所で朝から仕事。近鉄は川西駅で降りて旧村をしばし探索。
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 碁盤の目の様な整備された街とは違って細くやや曲がった道が集落あちこちにあって、ところどころ川の流れがええ音を立てていて史跡(水郡邸)なんかもあってええ感じ。そんなところにはきっと何ぞあるやろと思うも…案外見当たらんもんです。
 てなこと思いつつふと見た角のお宅に錆びた町名看板がひとつ。
584b 584c  少なくなったとは言えまぁよく見るタイプのブリキ看板。そこに記された地名がちょっと今とは違って“南甲田町”となっています。
 下の広告部分には“人形の制作問屋 勝村 大阪・上本町8の文字。「人形にして松屋町やなくて上八か…」って感じ。調べましたが、松屋町には存在するも、上八では見つけられませんでした。確か昔テレビCMもやってたと思うんですが…と検索してヒットしたのは“人形の”…そっか。あ、そうそう。“まっちゃまちのふくいたや、にんぎょとゆいの”の福板屋さんも店じまいしてマンションに生まれ変わるとか。ま、建て替わってからまた一階にお店出しはるみたいですけれども…なんやさみしいですね。とは言え“人形”も“結納”もきょうび…ねぇ。

(於:富田林市) それよりミカン袋みたいなもん吊ってあるのは何? わからなんだ。

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2016年10月 4日 (火)

いまもむかしも桜之町西一丁。

 堺の広告入り町名看板と言えば“金露”が定番かと思ってましたら、こんなんも。
590a 590b  すっかりサビ上がり焼き杉板の塀に溶け込んでますが、読もと思えば読める状態でまぁそれなりに役に立ってるものと思われます。
 とは言え下部はかなり劣化が進んでこれでは広告効果はなしに等しい状態。そこにあるのは“なるほどよい酒 長龍”。そうそうこれこれ。以前にも記しましたけどこのスタイルの町名看板は幼少期よく八尾市あたりではそこここで見かけたもんなんですがほんとに全くと言ってえええほど見かけん様になりました。そらまぁ琺瑯製のそれとは違ってブリキ製ですからどこのも錆びサビになって用を成さんわとほかされていったんでしょうなぁ…って以前の記事と同じこと書いて…嫌やわぁ。
 “長龍”…八尾の酒やと思っていたのに奈良は広陵町に本社移ってなんや寂しい限り。さみしい言うと本家筋の天理の“長龍”は昨年廃業したとか。この看板みたら「もう消滅した酒やろ」って思われそうですけど、まぁ半分当たってるわけですな。

(於:堺市堺区) ええなぁ、ヒゲ文字。

※関連記事:
いまもむかしも百舌鳥梅北町五丁。』 2013年12月 記
龍の年…『長龍』の懐かしラベルふたつ。』 2012年 1月記
東大阪市若江南町五に残る錆びた昭和』 2011年2月 記

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2015年10月 6日 (火)

“清酒日本城”まで再現とは…和歌山市美園町2の修復済町名看板

 仕事で和歌山へ。待ち合わせまでいつも通りの探索。ある公園に何とも懐かしい遊具見つけ、ここはどこかと町名看板探しますれば、何かえらい味ありまっせ。
Misono2a Misono2b Misono2c  近寄ってよく見ますればこれ、手書き。その形状から見ますと元々あった町名看板が劣化したものをキレイにしはった様子ですわ。
 それより…ですわ。この下の広告部分、ここもちゃんと手書きで書いてある…律儀というか何というか。町名のそれに比べてちょっと弛れた感じがこれまた書き手の気分が現れていてよろしいなぁ。“城”の“ヽ”の書き忘れがまた、その気分を物語っている様で。
 で、元はどんな感じやったのかとストリートビューで見ますと、2009年のモンにありました。それを見ると…もうほぼ判別不能。元々深茶色やったものなのか、錆びてそうなっているのかもわかりませんなぁ。てなわけでオリジナルに忠実に再現したというより、別モンになった様にも思います。
 ま、でもそれで良し。スペインのほれ、キリストさんがサルになった修復は笑てええんかどうかビミョーですけど、これは…全然よろしいわ。
 ここまでしてもらってるって、日本城の蔵元さんは御存知でしょうかね。いいなぁ。“律儀でおおらか”な和歌山の県民性が見事にビジュアル化されてるって感じ。とか何とか。

(於:和歌山市) 外壁改修の折に化粧直しして付け直した様で…よくぞ残ったもんです。

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2015年7月31日 (金)

むかし大今里南之町 丁目 番地、いま大今里南1-7-9。

 昨日も今日も東成区で仕事。早めに午前の仕事が終わり、地元の何人かの皆さんから耳にしました“魚屋ひでぞう”へ食事に向かうもそこは11時半から。半時間ほど時間あるしとあたりを散策しますれば…ありました、木製の町名看板が。
Oim1a Oim1b Oim1c  まだまだ昔ながらな風情残るここ東成区と言えども、長屋はやはり減少傾向にありますなぁ。そんな街並みがなくなることも残念ですが、この手の区画整理、町名変更前の住所を示している看板が消滅していっている事実…何やこれでええんかいなと思ったりします。
 で、この昔の町名看板ですが、みおつくしの市章の下は左から“東成區”と記されていますが、そのしたは“里今大”…すなわち右から大今里と記されていて…何やけったいな感じです。
 で、この看板よく見れば、“之”と“町”、“東成”と“局”の間を境に上部を書き直した様な跡があります。ということは、この住所よりまだ前の住所が記されていた可能性があります。それより前…ってことは、このあたりが大阪市域に編入される前のことでしょうかね。東成区は今年で“区制90年”…と言うことはこの看板はそれ以上前からここにあるということかもしれません。
 とか思いましたけど、看板下の広告部分“質 ◯幸”の下にある電話番号が2桁の4桁ですから、まぁそないに古い物件でもないでしょう。
 質屋の所在地を知らせる部分には“二条通大富市場北二丁”…はい、地元民ではありませんのでさっぱりわかりません。
 てなこと思いながら調べますれば時折コメント頂きます“居酒屋ガレージ日記”様の“旧町名表示”の記事がヒット。同じこの町名看板を取り上げてはります。さすがはこの辺のこと詳しい様で…あとはそちらでお楽しみの程、宜しくお願い致します。

(於:東成区) で、ひでぞう、お造り定食800円にして味噌汁と小鉢4品付。美味いご飯おかわり無料でしかも税込。これは…夜も期待できまっせ。

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2015年7月25日 (土)

むかし大今里本町2丁目、いま大今里3-10-10。

 昨日今日、そしてしばらく飛び飛びに東成区で仕事。
Omh3a Omh3b  移動中ふと町のディテール見ますればこんな町名看板発見。ベコベコに折れ曲がって錆びてて…その風情がもう完全にこの街にと言うかこの民家に溶けていますわ。
 一瞬大阪市内にある仁丹のそれに似ている感じですが、ちょっと違います。ただ、下部の広告部分がないだけの丈ですので、切られているのかも、と思いましたが、そうでもないかも。ただ改めて写真見ますれば下部は切られた様にも見えます。
 現住所を表示している訳ではないので不要と言えば不要な物件。それでも旧住所を伝承していくという使命がこれにはあるわけで、すっとこれからもカメレオン状態でこの街に居続けて欲しいもんです。

(於:東成区) 東成区のシンボルは…今里ロータリーかな。

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