町名看板

2018年5月23日 (水)

むかし椚町、いま肘塚町。

 奈良市某所で仕事やった過日、京終駅あたりを探索していましたら、木の塀に溶け込んだこんな看板を発見。
Kunugicho1 Kunugicho2
 「お参りするんやったら御霊神社に来てね」っていう看板ですわ。ちょっと変わってるなぁと思って撮ってましたら「なに撮ってはりますの?」とご近所さん。事情を説明しますと「そやね、ここらはみんな御霊さんやね」と。「半世紀は前の看板みたいですね?」には「いや、そんな前のもんでもないわ」。そうかなぁ…いろいろ判読不明箇所あるしなぁと思いつつ下部見れば“ここは椚町”の文字。そうか、これは町名看板やったんですね。広告が上にデンと記され住所がついでに書いてある…まるでひと昔前によく見た不法看板に罪滅ぼしのつもりか“交通安全”とか書いてあったのと…なんて罰当たりなこと言ってはいけません。
 で、少し先へ行きますと、道にはみ出て御神木が一本。
Kunugicho3 Kunugicho4
 扁額に“椚神社”とあります。「そうか、クヌギが御神木か…」って現場でわかった訳ではなく後で調べて知った次第。わかりやすい社名やこと。ま、ホンマのところは立派な鳥居に掲げられている割に“瓶のマジックインキ”で書かれている感じがええなぁとそっちを愛でておりました。
 とまぁ正味の話軽視して(失礼)いたこの神社ですが、ちゃんとwikiにも載る由緒ある神社やとか。詳しくはそちらをお読み頂くとして、先の町名看板にあった“椚町”はこの神社に由来する町名とか。やと言うのに今は“肘塚町”。こちらも由緒ある地名みたいですが。それより…小振りながらそんな立派な椚神社を差し置いて看板で広告して参拝客を奪おうと企む御霊神社って…嘘うそ、罰当たりなこと言ってはいけません。
 仕事終えて近鉄は奈良駅に向かう途中、もう一枚“御霊神社”の町名看板を見つけました。
Kunugicho5 Kunugicho6
 先のそれよりかなりキレイな状態で記されている内容もすべて判読可能。そうか“一家揃って参拝 御霊神社”やったんですね。“一家揃って”…ちょっとキュンとなるいい響きです。で、住所を見れば…これまた珍しい“京終地方西側町”…これももうない地名っぽいなぁと思いましたがこちらは現存していました。やっぱり奈良は…ちゃいまんなぁ。
(於:奈良県奈良市) 電話番号まで記してあるけど、この位置やったらここのお宅のそれみたいに見える。

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2018年4月 8日 (日)

むかし永田西二丁目、いま東中浜六丁目10。

 一家でしまむらへ行くもお子ゆっくり選びたいとのことでおっさんは1時間あたりの探索へ。少し歩けば商店街もあってええ感じ。その一角にひっそり残る古い町名看板が。
Nn3a Nn3b Nn3c Nn3d  かなり赤錆浮いた状態ながらも広告部分含め全面判読可能ですが、町名は変わり、厨房設備商会さんもどうやら今は存在していない様子でお役目ご苦労さんってところです。
 上部を見ると味わいある“城東区”の文字。いかにも古いモンって感じですが、よく見るとその下に木製の看板が隠されています。もっと古い時代のもんが残されていると思うとついつい剥がしたく…いやいや勿論そんなことしませんけど。しかしながら…全体的になんかええ感じの一角ですわ。

(於:城東区) “永田の西”から“中浜の東”と区割り変更…ってええんかいなという気がする。

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2017年12月16日 (土)

むかし鷺洲南一丁目、いま鷺洲一丁目7。

 長屋残る野田阪神あたりを行きますればやっぱり古い町名看板がそこに。
Sm1a Sm1b  鷺洲…“洲”は読めても書けん字のひとつですかな、“鷺”は。そもそも画数が多いというのもあるのか市バスの行き先表示みても“さぎす”と記されていたり…は、どうでもよかったですね。
 “鷺洲南”とすっかり新しそうな町名ですが今ここはただの“鷺洲”。昭和50年の町名変更時にそう変わったみたいです。
 楽しみの下の広告部分ですが、赤ペンキで書かれていてすっかり消えてしもてるのが残念。コントラストつけて拡大してももひとつ読めませんで。どうやら漢字二文字で先の字が“南”の様ですが。“野田阪神前・深夜2時迄”…大衆食堂かなんかやったんでしょうかね。どなたか覚えてはるお方おられませんか。

(於:福島区) 味ある場所に必ず憲法9条”の貼り紙が…って感じ。

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2017年9月22日 (金)

“豊津町32”の町名看板は手書き

 立派な旧家に一本松を愛で、現・豊津町の蔵人地区を北に行きますと、ここにも蔵のある一角が。雨風に打たれた焼き杉板が綺麗に木目を浮き立たせてええ味わい。角に取り付けられた町名看板もちょっとくたびれてええ感じ…って、味ありすぎやなと近寄りますれば…なるほど。
Toyotsucho32a Toyotsucho32b
 うまいことそれ風ではありますが、これ、手書きですわ。
 ずっとここにあるも経年劣化で字がかすれ「これはイカン」と書き直し。昔ながらな景観を維持しているこの村ならではの細かい心遣いが感じられますわ。
 「わかればええやろ」とならず、一生懸命書くもちょっと完全でもなくて…ええ線いってます。ストリートビューで見ると2010年には既に手書きされていますので、ペンキもこなれて今が旬なんかもしれません。きっとここのお方が書かれたのでしょう。小さなことながらこういう気遣いって、大事なことに思いますわ。

(於:吹田市) 文字消えたからって取り外したら杉板の風合いがそこだけ違うやろしな。

※:関連記事:
“清酒日本城”まで再現とは…和歌山市美園町2の修復済町名看板』 2015年10月 記

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2017年7月25日 (火)

むかし觀念寺、いま芥川町二丁目5…かなぁ。

 東海道線は高槻駅あたりの昔ながらな一角に、こんな看板がありました。
Kannenji1 Kannenji2
 ここの表札?…まさかこれがお寺やとは思えませんのでその線はないでしょう。下部に広告が記されているところを見ると、普通考えられるのは、町名看板やないかと。右の写真の下の方には“芥川町二丁目5”と書かれたブリキ看板。やっぱりこの“觀念寺”は…地名に違いないわとその場を後にしましたけど…どうなんでしょ。
 帰宅後ネットで調べて見ましたが“觀念寺”という名の町名は見つけられずで…何なんでしょ。
 先にも触れましたが下部には広告があり、そこには“日の出バス”と記されています。日の出バス…調べますればこれは高槻市営バスの前身にあたる会社で、1954年にその経営が移ったとか。と言うことはこの“觀念寺”はバス停の名前かも…と思うもここはほぼ路地。バスがかつて走っていたとは考えられません。
 で、結局のところこの“觀念寺”は何なのかはわからんまま。現地名の“芥川町”、調べますれば大阪府三島郡のかつてあった自治体で、1931年に周辺町村と合併の末“高槻町”となり、消滅したとあります。と言いうことはそのかつての自治体の“芥川町”時代の町名に“觀念寺”があったのやないかと思ったりするんですが、どうでしょ? ご存知の方、お教えいただければさいわいです。

(於:高槻市) 案外ここがお寺なんかもしれん気がしてきた。

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2017年7月24日 (月)

むかしもいまも芥川町四。

 奥まったところに町名看板。
Akutagawa4a Akutagawa4b
 こんなところに掲げて誰が見んねん…と思うも、そんな場所やからこそ錆びはしつつもずっとここにあるんでしょう。しかしながらやっぱりこの手の看板は、木造建屋に似合いますなぁ。下部には“清酒 國乃長 Kuninocho”と地元のお酒の広告。ここがやっぱり最大のあじわい。こういうのに出会うと、何とも旅気分に浸れるもんです。ちょっと一杯呑んで帰るとなおよろし。ま、残念ながらそれができなんだんですが。

(於:高槻市) しかしまぁよく錆びて…これは琺瑯製やないんでしょうかね。

※関連記事:
むかしもいまも富田町3。』 2012年5月 記

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2017年6月19日 (月)

むかし高井田、いま高井田中四丁目。

 東大阪市某所で仕事。中央線は高井田駅降りて南へ歩きますれば、なかなかな色合いの町工場が角に。そのケチャップとマヨネーズが混ざった様な色合い…たまらんなぁ。 
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 ブロック積んだ建物の色合いもさることながら、地面が鉄粉に覆われているのか赤茶けて…いやぁいかにも町工場って感じとかそっちに感心するのも束の間、そこにこんな町名看板がありました。梅雨明けると夏…時期的にぴったりの広告部分やことですわ。
 “ハエや蚊にキンチョール”のフレーズや文字がええのはともかく、ベースの緑みの群青色がこれまたええ味わいというかなぜか懐かしいと言うか…
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 そう言えば昨夜、今期初めて蚊の“プーン”という羽音に目を覚ましました。すぐに“キンチョウリキッド”のスイッチONにするもその蚊、何度も果敢にアタック…何でやろ、先日買ったとこやのに。殺虫剤に耐性持ったヤツが飛んでるんやとしたら…怖い話やなぁと思うも、案外寝ぼけてたんやろかと思ったり。そんなことないと思うんやけどなぁ。

(於:東大阪市) 今年も“金鳥少年”絶好調♡。

※関連記事:
豊中市豊南町東3のキンチョール』 2012年6月 記
豊中市熊野町1のキンチョール』 2010年1月 記
東大阪市四条町のキンチョール』 2009年6月 記

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2017年4月14日 (金)

むかしもいまも鳴川町。

 昨日の午後は奈良で仕事。近鉄は奈良駅から京終まで歩きで移動。さすが奈良町は風情あってええ感じ…ではありますが、いかにも“いかにも”な街構えで案外アホげ物件がないなぁと。そんなこと思いつつ行きますればこんな町名看板が。
Narajin1 Narajin2  これもまぁ“いかにも”な物件ではありますか。大阪市内で見る仁丹のそれと基本同じ図案のヤツがお地蔵さんの横にありました。そのサビ具合が祠と溶け合っていてええ感じ…と思って愛でておりましたが、これがここに付けられた時点ではどうやったんでしょうかね。きっとピカピカ輝いて違和感全開やったはず。それはまぁ京都市中のそれも同じやとは思いますが妙にこの物件からはそんなことを思わずにはおれません。
 昔ながらな街並みと琺瑯看板…平成の世にしたら同じ“古き良きモン”とひとくくりに見えますがそやないんやなぁという事実を改めて…いやはじめて感じさせるもんがここにありました。ま、そういうことで。

(於:奈良県奈良市) 京終には平成に入ってからもテイチクの本社があったとは驚愕。

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2016年11月10日 (木)

むかし南甲田町、いま甲田二丁目19。

 富田林市某所で朝から仕事。近鉄は川西駅で降りて旧村をしばし探索。
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 碁盤の目の様な整備された街とは違って細くやや曲がった道が集落あちこちにあって、ところどころ川の流れがええ音を立てていて史跡(水郡邸)なんかもあってええ感じ。そんなところにはきっと何ぞあるやろと思うも…案外見当たらんもんです。
 てなこと思いつつふと見た角のお宅に錆びた町名看板がひとつ。
584b 584c  少なくなったとは言えまぁよく見るタイプのブリキ看板。そこに記された地名がちょっと今とは違って“南甲田町”となっています。
 下の広告部分には“人形の制作問屋 勝村 大阪・上本町8の文字。「人形にして松屋町やなくて上八か…」って感じ。調べましたが、松屋町には存在するも、上八では見つけられませんでした。確か昔テレビCMもやってたと思うんですが…と検索してヒットしたのは“人形の”…そっか。あ、そうそう。“まっちゃまちのふくいたや、にんぎょとゆいの”の福板屋さんも店じまいしてマンションに生まれ変わるとか。ま、建て替わってからまた一階にお店出しはるみたいですけれども…なんやさみしいですね。とは言え“人形”も“結納”もきょうび…ねぇ。

(於:富田林市) それよりミカン袋みたいなもん吊ってあるのは何? わからなんだ。

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2016年10月 4日 (火)

いまもむかしも桜之町西一丁。

 堺の広告入り町名看板と言えば“金露”が定番かと思ってましたら、こんなんも。
590a 590b  すっかりサビ上がり焼き杉板の塀に溶け込んでますが、読もと思えば読める状態でまぁそれなりに役に立ってるものと思われます。
 とは言え下部はかなり劣化が進んでこれでは広告効果はなしに等しい状態。そこにあるのは“なるほどよい酒 長龍”。そうそうこれこれ。以前にも記しましたけどこのスタイルの町名看板は幼少期よく八尾市あたりではそこここで見かけたもんなんですがほんとに全くと言ってえええほど見かけん様になりました。そらまぁ琺瑯製のそれとは違ってブリキ製ですからどこのも錆びサビになって用を成さんわとほかされていったんでしょうなぁ…って以前の記事と同じこと書いて…嫌やわぁ。
 “長龍”…八尾の酒やと思っていたのに奈良は広陵町に本社移ってなんや寂しい限り。さみしい言うと本家筋の天理の“長龍”は昨年廃業したとか。この看板みたら「もう消滅した酒やろ」って思われそうですけど、まぁ半分当たってるわけですな。

(於:堺市堺区) ええなぁ、ヒゲ文字。

※関連記事:
いまもむかしも百舌鳥梅北町五丁。』 2013年12月 記
龍の年…『長龍』の懐かしラベルふたつ。』 2012年 1月記
東大阪市若江南町五に残る錆びた昭和』 2011年2月 記

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