町名看板

2019年6月 3日 (月)

むかしもいまも鳴尾町四丁目。

 阪神は鳴尾駅で待ち合わせて仕事の現場へ行く前にあたりをぐるっと。
Naruo4b Naruo4a  看板の上から木でしっかりガードでちと不思議。錆びサビの町名看板見ればそこには“高島屋”の広告が。阪神なんば線が開通した今ならともかく何で難波の百貨店が…って思いますけど、かつて阪神間にもあったんでしょうか高島屋って。怪しい金融の看板も…令和の今では充分味わいあるもんとなってきた様にも思いますな。

(於:兵庫県西宮市) 平気で他の看板の上に貼る神経がさすがって感じ。

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2019年5月 9日 (木)

13-7

 えぇ味わい。
137  律儀なお方とお見受けしました。

(於:兵庫県尼崎市) “7”は引き立て役。

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2019年4月13日 (土)

むかし河内市稲葉3-6、いま東大阪市稲葉3-6。

 オオキバナカタバミ咲き誇る昔ながらな一角に、こんな町名看板がありました。
Inaba3a Inaba3b  広告部分のない今日的なデザインながら、それは琺瑯製。一部錆びているものの、きっちり仕事を果たしてるって感じ。とは言えそこには“河内市”とありますから、まぁ現役と言うよりここらの歴史を伝える役目を果たしている存在と言ったところでしょうか。布施市枚岡市と合併して東大阪市が誕生したのが1967年。それ思うとよくもまぁ半世紀以上も残ってるなぁ…って、50年の歳月なんかたいしたことないってことなんかもしれません。そう思えるのも我ががええ歳になったから感じることなんでしょうけど。

(於:東大阪市) いまが見納めって感じがする、残念ながら。

※関連記事:
“河内市水道消火栓”の鉄蓋』2015年8月 記

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2019年2月26日 (火)

むかしもいまも木広町2。

 大阪府下でもよく見かける意匠の広告入りの町名看板ですが、和歌山にもありました。
Kihirocho2a Kihirocho2b Kihirocho2c  ブリキ製のそれはどこも錆びサビで、まぁ読めんこともないですけどちょっと本来の使命を果たしていると言えない状況ですな。ま、そこが逆にええ味わいとも言える訳ですけども。
 で、やはり広告部分がきになるところ。そこには“お買い物は 丸正 和歌山・本町”。和歌山県人には馴染みある百貨店だったかと思いますが大阪モンの私には数回行った記憶しかなくて。しかもその記憶ももひとつなもので、小旅の帰りに和歌山のお酒買って帰ろかと思って立ち寄ったものの、お客さんまばら。そんな状況だからでしょうか店員さん同士でずっと私語…「なんだかな」と思ってましたらその後しばらくして閉店に。wikiによりますと2001年に自己破産とあります。そうか…その頃からぶらくり丁 の衰退は始まっていたってことなんですね。
 とまぁ“丸正”についつい目を奪われて眺めていたこの町名看板ですけど、よく見たらその下にある木目調のトタン板は極めて新しいものです。外壁をやりかえてもちゃんと町名看板は貼り直してはる訳でちょっと嬉しいなりますね。以前の日本城の広告付きのそれ同様、和歌山の人々は古い町名看板を大事にしてはるみたいです…ってサンプルたった2つの事例で決めつけてますが。

(於:和歌山県和歌山市) ちょっとさみしい現実あれど、やっぱりええなぁ和歌山って。

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2018年6月27日 (水)

むかしもいまも上本町九丁目。

 ずっとあるなと思いつつもお蔵入りしていた物件。
Ue9a Ue9b   私が高校生時分でも充分に超昔ながらな佇まいやなぁと眺めていた家屋の隅にひっそり町名看板。この場所が“上本町九丁目”やと告げているその文字のバランスというか大きさなんかも含めてちょっと不安定でええ感じ。“天王寺”もしかりで、愛想なしな感じながらもそれなりにええ風情を漂わせてます。
 で、よく見ればその町名看板の下に何やらアルミの銘板が貼ってあります。これは…仁丹の町名看板の下に必ず付いていたみたいらしいですから…この上からそれが貼られていた時期があったということですかね。そう言えばいつぞやそんな話をネットで読んだ様な。
Ue9c
Ue9d
 同じ建物にはもうひとつ町名看板が。こちらは“夕陽丘予備校”の広告入りのものでこれも充分に風情あるもちょっと負け気味…と思いましたけど案外可愛さでは勝ってますかね。どこか“かわいいおじいさん”な感じ。そう思えば先の方のは…頑固じじい、かな。否々背筋シャンとした東海林太郎さんみたいなご老人ですな。

(於:天王寺区-2015年 広い通りに面して昔ながらな家屋が残ってるって奇跡やな。

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2018年5月23日 (水)

むかし椚町、いま肘塚町。

 奈良市某所で仕事やった過日、京終駅あたりを探索していましたら、木の塀に溶け込んだこんな看板を発見。
Kunugicho1 Kunugicho2
 「お参りするんやったら御霊神社に来てね」っていう看板ですわ。ちょっと変わってるなぁと思って撮ってましたら「なに撮ってはりますの?」とご近所さん。事情を説明しますと「そやね、ここらはみんな御霊さんやね」と。「半世紀は前の看板みたいですね?」には「いや、そんな前のもんでもないわ」。そうかなぁ…いろいろ判読不明箇所あるしなぁと思いつつ下部見れば“ここは椚町”の文字。そうか、これは町名看板やったんですね。広告が上にデンと記され住所がついでに書いてある…まるでひと昔前によく見た不法看板に罪滅ぼしのつもりか“交通安全”とか書いてあったのと…なんて罰当たりなこと言ってはいけません。
 で、少し先へ行きますと、道にはみ出て御神木が一本。
Kunugicho3 Kunugicho4
 扁額に“椚神社”とあります。「そうか、クヌギが御神木か…」って現場でわかった訳ではなく後で調べて知った次第。わかりやすい社名やこと。ま、ホンマのところは立派な鳥居に掲げられている割に“瓶のマジックインキ”で書かれている感じがええなぁとそっちを愛でておりました。
 とまぁ正味の話軽視して(失礼)いたこの神社ですが、ちゃんとwikiにも載る由緒ある神社やとか。詳しくはそちらをお読み頂くとして、先の町名看板にあった“椚町”はこの神社に由来する町名とか。やと言うのに今は“肘塚町”。こちらも由緒ある地名みたいですが。それより…小振りながらそんな立派な椚神社を差し置いて看板で広告して参拝客を奪おうと企む御霊神社って…嘘うそ、罰当たりなこと言ってはいけません。
 仕事終えて近鉄は奈良駅に向かう途中、もう一枚“御霊神社”の町名看板を見つけました。
Kunugicho5 Kunugicho6
 先のそれよりかなりキレイな状態で記されている内容もすべて判読可能。そうか“一家揃って参拝 御霊神社”やったんですね。“一家揃って”…ちょっとキュンとなるいい響きです。で、住所を見れば…これまた珍しい“京終地方西側町”…これももうない地名っぽいなぁと思いましたがこちらは現存していました。やっぱり奈良は…ちゃいまんなぁ。

(於:奈良県奈良市) 電話番号まで記してあるけど、この位置やったらここのお宅のそれみたいに見える。

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2018年4月 8日 (日)

むかし永田西二丁目、いま東中浜六丁目10。

 一家でしまむらへ行くもお子ゆっくり選びたいとのことでおっさんは1時間あたりの探索へ。少し歩けば商店街もあってええ感じ。その一角にひっそり残る古い町名看板が。
Nn3a Nn3b Nn3c Nn3d  かなり赤錆浮いた状態ながらも広告部分含め全面判読可能ですが、町名は変わり、厨房設備商会さんもどうやら今は存在していない様子でお役目ご苦労さんってところです。
 上部を見ると味わいある“城東区”の文字。いかにも古いモンって感じですが、よく見るとその下に木製の看板が隠されています。もっと古い時代のもんが残されていると思うとついつい剥がしたく…いやいや勿論そんなことしませんけど。しかしながら…全体的になんかええ感じの一角ですわ。

(於:城東区) “永田の西”から“中浜の東”と区割り変更…ってええんかいなという気がする。

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2017年12月16日 (土)

むかし鷺洲南一丁目、いま鷺洲一丁目7。

 長屋残る野田阪神あたりを行きますればやっぱり古い町名看板がそこに。
Sm1a Sm1b  鷺洲…“洲”は読めても書けん字のひとつですかな、“鷺”は。そもそも画数が多いというのもあるのか市バスの行き先表示みても“さぎす”と記されていたり…は、どうでもよかったですね。
 “鷺洲南”とすっかり新しそうな町名ですが今ここはただの“鷺洲”。昭和50年の町名変更時にそう変わったみたいです。
 楽しみの下の広告部分ですが、赤ペンキで書かれていてすっかり消えてしもてるのが残念。コントラストつけて拡大してももひとつ読めませんで。どうやら漢字二文字で先の字が“南”の様ですが。“野田阪神前・深夜2時迄”…大衆食堂かなんかやったんでしょうかね。どなたか覚えてはるお方おられませんか。

(於:福島区) 味ある場所に必ず憲法9条”の貼り紙が…って感じ。

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2017年9月22日 (金)

“豊津町32”の町名看板は手書き

 立派な旧家に一本松を愛で、現・豊津町の蔵人地区を北に行きますと、ここにも蔵のある一角が。雨風に打たれた焼き杉板が綺麗に木目を浮き立たせてええ味わい。角に取り付けられた町名看板もちょっとくたびれてええ感じ…って、味ありすぎやなと近寄りますれば…なるほど。
Toyotsucho32a Toyotsucho32b
 うまいことそれ風ではありますが、これ、手書きですわ。
 ずっとここにあるも経年劣化で字がかすれ「これはイカン」と書き直し。昔ながらな景観を維持しているこの村ならではの細かい心遣いが感じられますわ。
 「わかればええやろ」とならず、一生懸命書くもちょっと完全でもなくて…ええ線いってます。ストリートビューで見ると2010年には既に手書きされていますので、ペンキもこなれて今が旬なんかもしれません。きっとここのお方が書かれたのでしょう。小さなことながらこういう気遣いって、大事なことに思いますわ。

(於:吹田市) 文字消えたからって取り外したら杉板の風合いがそこだけ違うやろしな。

※:関連記事:
“清酒日本城”まで再現とは…和歌山市美園町2の修復済町名看板』 2015年10月 記

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2017年7月25日 (火)

むかし觀念寺、いま芥川町二丁目5…かなぁ。

 東海道線は高槻駅あたりの昔ながらな一角に、こんな看板がありました。
Kannenji1 Kannenji2
 ここの表札?…まさかこれがお寺やとは思えませんのでその線はないでしょう。下部に広告が記されているところを見ると、普通考えられるのは、町名看板やないかと。右の写真の下の方には“芥川町二丁目5”と書かれたブリキ看板。やっぱりこの“觀念寺”は…地名に違いないわとその場を後にしましたけど…どうなんでしょ。
 帰宅後ネットで調べて見ましたが“觀念寺”という名の町名は見つけられずで…何なんでしょ。
 先にも触れましたが下部には広告があり、そこには“日の出バス”と記されています。日の出バス…調べますればこれは高槻市営バスの前身にあたる会社で、1954年にその経営が移ったとか。と言うことはこの“觀念寺”はバス停の名前かも…と思うもここはほぼ路地。バスがかつて走っていたとは考えられません。
 で、結局のところこの“觀念寺”は何なのかはわからんまま。現地名の“芥川町”、調べますれば大阪府三島郡のかつてあった自治体で、1931年に周辺町村と合併の末“高槻町”となり、消滅したとあります。と言いうことはそのかつての自治体の“芥川町”時代の町名に“觀念寺”があったのやないかと思ったりするんですが、どうでしょ? ご存知の方、お教えいただければさいわいです。

(於:高槻市) 案外ここがお寺なんかもしれん気がしてきた。

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