町名看板

2016年11月10日 (木)

むかし南甲田町、いま甲田二丁目19。

 富田林市某所で朝から仕事。近鉄は川西駅で降りて旧村をしばし探索。
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 碁盤の目の様な整備された街とは違って細くやや曲がった道が集落あちこちにあって、ところどころ川の流れがええ音を立てていて史跡(水郡邸)なんかもあってええ感じ。そんなところにはきっと何ぞあるやろと思うも…案外見当たらんもんです。
 てなこと思いつつふと見た角のお宅に錆びた町名看板がひとつ。
584b 584c  少なくなったとは言えまぁよく見るタイプのブリキ看板。そこに記された地名がちょっと今とは違って“南甲田町”となっています。
 下の広告部分には“人形の制作問屋 勝村 大阪・上本町8の文字。「人形にして松屋町やなくて上八か…」って感じ。調べましたが、松屋町には存在するも、上八では見つけられませんでした。確か昔テレビCMもやってたと思うんですが…と検索してヒットしたのは“人形の”…そっか。あ、そうそう。“まっちゃまちのふくいたや、にんぎょとゆいの”の福板屋さんも店じまいしてマンションに生まれ変わるとか。ま、建て替わってからまた一階にお店出しはるみたいですけれども…なんやさみしいですね。とは言え“人形”も“結納”もきょうび…ねぇ。

(於:富田林市) それよりミカン袋みたいなもん吊ってあるのは何? わからなんだ。

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2016年10月 4日 (火)

いまもむかしも桜之町西一丁。

 堺の広告入り町名看板と言えば“金露”が定番かと思ってましたら、こんなんも。
590a 590b  すっかりサビ上がり焼き杉板の塀に溶け込んでますが、読もと思えば読める状態でまぁそれなりに役に立ってるものと思われます。
 とは言え下部はかなり劣化が進んでこれでは広告効果はなしに等しい状態。そこにあるのは“なるほどよい酒 長龍”。そうそうこれこれ。以前にも記しましたけどこのスタイルの町名看板は幼少期よく八尾市あたりではそこここで見かけたもんなんですがほんとに全くと言ってえええほど見かけん様になりました。そらまぁ琺瑯製のそれとは違ってブリキ製ですからどこのも錆びサビになって用を成さんわとほかされていったんでしょうなぁ…って以前の記事と同じこと書いて…嫌やわぁ。
 “長龍”…八尾の酒やと思っていたのに奈良は広陵町に本社移ってなんや寂しい限り。さみしい言うと本家筋の天理の“長龍”は昨年廃業したとか。この看板みたら「もう消滅した酒やろ」って思われそうですけど、まぁ半分当たってるわけですな。

(於:堺市堺区) ええなぁ、ヒゲ文字。

※関連記事:
いまもむかしも百舌鳥梅北町五丁。』 2013年12月 記
龍の年…『長龍』の懐かしラベルふたつ。』 2012年 1月記
東大阪市若江南町五に残る錆びた昭和』 2011年2月 記

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2015年10月 6日 (火)

“清酒日本城”まで再現とは…和歌山市美園町2の修復済町名看板

 仕事で和歌山へ。待ち合わせまでいつも通りの探索。ある公園に何とも懐かしい遊具見つけ、ここはどこかと町名看板探しますれば、何かえらい味ありまっせ。
Misono2a Misono2b Misono2c  近寄ってよく見ますればこれ、手書き。その形状から見ますと元々あった町名看板が劣化したものをキレイにしはった様子ですわ。
 それより…ですわ。この下の広告部分、ここもちゃんと手書きで書いてある…律儀というか何というか。町名のそれに比べてちょっと弛れた感じがこれまた書き手の気分が現れていてよろしいなぁ。“城”の“ヽ”の書き忘れがまた、その気分を物語っている様で。
 で、元はどんな感じやったのかとストリートビューで見ますと、2009年のモンにありました。それを見ると…もうほぼ判別不能。元々深茶色やったものなのか、錆びてそうなっているのかもわかりませんなぁ。てなわけでオリジナルに忠実に再現したというより、別モンになった様にも思います。
 ま、でもそれで良し。スペインのほれ、キリストさんがサルになった修復は笑てええんかどうかビミョーですけど、これは…全然よろしいわ。
 ここまでしてもらってるって、日本城の蔵元さんは御存知でしょうかね。いいなぁ。“律儀でおおらか”な和歌山の県民性が見事にビジュアル化されてるって感じ。とか何とか。

(於:和歌山市) 外壁改修の折に化粧直しして付け直した様で…よくぞ残ったもんです。

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2015年7月31日 (金)

むかし大今里南之町 丁目 番地、いま大今里南1-7-9。

 昨日も今日も東成区で仕事。早めに午前の仕事が終わり、地元の何人かの皆さんから耳にしました“魚屋ひでぞう”へ食事に向かうもそこは11時半から。半時間ほど時間あるしとあたりを散策しますれば…ありました、木製の町名看板が。
Oim1a Oim1b Oim1c  まだまだ昔ながらな風情残るここ東成区と言えども、長屋はやはり減少傾向にありますなぁ。そんな街並みがなくなることも残念ですが、この手の区画整理、町名変更前の住所を示している看板が消滅していっている事実…何やこれでええんかいなと思ったりします。
 で、この昔の町名看板ですが、みおつくしの市章の下は左から“東成區”と記されていますが、そのしたは“里今大”…すなわち右から大今里と記されていて…何やけったいな感じです。
 で、この看板よく見れば、“之”と“町”、“東成”と“局”の間を境に上部を書き直した様な跡があります。ということは、この住所よりまだ前の住所が記されていた可能性があります。それより前…ってことは、このあたりが大阪市域に編入される前のことでしょうかね。東成区は今年で“区制90年”…と言うことはこの看板はそれ以上前からここにあるということかもしれません。
 とか思いましたけど、看板下の広告部分“質 ◯幸”の下にある電話番号が2桁の4桁ですから、まぁそないに古い物件でもないでしょう。
 質屋の所在地を知らせる部分には“二条通大富市場北二丁”…はい、地元民ではありませんのでさっぱりわかりません。
 てなこと思いながら調べますれば時折コメント頂きます“居酒屋ガレージ日記”様の“旧町名表示”の記事がヒット。同じこの町名看板を取り上げてはります。さすがはこの辺のこと詳しい様で…あとはそちらでお楽しみの程、宜しくお願い致します。

(於:東成区) で、ひでぞう、お造り定食800円にして味噌汁と小鉢4品付。美味いご飯おかわり無料でしかも税込。これは…夜も期待できまっせ。

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2015年7月25日 (土)

むかし大今里本町2丁目、いま大今里3-10-10。

 昨日今日、そしてしばらく飛び飛びに東成区で仕事。
Omh3a Omh3b  移動中ふと町のディテール見ますればこんな町名看板発見。ベコベコに折れ曲がって錆びてて…その風情がもう完全にこの街にと言うかこの民家に溶けていますわ。
 一瞬大阪市内にある仁丹のそれに似ている感じですが、ちょっと違います。ただ、下部の広告部分がないだけの丈ですので、切られているのかも、と思いましたが、そうでもないかも。ただ改めて写真見ますれば下部は切られた様にも見えます。
 現住所を表示している訳ではないので不要と言えば不要な物件。それでも旧住所を伝承していくという使命がこれにはあるわけで、すっとこれからもカメレオン状態でこの街に居続けて欲しいもんです。

(於:東成区) 東成区のシンボルは…今里ロータリーかな。

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2015年4月15日 (水)

通称(?)下田上之町、正しくは桜井市外山424。

 実際に合わせるべきか、モノに垂直を合わせるべきか…
Sempatsu1 Sempatsu2 Sempatsu3  垂直に貼られていない町名看板。町で見かける分にはさほど気にならん(ウソ)ものの、この様に載せると…何とも落ち着きが悪いもんですわ。看板主体に考えると垂直出しした方がええ様にも思いますし、事実伝えた方がええとなると、このままの方がええと思いますし…ま、そんなことはどうでもよろしいか。
 防火水槽をたくさん見つつ伊勢街道を行き橋を渡りますれば、民家の合板上にキレイな琺瑯製の町名看板がありました。
 “下田上之町”…この町名も通称名なのか旧町名なのか昨日の記事同様、ネットで調べても出てきません。で、Googleマップでここの場所を調べますと正式住所は“外山424”とのこと。ただ、地図上には“外山下田上之町”の表記もありますので、まぁ言うと京都市中の地名の様に通称名ということなんでしょう。
 で、この地名を調べているうちに知ったのが、この“外山”。外山と書いて“トビ”と読むのやそうです。これは…全然読めんですなぁ。桜井の中心地からちょっと外れているから“飛び地”という言葉から付いたんかいなとか思ったり。ネットで調べた限りでは“原形は 外(と)美山(びやま)、 外見(とみ) 山(やま)”(サイト『伊那の谷から古代が見える』の“地名の話”より)というのとか、“日本書紀等に出てくる鵄邑(とびむら)から来ているのではないか”(サイト『懐古ism』内“奈良県桜井市 (1) ”より)などがありました。
 地名もさることながらこの手の町名看板で気になるところはもうひとつ、広告部分ですが、そこには“銘酒 先發 稲田醸”の文字。“先発”という名も変わっていますが、酒名にして丸ゴシック体を使っているところが何とも珍しい…と思いましたが、レッテル(カンキ堂のサイトより)ではヒゲ文字が使われていた様子。ちょっとガッカリ。桜井市の谷で醸されていたお酒で“県産米を桜川の伏流水で仕込んだソフトな甘口派”(昭和57年発行『日本酒全蔵元全銘柄』主婦と生活社 による)やったそうです。残念ながら廃業され今は町の酒屋さんとして残っている様です。

(於:奈良県桜井市) やっぱり…垂直に貼ってほしいわ。

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2015年3月26日 (木)

むかし桜井町西口町3、いま桜井市西本町通5。

 手前にサビサビのブリキ製町名看板。「ほとんど読めんで」と思いふと奥見ると、奥にも町名看板。
Nishiguchi3a Nishiguchi3b Nishiguchi3c  そこには“西口町三丁目”とあります。よく見れば“桜に井”のマークも。これはきっと桜井市の市章でしょう…と思いましたが、調べてみますと今の市章とは違う様で…たぶん合併して市政になる前の桜井町の町章やないかと思われます。
 さて手前にある町名看板。よく見れば“西本町五”と読めますが、“町”と“五”の間の右に“通”の文字が書き加えられています。「西口町3の次はは“西本町5”やった時代があったということか…」と思いましたけど、これはどうやら“通”を記すのを忘れた様で、本町通のそれも、やはり“通”が書き加えられていました。何とも不細工なことで。それでも訂正して使おうというのが…ちょっと時代を感じますなぁ。
 で、話戻って奥の町名看板。こちらは色褪せもサビもなくええ状態で残っていますが、肝心の(?)広告部分が読めんのが、かなり残念。これでは…判らんなぁと思いつつ“小型自動車は”を画像検索にかけてみますれば…あったあった。見えん部分には“ウメモト”と記されている様です。
 しかしながら何でこんな奥まったところに設置したのでしょうかね。町名変更でまぁ奥に追いやられたってことなんでしょう。お陰で今もキレイに残っていて…よろしいなぁ。

(於:奈良県桜井市) 子供の頃こういうスキマにはよく入り込んで行ったもんです。ホンマは…今もそうしたいもんですが。

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2015年3月12日 (木)

むかし榛原町新吉田、いま宇陀市榛原萩原2663。

 先に宇陀市某所に行った折、帰りしなにも少し駅周辺を探索。古い町並みがええ感じやと思いますればそこは伊勢本街道。少しそれて先へ行きますと、木造家屋の片隅にカメレオン状態の町名看板を発見。
Shin_yoshida1 Shin_yoshida2
 見ての通りかなりの経年変化が生じていますので全くその役目を果たしていない物件ですが、まぁ“新吉田”は読めます。ですがその上は…町村合併前の“榛原町”と記されているのでしょうな。
 現行の町名看板がどこにもなかったので帰宅後調べてみますればここは今“榛原萩原”という地名の様で、2006年から2011年は“榛原区萩原”の住所だったとか。
 新吉田…この地名、ネット上ではほぼ確認できませんでした。“新”と付くのが気になるところ。ただの“吉田”もあったのか、新旧の新ではないのかもしれませんね。
…とまぁ謎の町名も気になりますがやっぱり広告部分のMobilがええ味出しているのは言うまでもありません。こちらの石油店も、やはりネットでは見つけられませんでした。てなわけでこの看板は…まったく用をなしていないわけですなぁ。ま、昔の町名を伝え続けていくという使命を背負ってはいますけれども。それも大事ですな。

(於:奈良県宇陀市) 榛原は牛肉の産地なのか、精肉店や肉料理屋が割とたくさんありました。

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2014年11月10日 (月)

むかし南区南空堀町、いま中央区谷町六丁目。

 今まで全然気づかなんだ。
Minamikarahori1 Minamikarahori2  こんなところで仁丹の町名看板を発見。何年も何回もこの商店街を行き来してきましたけど、こんな物件あったんやといった感じ。
 よく見たら…というかよく見るまでもなくこの町名看板はご覧の通りまったくそのロケーションに馴染んでいませんので、最近ここに復活を遂げたものなんでしょう。
 ネットで調べてみますと、少なくとも今年の春にはここに登場していた様で…半年以上も気づかなんだとは何とも不覚。看板すぐ右横の串カツ屋にも何度か行ったことがあるというのにですわ。
 で、「ほんまにここが南空堀町やったのか?」と疑ったのですが、どうやらやはりこの辺りが“南空堀町”やったということです。近隣のどなたかが保管されていたんでしょうね。
 気になるのは割とすぐに取り外しできそうなところ。盗られることなくずっとこの場所で昔の町名を伝えていってほしいもんです。

(於:中央区) この商店街も飲食店比率が増してきてるな。

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2014年9月28日 (日)

赤川二丁目5の町名看板の下は…きっと仁丹のそれ。

 幾度も前を通るも…全然気づかなんだ。
Akagawa2a Akagawa2b  年代を感じるモルタルに面格子、そしてエアコンの室外機に囲まれて町名看板が掲示されていて何げに眺めていましたが、よく見ればその上部に…あ、あれでっせ。
 あれって言うのは、もう説明するまでもありませんか。そう、仁丹の町名看板。いや、これだけしか見えていませんので絶対それとは言い切れませんが。
 現行のプラ製のそれを剥がしてみたろと試みたものの、強靭な接着力と、交番前というシチュエーションに、断念。せっかく風情ある環境が揃ってるというのに…残念ななぁ。

(於:旭区) 剥がされて、貼り替えられるより、まだ将来性があるな。

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