かつての大阪酒

2016年9月 5日 (月)

昭和なプラ看板 131,132 ● 清酒 金露キンロ

 “酒は金露で張りキンロ”、まとめてふたつ。
Kinro1 Kinro2
 撮った順にまいりましょう。これは2010年1月、東成区にて。肝心の小判マーク、片面が太陽光やられて痛々しい上、支柱の劣化もあってか歪んだ状態に。案外その不安定さが消滅した酒蔵のブランド看板って感じを増長させてええ雰囲気とも言えます。
 いつもクルマで通るたびにその歪みキンロを愛でておりましたが2012年頃に建物ごとなくなってしまいました。
 次のはこれとは打って変わって、上物です。
Kinro3 Kinro4
 見ての通りのピッカピカ。おなじみアーケード下の物件、前々回の“キリンレモン/キリンビール”同様、河内長野の駅前商店街にあるものです。商品名がドンとでっかく記されているのが、やっぱりよろしいですね。しかしながら“金露”よりも“キンロ”とカタカタ表記の方を全面的に押し出しているところが、このお酒のユニークなところでしょうか。他にはあんまり思い出せんなぁ…あ、そう言えば昔は“ハクツル”と“サワノツル”もカタカナで大きくネオンサイン出したりしてはりました。
 さて、大阪は堺で生まれ、戦後、灘・魚崎郷の酒として親しまれていた“金露”の金露酒造ですが1997年に廃業されました。金露酒造のことはかつての記事阪堺電車の車窓に見えるキンロの看板残る建物からあれこれ。に詳しく記しましたのでそちらをご覧頂くとしてこの辺で失礼致します。

(於:東成区 2010年、河内長野市 2016年 キング醸造の金露には…手が伸びん。

※関連記事:
いまもむかしも百舌鳥梅北町5丁。』 2013年12月 記
堺に残る新泉、金露、都菊、アサヒビールの看板に思う。』 2013年11月 記
阪堺電車の車窓に見えるキンロの看板残る建物からあれこれ。』 2013年2月 記
金露で白鶴、多聞で世界一統…?』 2007年9月 記

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2015年7月18日 (土)

かつての大阪酒 10 『竜精』 信貴久酒造(有)

Ryusei1 Ryusei2  先日の水間鉄道沿いの小旅防火水槽ナショナルのお店見つけて「ええとこや」と思いつつ住所表記見ますれば「…ん?昔この住所あたりに酒蔵あった様に思うなぁ」と。ここらの住所は貝塚市“三ツ松”。その住所見て「あっ」と思ったのです。
 ハタチそこそこの頃、大阪府下の酒蔵に興味を持ちはじめ、しょっちゅう昔の醸造元の記された“全国酒類製造名鑑”のコピーを見ていた若き日の山本龍造。まだまだ脳に余力あったかそういうどうでもええことが割と頭に入って…四半世紀は過ぎた今でも、その頃の記憶が蘇る訳です。
 いつも下調べなしをよしとするアホげ、とりあえず「この建物が酒蔵やったんちゃうか?」と写真を一枚二枚。いかにも酒蔵風…ではありますが「ちょっと小さすぎるかなぁ」と思いつつ時計見れば「あ、もう時間や」で、森駅方面へ引き返しました。
 帰宅後調べてみますればやはり三ツ松にかつて蔵元があり、その住所をストリートビューで確認しますれば…まさにこの蔵がそれでした。もう少し…ほんの後5mほど先まで歩いていたら酒名“リユセイ”と書かれた看板も残っていたようで…あぁ、残念。
 かつてここで“竜精”というお酒を醸されていた信貴久酒造というのが1974年発行の名鑑に記載されているということ以外、何ひとつこの蔵の情報はわかりませんでした。
 スカスカな記事で申し訳ありません。どなたか詳細ご存知のお方おられましたらひとつお教えいただきます様、よろしくお願い致します。

竜精:信貴久酒造有限会社
    大阪府貝塚市三ツ松1455-1

(於:貝塚市) このカテゴリ、滅多に更新してへんなぁ。ネタはあるんやが…

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2013年11月18日 (月)

堺に残る新泉、金露、都菊、アサヒビールの看板に思う。

 先日仕事で行った堺。帰りしな、道端のベンチに座ってふと前を見ますと、ええ風情の酒屋さんに、ええ看板が。
Sakai1 Sakai2
 手前のヤナギがまたええ風情を醸し出してますわ。きっとここはそれなりに知られた“観光スポット”なんではないでしょうかね。そこに掲げられた木製看板、そこに記された酒名に、さっき通った商店街にもかつての堺酒の銘柄が記されたプラ看板があったことを思い出しました。
Sakai3 Sakai4
 “新泉”、“金露”、“都菊”…これらみんなかつて堺で醸されていたという銘酒。平成の今となっては、もうそれをリアルに知る人も少ないのではないでしょうか。
 “新泉”は戦中の企業合同で生まれた会社。戦後灘の“百万両”と合併、“百万両新泉・堺工場”となり、昭和50年頃まで甲斐町西1で醸されており、その生産量は府下最大だった様です。その後、灘に生産を集約、メルシャンに吸収され、阪神淡路大震災で打撃を受けたのち、メルシャンの他の工場で造られていた様ですが、現在はもう発売されていない様です。余談ですが東京は月島のええ居酒屋“岸田屋”には、菊正宗とならんで“新泉”供されていました。
 “金露”は文化3年堺で操業、明治期に灘に進出、戦災で堺の蔵が消失したのを期に灘、魚崎に一本化して酒づくりをしていたものの、あの震災後、経営が悪化、蔵を閉じ、その酒名は味醂のキング醸造に引き継がれ、今は兵庫県稲美町で製品化されている様です。“酒は金露で張りキンロ”…そのフレーズに懐かしいと感じるのも、もう50歳代以上の世代でしょうか。
 “都菊”は安政年間に長崎で操業、明治期に当時の銘醸地、堺に移転。戦後、灘に本拠を移し酒づくりを続けていたものの、その蔵は剣菱の中蔵となり、近くの魚崎酒造の蔵やったところに移転したあと、震災後、どうも廃業した模様です。
 木製看板には新泉と金露に挟まれて“アサヒビール”も旭日マークとともに記されています。朝日麦酒…これも調べてみれば堺由来のビールとか。詳しくはアサヒのサイトを見て頂くとして、このビールの生みの親のひとりが鳥居駒吉という人物で、やはり堺の酒造家出身だった様です。堺発祥の造り酒屋が消滅したいま思うと、ビール醸造に転身した氏の決断は、先を見越していたなぁと思うのですが、どうでしょう。
 “堺”と言えば、私なんかは臨海コンビナートの工場地帯のイメージが強いのですが、南蛮貿易以降、新しいもんにチャレンジし、受け入れて行く土地柄があるのかもしれませんね。詳しく知りませんので、この辺で。

(於:堺市堺区)
堺の銘酒再びと“夢衆”というお酒が“さかい銘醸”というところから数年前出ていたけど、いまもあるんかなぁ?

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2013年2月10日 (日)

阪堺電車の車窓に見えるキンロの看板残る建物からあれこれ。

Hankai
 阪堺電車の車窓から見えるある酒屋さん。もうやめられてる風情でありますが、お酒の看板も手伝って何ともええ風情やなぁといつも眺めているのですが、先日、仕事の帰りにちょっと立ち寄って見てきました。
Sakaisakaya1 Sakaisakaya2
 「あ、このキンロの建物な」。そう思った人も多いのではないでしょうか。とっても古い感じでもないですし、独特の意匠が施されているわけでもなく…その普通に古い感じが何ともホッとする、そんな物件です。先にも触れましたが、やはりお酒の看板がかかっているところが、いいんですなぁ。
Sakaisakaya3 Sakaisakaya4  “キンロ”がひときわ目立っていますが袖のところには清酒『紅心』の看板もあります。ともに現存しない蔵元の銘柄ですが前者は“灘の生一本”で知られていましたが、発祥はここ堺。その昔は“堺生まれの酒 金露”と記された阪堺電車も走っていました。神戸の大震災を経ても何とか頑張ってはりました。その頃「堺でもう一度酒づくりを再開するらしい」という噂を耳にしていたのですが…それも叶わぬまま1997年に長年の歴史に幕を閉じました。堺が酒や醤油など醸造業の一大産地やったなんて、今では考えられませんが、タマノイ酢の本社が堺にあるのが、その名残りでしょう。
 それからもうひとつの『紅心』、これは奈良のお酒だった様です。1970年代後半に廃業された様ですが、その蔵を八尾の飯田グループが譲り受け、今“長龍酒造・広陵蔵”として稼働しています。その後、蔵は建て替えられましたが、この紅心の味わいは、長龍に少しは受け継がれているのかもですね。
 と、ええ感じの建物から看板にあるお酒の話に変わってしまいました。で、「そう言えば…昔の酒造家名鑑に広告があった様な気がする」と見てみましたら…
Horiguchi Ootsuka
…ありました。古本屋でみつけた『日本醸界年鑑・昭和30年度版』にこの様なかたちで。よく見るとどちらも大阪市東区横堀に事務所を構えていた様ですが、どこにあったのか。造り酒屋も酒問屋も元気あった時代やったんでしょう。あ、趣味を語って長なりました。すんません。

(於:堺市堺区)人気ブログランキングへ 「酒は金露で張りキンロ♪」、いまはキング醸造のブランドに…

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2011年4月20日 (水)

かつての大阪酒 9 『一等國』 義本本家酒造(有)

Ittokoku1 一等国の日本(?)が3月11日以降あらゆる面でその地位が揺らいで…どうなるんかと思う以前に原発問題をどうにかせんと…ですね。てなわけで久々のこのカテゴリは『一等國』を。
 “一等國”…地酒らしからぬ酒名ですが、この銘柄は日露戦争後からのもので、それ以前は『五大州』という酒名だったとか。いずれにせよスケールのデカい名で酒を出してはった義本本家酒造は熊取町にありました。酒蔵も酒名に負けず大きく昔ながらの立派な屋敷の様な風情でした。書籍によると岡山の雄町、福井の五百万石などの酒米を但馬杜氏がタンクローリーで運び入れた灘の宮水と自家の井戸水と合わせた水で仕込んでいたそうです。その為かレッテルの社名の前に“泉”、後ろに“灘”と記されています。灘の大手蔵の下請けという立場だったとかいう理由もあってのことかもしれませんが、“一等國”の名に恥じない酒づくりを実践されていたのでしょう。昭和60年にして普通酒に糖類を添加していなかったということからも、酒づくりへの真摯な態度がうかがわれます。
 2000年頃に杜氏制を廃し、社員による造りに移行し、蔵元自らも『杜氏の技・職人芸の科学』というとてもおもしろい本を2001年に出されるなど精力的に活動されていましたので「ここは絶対残るな」と思い込んでおりましたら、知らぬ間にまさかの廃業。いつ止められたのか詳しくは知らないのですが、2003〜2004年頃、その歴史に幕をおろされた様です。蔵のあった敷地は今、老健施設が建っています。「いつでも呑めるわ」と思っていたら廃業ということで、結局若き日に一升呑んだだけで…どんなお酒だったかという記憶を残せなかったことが悔やまれます。
 そんな『一等國』に先日、思わぬところで出会ったのでした。
Ittokoku2 Ittokoku4  それは、かむなび・蔵朱・よしむら(敬称略、南から順)の美味いアテと旨い日本酒を供する飲食店のユニット『日本酒卍固め』が中心となって大阪天満宮境内で開催された『上方日本酒ワールド』でのこと。出品リストの中に“一等國”の名を見つけ、そのブースに行ってみますと、確かにあの“一等國”がありました。訊くと1988年に造られたと思われる大吟醸生酒やとのこと。「それなりに年月経た味ですよ」との話をブースの主人から知らされつつ口に含んだそのお酒の味わいは…「キレイに熟成された華やかかつやさしい味わい」でした。肩ラベルに記された“清酒二級”の文字にその歳月が感じられます。このお酒を出されていたバーのマスターに訊くと酒販店さんから「大阪のお酒ですし買ってくれません?」との事やったみたいで、それがなんと福島のお店やったとか。京都でバーをされているその店主曰く「大阪のお酒やし大阪(天満宮)に持って来たらこのお酒のこと知った人もいてはるやろ」と今回出したとの事。四半世紀ほど前に醸されたお酒がこんなところで味わえるなんて…不思議な縁です。
Ittokoku3 …などといまむかしのこと思いつつ境内を歩いていますと、菰冠の山の頂上になんと『一等國』発見。「未だに奉納されてるんやなぁ」と思いつつも「その割にキレイやで」と近寄ってみると、銘柄の左下に何やら見かけん文字が見られました。そこには“発売元 酒工房 はら”と記されています。「?」と思いつつ帰宅後調べますれば、地元熊取町の酒販店さんが昨年この商標を譲り受け、阪南市の浪花酒造さんに醸造を委託して復活させたそうです。
 予期せぬところで年代ものの一等國大吟醸生酒に出会い、そしてその銘柄が形を変えて今も売られている事実を知り…不思議な縁を感じる1日でした。どんなスタイルであれ、大阪酒の銘柄が残っている…嬉しいことです。

一等國:義本本家酒造有限会社
    大阪府泉南郡熊取町小垣内

参考文献:日本酒全蔵元全銘柄(主婦と生活社刊 昭和57年11月)
     日本の名酒事典(講談社刊 昭和60年7月)

人気ブログランキングへ あの名酒『近つ飛鳥』も形を変えて復活してほしいかと問われれば…フクザツな気分。

Ittokoku4 追記:酒蔵のあったところの写真が出てきましたので、ここに掲載しておきます。写真ではわかりにくいですが、今はここに老健施設が建っています。(2008年4月撮)

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2010年1月 3日 (日)

かつての大阪酒 8 『錦虎』 杉本清造

Nishikitora1 Nishikitora2 “今年は寅年”の第3弾は、長いこと更新していなかった“かつての大阪酒”より『錦虎』を。
 今残る大阪の造り酒屋は10数蔵とさみしい限りですが、1970年代には50数蔵もありました。それほどまだ多くの酒蔵があったにもかかわらず何故か中河内には(当時瓶詰法人だった『長龍』以外)一軒の造り酒屋も存在していませんでした。これは…多分ですが、大和川の付け替え以前、中河内は湿地帯で、米作に適さなかったから造り酒屋もなかったのではないかと私は思うのですが、定かな理由は解りません。
 そんな中河内にももっと以前には酒蔵があったと思われるのが柏原市です。その柏原は古町で最後まで酒づくりをされていたらしいのが、今回紹介する『錦虎』です。
 大和川近くの旧街道に面して錦虎の醸造元はありました。私が地酒に興味を持ってあちこち買いにまわっていた四半世紀ほど前には、もう既に廃業されていましたが、小さな酒販店をその蔵で営んでおられ、そこで当時枚方にあった小北酒造場に製造委託したお酒を『錦虎』銘の酒を売ってはりました。小北酒造場が廃業した今は、奈良県の千代酒造に製造委託されている様子です。
 このお店のHPを見ますと、昭和46年(1971年)まで酒づくりをされていた様ですが、水脈の変化により廃業したとなっています。

Sugimoto1 Sugimoto2
 「そや、寅年には“錦虎”呑まな」と思い出し、柏原は古町まで自転車で買いに行ってみましたら、残念ながらお休み。それでもやっぱり今でも『錦虎』ブランドでお酒を売ってはるみたいでちょっとひと安心しました。
 生産コストを考えれば、地酒蔵の経営はとても大変な事を思うと、せめてこんな形ででもそのブランドが残ってほしいと思います。何十年か先、世の中のシステムが変わって「よし、もう一回酒づくりやってみよか」って時代がくるかもしれませんもんね。そんな日まで、どんな形であれ残っていてほしい…真面目に一生懸命酒づくりに勤しむ蔵元さん達には悪い気もしますが、そんなことを思ったりしました。

錦虎:杉本清造
    大阪府柏原市古町

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2009年5月 2日 (土)

かつての大阪酒 7 『成功正宗』 池尻酒造(株)

Seiko Ikejiri 一帯が河内素麺の産地だった様に、水が良い地なのでしょう。今では『富士霞』の重村酒造醸を残すのみとなってしまった枚方市には30年ほど前まで5軒もの造り酒屋がありました。そのうちのひとつが『成功正宗』。津田地区の山麓に位置する小さな酒蔵の酒は「軟水で仕込んだ旨口」だった様ですが、買いに行った当時(1982年)にはすでに自家醸造していなかった様で、以前その蔵で杜氏をしていた方の話では奈良の蔵で造ってもらってると言う話でした。昭和60年に出版された『日本の名酒事典』(講談社刊)によると「明治43年創業、酒造業の成功を願って命名。岡山県産アケボノで仕込んだサッパリした口当たりの酒」だった様ですが…普通に飲みよいお酒だった様な曖昧な記憶しかありません。
 1990年頃に廃業されたみたいですが、その後『成功正宗』の発売元として池尻(株)となり、奈良の葛城酒造か千代酒造(…どちらか忘れてしまいました)が醸したお酒を売っておられました。時代の流れで廃業は避けられないでしょう。せめてこの様に『成功正宗』のブランドだけでも残ってほしいものですね。(現在でも同様のスタイルで販売されているかどうかは不明です)

成功正宗:池尻酒造株式会社
       大阪府枚方市津田元町

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2009年3月15日 (日)

かつての大阪酒 6 『松冠』 松倉酒造(株)

Shokan Shokan0_3  2003年のオキナ酒造廃業で羽曳野から酒づくりの火は消えてしまい残念な限りですが、その昔、羽曳野市内に3軒の造り酒屋が存在していました。そのひとつがこの“松冠”でした。
 この風情ある建物は本社だった所ですが、醸造場はすぐ近く、誉田八幡宮あたりに存在し、どこから見ても“酒蔵”という感じではない小さなところで当時のメモには「ふつうの住宅に埋もれた酒蔵だった」と記されています。
 どんな味だったか…同メモには「普通に美味しかった」とあります。が、その頃「見直そう大阪の酒」ということで南河内のある酒販店さん主催で“大阪の酒頒布会”というのをされており、その第二回のチラシには「前回の頒布会で一番評判の良かったお酒」と記されているところをみると、かくれた銘酒だったんでしょうね。1990年代に廃業された様です。
 1985年に出版された『日本の名酒事典』によると「明治31年創業、五百万石、日本晴を用い蔵の井戸水で丹波杜氏が醸す淡麗型の酒」だった様です。

松冠:松倉酒造株式会社
    大阪府羽曳野市誉田

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2009年3月 8日 (日)

かつての大阪酒 5 『雲井桜』 岡田酒造(株)

Kumoi Kumoi2 近鉄道明寺線、柏原南口駅ホームから立派な蔵が見えます。いかにも酒蔵という風情のこの建物、ここでその昔『雲井桜』という銘柄の酒を醸していた様です。
 手元にある酒造家名鑑では昭和30年のものには載っていますが、昭和49年のものには掲載されていませんので、随分昔に廃業された様です。幼少の頃、この敷地で何かボーリング工事をしているみたいな光景を見たんですが…あれは井戸掘りだったのかも…と、勝手な想像をしております。
 数年前、東大阪の酒販店で『雲井桜』の木製看板を見つけたことがあるだけで、ここのお酒がどんな味で、どんなレッテルだったのかもまったくわかりません。
 元々ほとんど造り酒屋の存在しない中河内にもかつては蔵元が存在したというのはうれしい事実。しかも蔵がそのまま残っているとなると…復活しないかなぁと淡い期待を抱いてしまいますが、まぁ絵空事ですかね。

雲井桜:岡田酒造株式会社
    大阪府柏原市古町

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2008年9月15日 (月)

かつての大阪酒 4『金譽』貝塚酒造(有)

 貝塚市にはかつて4軒の造り酒屋がありましたが、今は“秀長”さんだけとなってしまいました。金譽は、脇浜の地で明治2年に創業。自家製米した近江米を用いて醸すやや甘口のお酒だった様です…とスペックの羅列になってしまってるのは、学生の時、皆でワイワイ呑んでしまって味の記憶が曖昧でしてすいません。ここにもやはり直接買いに伺いましたが、何かとてもええ当主やったなぁというこれまた輪郭のはっきりしない記憶でして。
Kinyo1_2 Kinyo2_2Kinyo_4 当時もらったチラシです。木桶はありませんでしたが、この版画同様、立派な酒蔵だった印象が残っています。「静かなブーム」は続かなかったのか…確か15年程前に廃業されました。
Kinyo0_2Kinyo4  今年5月に貝塚市脇浜…即ち蔵のあったところへ行ってみましたら、残念ながらすっかり住宅になっていました。「やっぱり…」と思いつつもやはり淋しいものですね。唯一の名残は“金譽”のマークの入ったカラオケ店の看板でしょうか。これは数年前に国道沿いで撮影したものですが、今も確か残っているはずです。

金譽:貝塚酒造有限会社
   大阪府貝塚市脇浜

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