むかしもいまも鳴川町。
昨日の午後は奈良で仕事。近鉄は奈良駅から京終まで歩きで移動。さすが奈良町は風情あってええ感じ…ではありますが、いかにも“いかにも”な街構えで案外アホげ物件がないなぁと。そんなこと思いつつ行きますればこんな町名看板が。
これもまぁ“いかにも”な物件ではありますか。大阪市内で見る仁丹のそれと基本同じ図案のヤツがお地蔵さんの横にありました。そのサビ具合が祠と溶け合っていてええ感じ…と思って愛でておりましたが、これがここに付けられた時点ではどうやったんでしょうかね。きっとピカピカ輝いて違和感全開やったはず。それはまぁ京都市中のそれも同じやとは思いますが妙にこの物件からはそんなことを思わずにはおれません。
昔ながらな街並みと琺瑯看板…平成の世にしたら同じ“古き良きモン”とひとくくりに見えますがそやないんやなぁという事実を改めて…いやはじめて感じさせるもんがここにありました。ま、そういうことで。
(於:奈良県奈良市) 京終には平成に入ってからもテイチクの本社があったとは驚愕。
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コメント
木曜日、わたしも何年かぶりに奈良町散歩でした!
新しいものに敏感な友達に誘われ、
井上町にできた「鹿の舟」でランチ。
奈良町もお店が増え、雰囲気が変わり、
河島英五の「TEN TENカフェ」も移転、
それこそ「時代遅れ」を実感。
人も物も、時代の風に吹かれて
味わい深くなるのでしょう、
凡庸のわたしもそれなりに、だったらいいのですが、
なかなか難しい~!
町名の由来、見てみましたら、
蛙の声が読経の邪魔になるとて
「不鳴川」からの転化とか。
大声でしゃべりながら歩きたくないものです、はい。
投稿: mita | 2017年4月15日 (土) 09時57分
●mitaさま
えっ?ということはどっかですれ違ってたかもしれんわけですね。そやったんですか。
町家店舗がいっぱいあってそれなりに楽しそうに思うも…とか言いますけど、どんな形であれ古い家並みが残るのはええことですわ。
味わい深く歳を重ねたいもんですけど、確かに難しい。同じ失敗の繰り返し…ちいとはええ風になってるのかどうか。
コメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2017年4月21日 (金) 10時09分