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2015年12月30日 (水)

大丸心斎橋店本館 本日で一旦閉鎖

 今日で大丸心斎橋店本館が、一旦営業を終えたそうです。
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 あの大丸もついに建て替え。そごうがあないなり、梅田や阿倍野の百貨店が次々に増床する中、ここだけはこのままであり続けてほしいと思うも…残念。じつは確かな筋の話として15年以上前から建て替えられると耳にしていましたが、隣接するそごうの建物買収で何とか切り抜けられたかと勝手に安心していましたが、そうもいきませんでした。
 大丸といえばもちろん心斎橋。まだまだ“心ブラ”というコトバに意味があった時代、「百貨店に行く」と言えばここへ行くことでした。坊ちゃん刈りにタイツ姿の半ズボン…そう、いわゆる“よそいき”の格好でエスカレーター乗ってひと混みに酔ってタイツのゴムの締め付けは痒いしでもううんざりしたもんですが、今となっては懐かしい思い出。ただ“大食堂”は大丸のことかよそのことかは思い出せません。かたい切符みたいな食券買ってもろて…ただ、お子様ランチはいややったかな。味が嫌いとかではなくその…半人前扱いされてるのがイヤで…いかにも“お子様”ですなぁ。
 今も「百貨店に行く」はもちろんうちでは「大丸に行く」ことを指します。立地の便利さに加え適度な混み具合にコンパクトなレイアウトがじつに買いモンしやすくてよかったです。地階や中二階の天井の低さもなぜか気にならず…やっぱりしっかりと設計された建物やからでしょうかね。“大阪人の大丸好き”…ま、私は勝手にそう思っています。
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 建て替え前に7階特設会場で“回顧展”が行われていました。こういう江戸末期の大丸賑わいを再現した模型など見ると…わぁえらい歴史あるんやなぁと思いますが、何か全体的にちょっともひとつ力の入ってない展覧会やなぁというのが実感。それはまぁ見る側のこっちが勝手にこの建物に思い入れがあるからだけでしょう…かね。
 外壁と内部装飾の一部を残す方向性で建て替えられるとのこと。最初は「…そんな残し方はなんかなぁ」と思っていましたけど、完成予想図見ると元そごうの北館と一体化を果たして何かカッコよさげ。いつまでも「昔のまんまで」と思ってることも後ろ向きな様に思えてきました。
 さ、ここはもう本館に「お疲れさんでした」と感謝して次を楽しみとしましょうか。建て替わった時「おっ、こんな工夫があるわ」とその元々の建物がどう凝縮されているのか…ここから大丸はじめ、施工する人々の腕と思想の見せどころですね。建て替わった時、世の中どうなっているのか? 爆買いなんて死語になってるでしょうなぁ。それでも心斎橋は心斎橋であってほしいもんです。

(於:中央区) しかしまぁ午前中の心斎橋筋は…「ここどこの国?」状態。いつまで続くんかなぁ。

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コメント

お出かけと言ったら心斎橋。ほんま、そうでした。
心斎橋筋のタイルが昔は白黒のうねうねやったよね、と言っても共感してもらわれへん人が多くて・・・姉と「白しか行ったらあかんで!」とか言いながら、よくうねうね歩いて、手つないでもらってる父から怒られたもんです。
いつも大晦日に母から邪魔で追い出されて父と姉と三人でお買い物したのも遠い日の思い出です。

古い大丸も好きやったけど、新しくなった大丸がどんな素敵なところになってるか、それもまた楽しみですね。

投稿: 天王寺蕪 | 2015年12月31日 (木) 21時53分

小学生の頃大丸子供館ブルジョンってありましたよね? 
それとか御堂筋側のタクシ―乗り場にホテルのドアーマン
みたいなおじさんが堂々と職務をこなしていたのを見て
ここは貧乏人が来る処ではないわ・・・と子供心に自虐的になった記憶があります
天王寺薫様のおっしゃる通りうねうねもその通り歩きましたわ!その時のTVコマーシャルの『ここまで来たらUターン』ってフレーズがいまだに思い出します。

投稿: 田中マーチ | 2016年1月 2日 (土) 23時29分

そうそう、皆様のおっしゃるとおりです!
タイツはいて、黒いエナメルの靴はいて、帽子かぶって。籐のかごバッグ持ってたこともあったな。

そんなよそ行きを着て百貨店でお子様ランチ。私はあの旗が欲しかったんです。

もちろん商店街は弟とうねうね歩き。
同世代はたいてい分かってくれますよ。

年末になると、地下鉄から上がってくるところに“救世軍の慈善鍋”のおっちゃんがいて、歳末大売り出しのガラガラ抽選ではいつも末等の明治カルミンでした。

あかん、大丸、話が長なる…まだまだありますがこの辺で。

投稿: おばちゃん | 2016年1月 3日 (日) 13時10分

うわあ、うれしいです。田中マーチ様、おばちゃん様!うねうね話、ほとんどの人にはわかってもらえなかったんです。ここだと、皆さんにわかってもらえる。
ありがとうございます。

投稿: 天王寺蕪 | 2016年1月 4日 (月) 06時51分

●天王寺蕪さま
商店街の“うねうね歩き”、当然私もしていました。この話は結構まわりでしても「そうそう!」と盛り上がるんですけど…いませんかね? 当時の子供はみんなやってましたって。ちなみにあの“うねうね歩き”が通行の妨げになるということで模様が変わったそうですから…うそです。ちなみについ最近までお子とは「白しか踏んだらあかん」とタイル道やら横断歩道をやっとりました…まんまですわ。

●田中マーチさま
ご無沙汰でございます。
で“ブルジョン”ですか…すっかり忘れてましたけど、なんとなく「あぁ耳にしたコトバや」と懐かしく思い出しました。確かに今とは比べもんにならんくらい心斎橋界隈には“風格”がありましたわ。それ故“よそ行き”が必要やったんでしょうなぁ。
“ここまで来たらUターン”は…すんません、知りませんわ。

●おばちゃんさま
そうそうカルミンでした。あぁ懐かしい。それでカルミンを食べた記憶があるんですわ。ちなみに駅の売店でも兄はカルミン、私は森永のドロップでしたわ。
で、年末の社会鍋のおっちゃんたちの光景も、そう言えば知らん間に見かけん様になりましたね。あぁ…ちょっとづつ世は変わり、気がつけば大変わりですね。

皆さんコメントおおきにでした。気づけば古い世代となったもんです。

投稿: 山本龍造 | 2016年1月15日 (金) 10時14分

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