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2014年10月30日 (木)

花壇彩る造花に思う

 秋やと言うのに花爛漫。
Zoka1 Zoka2 Zoka3  今日の午前中は尼崎の某所へ。東海道線は立花駅を降りて歩きますれば、色んな花が色とりどりに…ん? 「だまされへんぞ」と近寄りますれば、やっぱり。はい、これみな造花でした。
しかしなんだんなぁ、まわりを囲むみどりの葉っぱ部分は本モンで…偽モンを引き立てる植物の存在理由もビミョーですなぁ。ちょっと気の毒。
 で、「まぁ花咲かん秋冬にも花を」とこうやってはるんかなぁと思いましたが、そうにあらず。Googleストリートビューでここを見ますと、春もこの状態でした。
 ホンマもんと複製もん…そのキレイさだけを鑑賞できたらそれでええんか。ま、ここは花壇の造花というレベルでしたが、美術品の複製もんはどう解釈したらええんでしょ? 応挙寺で知られる但馬の大乗寺のふすま絵も今は複製もんが入っているとか。デジタル技術を駆使して再現したそれ…造花と変わらんのとちゃうかと思ったりしますが、どうでしょ?…っていやいや、やっぱりちゃいませ、たとえ見分けがつかんでもね。
 ま、あのふすま絵は見る角度によって見え方が変わるという科学的技法を体感するもんでもありますから、複製もんでもええと言えばええのですけど。
 あと、やはりデジタル技術の駆使ということで絵画の経年変化を抜き、描いた当時の絵を再現するということもやってはりますが…まぁ、やったらええでしょう。
 仕事前のひととき、あれこれ考えましたわ…ってウソ、記事書きつつそんなこと思たのでした。

(於:兵庫県尼崎市) 経年変化も絵画の味わいのうちやと思うんやが…

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コメント

 尼崎は立花駅周辺だけに、池坊の様式の一つ「立花(りっか)新風体」ちゃいまっか? それともフラワーアレンジメントとかなんとか、洒落た街でんな(笑)。

で 大乗寺(応挙寺)、丸山応挙とその一門が描き上げた165面の障壁画を大日本印刷が10年をかけてデジタル複製したとか…
どれだけ精緻に再製されたとしても、やはりオリジナルが持つ積年の空気や匂い・経年による汚れや垢、その贅沢な客殿空間の再現は難しいですね…

まっ、ワテら絵心が判らんモンはデジタルミュージアムで愉しましてもらいまっさ(汗)。

投稿: 難波のやっちゃん | 2014年10月31日 (金) 09時52分

  経年変化を劣化と捉えるか、味と捉えるか?

 姫路城の回収工事が終わった時みたいに、築城当時がイメージできるととるか、目の眩む白さととるかみたいな。

 造花ですか。

 UVで多少は色褪せはあったとしても、何時までも美しく咲き続ける姿は、整形を繰り返す人にとっては理想の姿でしょうねぇ。

 老化から逃れる為に猛毒の水銀を接種した何てのもあったようです。

 日々変化する肉体はぱっと咲いてぱっと散る花に似て、その刹那輝くのだと思います。

 花は桜樹!

 永遠を求める奴は「蝋人形にしてやろうか」なんてね。

 あぁ、カラスに突かれている、枝に残った熟し柿の気分です(涙)。

 

投稿: 戦後派 | 2014年10月31日 (金) 09時57分

戦後派さまのおっしゃるとおり、絵画にしても建築物にしても完成当初はもっと鮮やかで、仏像なんてヘタするとえげつない極彩色だったりするんですよね。

それでも、昔の美術品が年月を経てだんだんいい味を出してくるのは、やっぱり材料が天然物だからでしょうか。
石油製品が原料ではきっとダメですよね。

しかし若い頃は、こういうセンスのなさ(失礼)をやや軽蔑の目で見ていましたが、今はまぁ、自分ちの周りを気に懸けてちょっとでも見栄え良くしとこうと思う気持ちは悪いもんのはずがないな、と思うようになりました。おばちゃんです。

投稿: おばちゃん | 2014年11月 4日 (火) 17時42分

●難波のやっちゃんさま
なるほど!これぞ“立花”…ホンマや。
で、応挙とその一門の障壁画の複製にはそないに年月がかかってたんですか。そらぁきっと精緻な仕上がりになってるんでしょうね。ま、私の目には真贋はわからんでしょう。ただ…きっと心の中で「所詮複製もんなんや」と思う気持ちが湧いてきて、シラッとするんですなぁ。

●戦後派さま
経年変化があるからこそ、その瞬間瞬間が美しいのやろと思うたりします。とは言え、老いた己の顔を鏡で見るのがイヤな時期もありましたが。てなわけで、ちいとは造花のよさも解るんですが…

●おばちゃんさま
石油製品の劣化でもえのありますよ。それがプラ看板…とか何とか。
で、おばちゃんさんの気持ち、わかりますわ。昔ダメなもんでも、今ではそれもオッケーと…結局心の中も経年変化してるということでしょうね。

皆さんコメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2014年11月 4日 (火) 23時07分

あら、アホげを愛する私としたことが…

ほんならなんで造花には、劣化したプラ看板に感じる親しみを感じないんでしょう。
“花”やと思うと不自然やから?

あっ、私がもうちょっと経年変化したら変わるのか?

ただの独り言ですね。失礼しました。

投稿: おばちゃん | 2014年11月 6日 (木) 10時54分

●おばちゃんさま
やっぱり私も造花はもひとつやなぁ思てます。それはきっとやっぱりホンマもんに似せて作ってるからでしょ。プラ看板は…プラ看板ですしね。
ま、これからまた見え方変わってくるかもしれませんが。

投稿: 山本龍造 | 2014年11月 9日 (日) 07時40分

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