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2014年7月23日 (水)

曲川醤油堀商店…

 もう数年前になくなってしまった物件の話。
Magarikawa1 Magarikawa2 Magarikawa3  上町台地の一角に、この様な建物がありました。そこには建築設計事務所の看板と醤油屋さんの看板。どうも手前銀色の建物がその設計屋さんのもので…これはまぁどうでもよかったんですが、その横にある看板がずっと気になっておりました。
 工事現場の出入口の様な扉の右横に、屋号と社名が記されています。そこには“曲川醤油堀商店”の文字。醤油と記されている割に、どうもそれを商いしてはる様子もないなぁと思いつつ、何度かこの扉が開いている時に中をチラチラと覗きますと、奥に見えるプレハブ家屋にFRP製かと思われる大きな桶がいくつか見えました…って言っても、もう5年以上も前の話。「ほんまにそんなんあったかなぁ?」という気がせんでもない…いやいや、確かあった。
 隣接するマンションの上から確認したかったものの、それも叶わず「何やろなぁ」とネットであれこれ調べるもこのあたりにそんな醤油醸造元があるという記述もありません。ますますナゾやなぁと思いつつ、うちにある“日本醸界年鑑・昭和30年版”を見ますと、こんなのが載っていました。
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 醤油醸造業のくくりに“曲川醤油合名会社”の文字を発見。「おっ、これや」と思い喜んだのも束の間、住所が…奈良県ですわ。“曲川”…変わった名前ですから、きっとこれやろと思いつつも、やっぱり違うかなぁといったところ。よく見るとこの商標、地名から取ってるみたいですね。
 ここの分家か支店の可能性があるなと思いつつも釈然とせんまま、また月日が流れ…気がつけばその醤油屋さんのあった一角は、マンションになってしまいました。あぁ、一度は味わってみたかったなぁ、中央区はプレハブ家屋で造られた醤油を。
 てなこと思いつつ月日は流れ…時間が有り余ったある一日、何げに図書館で古い資料を見ておりました。ふいに見た広告部分…そこにあるやないですか“曲川醤油 堀商店”の文字が。
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 写真は図書館でとったコピー。“大阪府醸界業者名簿 昭和23年版”にこの様な広告が出ていました。
 “曲川醤油 堀商店 製薬部・アミノ酸部”と記されたそこには“大阪市南區南空堀町四三”の住所…旧町名ですが、きっとその物件があったのと同じ場所のことでしょう。間違いなくこれのことですね。しかしながら…“製薬部・アミノ酸部”のコトバが気になるところ。これは…きっと戦後の物資難の時代には“アミノ酸醤油”という代物が造られていたということですから、そこから派生した部門だったのでしょうか。ちなみに他ページには“大阪府アミノ酸工業協同組合”の広告も載っていますが、住所、電話番号ともにこの醤油屋さんと同じものでした。
 まぁ、大体のところはわかりスッキリしましたが、結局、奈良の曲川醤油とここは同じという確証は得られませんでした。でもまぁ、きっと同じ法人やないかと思います。
 ま、この“曲川醤油堀商店”のことがほぼわかったのは随分前のことで、近年まで現存していたところを取り上げてもええかなぁと少し、時間を置いていました。
Magarikawa8 今回、記事化するにあたり、もう一度ネットであれこれ調べてみますと、こんな画像が見つかりました。
 何と立派な立体看板。堂々の“曲川醤油”の文字…これは“奈良市制35周年記念観光産業博覧会”用に発行された絵葉書とか。昭和8年に開催された催しだった様ですが、その頃、この醤油は奈良を代表する銘柄だったんでしょうかね。よく見ると下部に右から“堀合名会社”の文字。これでスッキリ、あの数年前まで中央区は上汐にあった醤油屋さんは、奈良県橿原市曲川町にあったそれの流れを汲む、もしくは同一の会社やったんですね。
 ストリートビューで曲川町を見ますれば、何となく元・醤油蔵かな?というお宅も見つかりました。
 奈良の醤油蔵が戦後アミノ酸を求めて大阪に出てきたということなのか…今となっては味わえないその醤油。食品工場なんかにタンク売りしてはったのかと想像しますが、やっぱり勇気出して買いに行っとくべきでしたなぁ。ちょっと後悔。いつまでもあると思うな…ですな。

(於:中央区-2008年 “真田幸村公ゆかりの地”が曲川町にあるとか。詳しくはココへ。

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コメント

 ♪“タンパク質が足りないヨ~”で始まるCMに谷啓が出てきて“マミアン飲んで行こうカ!”…このマミアンがアミノ酸飲料でした(ガチョ~ン!)。

アミノ酸≒タンパク質…敗戦後日本は栄養不足と云うことで、「タンパク質を摂りましょう」運動を実施、完全給食(ミルク・パン)が推進されたんですネ(汗)。

“曲川醤油 堀商店”の追跡検証記事、興味深く読みました。
日本醸界新聞社…大阪には食料醸界新聞があります。河又醤油の他は奈良・和歌山の醸造元が多いですネ。
“南區南空堀町”…今の谷町六・七丁目・上汐辺りでしょうか。

“真田幸村公ゆかりの地”…橿原市曲川の「堀銀杏堂」は漢方!…製薬部・アミノ酸・疲労回復・サプリメント・プロテインそして漢方とすべてが繋がってきました(驚き)。
金橋曲川が醤油を使う饂飩・ラーメン店の激戦地であることは偶然でしょうか(笑)。

堀商店、堀銀杏堂、空堀町、大坂冬・夏の陣、幸村公…なんだか歴史秘話ヒストリアみたい。

投稿: 難波のやっちゃん | 2014年7月23日 (水) 23時22分

真田幸村オタクですが、橿原市曲川のエピソードは知りませんでした。そうだったんですね。一度行ってみなあきませんね。

投稿: 天王寺蕪 | 2014年7月24日 (木) 06時41分

醤油屋のレトロな写真 いいですね

投稿: tougei1013 | 2014年7月24日 (木) 07時36分

全く歴史を感じないシンプルな看板から、思わぬ歴史が…面白いですね。さすがお醤油屋さん。
「曲川産業」だったら調べないかも。

実は私、古い地図とか広告が大好きでして、日文研の所蔵地図データベースなんかをしょっちゅう見ているんですが、そこにある昭和30年頃の大阪市内の地図によりますと「南区南空堀町」は上汐よりは少し北西の空堀商店街のあたりですね。
工場と事務所で分かれてたのかな。

投稿: おばちゃん | 2014年7月24日 (木) 08時49分

●難波のやっちゃんさま
♪“タンパク質が足りないヨ~”…これは私が幼少期の頃、父親がよく言っていたフレーズですが、谷啓さんがCMに出てはったんですね。
興味持ってお読み頂いた様で嬉しいです。いつも通、私以上に深く追求し、想像を膨らましてくれはって…ははぁ、なるほど。
いわゆる“歴史”にはあまり興味が沸かないのですが、身近などぉでもええことにはついつい引き込まれます。お書き頂いた様にそんなことも有名な歴史とリンクするという驚き…やっちゃんさんの深い想像力に感謝です。

●天王寺蕪さま
ぜひ、行ってみてくださいね…と言いたいところですが、一般のお宅の中にあるということ故、あんまり取り上げん方がええかなぁとちょっと思ったのも事実。ま、ひっそり見てきてください。報告、お待ちしております。

●tougei1013さま
絵葉書の写真、ええですね、確かに。どこかやっぱりのどかに見えるもんです。

●おばちゃんさま
…確かに。〇〇産業とか××興業では、まぁ調べたりせなんだでしょう。私特に醸造業に興味があるもんですので。あ、もちろん古い広告も然りですよ。
で…そうですか、場所がちと違うと。痛いとこついてきますねー。きっと工場と事務所が違たんでしょう。ま、そう解釈せんと、またもモヤモヤが…

皆さんコメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2014年7月27日 (日) 13時49分

この年鑑、まさか「ぽんぽこ醤油」は出てたりしませんでしょうか。

投稿: ぽんぽこやま | 2014年7月28日 (月) 02時52分

●ぽんぽこやまさま
ぽんさんとこの醤油は…この年鑑には載ってませんわ。すべてが記載されているわけではないみたいで、大阪府下のは3つだけでした。
大正5年の年鑑も見てみました。そっちには府下75軒もの醸造元が載っていましたが…やっぱりこっちにも掲載されてませんわ。何ででしょ。残念。

投稿: 山本龍造 | 2014年8月 7日 (木) 09時08分

いくつか業界団体があったのかもしれません。
私んところは大阪府醤油工業組合(だったと思います)ってところに加盟してました。

投稿: ぽんぽこやま | 2014年8月11日 (月) 11時46分

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