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2013年6月19日 (水)

“クラウンドレスメーカー女学院”の看板

 今度はこんな写真が出てきた。
Doreme  そう言えば撮った。画像処理で何とか見える様になったけど、陽も落ちた秋の夕暮れにもうほとんど見えん状態で民家の袖に貼りついていたわ。
 “ドレスメーカー女学院”…要するにこれは洋裁学校なんでしょうな。“女学院”という響きもそうですけど、今では「花嫁修業に洋裁学校へ」ってひとも…まぁあんまりいてはれへん気がするんですが、どうでしょ。看板上部にある様に“生徒募集”してはるみたいですけど…って、調べてみますれば1983年に閉校とのこと。これ見て入学を考えた人もまぁ、いないとは思いますが。
 で、昔から耳にするドレメ、“ドレスメーカー”て何かいなと思いますれば…「花嫁修業に洋裁学校へ」なモンやないんですね。いや、これは失礼致しました。「洋式裁縫の研究指導所」として「日本初の服飾デザイナー養成機関」やということ。ま、このクラウンさんはそのドレスメーカー学院の系列校やったのかどうやったかは、わかりませんでしたが。この学校法人、今では四条畷で看護学校を営んでおられるみたいです。今も昔も基本女性を教育するという姿勢をずっとお持ちなんでしょうね。

(於:東成区-たぶん 型紙にはドレメ式と文化式があるということで、やっぱりほんまもんなんですね。

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コメント

この業界も厳しいんでしょうね

ずいぶん前に閉校しているようですが、看板の場所代とかはどうなっているんでしょうね

阪南くんだりでも、看板の場所代は年間30万円くらい取られるんですが・・・

投稿: 阪南市テクノ森田 | 2013年6月20日 (木) 08時56分

 なんか“カーネーション”思い出します(笑)。
コシノジュンコさん、当時最年少19歳で『装苑賞』とりはった(驚き)。

洋裁学校 うちの姉ちゃん通ってましたワ…
昭和20年代、女性は中学出ると手に職をつけるため各種“技芸学校”へ行ってましたネ。

昔は注文服が一般的で、既製服は“吊るし”とか云ってました。
“仕立て屋”さんと云って紳士服がテーラー、婦人服が“ドレメ”でした。
女性や子供の服は自分でミシン踏んで縫製する人多かったですヨ。

安くて大量・多品種のモノが溢れる今からは考えられません(汗)。

投稿: 難波のやっちゃん     | 2013年6月20日 (木) 09時59分

  ドレメとか文化とかありましたね、っていうかまだあるんでしょうねぇ。

 ただ、縫製関係のお仕事も輸入に押されて生き残っているところも少ないのでは?

 警察や自衛隊の制服が輸入品だったら、そりゃぁショックですわ。

投稿: 戦後派 | 2013年6月20日 (木) 10時18分

テーラー
紳士服屋さんなんか、こういってたような。
こういう文字だけの看板、広告て少なくなりました。
昔のは、少ない予算でいかに、いい仕事するかが職人の腕の見せどころだったのでしょう。
喫茶店のマッチ、駅の看板広告、職業別電話帳の広告。(時計 宝石とか歯車が多かったような)

投稿: わい | 2013年6月20日 (木) 15時46分

(於:東成区ーたぶん) …笑ろた、たしかに…

投稿: 難波のやっちゃん     | 2013年6月21日 (金) 09時27分

●阪南市テクノ森田さま
看板の場所代ですか…ええ?この手の看板に維持費がかかっているとは思えんのですが。
「ちょっとすんません、ここ貼らせてもらいまっせ」に「はいはい」てな感じで展開してはったのとちゃうんでしょうか。
余談ですが電話金融のマルフクのブリキ看板は…ひょっとしたらですが勝手に貼り付けてるヤツも多かったのではないかと思てます。看板のスミに「この看板に対するご用件は(株)ジャックまで」みたいなシールが貼ってあって「文句あったら電話してこい」ってことかと解釈してたんですが。社名通り、まさしく民家や小屋の壁面をジャックしてたのでは…

●難波のやっちゃん  さま
そういうことやったんですね。ほぼ既製服が当たり前の時代に産まれ育ってきたモンには、想像で
きませんでした。
で、そうそう“テーラー”ね。
子供の頃、阿倍野区辺りで、今の南港通りに面して“日本テーラー”という広告塔のある建物があったのをクルマの窓からいつも眺めていたのを思い出しました。で「日本テーラーてどうなったんか?」と調べてみますれば、今の“コナカ”やということで…時代に合わせてスタイル変えてやってはるねんなぁと、ちょっとびっくりしました。
で、
>>(於:東成区ーたぶん) …笑ろた、たしかに…
はて?

●戦後派さま
え?警察や自衛隊の制服が輸入品…ほんまでっか。なんか…魂を売ってしもてる様な気分。萎えますわ。

●わいさま
学生時分の連れの父上が、マッチの意匠を描く仕事をしてはりました。その頃は「ふぅ〜ん」程度にしか思てませんでしたが、今思えばなんと味わいのある世界を作り上げる仕事をしてはったんかって思います。どんな仕事をしてきはったんか…ちゃんと見せてもらいたいところですが、もう随分前に他界されて…ちゃんとご遺族が資料残してはるのか…気になっています。

皆さんコメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2013年6月24日 (月) 10時58分

  いやいや、あくまで「だったら(仮定)」です。

 知り合いに、制服の仕上げ(プレス)やってる方がおられまして、昔警察だったか消防署だったかのを請け負っておられたとか。

 いまは注文が来てないとかで、ちょっと勘ぐってみただけです。

投稿: 戦後派 | 2013年6月25日 (火) 09時43分

戦後派さま
確かに“だったら”でしたね。“だったら”の意味を“やから”的に解釈しておりました。
しかし何です、ユニクロファッションって一種の“国民服”状態ですよね。これの大半が中国で作られている現実を思うと…警官や自衛隊の制服のそれ化以上に萎えるかも、とか言う私も靴下以外、ほとんどユニクロで…悶々。

お教え頂き、有り難うございました。

投稿: 山本龍造 | 2013年6月25日 (火) 11時16分

先ほど今里筋歩いてたら東中浜で看板に遭遇しました。 感激❗

投稿: ん | 2013年7月 1日 (月) 14時12分

んさま
あ、あれまだありましたか。あんな劣化した看板のよく気づかれました。マニアですね。

報告御礼でした。

投稿: 山本龍造 | 2013年7月 1日 (月) 21時23分

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