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2010年2月12日 (金)

貝塚のお酒 『千両菊』

Senryo1_2 Senryo2 『大阪の酒』と聞いて、秋鹿、呉春、國乃長、天野酒くらいは思い出す人も多いでしょうが、それ以外にもマイナーながらも何とか頑張って自家製品を世に送り出してはる府下の蔵元もあるわけで、その中でもひときはマイナーな存在ではないかと思っているのが、この『千両菊』の寺田酒造場さん。ここのお酒は、店頭でもあまり見かけませんし、日本酒好きにもほとんど知られていません。

 貝塚市の山麓に工場を構えるこの蔵元、昔は同市海側の旧市街地にあったそうです。四半世紀ほど前、スレート葺きの工場を訪ねた時、「昔は酒蔵らしい蔵で酒つくってたけど、タンクローリーも入って来れん狭い道に面しててな」と移転の理由を語ってはりました。昭和60年に出された講談社発行『日本の名酒事典』によると、昭和43年に移転、「タンクローリーで灘から宮水を運び、但馬杜氏が仕込む」とあります。灘の大手の下請けをされていたということかもしれませんね。他に『秀長』『貴美盛』の銘柄もありましたが「中身は同じ」とのことでした。

 で、今回購入したのは東大阪は俊徳道駅近くにある昔ながらな風情の酒屋さん。もちろん“立ち呑み部門併設の”、です。前々からこの“千両菊”と書かれたのれんが気になっていました。お店の人に訊くと「これ、おいしいょ。上撰やけどちょっと安いから、お得やし」とのこと。1本1,700円でした。
 さてお味は…「よく濾過してある(であろう)キレイで細おもてな印象のお酒。ちょっと、ほんのちょっと土壁風の香味が個性なんかな」って感じでした。

 弱小メーカー、どんな形であれ生き残ってほしいもんです。グローバリゼションが行き詰まったら、そこに未来がある…とか思うんですが。

◇ 『千両菊』 寺田酒造場
  大阪府貝塚市名越808番地の13

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コメント

ウチの醤油屋はやめてしまいましたが、
頑張って~、です。

投稿: ぽんぽこやま | 2010年2月13日 (土) 13時27分

そうですね、頑張ってほしいなと思います。
が、
ヤメはっても仕方ないかなとも思います。
利潤が出てこその家業ですもんね。
ぽんぽこやまさま、コメントおおきにです。

投稿: 山本龍造 | 2010年2月13日 (土) 18時40分

はい、儲かりません、手間の割には。
スーパーじゃキッコーマンが水より安く売られてますから。

投稿: ぽんぽこやま | 2010年2月13日 (土) 22時55分

醤油の世界はちょっと違ってたみたいですけど、お酒の世界って、地酒が2級を、大手が1級特級をという“棲み分け”があったみたいですし、地酒蔵が大手蔵の下請けも手掛けることで業界全体がうまくまわっていたんやないかと思うんです。
そこに「大手の酒は桶買い酒や!」みたいな情報がマスコミ経由で出だして規制緩和もあって大手が生産量増やして提携蔵と取引ヤメはって、今度はお酒売れん様になって今度は大手から地酒蔵へ酒が流れだして…
なかなかムツカシイもんがありますね。
ぽんぽこやまさま、コメントおおきにです。

投稿: 山本龍造 | 2010年2月15日 (月) 19時32分

そうですね、お酒に関してはそういう棲み分けがありました。いろいろ難しいもんがあります。

いずれにしても人手も手間もかかる仕事です。続けていくのも大変だと思います。

投稿: ぽんぽこやま | 2010年2月16日 (火) 00時39分

ほんと。
手間ひまかけても相応の金額にならんとなると尚更ですね。
軽い気持ちで「何とか続けてください」なんて言ってはだめですね。
コメントおおきにですぽんぽこやまさま。

投稿: 山本龍造 | 2010年2月16日 (火) 18時26分

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