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2009年11月 9日 (月)

名もない川を行く

Kawa2 Kawa1 その川は八尾市山本町五丁目にある水門から、旧大和川のひとつ、玉串川の水を引いて始まります。この手の取水口は玉串川には多く見受けられますが、この水門は他のそれよりふたまわりほど大きく、本流(玉串川)から大量の水を取り入れることができる様になっています。

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 玉串川に平行して走る府道15号線の下を通って東へ抜けるとこの川の欄干があり、そして…すぐそこには店舗が。これ、川の上に建っています。今はこの一軒だけになりましたが数年前までは4〜5軒の民家や店舗がありました(廃屋になってはいましたが)。訊くところによれば戦後の混乱期に建てられたものとか。ちょっとややこしい物件かもですが…詳しくは知りません。

Kawa5 Kawa6  この川には、以前にも記した様に川の中に井戸があります。今は…もう水没してしまっているみたいですが、その前には石の階段もあるところをみると、昔はここに水を汲みにきてはったりしたのかもしれません。あと、石の橋も2本ほど残っていますが…これは、以前建っていた民家の“基礎”なのかもしれません。

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 しばらくすると今度はトタン板でできた小屋が川の上にあります。この小屋の下にも井戸があり、昔はこの井戸からポンプで水を汲み上げ、川に放流していたのを見たことがある様なない様な…遠い記憶すぎて。今は電気メーターも取り外されてましたので、もう汲み上げる必要もないのでしょう。第二寝屋川ができるまでは、玉串川にはあまり水が流れていませんでしたので、井戸を必要としていたのでしょうね、昔は。
 そしてもう少し下流に行くと…『寺井洫境石』と記された石柱が、大きな家の石垣あたりにあり…これが、ま、私にとって謎のままでして…解決できずにおります。

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 今まで見たこともなかった“洫”の字ですが、“キョク”と読み“溝”という意味だそうです。たぶん昔はここらあたりで川の分岐点があって、その川の流れをせき止めたりする石がこれなんかもしれんと思いつつも、その割には字もキレイに残っているし…で、解らないまま。この“寺井”というのも旧地名かと思って調べましたが、今のところ見当たりません。
 余談ですがこの“洫”に“血”という漢字が含まれていて、私は勝手に最初「農民の水の取り合いで流血騒ぎでもあった場所」という意味かとか思ってしまいました。

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 まっすぐに東へ向かっていた川ですが、シラミ地蔵尊のあるあたりで北へ直角に流れを変えます。なかなかけったいな地蔵さんの名前、何でも「地蔵さんを担いでたら、この地で夜が明けた、だから白んだ、で、シラミ」とか。ホンマは当時、シラミに多くの人々が苦しめられていて、ここにお参りするとええとか、そんなんからきてるのではないのでしょうかね。

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 そして再び本流は東に向かいます。いくつかの水門があって水はあちこちの水路へと分かれて行きます。きっと旧万願寺集落の田畑へ水を供給するための水路なのでしょう。今でも農業用に使われているみたいで、農繁期には農家の方が、つまった水門の掃除をしてはる光景を見ます。

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 とは言え、田畑の多くが宅地へと姿を変え、その川の風情もコンクリートで覆われた味気ないものとなってしまっています。本流の最後の方にはあまり田畑が見られず、水の流れもほとんどありません。

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 そして最後は、一級河川『恩智川』へと注ぎ、この川は終わります。ただの用水路ですが、きっと先に触れた様に旧万願寺の集落の人々には大切で重要な水路だったことと思います。
 しかしながらこの川、短いとは言え東(=山の方)へ向いて流れているのも不思議な感じがします。こういった“名もない川”探索、私は幼少の頃より興味があるのですが…ここを知らん人にはつまらん話でしたかね。長々と…すんませんでした。
 なお、旧大和川の事とか、中河内の過去に興味あるひと、おられましたらここによくコメントくださるナムダーさんの“● 万華鏡 〜無音の爆走〜”(閉鎖)をおすすめいたします。自分の足で探して検証して、楽しんで調べてはる感じが、こっちにも伝わってくる心地よいブログです。

(於:八尾市) 人気ブログランキングへ

※追記
 八尾市指定文化財 安中新田会所跡の旧植田家住宅発行の“旧植田家だよりvol.21”に記事中の“寺井洫境石”の説明がありました。要約すると

 この辺で安政5年(1858年)に当時の上之島村と中野村との間で水争いが何度かあって、この“寺井洫境石”は溝の水量を決める為の石で、以前は水面近くにあった。

との事の様です。

 なお“寺井”に関してですが、fuji-uさまのブログ“ブログ版『大和川水紀行』”の記事“志紀駅、二俣から玉串川を下る”によると、新田開発の際に水路を引いたのが“寺井”という名のお方やったそうです。

あ、これでスッキリしました。(2015年6月5日)

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コメント

私、不動産屋の看板はよう覚えてるんですけど、その裏に水路があったのは知りませんでした。
恩智川沿いを走ってますと、西から水路が流れて来るのがいつも見えるので、何処から流れて来てるのか詳しく知りませんでしたが、玉串川から流れて来てたんですね。
それで、御存知かも知れませんが、この近くに池があってそのそばに古い親井戸があります。この井戸ええ感じのとこにありますんで、御存じないなら一度行ってみては如何でしょうか?
「謎の石造物」は一度この目で確認したいですね。

ほんで、いつもうちの宣伝して頂いて、ほんまありがとうございます。おかげさんで、うちを覗いてくれはる人が確実に増えてますよ。

投稿: ナムダー | 2009年11月 9日 (月) 22時17分

ナムダーさんいつもコメントおおきにです。

記してから思い出したのですが、この川、恩智川に合流する部分に水門が付いてますよね。他の“名もない川”にも取水口ではないのにもかかわらず水門が付いてました。これは恩智川が増水すると小さい川は逆流するからでしょうかね?どうなんでしょ。

で、お教え頂いた親井戸…じつは昨日行ってきました。何日か後に記したいと思っています。

今回のも“『千間川』跡を知る。”の回同様、ナムダーさんのパクリですね。すんません…ってスタイルだけで内容薄々で“似て非なるもの”=偽モンですけど。

今後ともよろしゅうです。

投稿: 山本龍造 | 2009年11月 9日 (月) 22時47分

いえいえ、パクリやなんて全然ですよ。
読ませて頂きました「私の知らない八尾」を。地の人間しか知らん様な事を書かれると非常に嬉しいですね。

それで、恩智川の水門は逆流対策でしょうね?
今はもう辞めましたが、以前は大雨で恩智川や第二寝屋川が増水すると良く見に行ってました。もう絶対逆流する程水位が上昇しますね。池島の恩智川越流堤を越えて、第二寝屋川に水が大量に流れ込むのは、もう恐怖に近いものがあります。普段は玉串川が水源みたいなもんですから。

恩智川は危険な水位になると「サイレン」が鳴るので、すぐ分かるんです。
サイレンが鳴ったら「ほな、行こか」って感じで。

投稿: ナムダー | 2009年11月10日 (火) 22時48分

ま、中河内の(一部の)ひとにしかオモロないでしょうね、このネタは。それで充分なんですけども。
で、やっぱりあの水門は“逆流防止”ですか。
昔に比べたら川幅が2倍のなった恩智川ですから、水位がそんなに上がるとは思っていませんでした。
こういう情報を教えてもらえる…ネット時代の恩恵ですね。ま、ナムダーさんが書き込んでくれはれへんかったら、ずっと知らんままなわけで、おおきにです。
今ではすっかり新興住宅の排水溝と化した用水路(ドブ川)も気になるところです。

コメントありがとうございました。

投稿: 山本龍造 | 2009年11月11日 (水) 00時26分

 少し回復してきたので久宝寺口駅~山本町5~志紀駅と歩きました。

グーグルマップでは未だ不動産屋やポンプ小屋が残ってますが…毀す前は食堂だったのですか?
農業用水路や水利権に興味があるんで、川の中の井戸や石の階段・橋をジックリと視て来ました。
相続なのか大きな邸宅も更地となり細分化される中、洫(田畑を潤す為に廻らした通水路)境界石はシッカリと保存されてました(寺井は地主名か?)。

頭と体のリハビリに利用させて貰ってます(妄想全開)。

投稿: 難波のやっちゃん | 2013年2月24日 (日) 19時26分

難波のやっちゃんさま
“久宝寺口駅~山本町5~志紀駅”と歩いて“少し回復”ですか?。と言うことはもっとめっちゃ歩いてこそ完全復活ということですね。その日が訪れるのも近そうですね。
川の上の店舗ですが、最後は不動産屋さんの看板が上がっていましたが、その前…40年くらい前は食堂でして、あの写真は、その不動産屋が看板をかけ変えた時に昔のヤツが顔を出したときのものです。余談ですがそこが食堂やった頃には、この川にうどんがよく流れていました(留まっていたことの方が多かったですが)。
『寺井洫境石』も見てきはったんですね。私もあの邸宅が解体され、石垣もなくなって「ついになくなったか」と思いましたら先日、ちゃんと元の位置に置かれていて安心しました。
何の大病を患いはったのか存じ上げませんが、ほんと、リハビリがうまくいって復活されること、心より願っております。

コメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2013年2月25日 (月) 22時35分

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