防火水槽 89 ■ 大分県別府市元町
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四年前の記事“完璧に一体化した看板と街路樹!”で、その見事なる取り込みようを愛でていた街路樹ですが、先日前を通りますと…
「あっ!」…。ご覧の通りたばこと日清製菓“ニッシンバターココナツ”の看板が取り外されているではありませんか…
左(最後)の写真の様に昨年の10月にはまだ確実に存在していて、お子とその凄さを愛でていたのになぁ。
まぁ、木の立場からしたら「はぁ〜すっきりスッキリ」てな感じでしょうから、これは「よかったなぁ」と言ってあげんとアカンのでしょうけれど…やっぱり残念。
しかし何ですね、この、看板を取り込んでいた部分にも、ちゃんと木の皮があるもんなんですね。勝手な想像では、この看板の裏側は、生身の木なんやろとおもてましたが…当たり前ですか。
で、何でここまでほっておいたこの看板が外されてしまったのでしょうか。グリンピースみたいな環境保護団体の指摘を受けて撤去することになった…とか? いや、やっぱりゆとりなき橋下政権下で「これは怒られるかも…」と取ってしもたんかなぁ。これくらいの状況は、自然の驚異を教える生きた教材として、ごっつ値打ちあったと思うんですけどね。あぁ残念。
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まず最初にいつにもまして「当たり前やん」な内容であることをお許し頂いて、以下の記事を読み流して頂ければと思います。
去年の春まで…すなわち40有余年全く気がつかんかったことがあって、今日、近所の公園に行って「あ、そやった」と思い出したことひとつ。
サクランボ…何げにそれは“さくらんぼ”であってそれ以上あれこれ考えたことなかったのですが、今日、おちびちゃんと行った公園の新緑まばゆいサクラの葉っぱの隙間を見ると「あ!」。パチンコ玉大のさくらんぼがなってますわ。
そう言えば昨春、落ちた実を見て「ん…さくらんぼかぁ?」と思ったことを思い出しました。さくら(ソメイヨシノ)にさくらんぼ…当たり前、ですわなぁ。
いやぁほんまに49回も桜花を愛でておきながら、こんな実がなることは…気づかんかったぁ。観察力低すぎ。
で、これ記しながら、もっと「アカンやん、わし」と思ったのが、食べてみんかったという事実。どんな味なんやか…探究心低すぎ。
また近いうちに…とか言いつつ来春まで忘れていることでしょう、味の報告は。また来年…って、続けてるかなぁ、アホげ。
(於:中央区)
「サクラを撮ってくださいょ、フジで」と富士系現像所の営業のひとがぎこちなく言ってはった四半世紀前のことを思い出したわ。
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白浜までの道すがら、湯浅町で金山寺味噌を買いました。目指すは、あの…「“径山寺味噌”と書いてあって糖類添加していない…」。屋号も思い出せないまま、記憶をたよりに湯浅の町をグルッとまわって「ここちゃうか」と入って行った細い道に、ありました。
看板見て「これやこれや、この“玉井醤”っていうやつ」。“元祖古伝造径山寺味噌”の文字も見られます。ただ…「ほんまにやってるんか?」というくらいひっそりしています。「夏野菜が採れる時期しか造らん」とか以前…15年くらい前に訪ねた時、当主と思われる方が言ってはりましたので「まだ時期ちゃうし…ムリやろ」と思てましたらうちのひと「訊いてみよか」と店の中へ。クルマの中で待つこと10分。「やってはったわ」と、1キロわけてもらってきました。
見ての通りかなり熟成が進んだ色合い。以前は晩夏か初秋の頃に頂いたので、かなり見た目が違います。これは、たぶんほぼ一年経ったモノなのでしょう。
さてお味は…「これや、この自然な甘さ、旨さや」といった感じ。前回のそれはそれでフレッシュな味わいが良かったのですが、今回のは深さが全面に出ている感じです。
以前買い求めたときは「うちのは砂糖加えて造ったもん違いますから、他所様の金山寺味噌のお味に馴れてはったら、口に合わんと思います」みたいなことを当主の方に言われ、味見をして納得してから買ったのですが、今回は、そういう説明もなかったそうです。80歳代のおばぁさんがひとりでやってはったとうちのひとが言ってましたが…これからどうなるのかかなり心配です。というのも、帰宅後、調べてみますと日本の醤油のルーツがここの醸造元やと言われているみたいやからです。醤油業界のサイトにこの様なことが記されていました。
1580年ごろ(天正年間)には、日本で最初のしょうゆ屋さんと思われる玉井醤が、みそ・しょうゆ業を始めたといわれ…(以後省略)
紀州湯浅散歩というサイトの玉井醤本舗(北村家)にも“その味は400年前の江戸時代初期から受け継がれているそうです”と記されています。
冷蔵技術もなく、保存料も発達していなかった頃の保存食ですから、今の人間には正直ちょっと“塩辛い”のですが、こんな天然の旨味を持った、醤油、味噌の原型の様な玉井醤の径山寺味噌がいまも造り続けられているのは…ちょっと奇跡的かも。何とかこれからも同じ製法で造り続けられてほしいなぁと心より思うのでした。塩辛いけど、ほんまにおいしいもんなぁ。
■ 元祖古伝造径山寺味噌 『玉井醤』 大阪屋三右衛門
和歌山県有田郡湯浅町大字湯浅531
(於:和歌山県湯浅町)
酸酵方法でさらに濃醇させる必要なし!当たり前か。
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先日は白浜の老舗旅館系ホテルで夕食。「まずは飲みモンを」とメニューにめを通しますと…何か、変。
【地冷酒】…聞き慣れん響き。【地酒】というくくりもあってそこに冷酒もあるのになぁ…などと思いつつお酒の説明を読むと「濃醇させ」…とあります。全文記しますと「○○(辛口酒の銘柄)をさらに濃醇させ、お米の旨みをたっぷりと含ませたお酒です」。はぁ?濃醇させたら…超辛口になりまっか?
などと「けったいなメニューやで」と思って翌朝、改めてそのメニュー見ますれば、まだありましたわ、「はて?」が。
地ビールの説明文に初めて目にしたコトバが。“酸酵”…皆さんご存知ですか?“酸酵”の意味って。「…を使用し、酸酵方法とアロマホップに徹底的にこだわった…」と記されていました。帰宅後調べましたが辞書にも“酸酵”は見当たらず。これはきっとスペッシャルな製造過程なんでしょう。知らんかった。覚えとこ。
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50th anniversaryで昨日今日と南紀へ旅に。クルマ降りますればそこは強風。本州最南端・潮岬から沖を眺めますれば…
「ヤバいヤバい、船が沈むがな…」状態。なかなか静止画像では伝わらないかなぁ、いやホンマ、何度も「あかん、沈没したで…」と思いましたけど持ちこたえてるみたいで、その後のニュースでその手の話題はありませんでしたので、どの船舶も大丈夫だったのでしょう。
船って、こないに海面に船頭船尾を突っ込み上下しつつ航行しても沈没せんもんやとは知りませんでした。沈まん不思議同様、これだけ船体がうねってもバラバラにならんというのも不思議な感じですわ。しかし何です、やっぱり瀬戸内海と違って紀伊水道は波が荒いもんなんですね。こんなん見ると…エルトゥールル号遭難事件も、リアルに瞼に浮かぶ気がします。
潮岬への道すがら、海を見ますとそこにたくさんの貨物船が繋留(?)されていました。その状況を「何でかいなぁ?」と見ていましたが…あれはやはり、風が凪ぐのを待っていたんでしょうね。いやぁしかし…船も凄いけど、それを操る船乗りも凄いもんですなぁ。「男の仕事やなぁ」とか思いましたわ。おばはんのおっさんにはできませんで、こんなん。
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2012年5月21日は、月と太陽までもが私の生誕の日を祝ってくれたのでした。
…とは言え、完全な金環日食状態は、見えんまま。ま、その不完全さがまた「よし、次は300年後や!」と生きる活力源となって…って、まぁ、土台無理な話なんですけど。300年後か…世の中どぉなってるんか、全く想像できませんわ。
しかし何です。この曇り空の中から時折見ることができたと言うのは、やっぱり風情あって良かったと思いますね。その奥ゆかしさもさることながら、裸眼で楽しめたと言うのが何より心地よかった。ま、「三日月にしか見えへんやん」という部分はありますがね。
それから…やっぱり普段その時間にそないに人がいない所にたくさん人がいて、みんなで空を見上げてるそんな街の雰囲気が楽しかったですね。声に出して感動してる人はあんまりいなかったけど、何かそこに一体感が生まれているという…やっぱり同じ感動を共有してるというのは、何かええモンです。
2012年5月21日…こころに残る五十路旅の始まりとなりました。ついてるなぁ…わし。
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このマークにこのブランド…覚えてはる人も今となっては50代以上の人たちでしょうか。
“城東パン”…かつてヤマザキやシキシマなどナショナルブランドのパンメーカーがまだ幅をきかせていなかった頃、神戸屋、進々堂などと並ぶ有力パンメーカーとして関西ではテレビCMも流してはるくらい幅をきかせていましたね。街角で菓子パンを買うのも給食で食べるのも城東パン。山本龍造の身体は城東パンでできてる様なもん…は、めちゃ言い過ぎですが。
八尾に会社があったこともあって、中学生時分には工場直営店にもよく買いに行ったもんです。その頃気に入っていたのは“チーズボール”という名の丸いフランスパン。いまだにチーズ入りの固いパンを食すとその頃を思い出すという…あとは、ここのメロンパンも好きでした。しっとりタイプの表面で、端っこの方だけコリコリしてて黄色味がキツくて…あれを上回るメロンパンには…出会ってないなぁ。
そんな私にとって昔からなじみ深い“城東パン”が、ある時にロゴが代わり、しばらくして『西湖堂グループ“城東西湖堂”』と社名を変え京都の西湖堂傘下入りしたあたりからあんまり見かけなくなって、その後工場が2度移転。末期にはすっかり呑み込まれ“西湖堂製パン大阪工場”として営業していましたが、のちに大阪工場は閉鎖、そして“西湖堂”自体も10年ほど前、私の知らんうちに倒産していました。
昭和54年、刊行された『全国パン戦争』(日本経済新聞社編)によると、「昭和52年3月、城東パンに西湖堂が経営参加」とあり、そこには「製パン業界をびっくりさせる事件が起きた」と表現されています。当時、城東パンは日本パン工業会の有力メンバー。そんな大手が中堅メーカー西湖堂に呑み込まれたことは、まさにパン業界が戦国時代にあるということを象徴する出来事だった様です。
すっかり過去の思い出となってしまった城東パンですが、その名残りが地元八尾に残っていました。ひとつは御野県主神社の玉垣に残る社名。もうひとつはこの社が手掛けていた焼きたてパンのチェーン店『シャトードール』の名を今に残すパン屋さんです。探せばまだまだある様に…あ、そう言えば駒川商店街の半分露店みたいなお店が“城東西湖堂”と記されたパン箱を使ってはります。
で、「城東パンって…どんな工場やったか?」ですね。探してみれば…ありました!。外観と内部の作業風景をお見せ致しましょう。
…はは。こんなんですんません。共に小学2年生の時に描いたもの。外観は写生の授業で、作業風景は工場見学に行った時の様子を記したものです。しかし…よくわかる絵やなぁ…とかなんとか。余談ですが外観の絵の右端に描かれているのは、当時いつも煙を出していたゴミ焼却場の煙突ですね。こんなん描いているとは…当時効果ガススモッグがさかんに問題視されていて「あの煙突はなんや!」と思ていたのかもしれません。
よぉ残っていたなぁこんな名画が…というか「よう残してくれていたなぁ」と。おおきに。今日は節目の日。「もうちょっとマジメに生きよ」と今は…思っています。
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これぐらい錆びてる方が似合う様になったかな“ナショナル”という響きも…って、いくらなんでも早すぎですか。
しかし何です、この坊やのおデコ隠す髪型、いかにもええ子ちゃん風情で古そうやけど韓国の俳優さんみたいで…今日的やん!とか何とか。
(於:住之江区)
ナショもソニーもシャープも、どうなんねやろ…って、やっぱり“ナショ”やわ今だに。
※関連記事:『“学童に注意”て、記してあったはず…』 2007年8月
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今日はええ天気で心地よい気温…ということもあって某お方の個展へ。自転車での道すがら“聖天山公園”を横切りますれば…「ん?」な木が。
「変やなぁ」と自転車停めてよく見ますと…ご覧の通り何があったか、ネキから横向きに生えてますわ。で、枝が上へ向いている…いや、まぁそれだけと言えばそれだけですけど何でこんな風に生長したんでしょうかね。この生きざまに、あれこれ思う人も多いのか、つっかえ棒してもろたり、腐った幹(?)にコンクリ流し込んでもろたりと…何かいいなぁ。
この木、どうやら桜の木の様でした。一ヶ月前の賑やかさはどんな感じやったんでしょうなぁ。来年の春もいっぺん見に行ってみよ…って、覚えてるかなぁ一年後。
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巨大プランターとして平穏な余生を送っていたであろう防火水槽が、ご覧の通り惨めったらしいひびひびの姿になって佇んでいます。崩壊しそうなその状態に対してぶっとい針金で補強してあって…「もう、ええやん、あの世へ送り出したってょ」って言いたくなるなぁ。まぁ、こう処置せんことには仕方ないというのもわからんでもないですが。
引退の時をすぎてもなんとか頑張り続ける第88号の防火水槽。あんなことこんなこと…色んなこと考えさせられるなぁ。ほんまにご苦労さん。
と、かなり痛々しい物件に出会う直前に、「これは…どやろ?」な物件にも出会いました。
一見すると丸型の防火水槽かという感じで道端にありました。ただ見ての通り、肝心の水槽部分がコンクリートで埋められていましてもひとつよく解りません。叩いてみると鈍くポンポンと響くので、中は空洞の様です。「これもきっと防火水槽やろ」と最初は思いましたが、どうも左右にある石と比較してもその高さがいわゆる防火水槽より低い気がします。本当のところはこれが何かは判らなかったんですが、たぶん“井戸跡”やないかと思うんですが、どうでしょう? それにしてもけったいな場所に井戸があるなという気もしますが、wikiによるとこのあたり、江戸時代には“蔬菜類を供給する近郊農業地帯だった”ということですので、農業用の野井戸が残ったのではないかと勝手に解釈して、「これは防火水槽にあらず」と決めさせてもらいました。「いや、これは防火水槽やで」という意見をお持ちの方、おられましたらコメント頂きます様、よろしくお願い致します。
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まだまだ時折見かける物件とは言え、よく見ると…何とも昔な感じがして懐かしく思えます。劣化具合もさることながら、鷲のマーク、“パン”の書体、縦長の楕円(?)で囲まれた感じなんかがそう思わせるんでしょうかね。
この“神戸屋”の文字を見ると思い出すのが四半世紀以上前のむかし、2ヶ月ほどですが東淀川区にある神戸屋の工場へアルバイトしに行ってたこと。フル稼働でも約束の時間までに全然作業終わらなくていつも長く残業。現場社員さんの配慮で試食としてテンコ盛りにパンをくれてはりました。帰宅後それを毎夜毎朝完食してたことが今となっては…信じられません。ほんまよぅ食べたなぁあの頃は。電車で通ってたんですがある日の帰路、淡路の駅前のある店から聞こえてくるラジオの声で林家小染さん(先代)がクルマにはねられたことを知ったことも昨日のことの様…この辺は今となってはちょっと曖昧な記憶かなぁ。そんな思い出残る商店街も先日行けばすっかりなくなっていて…もう昔のこととなりました。それでも神戸屋は今も昔も変わりなく頑張ってます。ちなみに神戸屋は現在、業界4位とか。関西資本の大手パンメーカーの中で唯一生き残った存在として、これからも応援して行こ…って、ここ数年、全然工場生産のパンって食してませんわ。近所に評判の焼きたてパン屋がいっぱいあるからなぁ…
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封切りから一年…昨夜、関西テレビで映画『プリンセス・トヨトミ』が関西テレビで放映されていましたね。今日録画したものを見てみますれば…おったおった、山本龍造がおりました、あちこちに。
山本龍造…ある時は空堀商店街を自転車を押しながら歩くおっさん、ある時は会計検査院の職員、で、そしてある時はバスの車掌さんに。
案外大写りしてんなぁというかかなりの大写り。堤真一さん、岡田将生さん、綾瀬はるかさんと同じフレームに収まってるやんって…そうやったんや。
…とまぁ、いつもながらどぉってことない話でスンマセン。しかしながら…案外ミーハーやってんなぁ、わし。
※関連記事:“映画『プリンセス トヨトミ』…昨夏、エキストラを。” 2011年5月
群衆の中に魚屋に扮したゴリモンさんらしき人物も見受けられる様な…別人か?
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ふと民家の軒先を見ますと、雑な鳥の巣の様な幹や枝の塊が。「ん?」とその真下を見ればぐにゃっとしたした幹の切り株…上下を見ると「ははぁ、そういうことなんか」と。
昨日の記事に見る通り、青々と茂るツタの幹ってこんなに太くて固そうなもんやったんですね。「ツタは建物を傷める」と聞いたことがありますけど、こんなキツイもんに取り憑かれると、そら傷むわなぁと納得。
ちなみに「前はどんな感じやったんやろ?」とgoogleのストリートビューで見てみましたら、建物が確認できんくらいにツタで覆われていたみたいです。
もうどなたも住んでおられない様で、「何で今さらツタの除去?」という感じもしますが、解体する前にツタを処分しておいた方が作業がはかどるからこうしたのかもしれません。それだけやっぱり難儀な植物やということですか。どこからやってくるのか…やっぱり用注意植物ですわ。
(於:東淀川区)
『ツタ』は“つたって伸びる”でツタと名付けられたそうで…知らなんだ。
追記:同じ物件をブログ『十三のいま昔を歩こう』の新之介さんが5月7日の記事“さよなら東淡路商店街10”の中、11枚目の写真で紹介されていました。びっくり。極めて同じ時期に同じ物件を…シンクロニシティってヤツでしょうか? んなたいそうなことではないわな。
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阿倍野から徒歩で北上。途中「あの公園のあれはまだ健在か?」と気になりまして立ち寄りますれば…!
ご覧の通りすっかり消されてしまってました。うっすら残るそのキャラクター…昔より拙ブログをご覧頂いている皆様の一部の方には「あれか!」と思い出していただけるでしょうか? そうです、これは2010年8月の記事“こういうディズニーキャラの使われ方、あり?”で記したあの遊具です。
許可期限が過ぎたのか無許可で描いていたのか…たぶん後者の理由やないかと思われますが肌色に一色で塗り込められて…この状態、一瞬「え?」でしたがすぐに「やっぱりな」と思いました。
しかしほんまディズニーって、キャラクターの無断使用に対して隅々まで目を向けてるもんですね。著作権というものがある以上、こうするべきですし、著作物はそのように守られてしかるべきと思ってはいるものの…心のどこかで“ナンダカナー”と思っている自分がいます。某国の著作権意識の低さもどうかと思いますが、あんまりいちいち目くじらを立てるのも、ちょっと肌に合いません、正直言うと。ここで遊ぶ子供達への認知度、浸透度を考えるといちいち言わん方が…あ、甘いですね。
余談ですが同じ公園にあった“死図丘剣”の落書きも消されていました。ひょっとして…大阪市の職員が拙ブログを見てふたつとも消されてしもたとか…は、ないわな。
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ツンツンのユッカが立派に生長しています。その姿、どこか四人家族のよう…という感心よりもやっぱりこの、根元が気になります。これはコンクリート製の会所枡(集水枡)ですな、割れてしもてますが。
「会所枡を植木鉢代わりに使お」というのはまぁ解りますけど、よくもまぁ、こんなスペースに4本も植えてからに…枯れることも倒れることもなくいきいきとしている…エライなぁ。
…などとその生命力を愛でつつよく見たら、これ、おもいっきり玄関の前に置かれています。「けったいな場所に…」と思いつつさらによく見ると、扉のまわりだけ、ツンツンの尖った部分が剪定されています。と言うことはこの玄関から今も人が出入りしているということか…
見るほどに妙な味わいがじんわりと感じられる…人間の営みっていうのはおもろいもんですなぁ。ま、それに巻き込まれる植物もまたおもろい姿でつきあってくれて…けなげですなぁ。
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今年も例年呼んで頂いているタケノコ掘りに、吉野は下市町のある里山へ行きました。“タケノコ掘り”と言っても私が主にするのは“竹切り”。日当り、風通しをよくしてやらんとヤブになって山が荒れ、タケノコが取れん様になるとかで立ち枯れの竹を切って片付けていくのですが…理由はともあれこれがもう楽しくて。
山に入りますれば…隣接する他の所有者の山は放置されているのか竹が密集して生えている上に竹が細く、相当数の竹が倒れていました。上の写真の右側がその状態のもので、左側がいつも手伝わせてもらっている知り合いの山です。
確証はないのですが山道も草木に侵蝕され徐々に狭くなっているとか。竹やぶに限らず、里山の荒廃がこんな風に全国で起こっているんやろなぁと想像すると…ちょっと恐ろしくなってきます。
落ち葉や薪を燃料として使わない生活では、まぁこうなるのも仕方ないことではあるんでしょうが…何とかせんといかんことのひとつですね、これも。里山の美しさは人の手が入ってこそのもんなんやというのを改めて知った次第。で、「さぞかし美味しいタケノコがいっぱい採れたことでしょう」って? いやそれが全くダメ。イノシシや鹿やよその人間に取られてしまっていたというのもちょっとあるでしょうが、今年は超不作。「もうええねん」といらん程採れる年もあるのに。手入れしてもアカンこともあるんですね。てなわけで農協の直売所でタケノコ買い足しての帰宅。ま、しかしそれでも無心で竹切りに集中できて気分スッキリ。汗かいて単純労働に没頭する…人間にとってたまには必要なことかもしれんなとまぁ、例年と同じ様なことを思い、実感したのでした。
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トンガリ角地の先っちょにドヤって感じで第87号はどっしりと収まっていました。その感じ、どこか「浴槽か?」といった風情ですが、かろうじて“水用”の文字が確認されますので、防火水槽に間違いない物件でしょう。
たっぷり容量の防火水槽故か、よく見ればかなり大きく成長した様な木の切り株が残っています。木には気の毒ですが、防火水槽が割れてしまう前に何とかしはった様子を見ると、この物件、管理者にも気に入られて大事にされているものと察します。
とまぁ、防火水槽の立派さに心惹かれたあと、この物件のある建物を見上げますと、モザイクっぽいええ感じの化粧壁が施されています。
…と思いましたがよく見ると、化粧タイルが割れて模様に見えてるんですね。経年変化でこんな状態になるとは。破片が落ちてきて当たったら大変ですけど、見た目にはなかなか美しい模様でええですね…って、話それてますわいつも通り。
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昔ながらな店の隅に“大工道具のこ目立”の文字。「そう言えば昔はこんなコトバを掲げた看板があったなぁ」と思い、ふと見上げると軒下にこの看板はありました。そこに並ぶ電動工具の図…このマキタは、昭和33年に国産初めての電気カンナを生み出したとか。それから半世紀、これらの電動工具はもう建築現場でなくてはならん存在になっていますが、それと同時に昔ながらなノコギリやカンナは…出番がすっかり少なくなって…オルファのカッターが生まれ、普通のノコギリでも使い捨ての刃を使うという時代、“研ぎ・目立て”では商売が成り立たん様になったことでしょう。この日は定休日やったのか、もう店をたたみはったんか…進歩の影で色々な仕事がなくなっていくもんです。
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二次利用されているのでしあわせなヤツかと言われれば…そうではないなぁ。郵便受けとしてその余生を過ごしてきたんやろけど、今やすっかりゴミ箱状態に。ちょっと浮かばれへんヤツやなぁ。かるちゃんのすすり泣きが聞こえる…気がする。5月3日は“ゴミの日”。
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春先から梅雨時分まで、花粉症に効く薬もらいに行く耳鼻科がビルの6階にあって、そこの窓から景色を見ると当たり前な話、いつも見なれた光景が違って見えるわけです。
ほとんどビルにとって変わった様な谷六の交差点あたりにもちょいちょい瓦屋根の店舗が残っている…知ってはいても路面からはなかなか実感できんもんで…などと思ってその屋根瓦の一番奥に目をやると…屋根が落ちてますわ。
こんな状態になってたんやなぁ、全然知らんかった。この調子やと、いずれ手前の棟もこんな状態になってしまうんかなぁ。ビル街の片隅で、人知れず徐々に朽ちてく昔ながらな瓦屋根の家…って、ビルやマンションで日々過ごす人らはみんな知ってはる事実ですな。
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先の休日、おちびちゃんと“六甲山フィールドアスレチック”へ。あぁ懐かしいなぁこういう遊び…と言っても私らが小学生時分にはこの手の遊びはこの様な施設でやるもんではなくて生駒山麓の崖とか見つけてそこにある木にロープ巻き付けて“崖のぼり”したりしたんですが…あれって牧岡公園やったんかなぁ。当時両親に連れて行ってもらってその様に遊んだ記憶が甦ってきまして…は、どうでもよくて、ここで持って行った弁当を食しながら、ふと隣のテーブルを見ますと「え?、ここでこの“水”かい!」な光景が目に止まりまして。
残念ながらその、お隣のテーブルの人たちの手元を撮ることはできませんでしたが、皆さん休憩がてら片手に“Volvic”のPETボトルを持ってはって「?」。「おい、どういうことやねん」と施設内の自販機をチェックしますれば…ここには“evian”が売ってますわ。
「…ここは、フランスか?。ここはあの水やろ、あの水」。アサヒの自販機あるというのにハウスからアサヒへ販売権が移ったあれがないとはどういうことなんかなぁ。
“地産地消”も今だ遠くの話なんですね。“Volvic”は自販機では売ってませんでしたので、中学校のセンセと思われる人々が持ち込んだんでしょう。六甲山に登り、フランスの水を飲む…お洒落やねぇ。さすが“KOBE”って感じっ。
(於:神戸市灘区)
“あの水”の2Lボトルは「六甲山系の水やない」という意見もあるそうやが…
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